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偸盗(ちゅうとう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-16 14:13:53 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



 相手の用意に裏をかかれた盗人の群れは、裏門を襲った一隊も、防ぎ矢に射しらまされたのを始めとして、中門ちゅうもんを打って出た侍たちに、やはり手痛い逆撃さかうちをくらわせられた。たかが青侍の腕だてと思い侮っていた先手せんての何人かも、算を乱しながら、そびらを見せる――中でも、臆病おくびょう猪熊いのくまおじは、たれよりも先に逃げかかったが、どうした拍子か、方角を誤って、太刀たちをぬきつれた侍たちのただ中へ、はいるともなく、はいってしまった。酒肥さかぶとりした体格と言い、物々しくほこをひっさげた様子と言い、ひとかど手なみのすぐれたものと、思われでもしたのであろう。侍たちは、彼を見ると、互いに目くばせをかわしながら、二人三人、きっさきをそろえたまま、じりじり前後から、つめよせて来た。
「はやるまいぞ。わしはこの殿の家人けにんじゃ。」
 猪熊いのくまおじは、苦しまぎれにあわただしくこう叫んだ。
「うそをつけ。――おのれにたばかれるような阿呆あほうと思うか。――往生ぎわの悪いおやじじゃ。」
 侍たちは、口々にののしりながら、早くも太刀たちを打ちかけようとする。もうこうなっては、逃げようとしても逃げられない。猪熊の爺の顔は、とうとう死人しびとのような色になった。
「何がうそじゃ。何がうそじゃよ。」
 彼は、目を大きくして、あたりをしきりに見回しながら、逃げ場はないかと気をあせった。額には、つめたい汗がわいて来る。手もふるえが止まらない。が、周囲は、どこを見ても、むごたらしい生死の争いが、盗人と侍との間に戦われているばかり、静かな月の下ではあるが、はげしい太刀音たちおとと叫喚の声とが、一塊ひとかたまりになった敵味方の中から、ひっきりなしにあがって来る。――しょせん逃げられないとさとった彼は、目を相手の上にすえると、たちまち別人のように、凶悪なけしきになって、上下じょうげの齒をむき出しながら、すばやくほこをかまえて、威丈高いたけだかにののしった。
「うそをついたがどうしたのじゃ。阿呆あほう外道げどう。畜生。さあ来い。」
 こう言うことばと共に、ほこの先からは、火花が飛んだ。中でも屈竟くっきょうな、赤あざのある侍が一人、衆に先んじてかたわらから、無二無三に切ってかかったのである。が、もとより年をとった彼が、この侍の相手になるわけはない。まだ十合じゅうごうを合わせないうちに、見る見る、鉾先ほこさきがしどろになって、次第にあとへ下がってゆく。それがやがて小路のまん中まで、切り立てられて来たかと思うと、相手は、大きな声を出して、彼が持っていたほこを、みごとに半ばから、切り折った。と、また一太刀ひとたち、今度は、右の肩先から胸へかけて、袈裟けさがけに浴びせかける。猪熊いのくまおじは、尻居しりいに倒れて、とび出しそうに大きく目を見ひらいたが、急に恐怖と苦痛とに堪えられなくなったのであろう、あわてて高這たかばいにいのきながら声をふるわせて、わめき立てた。
「だまし討ちじゃ。だまし討ちを、食らわせおった。助けてくれ。だまし討ちじゃ。」
