鏡花短篇集 |
岩波文庫、岩波書店 |
1987(昭和62)年9月16日 |
1987(昭和62)年9月16日第1刷 |
鏡花全集 第三卷 |
岩波書店 |
1941(昭和16)年12月 |
躑躅か丘
日は午なり。あらら木のたらたら坂に樹の蔭もなし。寺の門、植木屋の庭、花屋の店など、坂下を挟みて町の入口にはあたれど、のぼるに従ひて、ただ畑ばかりとなれり。番小屋めきたるもの小だかき処に見ゆ。谷には菜の花残りたり。路の右左、躑躅の花の紅なるが、見渡す方、見返る方、いまを盛なりき。ありくにつれて汗少しいでぬ。 空よく晴れて一点の雲もなく、風あたたかに野面を吹けり。 一人にては行くことなかれと、優しき姉上のいひたりしを、肯かで、しのびて来つ。おもしろきながめかな。山の上の方より一束の薪をかつぎたる漢おり来れり。眉太く、眼の細きが、向ざまに顱巻したる、額のあたり汗になりて、のしのしと近づきつつ、細き道をかたよけてわれを通せしが、ふりかへり、 「危ないぞ危ないぞ。」 といひずてに眦に皺を寄せてさつさつと行過ぎぬ。 見返ればハヤたらたらさがりに、その肩躑躅の花にかくれて、髪結ひたる天窓のみ、やがて山蔭に見えずなりぬ。草がくれの径遠く、小川流るる谷間の畦道を、菅笠冠りたる婦人の、跣足にて鋤をば肩にし、小さき女の児の手をひきて彼方にゆく背姿ありしが、それも杉の樹立に入りたり。 行く方も躑躅なり。来し方も躑躅なり。山土のいろもあかく見えたる。あまりうつくしさに恐しくなりて、家路に帰らむと思ふ時、わがゐたる一株の躑躅のなかより、羽音たかく、虫のつと立ちて頬を掠めしが、かなたに飛びて、およそ五、六尺隔てたる処に礫のありたるそのわきにとどまりぬ。羽をふるふさまも見えたり。手をあげて走りかかれば、ぱつとまた立ちあがりて、おなじ距離五、六尺ばかりのところにとまりたり。そのまま小石を拾ひあげて狙ひうちし、石はそれぬ。虫はくるりと一ツまはりて、また旧のやうにぞをる。追ひかくれば迅くもまた遁げぬ。遁ぐるが遠くには去らず、いつもおなじほどのあはひを置きてはキラキラとささやかなる羽ばたきして、鷹揚にその二すぢの細き髯を上下にわづくりておし動かすぞいと憎さげなりける。 われは足踏して心いらてり。そのゐたるあとを踏みにじりて、 「畜生、畜生。」 と呟きざま、躍りかかりてハタと打ちし、拳はいたづらに土によごれぬ。 渠は一足先なる方に悠々と羽づくろひす。憎しと思ふ心を籠めて瞻りたれば、虫は動かずなりたり。つくづく見れば羽蟻の形して、それよりもやや大なる、身はただ五彩の色を帯びて青みがちにかがやきたる、うつくしさいはむ方なし。 色彩あり光沢ある虫は毒なりと、姉上の教へたるをふと思ひ出でたれば、打置きてすごすごと引返せしが、足許にさきの石の二ツに砕けて落ちたるより俄に心動き、拾ひあげて取つて返し、きと毒虫をねらひたり。 このたびはあやまたず、したたかうつて殺しぬ。嬉しく走りつきて石をあはせ、ひたと打ひしぎて蹴飛ばしたる、石は躑躅のなかをくぐりて小砂利をさそひ、ばらばらと谷深くおちゆく音しき。 袂のちり打はらひて空を仰げば、日脚やや斜になりぬ。ほかほかとかほあつき日向に唇かわきて、眼のふちより頬のあたりむず痒きこと限りなかりき。 心着けば旧来し方にはあらじと思ふ坂道の異なる方にわれはいつかおりかけゐたり。丘ひとつ越えたりけむ、戻る路はまたさきとおなじのぼりになりぬ。見渡せば、見まはせば、赤土の道幅せまく、うねりうねり果しなきに、両側つづきの躑躅の花、遠き方は前後を塞ぎて、日かげあかく咲込めたる空のいろの真蒼き下に、彳むはわれのみなり。
