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犬物語(いぬものがたり)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-23 16:01:44 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 我こそと己惚うぬぼれの鼻をうごめかして煩さく嬢様のもとへやつて来たのはういふ連中だ。どれも之も及第しさうもない若殿原だ。旦那の仰しやる通り日本のやうなだ男女七歳にして席を同ふせざる封建道徳の遺習が牢乎らうことして抜くべからざる国で、若い女の許へ臆面もなくノコ/\サイ/\やつて来るはどうせ軽薄な小才子か、女の御用を勤めて嬉しがる腰抜の無気力漢いくぢなしだ。たま/\律儀真方まつぱうの人なら神野霜兵衛さんのやうな世間に技倆はたらきの無い好人物おこゝろよし真摯まじめな思慮のある人間が誰が女の許へ来るもんかナ。邸の嬢様は立派な御発明な方だから男に呑まれるやうな事は無い。斯様こんな若殿原に茶にされてたまるもんかい。第一、俺がいてゐる。俺が中々承知が出来ねエや。
 嬢様は毎日俺の頭を撫でゝ、「太郎やわたしは一生おまいと離れないよ、お前の好きな処へお前をれてお嫁に行くから、お前の好きな人が来たら妾のたもとくはへて其人のそばへ伴れて行くのだよ、」と仰しやる。憚りながら嬢様の聟君むこぎみを択ぶ権は俺にあるんだ。
 えツ、何だと――※(「「公」から二画目を取る」、第4水準2-1-10)どんな聟君をお世話するかと。……はツはツはツ、余程心配になつて来たナ。大丈夫安心しろ、君達のやうなノラクラ者を御世話する気遣きづかひは無いからナ。到底君達は嬢様のやうな立派な申分の無い淑女の配偶たる権利が無いんだからいつそ諦めて人物相応に其辺そこらの下宿屋か牛肉屋の女でも捜し給へ。なに、失敬極まると。うまく仰しやる、内々心当りがあるくせに空惚そらとぼけてゐる。はツはツ、大分勃然むきになつて顔を赤くするナ。そんなら俺が気に入つて嬢様に周旋とりもたうといふ資格を話して聞かせやうか。
 何でも無いサ。日本犬にほんいぬを大切にしろ。第一、俺を大切にしろ。之からちつとロース肉の一片づつも時々持つて来い。人を射んと欲する者は先づ馬を射よといふ事がある。人間様のくせに君達余程知恵が無いよ。
 それから俺は小説家が嫌ひだ。小説家といふ奴はうぬけちな眼玉に写る世間を見て生悟なまざとりした厄介者だ。売卜者うらなひしや身の上を知らずといふが、人の運命ばかり世話を焼いて自分の鼻のツイ鼻のさきの事が解らんのは天下に売卜者と小説家だらう。売卜者は此頃では大道に幕を張つて手紙証文の代筆を兼業してゐるが、小説家も追々とうなるんだらう。何とかいふ豪い大小説家が自作の末に代作の広告をしてゐたさうだが、そろ/\其変遷の兆が見えるらしいやうだノ。
 それから俺は学者が嫌ひだ。無学者は頭から何にも知らないと云つてるから無邪気で罪が軽いやうだ。学者は何でも知つたやうに天地間の事を呑込んでゐるから。学問の進歩が極点に達した時なら知らず、何も彼も多くは疑問として存してほんの理窟の言現いひあらはし方を少しづゝ違へた位で総て研究に属してゐる今日では学者と無学者とは相去る事幾何いくばくも無い。然るに学者は世界の知識を独り背負しよつて立つたやうな気になつて、とんと巡査が人民に説諭すると同じ口吻くちぶりを以て無学者に臨んでゐる。此位暴慢無礼な沙汰はない。殊に科学者はておき哲学者といふ奴は多くは先哲の蓄音器である。少し毛色が違つたかと思つて能く/\聞くと妄想組織が脳に生じたのを白状してゐるざまだ。今の学者は例へば競売せりうり屋だ。君達も知つてるだらうが近頃縁日夜店に出てゐる大道競売屋、あれだよ。口上くちさき欺騙ごまかしてやすく仕入れたいかさまものをドシ/\売附けて了うのだ。手軽に考へたいかさま学説をむりに社会へ押売にするのは、えら大伎倆だいぎりやうで。ここが学者の学者たる価値しんしやうかも知れんが、俺は何だか虫が好かんのだ。
