我々日本犬は高時殿以降屡々角闘を奨励され、早くから田猟にも用ひられたから他の野蛮国の産とは違つて、躰格も立派なら性質も怜悧で、殊に勇気があつて力勝れ、喧嘩と狩猟に極めて名人である。人種の気象は風土と相伴ふさうだが、我々犬族も多分爾うらしいのは日本人と日本犬と何から何までが能く似ておる。唯だ日本人の躰格は世界中或る黒奴を除きて最も下等であるが、日本犬の躰格は世界各国の犬と比較して中等以上どころか寧ろ上等に位しておる。我々犬の方が遥に人間様の君達よりは優等躰格なんだ。余り白痴にして貰うまいよ。 然るに君、黒船以来毛唐の種が段々内地雑居を初めてから、人間様の間でも眼色の変つた奴が幅を利かしたが、俺達犬社会では毛唐種に暴らされてイヤモウ散三な目に遇つた。尤も毛唐種には勝れて立派な上等な奴がある。俺も頗る感服しておる。「マスチツフ」の躰格の立派なのや、「ブルドツク」の剛情で馬鹿力のあるのや、「アルパイン、スパニヱル」の大慈悲心に富んでるのは大和魂の俺達も殆んど我を折つておる。だが、解らない事が一つある。人間様の中では雑種児が小さくなつてるが、犬の中では雑種までが西洋振りやがつて威張散らす。俺が朋輩の家禽や牛馬の夥伴では、日本産でも純粋種は大切にして雑種は賤んでおるさうだ。夫が当然の筈だのに、犬だけは雑種までが毛唐臭い顔付をしてけつかるは怪しからん咄だ。君達人間様が平生愛国者振るくせに我々大和犬族の優等なるを忘れて外国種の下等な性質を遺伝いだ雑種犬を珍重するとは何事だ。欧羅巴かぶれも爰に到つて殆んど沙汰の限りだ子。言語道断である。 純粋外国種だつて必と俺達より勝れてるわけでは無い。「テリヤー」や「ターンスピツト」や「プードル」のやうな奴は何所が好いんだか俺達には解らぬ。マルタ犬は一名を獅子犬と呼ばれてゐるが名ばかり立派でからもう弱虫な怯な奴だ。墨西哥犬は君達の掌面に載るやうな可愛らしい奴だが、俺達は何でも大きいのが好きだから小さい方で世界第一なんぞは余り下らんナ。夫から日本にも来てゐるが、矮狗位な大きさで頭の毛が長く幾条となく前額に垂れて目を覆してゐる「スカイ、テリヤー」といふ奴、彼奴はどうも汚臭くて、人間なら貧乏書生染みて不可んな。「ハウンド」族でも英吉利の「グレイハウンド」や露西亜「ハウンド」は躰格も立派で中々見栄がするが、伊太利「ハウンド」と来たら翫弄犬と言はれるだけに脊の高さが一尺、重さが唯ツた一貫目――「ハウンド」で厶るが凄まじいお笑草だ子。犬も国に伴れるもんで、伊太利のやうな美術国だから那様な細つこい繊麗な翫弄犬を生じたのだらう。且つ俺のやうな四つ足の分際では些と生意気な言分だが、伊太利も豈夫にウヰダやロンブロゾが舌を吐いて論ずるほど疲弊してもおるまいが、細つこい瘠せ身代でゐながら些と海軍力のあるのを鼻に掛けて東洋の猟場にチヨツ掻を出し中原の大豚の分配を取らうと小癪な所為をする所は、矢張伊太利「ハウンド」の気ばかり強くて随分足も達者だが忽ち疲れてベタ/\に閉口して了う具合と似てゐるやうだよ。俺達は夫れと反つて今まで自分の力量に気が附かず、雑種犬にまで白痴にされて段々田舎へ引込んで、支那の犬にさへ尻尾を下げて恐れ入つたもんだ。之からは最う負けるものか。鎌倉以来の負けじ魂を奮つて「マスチツフ」でも「ブルドツク」でもさア来い。対手になつて見せる。 なに、大層威張ると?……威張るとも、我々大和犬族は敢て毛唐種に譲らない力量勇気があるから子。元来君達からして甚だ不心得だ。といふは自分達は失敬ながら世界を知らないで蚊の臑のやうな痩腕を叩いて日本主義の国粋主義のと慷慨振る癖に、純粋日本種の加之も神州の産たるを辱かしめざる勇猛活溌なる我々を地犬々々と軽蔑しおる。怪しからぬ撞着な咄だ。 何だい、素晴らしい大気だと。そりやあ大気も吐かうさ。平生君達の我々日本犬に対する待遇が頗る不満足だからね。