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富岡先生(とみおかせんせい)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-26 9:03:58 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 しばらくすると川向かわむこうの堤の上を二三人話しながら通るものがある、川柳のかげで姿はく見えぬが、帽子と洋傘こうもりとが折り折り木間このまから隠見する。そして声音こわねで明らかに一人は大津定二郎一人は友人ぼう、一人は黒田の番頭ということが解る。富岡老人も細川繁も思わず聞耳を立てた。三人は大声で笑い興じながらちょうど二人の対岸まで来た二人の此処ここ蹲居しゃがんでいることは無論気がつかない。
「だって貴様あなたは富岡のお梅さんに大変熱心だったと言いますぜ」これは黒田の番頭の声である。
うそサ、大嘘サ、お梅さんは善いにしてもあの頑固爺がんこおやじの婿になるのは全く御免だからなア! ハッハッ……お梅さんこそ可憐かわいそうなものだ、あの高慢狂気きちがいのお蔭で世に出ることが出来ない!」これは明らかに大津法学士の声である。
 三人は一度に「ハッハッハッ……」と笑った。富岡老人釣竿つりざお投出なげだしてぬッくと起上たちあがった。屹度きっと三人の方を白眼にらんで「大馬鹿者!」と大声に一喝いっかつした。この物凄ものすごい声が川面かわづらに鳴り響いた。
 対岸むこうの三人は喫驚びっくりしたらしく、それと又気がついたかしてたちまち声をひそめ大急ぎで通り過ぎてしまった。
 富岡老人はそのまま三人の者の足音の聞こえなくなるまで対岸むこう白眼にらんでいたが、次第に眼を遠くの禿山はげやまに転じた、姫小松ひめこまつえた丘は静に日光を浴びている、そのあざやかな光の中にも自然の風物は何処どこともなく秋の寂寥せきりょうを帯びて人の哀情かなしみをそそるような気味がある。背の高い骨格のたくましい老人は凝然じっながめて、折り折り眼をしばだたいていたが、何時いつしか先きの気勢にも似ずさも力なさそうに細川繁を振向いて
「オイ貴公おまえこの道具をうちまで運こんでおくれ、乃公おれは帰るから」
 言い捨ててって了った。校長の細川は取残されてみると面白くはないが、それでも糸を垂れていた、実はしきりと考え込んでいたのである。暫時しばらくするとこれも力なげに糸を巻きびくを水から上げて先生の道具と一緒に肩にかけ、ほど遠からぬ富岡のうちまで行った。庭先で
「老先生どうかしたのかのう」と老僕倉蔵が声を潜めて問うた。
「イヤどうもなさらん」
「でも様子が少し違うからわし又どうかなされたかと思うて」
「先生今何をしておいでる?」
「寝ていなさるが枕頭まくらもとに嬢様呼んで何かこまかい声で話をしておいでるようで……」
「そうか」
「まア上って晩まで遊んでおいでなされませえの」
「晩にでも来る!」
 細川は自分の竿をついでびくをぶらぶら下げ、浮かぬ顔をして、我家へと帰った。この時が四時過ぎでもあろう。家では老母が糸をいていた。
 その夜の八時頃、ちょうど富岡老人の平時いつも晩酌が済む時分に細川校長は先生をうた。田甫道たんぼみちをちらちらする提燈ちょうちんの数が多いのは大津法学士の婚礼があるからで、校長もその席に招かれた一人二人にみちった。逢うたびごとみんな知る人であるから二言三言の挨拶あいさつはしたが、可い心持はしなかった。
 富岡の門まで行ってみると門はしまって、内は寂然ひっそりとしていた。校長は不審に思ったが門をたたく程の用事もないから、其処そこらを、物思に沈みながらぶらぶらしていると間もなく老僕倉蔵が田甫道を大急ぎでやって来た。
「オイ倉蔵、先生は最早もうやすみになったのかね?」
