この中ではござりませぬ、」 と姥は葭簀の外を見て、 「廂の蔭じゃったげにござります。浪が届きませぬばかり。低い三日月様を、漆見たような高い髷からはずさっせえまして、真白なのを顔に当てて、団扇が衣服を掛けたげな、影の涼しい、姿の長い、裾の薄蒼い、悚然とするほど美しらしいお人が一方。 すらすら道端へ出さっせての、 (…………) 爺どのを呼留めて、これは罪人か――と問わしつけえよ。 食物も代物も、新しい買物じゃ。縁起でもない事の。罪人を上積みにしてどうしべい、これこれでござる。と云うと、可哀相に苦しかろう、と団扇を取って、薄い羽のように、一文字に、横に口へ啣えさしった。 その時は、爺どのの方へ背を向けて、顔をこう斜っかいに、」 と法師から打背く、と俤のその薄月の、婦人の風情を思遣ればか、葦簀をはずれた日のかげりに、姥の頸が白かった。 荷物の方へ、するすると膝を寄せて、 「そこで?」 「はい、両手を下げて、白いその両方の掌を合わせて、がっくりとなった嘉吉の首を、四五本目の輻の辺で、上へ支げて持たっせえた。おもみが掛ったか、姿を絞って、肩が細りしましたげなよ。」
九
「介抱しよう、お下ろしな、と言わっしゃる。 その位な荒療治で、寝汗一つ取れる奴か。打棄っておかっせえ。面倒臭い、と顱巻しめた頭を掉って云うたれば、どこまで行く、と聞かしっけえ。 途中さまざまの隙ざえで、爺どのもむかっぱらじゃ、秋谷鎮座の明神様、俺等が産神へ届け物だ、とずッきり饒舌ると、 (受取りましょう、ここで可いから。) (お前様は?) (ああ、明神様の侍女よ。)と言わっしゃった。 月に浪が懸りますように、さらさらと、風が吹きますと、揺れながらこの葦簀の蔭が、格子縞のように御袖へ映って、雪の膚まで透通って、四辺には影もない。中空を見ますれば、白鷺の飛ぶような雲が見えて、ざっと一浪打ちました。 爺どのは悚然として、はい、はい、と柔順になって、縄を解くと、ずりこけての、嘉吉のあの図体が、どたりと荷車から。貴女は擡げた手を下へ、地の上へ着けるように、嘉吉の頭を下ろさっせえた。 足をばたばたの、手によいよい、輻も蹴はずしそうに悶きますわの。 (ああ、お前はもう可いから。)邪魔もののようにおっしゃったで、爺どのは心外じゃ…… 何の、心外がらずともの、いけずな親仁でござりますがの、ほほ、ほほ。」 「いや、いや、私が聞いただけでも、何か、こうわざと邪慳に取扱ったようで、対手がその酔漢を労るというだけに、黙ってはおられません。何だか寝覚が悪いようだね。」 「ええ、串戯にも、氏神様の知己じゃと言わっしゃりましたけに、嘉吉を荷車に縛りましたのは、明神様の同一孫児を、継子扱いにしましたようで、貴女へも聞えが悪うござりますので。 綿の上積[#ルビの「うわづみ」は底本では「うわずみ」]一件から荷に奴を縛ったは、爺どのが自分したことではない事を、言訳がましく饒舌りますと、(可いから、お前はあっちへ、)と、こうじゃとの。 (可かあねえだ。もの、理合を言わねえ事にゃ、ハイ気が済みましねえ。お前様も明神様お知己なら聞かっしゃい。老耆の手ぼう爺に、若いものの酔漢の介抱が何、出来べい。神様も分らねえ、こんな、くだま野郎を労ってやらっしゃる御慈悲い深い思召で、何でこれ、私等婆様の中に、小児一人授けちゃくれさっしゃらぬ。それも可い、無い子だねなら断念めべいが、提灯で火傷をするのを、何で、黙って見てござった。私が手ぼうでせえなくば、おなじ車に結えるちゅうて、こう、けんどんに、倒にゃ縛らねえだ。初対面のお前様見さっしゃる目に、えら俺が非道なようで、寝覚が悪い、)と顱巻を掉立てますと、のう。 (早く、お帰り、)と、継穂がないわの。 (いんにゃ、理を言わねえじゃ、)とまだ早や一概に捏ねようとしましたら…… (おいでよ、)と、お前様ね。 団扇で顔を隠さしったなり。背後へ雪のような手を伸して、荷車ごと爺どのを、推遣るようにさっせえた。お手の指が白々と、こう輻の上で、糸車に、はい、綿屑がかかったげに、月の光で動いたらばの、ぐるぐるぐると輪が廻って、爺どのの背へ、荷車が、乗被さるではござりませぬか。」 「おおおお、」 と、法師は目を って固唾を呑む。 「吃驚亀の子、空へ何と、爺どのは手を泳がせて、自分の曳いた荷車に、がらがら背後から押出されて、わい、というたぎり、一呼吸に村の取着き、あれから、この街道が鍋づる形に曲ります、明神様、森の石段まで、ひとりでに駆出しましたげな。 もっとも見さっしゃります通り、道はなぞえに、向へ低くはなりますが、下り坂と云う程ではなし、その疾いこと。一なだれに辷ったようで、やっと石段の下で、うむ、とこたえて踏留まりますと、はずみのついた車めは、がたがたと石ころの上を空廻りして、躍ったげにござります。 見上げる空の森は暗し、爺どのは、身震いをしたと申しますがの。」
十
「利かぬ気の親仁じゃ、お前様、月夜の遠見に、纏ったものの形は、葦簀張の柱の根を圧えて置きます、お前様の背後の、その石 か、私が立掛けて置いて帰ります、この床几の影ばかり。 大崩壊まで見通しになって、貴女の姿は、蜘蛛巣ほども見えませぬ。それをの、透かし透かし、山際に附着いて、薄墨引いた草の上を、跫音を盗んで引返しましたげな。 嘉吉をどう始末さっしゃるか、それを見届けよう、という、爺どの了簡でござります。 荷車はの、明神様石段の前を行けば、御存じの三崎街道、横へ切れる畦道が在所の入口でござりますで、そこへ引込んだものでござります。人気も穏なり、積んだものを見たばかりで、鶴谷様御用、と札の建ったも同一じゃで、誰も手の障え人はござりませぬで。 爺どのは、這うようにして、身体を隠して引返したと言いましけ。よう姿が隠さりょう、光った天窓と、顱巻の茜色が月夜に消えるか。主ゃそこで早や、貴女の術で、活きながら鋏の紅い月影の蟹になった、とあとで村の衆にひやかされて、ええ、措けやい、気味の悪い、と目をぱちくり、泡を吹いたでござりますよ。 笑うてやらっしゃりませ。いけ年を仕って、貴女が、去ね、とおっしゃったを止せば可いことでござります。」 法師はかくと聞いて眉を顰め、 「笑い事ではない。何かお爺様に異状でもありましたか。」 「お目こぼしでござります、」 と姥は謹んだ、顔色して、 「爺どのはお庇と何事もござりませんで、今日も鶴谷様の野良へ手伝いに参っております。」 「じゃ、その嘉吉と云うのばかりが、変な目に逢ったんだね。」 「それも心がらでござります。はじめはお前様、貴女が御親切に、勿体ない……お手ずから薫の高い、水晶を噛みますような、涼しいお薬を下さって、水ごと残しておきました、……この手桶から、」…… と姥は見返る。捧げた心か、葦簀に挟んで、常夏の花のあるが下に、日影涼しい手桶が一個、輪の上に、――大方その時以来であろう――注連を張ったが、まだ新しい。 「水も汲んで、くくめておやり遊ばした。嘉吉の我に返った処で、心得違いをしたために、主人の許へ帰れずば、これを代に言訳して、と結構な御宝を。…… それがお前様、真緑の、光のある、美しい、珠じゃったげにございます。 爺どのが、潜り込んだ草の中から、その蟹の目を密と出して、見た時じゃったと申します。 こう、貴女がお持ちなさりました指の尖へ、ほんのりと蒼く映って、白いお手の透いた処は、大な蛍をお撮みなさりましたようじゃげな。 