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国貞えがく(くにさだえがく)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-22 13:11:35 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 鏡花短篇集 川村二郎編
出版社: 岩波文庫、岩波書店
初版発行日: 1987(昭和62)年9月16日
入力に使用: 1997(平成9)年10月6日第18刷
校正に使用: 1999(平成11)年3月15日第19刷

底本の親本: 鏡花全集
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1942(昭和17)年4月

 

     一

 柳を植えた……その柳の一処ひとところ繁った中に、清水のく井戸がある。……大通りかどの郵便局で、東京から組んで寄越よこした若干金なにがし為替かわせ請取うけとって、まきくるんで、トず懐中に及ぶ。
 春は過ぎても、初夏はつなつの日の長い、五月中旬なかば午頃ひるごろの郵便局はかんなもの。受附にもどの口にも他に立集たちつどう人は一人もなかった。が、為替は直ぐ手取早てっとりばやくは受取うけとれなかった。
 取扱いが如何いかにも気長で、
「金額は何ほどですか。差出人は誰でありますか。貴下あなたが御当人なのですか。」
 などと間伸まのびのした、しかも際立きわだって耳につく東京の調子でる、……その本人は、受取口から見たところ、二十四、五の青年で、羽織はおりは着ずに、小倉こくらはかまで、久留米くるめらしいかすりあわせ、白い襯衣しゃつを手首で留めた、肥った腕の、肩のあたりまで捲手まくりでで何とももって忙しそうな、そのくせ、する事は薩張さっぱりはかどらぬ。なりに似合わず悠然ゆうぜん落着済おちつきすまして、いささ権高けんだかに見えるところは、土地の士族の子孫らしい。で、その尻上がりの「ですか」を饒舌しゃべって、時々じろじろと下目しために見越すのが、田舎漢いなかものだとあなどるなと言う態度の、それがあきらかに窓から見透みえすく。郵便局員貴下きか御心安おこころやすかれ、受取人の立田織次たつたおりじも、同国おなじくにの平民である。
 さて、局の石段を下りると、広々とした四辻よつつじに立った。
「さあ、何処どここう。」
 何処へでも勝手に行くがよし、また何処へも行かないでもい。このまま、今度の帰省中ころがってる従姉いとこうちへ帰ってもいが、其処そこは今しがた出て来たばかり。すぐに取って返せば、忘れ物でもしたように思うであろう。……先祖代々の墓詣はかまいり昨日きのう済ますし、久しぶりで見たかった公園もその帰りに廻る。約束の会は明日あしただし、すきなものは晩に食べさせる、と従姉いとこが言った。差当さしあたり何の用もない。何年にも幾日いくかにも、こんな暢気のんきな事は覚えぬ。おんぶするならしてくれ、で、他愛たわいがないほど、のびのびとした心地ここち
 気候は、と言うと、ほかほかが通り越した、これでかっと日が当ると、日中ははやじりじりと来そうな頃が、近山曇ちかやまぐもりにうっすりと雲が懸って、真綿まわたを日光にすような、ふっくりと軽い暖かさ。午頃ひるごろの蔭もささぬ柳の葉に、ふわふわとやわらかい風が懸る。……その柳の下を、駈けて通る腕車くるまも見えず、人通りはちらほらと、都で言えば朧夜おぼろよを浮れ出したようなさまだけれども、この土地ではこれでもにぎやかな町のぶん城趾しろあとのあたり中空なかぞらとびが鳴く、とちょうど今がしゅんいわしを焼くにおいがする。
 飯を食べに行ってもよし、ちょいと珈琲コオヒイに菓子でもよし何処どこか茶店で茶を飲むでもよし、別にそれにも及ばぬ。が、あわせに羽織で身は軽し、駒下駄こまげたは新しし、為替は取ったし、ままよ、若干金なにがしか貸してもい。
「いや、串戯じょうだんして……」
 そうだ! 小北おぎたとこかねばならぬ――と思うと、のびのびした手足が、きりきりとしまって、身体からだが帽子まで堅くなった。
 何故なぜ四辺あたりながめられる。
 こう、小北と姓を言うと、学生で、故郷の旧友のようであるが、そうでない。これは平吉へいきち……へいさんと言うが早解はやわかり。織次の亡き親父と同じ夥間なかまの職人である。
 此処ここからはもう近い。この柳の通筋とおりすじを突当りに、真蒼まっさおな山がある。それへ向って二ちょうばかり、城の大手おおてを右に見て、左へ折れた、屋並やなみそろった町の中ほどに、きちんとして暮しているはず。
 その男を訪ねるに仔細しさいはないが、訪ねてくのに、十年ごしの思出がある、……まあ、もう少しして置こう。
 さあ、其処そこへ、となると、早や背後うしろから追立おったてられるように、そわそわするのを、なりたけ自分で落着いて、悠々ゆうゆう歩行あるき出したが、取って三十という年紀としの、かれの胸の騒ぎよう。さては今の時の暢気のんきさは、このなみが立とうとする用意に、フイと静まった海らしい。

