すばらしい地下生活
区長さんの話によると、人々は地下に家を持って、安全に暮しているが、事件や戦争のないときにはこうして、大昔の武蔵野平原にかえった大自然の風景の中に自分もとけこんで、たのしい散歩やピクニックをする人が少なくないとのことであった。 「じゃあ、前のような地上の大都市というものは、どこにもないのですね」 「そうですとも。昔は六大都市といったり、そのほか中小都市がたくさんありましたが、いまは地上にはそんなものは残っていません。しかし、地の中のにぎわいは大したものですよ。これからそっちへご案内いたしましょう」 正吉は、区長たちの案内で、ふたたび地下へ下りた。 地下といえば、正吉は地下鉄の中のかびくさいにおいを思い出す。鉄道線路の下に掘られてある横断用の地下道のあのくらい陰気な、そしてじめじめしたいやな気持を思い出す。また炭坑の中のむしあつさを思い出す。 だが、区長たちに案内されていった地下街は、まったく違っていた。陰気でもなく、じめじめなんかしておらず、すこしもかびくさくない。またむしあついことなんか、すこしもなかった。それからまた、いきがつまるようなこともなかった。 だから、まるで気もちのいい山の上の別荘の部屋にいるような気がし、また気もちのいい春か秋かのころ、街道を散歩しているようでもあった。 「それは、ですね。この地下街を建設するためには、あらゆる衛生上の注意がはらってあって私たちが気もちよく暮せるように、いろいろな施設が備わっているのです。たとえば空気は念入りに浄化され、有害なバイキンはすっかり殺されてから、この地下へ送りこまれます。また方々に浄化塔があって、中でもって空気をきれいにしています。ごらんなさい、むこうに美しい広告塔が見えましょう。あれなんか、空気浄化器の一つなんですよ」 「ああ、あれがそうなのですか。広告塔と空気浄化器と二役をやっているのですか」 十メートルくらいの高さの美しい広告塔だった。赤、青、紫、橙、黄などのあざやかな色でぬられ、そして、ぐるぐると回転している、目をうばうほど美しい塔だった。 「それから湿度は四十パーセント程度に保たれています。ですから、これまでの地下のようなじめじめした感じや、むしあつくて苦しいなどということもありません。また温度はいつも摂氏二十度になっていますから、暑からず寒からずです。年がら年中そうなんですから、服も地下生活をしているかぎり、年がら年中同じ服でいいわけです」 「それはいいですね。衣料費がかからなくていいですね。昔は夏服、冬服なんどと、いく組も持っていなければならなかったですからね。ちょうど布ぎれのないときでしたからぼくのお母さんは、それを揃えるのにずいぶん苦労をしましたよ。――ああ、そういえば、ぼくのお母さんは……」 と、正吉は声をくもらせて、はなをすすった。 「どうしました、正吉さん」 と、大学病院長のサクラ女史が、うしろからやさしく正吉の顔をのぞきこんだ。 「ぼく……ぼく」 と正吉はいいよどんでいたが、やがて思い切っていった。 「ぼく、急にぼくのお母さんに会いたくなりました。ぼくがあの冷凍球の中にはいるとき、ぼくのお母さんは五十歳でした。ああ、それから三十年たってしまったのです。するとお母さんは今年八十歳になったはず。お母さんは日頃から弱かったんです。お母さんは、とても、今まで長生きしているはずはない。ぼく……ぼく……もうお母さんに会えないだろうな」 正吉少年のこのなげきは、たいへん気の毒であった。カニザワ氏とサクラ女史とカンノ博士の三人は、ひたいをあつめて何か相談していたが、やがてカニザワ区長が正吉にいった。 「もしもし、正吉君。われわれに、すこし心あたりがあるんです。うまくいくと、君のお母さんに会えるかもしれませんよ」 「えっ、ほんとですか。しかし母は、もう死んでいますよ」 「いや、そのことはやがて分りましょう。これから町を見物しながら、そちらへご案内してみましょう」
人工心臓