貴女のお身体に附属ていてこそじゃが、やがて、はい、その光は、嘉吉が賽ころを振る掌の中へ、消えましたとの。 それから、抜かっしゃりましたものらしい、少し俯向いて、ええ、やっぱり、顔へは団扇を当てたまんまで、お髪の黒い、前の方へ、軽く簪をお挿なされて、お草履か、雪駄かの、それなりに、はい、すらすらと、月と一所に女浪のように歩行かっしゃる。 これでまた爺どのは悚然としたげな。のう、いかな事でも、明神様の知己じゃ言わしったは串戯で、大方は、葉山あたりの誰方のか御別荘から、お忍びの方と思わしっけがの。 今行かっしゃるのは反対に秋谷の方じゃ。……はてな、と思うと、変った事は、そればかりではござりませぬよ。 嘉吉の奴がの、あろう事か、慈悲を垂れりゃ、何とやら。珠は掴む、酒の上じゃ、はじめはただ、御恩返しじゃの、お名前を聞きたいの、ただ一目お顔の、とこだわりましけ。柳に受けて歩行かっしゃるで、機織場の姉やが許へ、夜さり、畦道を通う時の高声の唄のような、真似もならぬ大口利いて、果は増長この上なし、袖を引いて、手を廻して、背後から抱きつきおる。 爺どのは冷汗掻いたげな。や、それでも召ものの裾に、草鞋が引かかりましたように、するすると嘉吉に抱かれて、前ざまに行かっしゃったそうながの、お前様、飛んでもない、」 「怪しからん事を――またしたもんです。」 と小次郎法師は苦り切る。
十一
姥は分別あり顔に、 「一目見たら、その御容子だけでなりと、分りそうなものでござります。 貴女が神にせよ、また人間にしました処で、嘉吉づれが口を利かれます御方ではござりませぬ。そうでなくとも、そんな御恩を被ったでござりますもの。拝むにも、後姿でのうては罰の当ります処、悪党なら、お前様、発心のしどころを。 根が悪徒ではござりませぬ、取締りのない、ただぼうと、一夜酒が沸いたような奴殿じゃ。薄も、蘆も、女郎花も、見境はござりませぬ。 髪が長けりゃ女じゃ、と合点して、さかりのついた犬同然、珠を頂いた御恩なぞも、新屋の姉えに、藪の前で、牡丹餅半分分けてもろうた了簡じゃで、のう、食物も下されば、お情も下さりょうぐらいに思うて、こびりついたでござります。 弁天様の御姿にも、蠅がたかれば、お鬱陶しい。 通りがかりにただ見ては、草がくれの路と云うても、旱に枯れた、岩の裂目とより見えませぬが、」 姥は腰を掛けたまま。さて、乗出すほどの距離でもなかった―― 「直きその、向う手を分け上りますのが、山一ツ秋谷在へ近道でござりまして、馬車こそ通いませぬけれども、私などは夜さり店を了いますると、お菓子、水菓子、商物だけを風呂敷包、ト背負いまして、片手に薬缶を提げたなりで、夕焼にお前様、影をのびのび長々と、曲った腰も、楽々小屋へ帰りますがの。 貴女はそこへ。……お裾が靡いた。 これは不思議、と爺どのが、肩を半分乗出す時じゃ、お姿が波を離れて、山の腹へすらりと高うなったと思うと、はて、何を嘉吉がしくさりましたか。 屹と振向かっしゃりました様子じゃっけ、お顔の団扇が飜然と飜って、斜に浴びせて、嘉吉の横顔へびしりと来たげな。 きゃっ!と云うと刎返って、道ならものの小半町、膝と踵で、抜いた腰を引摺るように、その癖、怪飛んで遁げて来る。 爺どのは爺どので、息を詰めた汗の処へ、今のきゃあ!で転倒して、わっ、と云うて山の根から飛出す処へ、胸を頭突に来るように、ドンと嘉吉が打附ったので、両方へ間を置いて、この街道の真中へ、何と、お前様、見られた図ではござりますか。 二人とも尻餅じゃ。 (ど、どうした野郎、)と小腹も立つ、爺どのが恐怖紛れに、がならっしゃると、早や、変でござりましたげな、きょろん、とした眼の見据えて、私が爺の宰八の顔をじろり。 (ば、ば、ば、) (ええ!) (怪物!)と云うかと思うと、ひょいと立って、またばたばたと十足ばかり、駆戻って、うつむけに突んのめったげにござりまして、のう。 爺どのは二度吃驚、起ちかけた膝がまたがっくりと地面へ崩れて、ほっと太い呼吸さついた。かっとなって浪の音も聞えませぬ。それでいて――寂然として、海ばかり動きます耳に響いて、秋谷へ近路のその山づたい。鈴虫が音を立てると、露が溢れますような、佳い声で、そして物凄う、