       二

 このとおりは、かれが生れた町とは大分あいだが離れているから、のきを並べた両側の家に、別に知己ちかづきの顔も見えぬ。それでも何かにつけて思出す事はあった。通りの中ほどに、一軒料理屋を兼ねた旅店りょてんがある。其処そこへ東京から新任の県知事がお乗込のりこみとあるについて、向った玄関に段々だんだらの幕を打ち、水桶みずおけに真新しい柄杓ひしゃくを備えて、うやうやしく盛砂もりずなして、門から新筵あらむしろ敷詰しきつめてあるのを、向側の軒下に立ってながめた事がある。通りがかりのお百姓は、この前を過ぎるのに、
「ああっ、」といって腰をのめらして行った。……御威勢のほどは、後年地方長官会議のせつに上京なされると、電話第何番と言うのが見得みえの旅館へ宿って、ねぎ※(「口+愛」、第3水準1-15-23)おくびで、東京の町へ出らるる御身分とは夢にも思われない。
 また夢のようだけれども、今見れば麺麭パン屋になった、ちょうどその硝子がらす窓のあるあたりへ、幕を絞って――暑くなると夜店の中へ、見世みせものの小屋がかかった。猿芝居、大蛇、熊、盲目めくら墨塗すみぬり――(この土俵は星の下に暗かったが)――西洋手品など一廓ひとくるわに、※(「くさかんむり/((口/耳)+戈)」、第3水準1-91-28)どくだみの花を咲かせた――表通りへ目に立って、蜘蛛男くもおとこの見世物があった事を思出す。
 ひたいの出た、頭の大きい、鼻のしゃくんだ、黄色い顔が、その長さ、大人おとなの二倍、やがて一尺、飯櫃形いびつなり天窓あたまにチョンまげを載せた、身のたけというほどのものはない。あごから爪先の生えたのが、金ぴかの上下かみしもを着たところは、アイ来た、と手品師が箱の中から拇指おやゆびつまみ出しそうな中親仁ちゅうおやじ。これが看板で、小屋の正面に、ねずみ嫁入よめいりかつぎそうな小さな駕籠かごの中に、くたりとなって、ふんふんと鼻息を荒くするごとに、その出額おでこ蚯蚓みみずのような横筋をうねらせながら、きょろきょろと、込合こみあ群集ぐんじゅながめて控える……口上言こうじょういいがその出番に、
太夫たゆういの、太夫いの。」と呼ぶと、駕籠の中で、しゃっきりと天窓あたま掉立ふりたて、
唯今ただいま、それへ。」
 とひねこびれた声を出し、あごをしゃくって衣紋えもんを造る。その身動きに、いたちにおいぷんとさせて、ひょこひょこと足取あしどり蜘蛛くもの巣を渡るようで、大天窓おおあたま頸窪ぼんのくぼに、附木つけぎほどな腰板が、ちょこなんと見えたのを憶起おもいおこす。
 それが舞台へ懸る途端に、ふわふわと幕を落す。その時木戸きどに立った多勢おおぜいの方を見向いて、
「うふん。」といって、目をいて、脳天から振下ぶらさがったような、あかい舌をぺろりと出したのを見て、織次は悚然ぞっとして、雲の蒸す月の下をうち遁帰にげかえった事がある。
 人間ではあるまい。鳥か、けものか、それともやっぱり土蜘蛛つちぐもたぐいかと、訪ねると、……その頃六十ばかりだった織次の祖母おばあさんが、
「あれはの、二股坂ふたまたざか庄屋しょうや殿じゃ。」といった。
 この二股坂と言うのは、山奥で、可怪あやしい伝説が少くない。それを越すと隣国への近路ちかみちながら、人界とのさかいへだつ、自然のお関所のように土地の人は思うのである。
 このあたりからは、峰の松にさえぎられるから、その姿は見えぬ。っといぬいの位置で、町端まちはずれの方へ退さがると、近山ちかやま背後うしろに海がありそうな雲を隔てて、山の形が歴然ありありと見える。……
 汽車が通じてから、はじめて帰ったので、停車場ステエションを出た所の、故郷ふるさとは、と一目見ると、石を置いた屋根より、赤く塗った柱より、先ずその山を見て、暫時しばらく茫然ぼうぜんとしてたたずんだのは、つい二、三日前の事であった。
 腕車くるまを雇って、さして従姉いとこの町より、真先に、
「あの山は?」
二股ふたまたじゃ。」と車夫くるまやが答えた。――織次は、この国に育ったが、用のない町端まちはずれまで、小児こどもの時にはかなかったので、ただ名に聞いた、五月晴さつきばれの空も、暗い、その山。