正吉は、区長たちからなぐさめられて、すこし元気をとりもどした。 町を案内してもらったが、なるほどじつににぎやかであり、また清潔であった。昔は、にぎやかな町ほど、砂ほこりが立ち、紙くずがとびまわり、路上にはきたないものがおちていたものだ。 しかし、この町はほこりは立たず、紙くずはなく、路面ははだしで歩いても足の裏がよごれないように見えた。 町は、天井が高く、路面から三十メートルはあったろう。そして、その天井は青く澄んで、明るかった。まるで本ものの秋晴れの空が頭上にあるように思われた。 「あの天井には、太陽光線と同じ光を出す放電管がとりつけてあるのです。その下に紺青色の硝子板がはってあります。ですから、ここを歩いていると昔の銀ブラのときと同じ気分がするでしょう」 「ああ、あれはほんとうの空じゃなかったのですか――うん、そうだ。地面の中にもぐっていて、青空が見えるはずがない」 正吉は、うっかり思いまちがいしていたことに気がついて、顔があかくなった。しかし、それほどほんものの秋空に見えるのだった。 区長は、正吉を、りっぱな本屋につれこんだ。奥は住宅になっていた。いわゆるアパートメント式の住宅であった。そのうちの一軒の前に立った区長は、扉をこつこつと叩いた。すると中から返事があった。女の声だった。 「あっ、あの声は……」 扉が内にひらいた。家の中から顔を出した白髪頭の老女があった。 「まあ、これは区長さん。それにサクラ先生に……」 「今日はめずらしい客人をお連れしました。ここにおられる少年にお見おぼえがありますか」 区長にいわれて、老女は正吉を見た。 「まあ、正吉ではありませんか。うちの正吉だ。まあまあ、正吉、お前はどうして……」 老女は、正吉の母親であったのだ。 「お母さん」 正吉と母親とは抱きあってうれしなみだにくれました。 「お母さん、よく長生きをしていてくれましたね」 「正吉や。お母さんは一度心臓病で死にかけたんだけれど、人工心臓をつけていただいてこのとおり丈夫になったんですよ」 「人工心臓ですって」 「見えるでしょう。お母さんは背中に背嚢のようなものを背おっているでしょう。それが人工心臓なのよ」 正吉は見た。なるほど母親は、背中に妙な四角い箱を背おっている。それが人工心臓なのか。正吉は目をぱちくり。
口ひげのある弟
人工心臓は、ほんとの心臓と違って、人間のつくった機械だから、ずっと大きい。だから胸の中にはいらず背中にそれをくくりつけてある。 胸の中から二本の管が出て、この人工心臓につながっている。一方は赤くぬってあり、もう一つは青くぬってある。赤い方は、きれいな血がとおる動脈、青い方は静脈だ、そして人工心臓は、その血を体内に送ったり吸いこんだりするポンプなのである。 昔あったジェラルミンよりもっと軽い金属材料と、すぐれた有機質の人造肉とでこしらえてあるのだと、専門のサクラ女史が説明してくれた。 「こんなものをぶら下げていると、かっこうが悪くてね。正吉や、お前が見ても、へんでしょう」 と、母親は笑った。 なつかしい母親の笑顔だった。 「かっこうなんか、どうでもいいですよ。その人工心臓の力によって、もっともっと長生きをして下さい」 「お医者さまは、あたしの悪い心臓を人工心臓にとりかえたので、これだけでも百歳までは生きられますとおっしゃったよ」 「百歳とは長生きですね」 「いいえ。お医者さまのお話では、もっと長生きができるんだよ。百歳になる前に、もう一度人工心臓を新しいのにとりかえ、それからその外の弱って来た内臓をやはり人工のものにとりかえると、また寿命がのびるそうだよ」 「じゃあ、お母さん、そういう工合にすると二百歳までも、三百歳までも、長生きができることになるじゃありませんか。うれしいことですね。お父さんなんか、昭和二十年に死んじまって、たいへん損をしたことになりますね」 「ほんとにおしいことをしました。お父さまももう十五、六年生きておいでになったら、わたしと同じように、ずいぶん長生きの出来る組へはいれるのにねえ。そうすればお母さんは、今よりももっと幸福なんだけれど……」 正吉の母は、早く亡くなった正吉の父親のことをしのんで、そっと涙をふいた。 そのときだった。りっぱなひげをはやした三十あまりになる紳士と、それよりすこし下かと思われる婦人とが、かけこんで来た。 「あ、お母さん。ここへ、兄さんが訪ねて来てくれたんですって」 「あたしの兄さんは、どこにいらっしゃるの」 正吉はその話を聞いて、目をぱちくり。 「おお、お前たちの兄さんはそこにいますよ。ほら、そのかわいい坊やがそうですよ」 母親は正吉を指した。 「えっ。この少年が、僕の兄さんですか。ちょっとへんな工合だなあ」 「まあ、ほんとうだわ。写真そっくりですわ。でもあたしの兄さんがこんなにかわいい坊やでは、兄さんとおよびするのもへんですわね」 「正吉や。こっちはお前の弟の仁吉です。またそのとなりはお前の妹のマリ子ですよ」 「やあ、兄さん」 「兄さん、お目にかかれてうれしいですわ」 「ああ、弟に妹か――」 といったが、正吉も全くへんな工合であった。弟妹に会ったようではなく、おじさんおばさんに会ったような気がした。