(ここはどこの細道じゃ、 細道じゃ。 天神さんの細道じゃ、 細道じゃ。 少し通して下さんせ、下さんせ。)
とあわれに寂しく、貴女の声で聞えました。 その声が遠くなります、山の上を、薄綿で包みますように、雲が白くかかりますと、音が先へ、颯あ――とたよりない雨が、海の方へ降って来て、お声は山のうらかけて、遠くなって行きますげな。 前刻見た兎の毛の雲じゃ、一雨来ようと思うた癖に、こりゃ心ない、荷が濡れよう、と爺どのは駆けて戻って、がッたり車を曳出しながら、村はずれの小店からまず声をかけて、嘉吉めを見せにやります。 何か、その唄のお声が、のう、十年五十年も昔聞いたようにもあれば、こう云う耳にも、響くと云います。 遠慮すると見えまして、余り委しい事は申しませぬが、嘉吉はそれから、あの通り気が変になりました。 さあ、界隈は評判で、小児どもが誰云うとなく、いつの間やら、その唄を……」
十二
(ここはどこの細道じゃ、 細道じゃ。 秋谷邸の細道じゃ、 細道じゃ。 少し通して下さんせ、 下さんせ。 誰方が見えても通しません、 通しません。)
「あの、こう唄うのではござりませんか。 当節は、もう学校で、かあかあ鴉が鳴く事の、池の鯉が麩を食う事の、と間違いのないお前様、ちゃんと理の詰んだ歌を教えさっしゃるに、それを皆が唄わいで、今申した――
(ここはどこの細道じゃ、 秋谷邸の細道じゃ。)
とあわれな、寂しい、細い声で、口々に、小児同士、顔さえ見れば唄い連れるでござりますが、近頃は久しい間、打絶えて聞いたこともござりませぬ――この唄を爺どのがその晩聞かしった、という話以来、――誰云うとなく流行りますので。 それも、のう元唄は、
(天神様の細道じゃ、 少し通して下さんせ、 御用のない人通しません、)
確か、こうでござりましょう。それを、
(秋谷邸の細道じゃ、 誰方が見えても通しません、 通しません。)
とひとりでに唄います、の。まだそればかりではござりません。小児たちが日の暮方、そこらを遊びますのに、厭な真似を、まあ、どうでござりましょう。 てんでんが芋※[#「くさかんむり/更」、153-3]の葉を捩ぎりまして、目の玉二つ、口一つ、穴を三つ開けたのを、ぬっぺりと、こう顔へ被ったものでござります。大いのから小さいのから、その蒼白い筋のある、細ら長い、狐とも狸とも、姑獲鳥、とも異体の知れぬ、中にも虫喰のござります葉の汚点は、癩か、痘痕の幽霊。面を並べて、ひょろひょろと蔭日向、藪の前だの、谷戸口だの、山の根なんぞを練りながら今の唄を唄いますのが、三人と、五人ずつ、一組や二組ではござりませんで。 悪戯が蒿じて、この節では、唐黍の毛の尻尾を下げたり、あけびを口に啣えたり、茄子提灯で闇路を辿って、日が暮れるまでうろつきますわの。 気になるのは小石を合せて、手ん手に四ツ竹を鳴らすように、カイカイカチカチと拍子を取って、唄が段々身に染みますに、皆が家へ散際には、一人がカチカチ石を鳴らして、
(今打つ鐘は、)
と申しますと、
(四ツの鐘じゃ、)
と一人がカチカチ、五ツ、六ツ、九ツ、八ツと数えまして……
(今打つ鐘は、 七ツの鐘じゃ。)
と云うのを合図に、
(そりゃ魔が魅すぞ!)
