六
ふけやすい夏の夜は、早くも亥の上刻に迫って来た。―― 月はまだ上らない。見渡す限り、重苦しいやみの中に、声もなく眠っている京の町は、加茂川の水面がかすかな星の光をうけて、ほのかに白く光っているばかり、大路小路の辻々にも、今はようやく灯影が絶えて、内裏といい、すすき原といい、町家といい、ことごとく、静かな夜空の下に、色も形もおぼろげな、ただ広い平面を、ただ、際限もなく広げている。それがまた、右京左京の区別なく、どこも森閑と音を絶って、たまに耳にはいるのは、すじかいに声を飛ばすほととぎすのほかに、何もない。もしその中に一点でも、人なつかしい火がゆらめいて、かすかなものの声が聞こえるとすれば、それは、香の煙のたちこめた大寺の内陣で、金泥も緑青も所斑な、孔雀明王の画像を前に、常燈明の光をたのむ参籠の人々か、さもなくば、四条五条の橋の下で、短夜を芥火の影にぬすむ、こじき法師の群れであろう。あるいはまた、夜な夜な、往来の人をおびやかす朱雀門の古狐が、瓦の上、草の間に、ともすともなくともすという、鬼火のたぐいであるかもしれない。が、そのほかは、北は千本、南の鳥羽街道の境を尽くして、蚊やりの煙のにおいのする、夜色の底に埋もれながら、河原よもぎの葉を動かす、微風もまるで知らないように、沈々としてふけている。 その時、王城の北、朱雀大路のはずれにある、羅生門のほとりには、時ならない弦打ちの音が、さながら蝙蝠の羽音のように、互いに呼びつ答えつして、あるいは一人、あるいは三人、あるいは五人、あるいは八人、怪しげないでたちをしたものの姿が、次第にどこからか、つどって来た。おぼつかない星明かりに透かして見れば、太刀をはくもの、矢を負うもの、斧を執るもの、戟を持つもの、皆それぞれ、得物に身を固めて、脛布藁沓の装いもかいがいしく、門の前に渡した石橋へ、むらむらと集まって、列を作る――と、まっさきには、太郎がいた。それにつづいて、さっきの争いも忘れたように、猪熊の爺が、物々しく鉾の先を、きらりと暗にひらめかせる。続いて、次郎、猪熊のばば、少し離れて、阿濃もいる。それにかこまれて、沙金は一人、黒い水干に太刀をはいて、胡を背に弓杖をつきながら、一同を見渡して、あでやかな口を開いた。―― 「いいかい。今夜の仕事は、いつもより手ごわい相手なんだからね。みなそのつもりで、いておくれ。さしずめ十五六人は、太郎さんといっしょに、裏から、あとはわたしといっしょに、表からはいってもらおう。中でも目ぼしいのは、裏の厩にいる陸奥出の馬だがね。これは、太郎さん、あなたに頼んでおくわ。よくって。」 太郎は、黙って星を見ていたが、これを聞くと、くちびるをゆがめながら、うなずいた。 「それから断わっておくが、女子供を質になんぞとっては、いけないよ。あとの始末がめんどうだからね。じゃ、人数がそろったら、そろそろ出かけよう。」 こう言って、沙金は弓をあげて、一同をさしまねいたが、しょんぼり、指をかんで立っている、阿濃を顧みると、またやさしくことばを添えた。 「じゃ、お前はここで、待っていておくれ。一刻か二刻で、皆帰ってくるからね。」 阿濃は、子供のように、うっとり沙金の顔を見て、静かに合点した。 「されば、行こう。ぬかるまいぞ、多襄丸。」 猪熊の爺は、戟をたばさみながら、隣にいる仲間をふり返った。蘇芳染の水干を着た相手は、太刀のつばを鳴らして、「ふふん」と言ったまま、答えない。そのかわりに、斧をかついだ、青ひげのさわやかな男が、横あいから、口を出した。 「おぬしこそ、また影法師なぞにおびえまいぞ。」 これと共に、二十三人の盗人どもは、ひとしく忍び笑いをもらしながら、沙金を中に、雨雲のむらがるごとく、一団の殺気をこめて、朱雀大路へ押し出すと、みぞをあふれた泥水が、くぼ地くぼ地へ引かれるようにやみにまぎれて、どこへ行ったか、たちまちのうちに、見えなくなった。…… あとには、ただ、いつか月しろのした、うす明るい空にそむいて、羅生門の高い甍が、寂然と大路を見おろしているばかり、またしてもほととぎすの、声がおちこちに断続して、今まで七丈五級の大石段に、たたずんでいた阿濃の姿も、どこへ行ったか、見えなくなった。――が、まもなく、門上の楼に、おぼつかない灯がともって、窓が一つ、かたりとあくと、その窓から、遠い月の出をながめている、小さな女の顔が出た。阿濃は、こうして、次第に明るくなってゆく京の町を、目の下に見おろしながら、胎児の動くのを感じるごとに、ひとりうれしそうに、ほほえんでいるのである。
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