びっくり農場
思いがけない母親とのめぐりあいに、正吉少年はたいへん元気づいた。見しらぬ世界のまっただ中へとびこんだひとりぼっちの心細さ――というようなものが、とたんに消えてしまった。 「ここからどこへつれていって下さるのですか」 と、正吉はカニザワ区長やサクラ院長などをふりかえって、たずねた。 「君がびっくりするところへ案内します。ちょっぴり、教えましょうか。日本の新しい領土なんです。ハハハ、おどろいたでしょう」 「日本の新しい領土ですって。それはへんですね。日本は戦争にも負けたし、また今後は戦争をしないことになったわけだから、領土がふえるはずがないですがね」 「そう思うでしょう。しかしそうじゃないんです。君がじっさいそこへ行ってみれば分りますよ」 「近くなんですか」 「いや、近くではないです。かなり遠いです。しかし高速の乗物で行くからわけはありません」 正吉は区長さんのいうことが理解できなかった。土地がせまくなったところへ、海外から大ぜいの同胞がもどって来たので、たいへん暮しにくくなり、来る年も来る年も苦しんだことを思い出した。中でも一番苦しかったのは食糧だった。 「ああ、そうそう」と、正吉はいった。 「ねえ区長さん。田畑や果樹園はどうなっているのですか。地上を攻撃されるおそれがあるんなら、地上でおちおち畑をつくってもいられないでしょう」 「そうですとも、もう地上では稲を植えるわけにはいかないし、お芋やきゅうりやなすをつくることもできないです。そんなものをつくっていても、いつ空から恐ろしいばい菌や毒物をまかれるかもしれんですからね。そうなると安心してたべられない」 「じゃ農作物は、ぜんぜん作っていないのですか」 「そんなことはありません。さっきあなたがおあがりになった食事にも、ちゃんとかぼちゃが出たし、かぶも出ました。ごはんも出たし、ももも出たし、かきも出た」 「そうでしたね」 「では、まずそこへ案内しますかな。ちょうどよかった。すぐそこのアスカ農場でも作っていますから、ちょっとのぞいていきましょう」 アスカ農場だという。地上には田畑も果樹園もないと区長さんはいっている。それにもかかわらず農場と名のつくところがあるのはおかしい。まさか、地中にその農場があるわけでもあるまい。地中では、太陽の光と熱とをもたらすことができないから、農作物が育つわけがない。 「ここです。はいりましょう」 大きなビルの中に案内された。こんな会社のような建物の中に、いったいどんな農場があるのであろうか。 が、案内されて三十年後の地下農場を見せられたとき、正吉はあっとおどろいた。 かぼちゃも、きゅうりも、稲も昔の三等寝台のように、何段も重なった棚の上にうえられていた。みんなよく育っていた。 「このきゅうりを見てごらんなさい」 そこの技師からいわれて、正吉はそのきゅうりをみていた。 「おや、このきゅうりは動きますね。どんどん大きくなる」 正吉はびっくりしたり、きみがわるくなったり、これはおばけきゅうりだ。 「この頃の農作物は、みんなこのようなやり方で栽培しています。昔は太陽の光と能率のわるい肥料で永くかかって栽培していましたが、今はそれに代って、適当なる化学線と電気とすぐれた植物ホルモンをあたえることによって、たいへんりっぱな、そして栄養になるものを短い期間に収穫できるようになりました。こんなきゅうりなら、花が咲いてから一日乃至二日で、もぎとってもいいほどの大きさになります。りんごでもかきでも、一週間でりっぱな実となります」 「おどろきましたね」 「そんなわけですから、昔とちがい、一年中いつでもきゅうりやかぼちゃがなります。またりんごもバナナもかきも、一年中いつでもならせることができます」 「すると、遅配だの飢餓だのということは、もう起らないのですね」 「えっ、なんとかおっしゃいましたか」 技師は正吉の質問が分らなくて問いかえした。正吉は、気がついてその質問をひっこめた。まちがいなく五十倍の増産がらくに出来る今の世の中に、遅配だの飢餓だのということが分らないのはあたり前だ。
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