と哄と囃して、消えるように、残らず居なくなるのでござりますが。 何とも厭な心持で、うそ寂しい、ちょうど盆のお精霊様が絶えずそこらを歩行かっしゃりますようで、気の滅入りますことと云うては、穴倉へ引入れられそうでござります。 活溌な唱歌を唄え。あれは何だ、と学校でも先生様が叱らしゃりますそうなが、それで留めますほどならばの、学校へ行く生徒に、蜻蛉釣るものも居りませねば、木登りをする小僧もない筈――一向に留みませぬよ。 内は内で親たちが、厳しく叱言も申します。気の強いのは、おのれ、凸助……いや、鼻ぴっしゃり、芋※[#「くさかんむり/更」、154-12]の葉の凹吉め、細道で引捉まえて、張撲って懲そう、と通りものを待構えて、こう透かして見ますがの、背の高いのから順よく並んで、同一ような芋※[#「くさかんむり/更」、154-13]の葉を被っているけに、衣ものの縞柄も気のせいか、逢魔が時に茫として、庄屋様の白壁に映して見ても、どれが孫やら、忰やら、小女童やら分りませぬ。 おなじように、憑物がして、魔に使われているようで、手もつけられず、親たちがうろうろしますの。村方一同寄ると障ると、立膝に腕組するやら、平胡坐で頬杖つくやら、変じゃ、希有じゃ、何でもただ事であるまい、と薄気味を悪がります。 中でも、ほッと溜息ついて、気に掛けさっしゃったのが、鶴谷喜十郎様。」 と丁寧に、また名告って、姥は四辺を見たのである。
十三
さて十年の馴染のように、擦寄って声を密め、 「童唄を聞かっしゃりまし――(秋谷邸の細道じゃ、誰方が見えても通しません)――と、の、それ、」 小次郎法師の頷くのを、合点させたり、と熟と見て、姥はやがて打頷き、 「……でござりましょう。まず、この秋谷で、邸と申しますれば――そりゃ土蔵、白壁造、瓦屋根は、御方一軒ではござりませぬが、太閤様は秀吉公、黄門様は水戸様でのう、邸は鶴谷に帰したもの。 ところで、一軒は御本宅、こりゃ村の草分でござりますが、もう一軒――喜十郎様が隠居所にお建てなされた、御別荘がござりましての。 お金は十分、通い廊下に藤の花を咲しょうと、西洋窓に鸚鵡を飼おうと、見本は直き近い処にござりまして、思召通りじゃけれど、昔気質の堅い御仁、我等式百姓に、別荘づくりは相応わしからぬ、とついこのさきの立石在に、昔からの大庄屋が土台ごと売物に出しました、瓦ばかりも小千両、大黒柱が二抱え。平家ながら天井が、高い処に照々して間数十ばかりもござりますのを、牛車に積んで来て、背後に大な森をひかえて、黒塗の門も立木の奥深う、巨寺のようにお建てなされて、東京の御修業さきから、御子息の喜太郎様が帰らっしゃりましたのに世を譲って、御夫婦一まず御隠居が済みましけ。 去年の夏でござりますがの、喜太郎様が東京で御贔屓にならしった、さる御大家の嬢様じゃが、夏休みに、ぶらぶら病の保養がしたい、と言わっしゃる。 海辺は賑かでも、馬車が通って埃が立つ。閑静な処をお望み、間数は多し誂え向き、隠居所を三間ばかり、腰元も二人ぐらい附く筈と、御子息から相談を打たっしゃると、隠居と言えば世を避けたも同様、また本宅へ居直るも億劫なり、年寄と一所では若い御婦人の気が詰ろう。若いものは若い同士、本家の方へお連れ申して、土用正月、歌留多でも取って遊ぶが可い、嫁もさぞ喜ぼう、と難有いは、親でのう。 そこで、そのお嬢様に御本家の部屋を、幾つか分けて、貸すことになりましけ。ある晩、腕車でお乗込み、天上ぬけに美い、と評判ばかりで、私等ついぞお姿も見ませなんだが、下男下女どもにも口留めして、秘さしったも道理じゃよ。 その嬢様は落っこちそうなお腹じゃげな。」 「むむ、孕んでいたかい。