 赤あざの侍は、その後ろからまた、のび上がって、血に染んだ太刀たちをふりかざした。その時もし、どこからかさるのようなものが、走って来て、帷子かたびらすそを月にひるがえしながら、彼らの中へとびこまなかったとしたならば、猪熊いのくまおじは、すでに、あえない最後を遂げていたのに相違ない。が、そのさるのようなものは、彼と相手との間を押しへだてると、とっさに小刀さすがをひらめかして、相手の乳の下へ刺し通した。そうして、それとともに、相手の横に払った太刀たちをあびて、恐ろしい叫び声を出しながら、焼け火箸ひばしでも踏んだように、勢いよくとび上がると、そのまま、向こうの顔へしがみついて、二人いっしょにどうと倒れた。
 それから、二人の間には、ほとんど人間とは思われない、猛烈なつかみ合いが、始まった。打つ。む。髪をむしる。しばらくは、どちらがどちらともわからなかったが、やがて、猿のようなものが、上になると、再び小刀さすががきらりと光って、組みしかれた男の顔は、あざだけ元のように赤く残しながら、見ているうちに、色が変わった。すると、相手もそのまま、力が抜けたのか、侍の上へ折り重なって、仰向けにぐたりとなる――その時、始めて月の光にぬれながら、息も絶え絶えにあえいでいる、しわだらけの、ひきに似た、猪熊のばばの顔が見えた。
 老婆は、肩で息をしながら、侍の死体の上に横たわって、まだ相手のもとどりをとらえた、左の手もゆるめずに、しばらくは苦しそうな呻吟しんぎんの声をつづけていたが、やがて白い目を、ぎょろりと一つ動かすと、からびたくちびるを、二三度無理に動かして、
「おじいさん。おじいさん。」と、かすかに、しかもなつかしそうに、自分の夫を呼びかけた。が、たれもこれに答えるものはない。猪熊いのくまおじは、老女の救いをると共に、打ち物も何も投げすてて、こけつまろびつ、血にすべりながら、いち早くどこかへ逃げてしまった。そのあとにももちろん、何人かの盗人たちは、小路こうじのそこここに、得物えものをふるって、必死の戦いをつづけている。が、それらは皆、この垂死の老婆にとって、相手の侍と同じような、行路の人に過ぎないのであろう。――猪熊のばばは、次第に細ってゆく声で、何度となく、夫の名を呼んだ。そうして、そのたびに、答えられないさびしさを、負うている傷の痛みよりも、より鋭く味わわされた。しかも、刻々衰えて行く視力には、次第に周囲の光景が、ぼんやりとかすんで来る。ただ、自分の上にひろがっている大きな夜の空と、その中にかかっている小さな白い月と、それよりほかのものは、何一つはっきりとわからない。
「おじいさん。」
 老婆は、血の交じったつばを、口の中にためながら、ささやくようにこう言うと、それなり恍惚こうこつとした、失神の底に、――おそらくは、さめる時のない眠りの底に、昏々こんこんとして沈んで行った。
 その時である。太郎は、そこを栗毛くりげの裸馬にまたがって、血にまみれた太刀たちを、口にくわえながら、両の手に手綱たづなをとって、あらしのように通りすぎた。馬は言うまでもなく、沙金しゃきんが目をつけた、陸奥出みちのくで三才駒さんさいごまであろう。すでに、盗人たちがちりぢりに、死人しびとを残して引き揚げた小路は、月に照らされて、さながら霜を置いたようにうすじろい。彼は、乱れた髪を微風に吹かせながら、馬上にこうべをめぐらして、しりえにののしり騒ぐ人々の群れを、誇らかにながめやった。
 それも無理はない。彼は、味方の破れるのを見ると、よしや何物を得なくとも、この馬だけは奪おうと、かたく心に決したのである。そうして、その決心どおり、葛巻つづらまきの太刀たちをふるいふるい、手に立つ侍を切り払って、単身門の中に踏みこむと、苦もなくうまやの戸を蹴破けやぶって、この馬の覊綱はづなを切るより早く、背に飛びのるも惜しいように、さえぎるものをひづめにかけて、いっさんに宙を飛ばした。そのために受けた傷も、もとより数えるいとまはない。水干すいかんそではちぎれ、烏帽子えぼしはむなしくひもをとどめて、ずたずたに裂かれたはかまも、なまぐさい血潮に染まっている。が、それも、太刀とほことの林の中から、一人に会えば一人を切り、二人に会えば二人を切って、出て来た時の事を思えば、うれしくこそあれ、惜しくはない。――彼は、後ろを見返り見返り、晴れ晴れした微笑を、口角に漂わせながら、昂然こうぜんとして、馬を駆った。