「オヤ! 細川先生、老先生は今東京へお出発たちになりました!」と呼吸いきをはずまして老僕は細川の前へ突立った。
「東京へ※(疑問符感嘆符、1-8-77)」細川は声ものどつまったらしい。
「ハア東京へ!」
「マアどうしたのだろう! お梅さんは?」
「御一緒に」
「マアどうしたのだろう!」校長は喫驚びっくりすると共に、何とも言い難き苦悩が胸をあっして来た。心も空に、気が気ではない。倉蔵は門を開けながら
「マアお入りなされの」
 校長は後について門を入り縁先に腰をかけたが、それもほとんど夢中であったらしい。
「マア先生は何にも知らないのかね?」
乃公わしが何を知るものか、今日釣に行っていたが老先生は何にも言わんからの」
「そうかの?」と倉蔵は不審な顔色かおつきをして煙草を吸い初めた。
貴公おまえ理由わけを知らんかね?」
わしだ倉蔵これを急いで村長のとこへ持て行けと命令いいつかりましたからその手紙を村長さんとこへ持て行って帰宅かえってみると最早もう仕度したくが出来ていて、わし直ぐ停車場まで送って今帰ったとこじゃがの、何知るもんかヨ」
「フーン」と校長考えていたが「何日いつ帰国かえると言われた?」
「老先生は十日ばかりしたら帰る、それもくは解らんちゅうて……」
「そうか……」と校長は嘆息ためいきをしていたが、
「また来る」と細川は突然富岡を出て、その足で直ぐ村長を訪うた。村長は四十何歳いくつという分別盛りの男で村には非常な信用があり財産もあり、校長は何時いつもこの人を相談相手にしているのである。
貴公あんた富岡先生が東京へ行った事を知っているか」と校長細川は坐に着くや着かぬに問いかけた。
「知っているとも、先刻さっき倉蔵が先生の手紙を持って来たが、不在中家の事をたのむと書いてあった」と村長は夜具から頭ばかり出して話している。大津の婚礼に招ねかれたが風邪かぜをひいて出ることが出来ず、寝ていたのである。
「どういう理由わけで急に上京したのだろう?」
「そんな理由わけは手紙に書いてなかったが、大概想像が着くじゃアないか」と村長は微笑を帯びて細川の顔をじろじろ見ながら言った。彼は細川が梅子に人知れず思を焦がしていることを観破みぬいていたのである。
わしにはせんなア」と校長は嘆息ためいきいた。
「解せるじゃアないか、大津が黒田のお玉さんと結婚しただろう、富岡先生少しあてはずれたのサ、其処そこよろしい此処こっちにもそのつもりがあるとお梅さんを連れて東京へ行って江藤侯や井下いのした伯を押廻わしてオイ井下、娘を頼む位なことだろうヨ」
「そうかしらん?」
「そうとも! それに先生は平常ふだんから高山々々とめちぎっていたから多分井下伯に言ってお梅さんを高山に押付ける積りだろう、いサ高山もお梅さんなら兼てねらっていたのだから」
「そうかしらん?」と細川の声はふるえている。
「そうとも! それで大津の鼻をあかしてやろうと言うんだろう、可いサ、先生も最早もうあれで余程よほど老衰よわって御坐るから早くお梅さんのことを決定きめたら肩が安まって安心して死ねるだろうから」 
 村長は理の当然を平気で語った。一つには細川に早く思いあきらめさしたい積りで。
「全くそうだ、先生も如彼ああ見えても長くはあるまい!」と力なさそうに言って校長は間もなく村長のうちを辞した。
 あわれむべし細川繁! 彼は全く失望して了って。その失望の中にはいつの苦悩がまじっておる。彼は「我もし学士ならば」という一念を去ることが出来ない。幼時は小学校において大津も高山も長谷川もしのいでいた、富岡の塾でも一番出来がかった、先生は常に自分を最も愛して御坐った、然るに自分は家計の都合で中学校にもる事が出来ず、遂に官費で事が足りる師範学校に入って卒業して小学教員となった。天分に於ては決して彼等二三子にさんしには、劣らないが今では富岡先生すら何とかかんとか言っても矢張り自分よりか大津や高山を非常にまさった者のように思ってお梅さん熨斗のしを附けようとする! 残念なことだと彼は恋の失望の外の言い難き恨をまなければならぬこととなった。