鎮守の社
坂は急ならず長くもあらねど、一つ尽ればまたあらたに顕る。起伏あたかも大波の如く打続きて、いつ坦ならむとも見えざりき。 あまり倦みたれば、一ツおりてのぼる坂の窪に踞ひし、手のあきたるまま何ならむ指もて土にかきはじめぬ。さといふ字も出来たり。くといふ字も書きたり。曲りたるもの、直なるもの、心の趣くままに落書したり。しかなせるあひだにも、頬のあたり先刻に毒虫の触れたらむと覚ゆるが、しきりにかゆければ、袖もてひまなく擦りぬ。擦りてはまたもの書きなどせる、なかにむつかしき字のひとつ形よく出来たるを、姉に見せばやと思ふに、俄にその顔の見たうぞなりたる。 立あがりてゆくてを見れば、左右より小枝を組みてあはひも透かで躑躅咲きたり。日影ひとしほ赤うなりまさりたるに、手を見たれば掌に照りそひぬ。 一文字にかけのぼりて、唯見ればおなじ躑躅のだらだらおりなり。走りおりて走りのぼりつ。いつまでかかくてあらむ、こたびこそと思ふに違ひて、道はまた蜿れる坂なり。踏心地柔かく小石ひとつあらずなりぬ。 いまだ家には遠しとみゆるに、忍びがたくも姉の顔なつかしく、しばらくも得堪へずなりたり。 再びかけのぼり、またかけりおりたる時、われしらず泣きてゐつ。泣きながらひたばしりに走りたれど、なほ家ある処に至らず、坂も躑躅も少しもさきに異らずして、日の傾くぞ心細き。肩、背のあたり寒うなりぬ。ゆふ日あざやかにぱつと茜さして、眼もあやに躑躅の花、ただ紅の雪の降積めるかと疑はる。 われは涙の声たかく、あるほど声を絞りて姉をもとめぬ。一たび二たび三たびして、こたへやすると耳を澄せば、遥に滝の音聞えたり。どうどうと響くなかに、いと高く冴えたる声の幽に、 「もういいよ、もういいよ。」 と呼びたる聞えき。こはいとけなき我がなかまの隠れ遊びといふものするあひ図なることを認め得たる、一声くりかへすと、ハヤきこえずなりしが、やうやう心たしかにその声したる方にたどりて、また坂ひとつおりて一つのぼり、こだかき所に立ちて瞰おろせば、あまり雑作なしや、堂の瓦屋根、杉の樹立のなかより見えぬ。かくてわれ踏迷ひたる紅の雪のなかをばのがれつ。背後には躑躅の花飛び飛びに咲きて、青き草まばらに、やがて堂のうらに達せし時は一株も花のあかきはなくて、たそがれの色、境内の手洗水のあたりを籠めたり。柵結ひたる井戸ひとつ、銀杏の古りたる樹あり、そがうしろに人の家の土塀あり。こなたは裏木戸のあき地にて、むかひに小さき稲荷の堂あり。石の鳥居あり。木の鳥居あり。この木の鳥居の左の柱には割れめありて太き鉄の輪を嵌めたるさへ、心たしかに覚えある、ここよりはハヤ家に近しと思ふに、さきの恐しさは全く忘れ果てつ。ただひとへにゆふ日照りそひたるつつじの花の、わが丈よりも高き処、前後左右を咲埋めたるあかき色のあかきがなかに、緑と、紅と、紫と、青白の光を羽色に帯びたる毒虫のキラキラと飛びたるさまの広き景色のみぞ、画の如く小さき胸にゑがかれける。
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