 彼の念頭には、沙金がある。と同時にまた、次郎もある。彼は、みずから欺く弱さをしかりながら、しかもなお沙金しゃきんの心が再び彼に傾く日を、夢のように胸に描いた。自分でなかったなら、たれがこの馬をこの場合、奪う事ができるだろう。向こうには、人の和があった。しかも地の利さえ占めている。もし次郎だったとしたならば――彼の想像には、一瞬のあいだ、侍たちの太刀たちの下に、切り伏せられている弟の姿が、浮かんだ。これは、もちろん、彼にとって、少しも不快な想像ではない。いやむしろ彼の中にあるある物は、その事実である事を、祈りさえした。自分の手を下さずに、次郎を殺す事ができるなら、それはひとり彼の良心を苦しめずにすむばかりではない。結果から言えば、沙金がそのために、自分を憎む恐れもなくなってしまう。そう思いながらも、彼は、さすがに自分の卑怯ひきょうを恥じた。そうして口にくわえた太刀を、右手めてにとって、おもむろに血をぬぐった。
 そのぬぐった太刀を、ちょうどさやにおさめた時である。おりからつじを曲がった彼は、行く手の月の中に、二十と言わず三十と言わず、群がる犬の数を尽くして、びょうびょうとほえ立てる声を聞いた。しかも、その中にただ一人、太刀をかざした人の姿が、くずれかかった築土ついじを背負って、おぼろげながら黒く見える。と思うに、馬は、高くいななきながら、長いたてがみをさっと振るうと、四つのひづめに砂煙をまき上げて、またたく暇に太郎をそこへ疾風のように持って行った。
「次郎か。」
 太郎は、我を忘れて、叫びながら、険しくまゆをひそめて、弟を見た。次郎も片手に太刀たちをかざしながら、うなじをそらせて、兄を見た。そうして刹那せつなに二人とも、相手のひとみの奥にひそんでいる、恐ろしいものを感じ合った。が、それは、文字どおり刹那である。馬は、えたける犬の群れに、脅かされたせいであろう、首を空ざまにつとあげると、前足で大きな輪をかきながら、前よりもすみやかに、空へおどった。あとには、ただ、濛々もうもうとしたほこりが、夜空に白く、ひとしきり柱になって、舞い上がる。次郎は、依然として、野犬の群れの中に、傷をこうむったまま、立ちすくんだ。……
 太郎は――一時に、色を失った太郎の顔には、もうさっきの微笑の影はない。彼の心の中では、何ものかが、「走れ、走れ」とささやいている。ただ、一時いっとき、ただ、半時はんとき、走りさえすれば、それで万事が休してしまう。彼のする事を、いつかしなくてはならない事を、犬が代わってしてくれるのである。
「走れ、なぜ走らない?」ささやきは、耳を離れない。そうだ。どうせいつかしなくてはならない事である。おそいと早いとの相違がなんであろう。もし弟と自分の位置を換えたにしても、やはり弟は自分のしようとする事をするに違いない。「走れ。羅生門らしょうもんは遠くはない。」太郎は、片目に熱を病んだような光を帯びて、半ば無意識に、馬の腹をった。馬は、尾とたてがみとを、長く風になびかせながら、ひづめに火花を散らして、まっしぐらに狂奔する。一町二町月明かりの小路は、太郎の足の下で、急湍きゅうたんのように後ろへ流れた。