しかし近頃それがしの宮殿下が我々の夥伴を召されて浅からぬ御寵愛を忝ふするは我々の世の中に出る機運が熟したんだね。君達も平凡小説や平凡議論を書く暇があるなら日本人冥加に「猟之友」にでも日本犬主義を少と皷吹し給へ。そこへ行くと感心なは俺の旦那だ。暫らく洋行して世界で有名な犬を能く御承知で、「ポインター」や「セツター」は勿論日本人の余り知らない「シトリーパー」や「ラーチヤー」種の猟犬をお飼ひになつたが、爾ういふ犬社会に通じた方が矢張日本種は中々好いと仰しやつて俺を頭に都合三疋御扶持を給はつてゐる。君達は碌に犬を知りもしない癖に我々を地犬々々と軽蔑するが、憚りながら旦那のお邸では是でも日本犬様だよ。 俺の旦那は此位豪い方だから家内の方が揃つて悉皆豪いや。別して感心なのは嬢様だ子。齢は十九の厄年で名は妙子と仰しやる。君達に見せたいほどな好い御容貌だ。なに、既う知つてゐる? 中々油断のならない狼連だ。旦那や夫人が御心配なさるのも無理は無い。併し嬢様は滅法お怜悧だから子、君達のやうな間抜に喰はれる筈はないワ。第一、何処へかお出掛けになる時は毎でも俺がお伴を仰付かるから子、君達が指でもさせば直ぐワンと喰付く。麺包の一片や二片呉れたからつて容赦は無いよ。人間様の方は賄賂が効くさうだが、俺達の方ぢやア迚も駄目だよ。握飯で騙されるやうな半間な犬が此節がら有るものか。 嬢様のお美くしいのは番町名代のもので学校でも一番だ。街路の人が、若い者は勿論爺さん媼さんまでが顧盻つて見る。随行の俺までが鼻が高いんだ。殊に旦那と一緒に暫らく欧羅巴に在らしつたから、毛唐の言葉も達者で黄鳥のやうな声でベラ/\お咄しなさる。其上に音楽がお上手で、ピアノとかは専門家に負けないお伎倆ださうだ。毎朝御飯前と午後、学校からお帰りになると必と練習ひなさるが、俺達のやうな解らないものが聞いてさへ面白いから、何時でも其時刻を計つて西洋間の窓の下に恍惚と聞惚れてゐる。庭の木立を洩れる音を塀越しに聞いて茫然と佇立る人も大分あるさうだ。 愈々来年は御卒業になつて二十歳の花盛りだから、何れ何処へか御縁附きになるのだが、何がさて御容貌は番町随一、恐らく東京随一だらうといふ評判で、諸芸に達しおられて無類の御発明だから、昔しなら女御更衣といふ御身分だ。それだから表立つて親御へ申込まれる華族、豪商、権門の方を始め、何かに托つけて邸へ出入りする当世風の若紳士、隙があれば喰はふといふ君達狼連まで、有るは/\、自称候補者の面々が無慮一万人ばかりだね。 夫人は御心配になつて眼の廻るほどな忙がしい目をなすつて申込人の身分財産性質等の内幕を一々詮議遊ばす。其掛りの書生を三人新たにお抱へになつた位だ。だが、旦那は西洋で育つた方だけに飛んだ気が捌けて在らつしやる。結婚は一生の大事だから身分身代の詮議は二の次である。当人さへ承知なら位置も身分も無い君達のやうな貧乏書生にでも呉れてやると仰しやる…… これさ、爾う喜んでは困る。君達では迚も御当人の嬢様がお気に入らんからね、先ア糠喜びも大抵にして断念めなさい。 西洋でいふ自由結婚ナ。旦那は口では仰しやらないが此自由結婚をお許しになるのだ。邸へ出入りする若紳士が旦那への用は附けたりで、御用が済むと直ぐ嬢様の御機嫌を伺ふ。近ごろ斯ういふ小説が出ましたと云つて新刊書を持つて来る。斯ういふ女の雑誌が出ましたと毎号郵便で送る。斯ういふ琴の新物が出来ましたと歌や譜を持込む。斯ういふ化粧品を新きに輸入しましたと態々買つて来る。今度は何処そこに音楽会がありますと上等の切符を持つて来る。中には金子のある奴は此頃は斯ういふ品が流行りますと貴重な贅沢品を高い銭を出して買つて来るのもある。最つと馬鹿な奴はカーボンやプラチナ板に撮した自分の写真を恭やしく送つて来る奴もある。イヤハヤお咄しにならんが、旦那は這般な連中を寛大に見て在らツしやるんだ。
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