そりゃ怪しからん、その息子というのが馴染ではないのかね。」 「御推量でございます、そこじゃ、お前様。見えて半月とも経ちませぬに、豪い騒動が起ったのは、喜太郎様の嫁御がまた臨月じゃ。 御本家に飼殺しの親爺仁右衛門、渾名も苦虫、むずかしい顔をして、御隠居殿へ出向いて、まじりまじり、煙草を捻って言うことには、(ハイ、これ、昔から言うことだ。二人一斉に産をしては、後か、前か、いずれ一人、相孕の怪我がござるで、分別のうてはなりませぬ、)との。 喜十郎様、凶年にもない腕組をさっせえて、(善悪はともかく、内の嫁が可愛いにつけ、余所の娘の臨月を、出て行けとは無慈悲で言われぬ。ただし廂を貸したものに、母屋を明渡して嫁を隠居所へ引取る段は、先祖の位牌へ申訳がない。私等が本宅へ立帰って、その嬢様にはこの隠居所を貸すとしよう)――御夫婦、黒門を出さしったのが、また世に立たっしゃる前表かの。 鶴谷は再度、御隠居の代になりました。」 「息子さんは不埒が分って勘当かい。」 「聞かっせえまし、喜太郎様は亡くなりましたよ。前後へ黒門から葬礼が五つ出ました。」 「五つ!」 「ええ、ええ、お前様。」 「誰と誰と、ね?」 「はじめがその出養生の嬢様じゃ。これが産後でおいとしゅうならしった。大騒ぎのすぐあと、七日目に嫁御がお産じゃ。 汐時が二つはずれて、朝六つから夜の四つ時まで、苦しみ通しの難産でのう。 村中は火事場の騒ぎ、御本宅は寂として、御経の声やら、咳やら……」
十四
「占者が卦を立てて、こりゃ死霊の祟がある。この鬼に負けてはならぬぞ。この方から逆寄せして、別宅のその産屋へ、守刀を真先に露払いで乗込めさ、と古袴の股立ちを取って、突立上りますのに勢づいて、お産婦を褥のまま、四隅と両方、六人の手で密と舁いて、釣台へ。 お先立ちがその易者殿、御幣を、ト襟へさしたものでござります。筮竹の長袋を前半じゃ、小刀のように挟んで、馬乗提灯の古びたのに算木を顕しましたので、黒雲の蔽かぶさった、蒸暑い畦を照し、大手を掉って参ります。 嫁入道具に附いて来た、藍貝柄の長刀を、柄払いして、仁右衛門親仁が担ぎました。真中へ、お産婦の釣台を。そのわきへ、喜太郎様が、帽子かぶりで、蒼くなって附添った、背後へ持明院の坊様が緋の衣じゃ。あとから下男下女どもがぞろぞろと従きました。取揚婆[#「婆」は底本では「姿」]さんは前へ早や駆抜けて、黒門のお部屋へ産所の用意。 途中、何とも希有な通りものでござりまして、あの蛍がまたむらむらと、蠅がなぶるように御病人の寝姿に集りますと、おなじ煩うても、美しい人の心かして、夢中で、こう小児のように、手で取っちゃ見さしっけ。 上へ手を上げさっしゃるのも、御容体を聞くにつけ、空をつかんで悶えさっしゃるようで、目も当てられぬ。 それでも祟りに負けるなと、言うて、一生懸命、仰向かしった枕をこぼれて、さまで瘠せも見えぬ白い頬へかかる髪の先を、しっかり白歯で噛ましったが、お馴染じゃ、私が藪の下で待つけて、御新造様しっかりなさりまし、と釣台に縋ったれば、アイと、細い声で云うて莞爾と笑わしった。橋を渡って向うへ通る、暗の晩の、榛の木の下あたり、蛍の数の宙へいかいことちらちらして、常夏の花の俤立つのが、貴方の顔のあたりじゃ、と目を瞑って、おめでたを祈りましたに……」 声も寂しゅう、 「お寺の鐘が聞えました。」 「南無阿弥陀仏、」 「お可哀相に、初産で、その晩、のう。 厭な事でござります。黒門へ着かしって、産所へ据えよう、としますとの、それ、出養生の嬢様の、お産の床と同一じゃ。(ああ、青い顱巻をした方が、寝てでござんす、ちっと傍へ)と……まあ、難産の嫁御がそう言わしっけ。 