 するとたちまちまた、彼のくちびるをついて、なつかしいことばが、あふれて来た。「弟」である。肉身の、忘れる事のできない「弟」である。太郎は、かたく手綱たづなを握ったまま、血相を変えて歯がみをした。このことばの前には、いっさいの分別が眼底を払って、消えてしまう。弟か沙金しゃきんかの、選択をしいられたわけではない。直下じきげにこのことばが電光のごとく彼の心を打ったのである。彼は空も見なかった。道も見なかった。月はなおさら目にはいらなかった。ただ見たのは、限りない夜である。夜に似た愛憎の深みである。太郎は、狂気のごとく、弟の名を口外に投げると、身をのけざまに翻して、片手の手綱たづなを、ぐいと引いた。見る見る、馬のかしらが、向きを変える。と、また雪のようなあわが、栗毛くりげの口にあふれて、ひづめは、砕けよとばかり、大地を打った。――一瞬ののち、太郎は、惨として暗くなった顔に、片目を火のごとくかがやかせながら、再び、もと来たほうへまっしぐらに汗馬かんばおどらせていたのである。
「次郎。」
 近づくままに、彼はこう叫んだ。心の中に吹きすさぶ感情のあらしが、このことばを機会として、一時に外へあふれたのであろう。その声は、白燃鉄はくねんてつを打つような響きを帯びて、鋭く次郎の耳を貫ぬいた。
 次郎は、きっと馬上の兄を見た。それは日ごろ見る兄ではない。いや、今しがた馬を飛ばせて、いっさんに走り去った兄とさえ、変わっている。険しくせまったまゆに、かたく、下くちびるをかんだ歯に、そうしてまた、怪しく熱している片目に、次郎は、ほとんど憎悪に近い愛が、――今まで知らなかった、不思議な愛が燃え立っているのを見たのである。
「早く乗れ。次郎。」
 太郎は、群がる犬の中に、隕石いんせきのような勢いで、馬を乗り入れると、小路を斜めに輪乗りをしながら、叱咤しったするような声で、こう言った。もとより躊躇ちゅうちょに、時を移すべき場合ではない。次郎は、やにわに持っていた太刀たちを、できるだけ遠くへほうり投げると、そのあとを追って、頭をめぐらす野犬のすきをうかがって、身軽く馬の平首へおどりついた。太郎もまたその刹那せつな猿臂えんびをのばし、弟の襟上えりがみをつかみながら、必死になって引きずり上げる。――馬のかしらが、たてがみに月の光を払って、三たび向きを変えた時、次郎はすでに馬背にあって、ひしと兄の胸をいだいていた。
 と、たちまち一頭、血みどろの口をした黒犬が、すさまじくうなりながら、砂を巻いて鞍壺くらつぼへ飛びあがった。とがったきばが、危うく次郎のひざへかかる。そのとたんに、太郎は、足をあげて、したたか栗毛くりげの腹をった。馬は、一声いななきながら、早くも尾を宙に振るう。――その尾の先をかすめながら、犬は、むなしく次郎の脛布はばきを食いちぎって、うずまく獣の波の中へ、まっさかさまに落ちて行った。
 が、次郎は、それをうつくしい夢のように、うっとりした目でながめていた。彼の目には、天も見えなければ、地も見えない。ただ、彼をいだいている兄の顔が、――半面に月の光をあびて、じっと行く手を見つめている兄の顔が、やさしく、おごそかに映っている。彼は、限りない安息が、おもむろに心を満たして来るのを感じた。母のひざを離れてから、何年にも感じた事のない、静かな、しかも力強い安息である。――
「にいさん。」
 馬上にある事も忘れたように、次郎はその時、しかと兄をいだくと、うれしそうに微笑しながら、ほおを紺の水干すいかんの胸にあてて、はらはらと涙を落としたのである。
 半時はんときののち、人通りのない朱雀すざく大路おおじを、二人は静かに馬を進めて行った。兄も黙っていれば、弟も口をきかない。しんとした夜は、ただ馬蹄ばていの響きにこだまをかえして、二人の上の空には涼しい天の川がかかっている。

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