 然し彼は資性篤実で又能く物にえ得る人物であったから、この苦悩の為めに校長の職務つとめを怠るようなことはない。平常いつものように平気の顔で五六人の教師の上に立ち百の児童を導びいていたが、暗愁の影は何処どことなく彼に伴うている。

        二

 富岡先生が突然上京してから一週間目のことであった、先生は梅子を伴うて帰国かえって来た。校長細川は「今帰国かえったから今夜遊びに来い」との老先生の手紙を読んだ時には思わず四辺あたりを見廻わした。
 自分勝手な空想を描きながら急いでってみると、村長は最早もう座に居て酒が初まっていた。梅子は例の如く笑味えみを含んで老父の酌をしている。
「ヤ細川! 突如だしぬけ出発たったので驚いたろう、何急に東京を娘に見せたくなってのう。十日ばかりも居る積じゃったがしゃくさわることばかりだったから三日居て出立たっしまった。今も話しているところじゃが東京に居る故国くにの者はみんなだめだぞ、ろくやつは一匹もらんぞ!」
 校長は全然まるで何のことだか、煙にかれて了って言うべき言葉が出ない、ただ富岡先生と村長の顔を見比べているばかりである。村長は怪しげな微笑を口元に浮べている。
「エえまア聞いてくれこうだ、乃公おれは娘を連れて井下聞吉ぶんきちの所へも江藤三輔の所へも行った、エえ、故国くにからわざわざ乃公おれが久しぶりに娘まで連れて行ったのだから何とか物の言い方も有ろうじゃア、それを何だ! 侯爵顔こうしゃくづらや伯爵顔を遠慮なくさらけ出してその※(「傲」の「にんべん」に代えて「りっしんべん」、第4水準2-12-67)慢無礼ごうまんぶれいな風たら無かった。乃公もグイと癪に触ったから半時も居らんでずんずん宿へもどってやった」と一杯一呼吸ひといきに飲み干して校長に差し、
「それも彼奴きゃつ等の癖だからまアえわ、辛棒出来んのは高山や長谷川の奴らの様子だ、オイ細川、彼等きゃつら全然まるでだめだぞ、大津と同じことだぞ、生意気で猪小才ちょこざいで高慢な顔をして、小官吏こやくにんになればああも増長されるものかと乃公も愛憎あいそが尽きてしもうた。ごうが煮えてたまらんから乃公は直ぐ帰国かえろうと支度したくを為ているとちょうど高山がやって来て驚いた顔をしてこう言うのだ、折角連れて来たのだから娘だけは井下伯にでもあずけたらどうだろう、井下伯もせめて娘だけでも世話をしてやらんと富岡が可憐かわいそうだと言ッて、大変乃公を気の毒がっていたとこう言うじゃアないか、乃公は直然いきなり彼奴きゃつの頭をぽかり一本参ってやった、何だ貴様まで乃公を可憐そうだとか何とか思っているのか、そんな積りで娘を托けると言うのか、大馬鹿者! と怒鳴つけてくれた」
「そして高山はどうしました」と校長はわずかに一語を発した。
「どうするものか真赤な顔をして逃げてって了うた、それから直ぐ東京を出発たっ何処どこへも寄らんでずんずんもどって来た」
「それは無益つまりませんでしたね、折角おいでになって」と校長はおずおずしながら言った。
 先生の気焔きえん益々ますますたかまって、例の昔日譚むかしばなしが出て、今の侯伯子男を片端かたっぱしから罵倒ばとうし初めたが、村長は折を見て辞し去った。校長は先生が喋舌しゃべくたぶれい倒れるまで辛棒して※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)きえんの的となっていた。帰える時梅子は玄関まで送って出たが校長何となくにこついていた。田甫道に出るや、彼はこの数日すじつの重荷が急に軽くなったかのように、いそいそとみちを歩いたが、我家に着くまでほとんど路をどう来たのか解らなんだ。

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