其奴に、負けるな、押潰せ、と構わず褥を据えましたが、夜露を受けたが悪かったか、もうお医者でも間に合わず。 (あなたも。……口惜い、)と恍惚して、枕にひしと喰つかしって、うむと云うが最期で、の、身二ツになりはならしったが、産声も聞えず、両方ともそれなりけり。 余りの事に、取逆上せさしったものと見えまして、喜太郎様はその明方、裏の井戸へ身を投げてしまわしった。 井戸替もしたなれど、不気味じゃで、誰も、はい、その水を飲みたがりませぬ処から、井桁も早や、青芒にかくれましたよ。 七日に一度、十日に一度、仁右衛門親仁や、私がとこの宰八――少いものは初から恐ろしがって寄つきませぬで――年役に出かけては、雨戸を明けたり、引窓を繰ったり、日も入れ、風も通したなれど、この間のその、のう、嘉吉が気が違いました一件の時から、いい年をしたものまで、黒門を向うの奥へ、木下闇を覗きますと、足が縮んで、一寸も前へ出はいたしませぬ。 簪の蒼い光った珠も、大方蛍であろう、などと、ひそひそ風説をします処へ、芋※[#「くさかんむり/更」、160-11]の葉に目口のある、小さいのがふらふら歩行いて、そのお前様、
(秋谷邸の細道じゃ、 誰方が見えても……)[#底本では4字下げ]
でござりましょう。人足が絶えるとなれば、草が生えるばっかりじゃ。ハテ黒門の別宅は是非に及ばぬ。秋谷邸の本家だけは、人足が絶やしとうないものを、どうした時節か知らぬけれど、鶴谷の寿命が来たのか、と喜十郎様は、かさねがさねおつむりが真白で。おふくろ様も好いお方、おいとしい事でござります。 おお、おお、つい長話になりまして、そちこち刻限、ああ、可厭な芋※[#「くさかんむり/更」、160-11]の葉が、唄うて歩行く時分になりました。」 と姥は四辺を した。浪の色が蒼くなった。 寂然として、果は目を瞑って聞入った旅僧は、夢ならぬ顔を上げて、葭簀から街道の前後を視めたが、日脚を仰ぐまでもない。 「身に染む話に聞惚れて、人通りがもう影法師じゃ。世の中には種々な事がある。お婆さん、お庇で沢山学問をした、難有う、どれ……」
十五
「そして、御坊様は、これからどこまで行かっしゃりますよ。」 包を引寄せる旅僧に連れて、姥も腰を上げて尋ねると、 「鎌倉は通越して、藤沢まで今日の内に出ようという考えだったが、もう、これじゃ葉山で灯が点こう。 おお[#「 おお」は底本では「おお」]、そう言や、森戸の松の中に、ちらちらと灯が見える。」 「よう御存じでござりますの。」 「まだ俗の中に知っています。そこで鎌倉を見物にも及ばず、東海道の本筋へ出ようという考えじゃったが、早や遅い。 修業が足りんで、樹下、石上、野宿も辛し、」 と打微笑み、 「鎌倉まで行きましょうよ。」 「それはそれは、御不都合な、つい話に実が入りまして、まあ、とんだ御足を留めましてござります。」 「いや、どういたして、忝い。私は尊いお説教を聴問したような心持じゃ。 何、嘘ではありません。 見なさる通り、行脚とは言いながら、気散じの旅の面白さ。蝶々蜻蛉の道連には墨染の法衣の袖の、発心の涙が乾いて、おのずから果敢ない浮世の露も忘れる。 いつとなく、仏の御名を唱えるのにも遠ざかって、前刻も、お前ね。 実はここに来しなであった。秋谷明神と云う、その森の中の石段の下を通って、日向の麦畠へ差懸ると、この辺には余り見懸けぬ、十八九の色白な娘が一人、めりんす友染の襷懸け、手拭を冠って畑に出ている。 歩行きながら振返って、何か、ここらにおもしろい事もないか、と徒口半分、檜笠の下から頤を出して尋ねるとね。
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