 政治家かい。之は俺の一番の禁物だ。今の社会は隅から隅まで腐敗してゐるが、云ふうち何が一番腐敗してゐるだらうと云つたら政治家と宗教家だ。此二つは殆んどお咄しにならん。イヤハヤ殆んど言語道断だ、四つ足の俺達より凡そ二三段下つてるよ。嬢様の聟君どころか、う既に社会に落第して居るのだが、いやがられやうが棄てられやうが一向いつかうかまはず平気の平左でつらの皮を厚くして居るのが恐ろしい。政治家と宗教家の評判は口を酸ツぱくするだけが馬鹿気切つておる。
 教育家かい。之が亦驚いたもんだよ。※(「「公」から二画目を取る」、第4水準2-1-10)どうだい、四ツ目屋の事件は?
 之が何れも教育界の学者様だから、あとは万事推して知るべきである。ベツベツ…………
 実業家、官吏、軍人、新聞記者、何れも落第者だ。役者、芸人、美術家、どうも虫が好かんよ。俺のひそかに望んで待つてゐるのは猟師だよ。どうか素晴らしい猟師を見立てゝ嬢様にお世話申して、新婚旅行のお伴供ともをして中央亜細亜から亜弗利加あたりへ猛獣狩りに行きたいのだ。動物界の王と威張つておる獅子や虎や象や犀や鷲や蛇を対手あひてに戦つて日本犬にほんいぬの鍛へ上げた伎倆うでまへを見せたいのだ。なアに俺達日本犬の手際を知らんで威張くさる獅子や鷲がどれほどの力があるもんか。惜しい事をしたナ、向ふ河岸かしのクルーゲルの伯父さん、う少ししつかりして貰ひたかつた。だがよ、此方こつちの勧進元のセシル、ローヅも豪かつたナ。斯ういふキビ/\した腕節うでつぷしの野郎に一寸ちよいと口を掛けて見たいのだ…………
 えツ、何だ? 俺達は※(「「公」から二画目を取る」、第4水準2-1-10)麼しても落第かと?。うるさいナ、念には及ばんよ。君達のやうなヒヨロヒヨロした、たかはらわたの無い江戸ツ子を理想とするやうなんな芥子粒けしつぶのやうな根性の無気力漢いくぢなしと俺の美くしい御発明ごはつめいな男勝りの嬢様とは提灯に釣鐘だ。及ばぬ恋の無駄ながふ※(「火+稲のつくり」、第4水準2-79-87)もやすよりは、妄想をデツチ上げた恋愛小説でも作つて、破鍋われなべにトヂ蓋の下宿屋の炊婦おさんでもねらつたらからう。はツはツ、顔を赤くするナ。怒る。怒る勿。其様そんけちな根性だからとても恋はかなはねヱ。之からちつ肝玉きもつたまを練る修行に時々吠えてやるかナ。なに、けつげうに吠ゆだと――此奴こいつ生意気をかす、俺を桀のだとは失敬極まる――、此奴こやつめ、ワンワン/\/\





底本:「日本の名随筆76 犬」作品社
   1989(平成元)年2月25日第1刷発行
   1991(平成3)年9月20日第5刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「※(「「公」から二画目を取る」、第4水準2-1-10)※(「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57)」と「※(「「公」から二画目を取る」、第4水準2-1-10)麼」の混在は、底本通りです。
入力:渡邉つよし
校正:染川隆俊
2005年8月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。

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