日本の名随筆76 犬 |
作品社 |
1989(平成元)年2月25日 |
1991(平成3)年9月20日第5刷 |
俺かい。俺は昔しお万の覆した油を甞アめて了つた太郎どんの犬さ。其俺の身の上咄しが聞きたいと。四つ足の俺に咄して聞かせるやうな履歴があるもんか。だが、人間の小説家さまが俺の来歴を聞くやうでは先生余程窮したと見えるね。よし/\一番大気を吐かうかな。 俺は爰から十町離れた乞丐横町の裏屋の路次の奥の塵溜の傍で生れたのだ。俺の母犬は俺を生むと間もなく暗黒の晩に道路で寝惚けた巡行巡査に足を踏まれたので、喫驚してワンと吠えたら狂犬だと云つて殺されて了つたさうだ。自分の過失を棚へ上げて狂犬呼ばゝりは怪しからぬ咄だ。加之も大切な生命を軽卒に奪るとは飛んでもない万物の霊だ。人間の威張臭る此娑婆では泣く子と地頭で仕方が無いが、天国に生れたなら一つ対手取つて訴訟を提起してやる覚悟だ。 生れて二タ月目位だな。悪戯な頑童どのに頸へ縄をくゝし附けられて病院の原に引摺られ、散三責められた上に古井戸の中へ投込まれやうとした処を今の旦那に救けられたのだ。 乳も碌に飲まない中に母犬には別れ、宿なしの親なしで随分苦労もしたが、今の旦那には勿躰ないほどお世話になつて、恰と応挙の描いた狗児のやうだと仰しやつて大変可愛がられたもんだ。坊様も嬢様も無類の犬煩悩で入らつしやるから、爰の邸へ引取られてからは俺も飛んだ幸福者で、今年で八年、終に一度餓じい目どころか、両に四升の鬼の牙のやうなお米を頂戴してゐた。憚りながら未だ南京米を口に入れた事の無いお兄いさんだ。 俺の血統かい。俺は尋常の地犬サ。雑りツけない純粋の日本犬だ。耳の垂れた尻尾を下げた瞳の碧い毛唐の犬がやつて来てから、地犬々々と俺の同類を白痴にするが、憚りながら神州の倭魂を伝へた純粋のお犬様だ。西洋臭い顔をした雑種犬とは、ヘン、種が違います。 元来俺の解らないのは無暗やたらに西洋犬を珍重する奴サ。一つ気序でに話して聞かせやう。犬の先祖は狼だといふが、之は間違で、「ドール」といふ山犬の一種だ。今でも英領印度の西境のミドナボールからシヤマルの間に棲んでゐる。世界の文明が悉く印度から来たやうに犬も矢張印度を母国として四方に蕃殖したのだ。尤も埃及では猫と同じやうに犬を尊んで川の神と祀つて、恰度ナイルの氾濫時分にシリヤス星が見えるので、此星を犬星と名けて犬を星の精だといつたものださうな。アツシリヤでも早くから犬を珍重して今の「マスチツフ」だの「グレイハウンド」だのといふ奴が在たさうだが、爾んな事は扨ておき、我々は印度の「ドール」から進化したのだといふが学者の一致した説である。狼や「ジヤカル」から発達したといふのは嘘だよ。我々同類を誣ゆるものだよ。 処で、此「ドール」といふ奴は痛く人間を嫌つて決して影を見せないさうだが、敏捷活溌で頗る猟が上手である。豹のやうな木に登るものや象のやうな図抜けて大きな身幹のものゝ外は何でも捕る。虎でさへが「ドール」に会つては辟易する。無論一疋と一疋とでは虎には及ばないが、「ドール」君は常に大隊を率ゐて一斉襲撃するから大抵な猛虎は忽ち殺されて了ふ。中々慓悍決死の大将軍である。少と味噌を上げるやうだが、先づ猛獣狩の功者と云つたら「ドール」先生だらう。天晴武勇の振舞は我々犬族の先祖たるに耻ぢずと云ふべしだ。 さて犬族一統の中で、此「ドール」君の風を最も能く伝へてゐるは我々日本犬だよ。耳から尻尾の具合、面貌までが頗る肖ておる。殊に勇武絶倫、猛獣を物ともせざる勇敢の気象が丸出しである。恐らく「ドール」君正統の嫡流だと信じますナ。独り日本犬ばかりでない、日本犬に似てゐる者は悉く勁勇無双である。西蔵犬、「エスキモー」犬、西比利亜犬、我々の兄弟分は何れも力が強く勇気があつてしたゝかな豪傑である。