       三

 その時は何んの心もなく、くだんの二股をあおいだが、此処ここに来て、昔の小屋の前を通ると、あの、蜘蛛大名くもだいみょうが庄屋をすると、可怪あやしく胸に響くのであった。
 まだ、その蜘蛛大名の一座に、胴の太い、脚の短い、芋虫いもむしが髪をって、腰布こしぬのいたような侏儒いっすんぼしおんなが、三人ばかりいた。それが、見世もののおどりを済まして、寝しなに町の湯へ入る時は、風呂のふちへ両手を掛けて、横に両脚りょうあしでドブンとつかる。そして湯の中でぶくぶくと泳ぐと聞いた。
 そう言えば湯屋ゆやはまだある。けれども、以前見覚えた、両眼りょうがん真黄色まっきいろな絵具の光る、巨大な※(「虫+松」、第4水準2-87-53)むかでが、赤黒い雲の如くうずを巻いた真中に、俵藤太たわらとうだが、弓矢をはさんで身構えた暖簾のれんが、ただ、男、女と上へ割って、柳湯やなぎゆ、と白抜きのに懸替かけかわって、かどの目印の柳と共に、枝垂しだれたようになって、折から森閑しんかんと風もない。
 人通りも殆ど途絶えた。
 が、何処どこともなく、柳に暗い、湯屋の硝子戸がらすどの奥深く、ドブンドブンと、ふと湯のあおったようなひびきが聞える。……
 立淀たちよどんだ織次の耳には、それが二股から遠く伝わる、もののこだまのように聞えた。織次の祖母おおばは、見世物のその侏儒いっすんぼしおんなを教えて、
「あのたちはの、蜘蛛庄屋くもしょうやにかどわかされて、その※(「女+必」、第4水準2-5-45)こしもとになったいの。」
 と昔語りに話して聞かせた所為せいであろう。ああ、薄曇りの空低く、見通しの町は浮上うきあがったように見る目に浅いが、故郷ふるさとの山は深い。
 また山と言えば思出す、この町のにぎやかな店々のかっと明るいはてを、縦筋たてすじに暗くくぎった一条ひとすじみちを隔てて、数百すひゃく燈火ともしび織目おりめから抜出ぬけだしたような薄茫乎うすぼんやりとして灰色のくま暗夜やみただよう、まばらな人立ひとだちを前に控えて、大手前おおてまえ土塀どべいすみに、足代板あじろいたの高座に乗った、さいもん語りのデロレン坊主、但し長い頭髪かみのけひたい振分ふりわけ、ごろごろとしゃくを鳴らしつつ、塩辛声しおからごえして、
「……姫松ひめまつどのはエ」と、大宅太郎光国おおやのたろうみつくにの恋女房が、滝夜叉姫たきやしゃひめ山寨さんさいに捕えられて、小賊しょうぞくどもの手に松葉燻まつばいぶしとなるところ――樹の枝へ釣上げられ、後手うしろでひじそらに、反返そりかえる髪をさかさに落して、ヒイヒイとむせんで泣く。やがて夫の光国が来合わせて助けるというのが、明晩、とあったが、翌晩あくるばんもそのままで、次第に姫松の声がれる。
「我がつまいのう、光国どの、助けてべ。」とばかりで、この武者修業の、足の遅さ。

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