我こそと己惚の鼻を撼めかして煩さく嬢様の許へやつて来たのは斯ういふ連中だ子。どれも之も及第しさうもない若殿原だ。旦那の仰しやる通り日本のやうな猶だ男女七歳にして席を同ふせざる封建道徳の遺習が牢乎として抜くべからざる国で、若い女の許へ臆面もなくノコ/\サイ/\やつて来るはどうせ軽薄な小才子か、女の御用を勤めて嬉しがる腰抜の無気力漢だ。偶/\律儀真方の人なら神野霜兵衛さんのやうな世間に技倆の無い好人物だ子。真摯な思慮のある人間が誰が女の許へ来るもんかナ。邸の嬢様は立派な御発明な方だから男に呑まれるやうな事は無い。斯様な若殿原に茶にされて堪るもんかい。第一、俺が属いてゐる。俺が中々承知が出来ねエや。 嬢様は毎日俺の頭を撫でゝ、「太郎や妾は一生お前と離れないよ、お前の好きな処へお前を伴れてお嫁に行くから子、お前の好きな人が来たら妾の袂を啣へて其人の傍へ伴れて行くのだよ、」と仰しやる。憚りながら嬢様の聟君を択ぶ権は俺にあるんだ。 えツ、何だと――麼な聟君をお世話するかと。……はツはツはツ、余程心配になつて来たナ。大丈夫安心しろ、君達のやうなノラクラ者を御世話する気遣は無いからナ。到底君達は嬢様のやうな立派な申分の無い淑女の配偶たる権利が無いんだから子。寧そ諦めて人物相応に其辺の下宿屋か牛肉屋の女でも捜し給へ。なに、失敬極まると。甘く仰しやる、内々心当りがあるくせに空惚けてゐる子。はツはツ、大分勃然になつて顔を赤くするナ。そんなら俺が気に入つて嬢様に周旋たうといふ資格を話して聞かせやうか。 何でも無いサ。先づ日本犬を大切にしろ。第一、俺を大切にしろ。之から少とロース肉の一片づつも時々持つて来い。人を射んと欲する者は先づ馬を射よといふ事がある。人間様のくせに君達余程知恵が無いよ。 それから俺は小説家が嫌ひだ。小説家といふ奴は己が小な眼玉に写る世間を見て生悟りした厄介者だ。売卜者身の上を知らずといふが、人の運命ばかり世話を焼いて自分の鼻のツイ鼻のさきの事が解らんのは天下に売卜者と小説家だらう。売卜者は此頃では大道に幕を張つて手紙証文の代筆を兼業してゐるが、小説家も追々と斯うなるんだらう。何とかいふ豪い大小説家が自作の末に代作の広告をしてゐたさうだが、徐/\其変遷の兆が見えるらしいやうだノ。 それから俺は学者が嫌ひだ。無学者は頭から何にも知らないと云つてるから無邪気で罪が軽いやうだ。学者は何でも知つたやうに天地間の事を呑込んでゐるから子。学問の進歩が極点に達した時なら知らず、何も彼も多くは疑問として存して唯の理窟の言現はし方を少し宛違へた位で総て研究に属してゐる今日では学者と無学者とは相去る事幾何も無い。然るに学者は世界の知識を独り背負つて立つたやうな気になつて、恰と巡査が人民に説諭すると同じ口吻を以て無学者に臨んでゐる。此位暴慢無礼な沙汰はない。殊に科学者は扠ておき哲学者といふ奴は多くは先哲の蓄音器である。少し毛色が違つたかと思つて能く/\聞くと妄想組織が脳に生じたのを白状してゐる態だ。今の学者は例へば競売屋だ子。君達も知つてるだらうが近頃縁日夜店に出てゐる大道競売屋、あれだよ。口上で欺騙かして廉く仕入れたいかさまものをドシ/\売附けて了うのだ。手軽に考へたいかさま学説を強に社会へ押売にするのは、豪い大伎倆で。茲が学者の学者たる価値かも知れんが、俺は何だか虫が好かんのだ。 政治家かい。之は俺の一番の禁物だ。今の社会は隅から隅まで腐敗してゐるが、云ふ内何が一番腐敗してゐるだらうと云つたら政治家と宗教家だ子。此二つは殆んどお咄しにならん子。イヤハヤ殆んど言語道断だ、四つ足の俺達より凡そ二三段下つてるよ。嬢様の聟君どころか、最う既に社会に落第して居るのだが、忌がられやうが棄てられやうが一向係はず平気の平左で面の皮を厚くして居るのが恐ろしい。政治家と宗教家の評判は口を酸ツぱくするだけが馬鹿気切つておる。 教育家かい。之が亦驚いたもんだよ。麼だい、四ツ目屋の事件は? 之が何れも教育界の学者様だから、あとは万事推して知るべきである。ベツベツ………… 実業家、官吏、軍人、新聞記者、何れも落第者だ子。役者、芸人、美術家、どうも虫が好かんよ。俺の窃に望んで待つてゐるのは猟師だよ。どうか素晴らしい猟師を見立てゝ嬢様にお世話申して、新婚旅行のお伴供をして中央亜細亜から亜弗利加あたりへ猛獣狩りに行きたいのだ。動物界の王と威張つておる獅子や虎や象や犀や鷲や蛇を対手に戦つて日本犬の鍛へ上げた伎倆を見せたいのだ。なアに俺達日本犬の手際を知らんで威張くさる獅子や鷲がどれほどの力があるもんか。惜しい事をしたナ、向ふ河岸のクルーゲルの伯父さん、最う少ししつかりして貰ひたかつた。だがよ、此方の勧進元のセシル、ローヅも豪かつたナ。斯ういふキビ/\した腕節の野郎に一寸いと口を掛けて見たいのだ………… えツ、何だ? 俺達は麼しても落第かと?。煩さいナ、念には及ばんよ。君達のやうなヒヨロヒヨロした、高が腸の無い江戸ツ子を理想とするやうな爾んな芥子粒のやうな根性の無気力漢と俺の美くしい御発明な男勝りの嬢様とは提灯に釣鐘だ。及ばぬ恋の無駄な業をすよりは、妄想をデツチ上げた恋愛小説でも作つて、破鍋にトヂ蓋の下宿屋の炊婦でも覘つたら可からう。はツはツ、顔を赤くするナ。怒る勿。怒る勿。其様な小な根性だから迚も恋は協はねヱ。之から些と肝玉を練る修行に時々吠えてやるかナ。なに、桀の狗尭に吠ゆだと――此奴生意気を吐かす、俺を桀の狗だとは失敬極まる――、此奴め、ワンワン/\/\
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
- 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
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