唯だ何れも未開の国で野法図に育つたお庇に歴史に功蹟を遺すだけに進歩しなかつたが其性質の勝れて怜悧で勇気のあるのは学者に認められておる。「エスキモー」犬が雪中橇車を牽いて数日の道を行つても少しも疲労しない事や、西比利亜犬が旅人を護衛して狼や其他の猛獣を追散らす勇気は実に素晴らしいもんだ。西比利亜では犬を「エンヌ」といふさうで語音が稍や似通つておる。或は日本犬と同種族であるまいかといふ説があるさうだが、如何さま宛もありさうな事だ哩。 それから我々は何しろ二千五百年の歴史ある国に生まれたのだからエスキモーや西比利亜の徒輩と違つて立派な来歴がある。桓武天皇九代の皇胤と列べ立てゝは緞帳の台詞染みて笑止しくないが、御歴代の天皇様から御鐘愛を蒙むつて恐れ多くも九重に咫尺し奉つた例は君達も忠君無二の日本人だから御存じだらう。勿論翁丸のやうな悪戯をして君の勅勘を蒙むつた者もあるが、我々は先づ君の御寵愛を忝ふした方だ。歴史で一番評判の愛犬家は北条高時どのだ子。高時殿は大不忠者のやうに歴史で散三に悪く云はれておるがお気の毒だよ。藤原氏以来朝敵の数が殖えてるが、畢竟政権与奪の争ひをして不利益の位置に立つたものが朝敵呼ばゝりをされたので、此神州に生れて誰か天子様に抵抗ふ不届者があるもんか。元来政治を行るに天子様を挿んで為やうといふは日本人の不心得で、昔日から時の政府に反対するものを直ぐ朝敵にして了うが、今でも忠君を自分達の専売にしたやうな気になつて無暗と反対者を不忠呼ばはりする者があるが悪い癖だ。己が勝手に尊皇愛国を狭く解釈して濫りに不敬呼ばはりするは恐れ多くも皇室の稜威を減ずる憚ある次第だ。誠に飛んでもない咄で、一番気の毒な目にあつて大悪党の帳本と誤解されたのは北条氏だよ。高時殿はどうせ家を滅ぼす奴だから難有い人物ではなからうけれど、一族二百人枕を並べて自殺した最期は心あるものの涙を濺ぐ種だ。楠殿が高時の酒九献肴九種を用ゆるを聞いて驕奢の甚だしいのを慨嘆したといふは、失敬ながら田舎侍の野暮な過言だ子。天下の執権ともある者が酒九献肴九種ぐらゐ気張つたツて驕奢の沙汰でもあるまいと、俺は思ふナ。這般な事をいふと例の大忠臣党が直ぐ犬畜生の言草だなんぞと云ひさうだが、人間様の仰しやる事が兎角御都合主義だから無慾な犬畜生の言草が却て道理に合つてる。……ホイ、話が迂闊り横道へ外れた。這般な議論はでも可いが、処で此高時殿が大の闘犬好きで其お庇で我々は大分進歩した。闘鶏、闘犬、闘牛の類を惣て野蛮だといつて悪くいふ者もあるが、人間様に角觝がある間は這般な事を云はれまいと思ふよ。尤も禽獣の角闘は血を流すからといふが、血を流すのは俺達の勝手で、勝負といふ味は人間様の相撲も俺達の仲間の角闘も変つた事は無い。相撲が筋肉の発育を奨励する間接の原因となると同様に闘犬は俺達の身躰を非常に強壮にし且つ勇猛な気象を養ふやうにした。それから高時殿と一対の愛犬家は五代将軍綱吉公だナ。犬公方と下々の仇口に呼ばれた位だから無法に我々同類に御憐愍を給はつたものだ。公の生類御憐愍を悪くいふ奴があるが、畢竟今の欧羅巴で喧ましくいふ動物保護で人道の大義に協つてるものだ。手段は少と極端過ぎたかも知れんが目的は中々立派なものだ。我々は左に右く御恩を荷つた身分だから今でも忝く思つてる。綱吉公は我々の為にはヱス基督だ子。此頃のやうな恐水病が恐ろしいからツて濫りに不幸な浪人犬を撲殺し、歴気とした御主人様でさへが、能く職分を守つて吠える者は直ぐ狂犬だと誣ひて殺して了う時勢では公の恩沢は今更のやうに渇仰するよ。現に俺の母親などは寃の咎で殺された。之が綱吉公の御代なら直ぐ敵を取つて貰へたのだ。
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