その一 空を飛ぶパラソル
水蒸気を一パイに含んだ梅雨晴れの空から、白い眩しい太陽が、パッと照り落ちて来る朝であった。 ちょうど農繁期で、地方新聞の読者がズンズン減って行くばかりでなく、新聞記事の夏枯れ季節に入りかけた時分なので、私のいる福岡時報は勿論のこと、その他の各社とも何かしら読者を惹き付ける大記事は無いか……洪水は出ないか……炭坑は爆発しないか……どこかに特別記事は転がっていないか……と鵜の目鷹の目になっていた。そんなようなタヨリナイ苛立たしい競争の圧迫を、編輯長と同じ程度に感じていた遊撃記者の私は、ツイこの頃、九大工学部に起ったチョットした事件を物にすべく、福岡市外筥崎町の出外れに在る赤煉瓦の正門を、ブラリブラリと這入りかけていたのであったが、あんまり暑いので、阿弥陀にしていた麦稈帽子を冠り直しながら、何の気もなく背後をふり帰ると、ハッとして立ち止まった。 工学部の正門前は、広い道路を隔てて、二三里の南に在る若杉山の麓まで、一面の水田になっていて、はてしもなく漲り輝く濁水の中に、田植笠が数限りなく散らばっている。その田の中の畦道を、眼の前の道路から一町ばかり向うの鉄道線路まで、パラソルを片手に捧げて、危なっかしい足取りで渡って行く一人の盛装の女がいる。 そのパラソルは一口に云えば空色であるが、よく見ると群青と、淡紅色の、ステキに派手なダンダラ模様であった。小倉縮らしいハッキリした縞柄の下から、肉付きのいい手足と、薄赤いものを透きとおらして、左手にビーズ入りのキラキラ光るバッグを提げて、白足袋に、表付きの中歯の下駄を穿いていたが、霖雨でぬかるむ青草まじりの畦道を、綱渡りをするように、ユラユラと踊りながら急いで行くと、オールバックの下から見える、白い首すじと手足とが、逆光線を反射しながら、しなやかに伸びたり縮んだりする。その都度に、華やかな洋傘の尖端が、大きい、小さい円や弧を、空に描いて行くのであった。 そこいらの田に蠢めいていた田植笠が、一つ二つ持ち上って、不思議そうにその女の姿に見惚れはじめた。……と見るうちに、左手の地蔵松原の向うから、多々羅川の鉄橋を渡って、右手の筥崎駅へ、一直線に驀進して来る下り列車の音が、轟々と近づいて来る気はいである。それにつれて女の足取りも、心持ち小刻みに急ぎ始めたように見えた……。 ……私は今一度ハッと胸を躍らした。思わず、 「……止めろッ……轢死だッ……」 と叫びかけたが、その次の瞬間に私は又、グッと唾[#「唾を」は底本では「睡を」]嚥み込んだ。……これは新聞記事になるな……と思った次の瞬間にはもう正門前の道路を、女の行く畦道と直角の方向に引返していた。 そうしてその取付きの百姓家の蔭から、田に添うた桑畑の若い葉の間を、女と並行した方向に曲り込むと、急に身を伏せて、獲物を狙う獣のように、線路の方へ走り出したが、桑畑と線路との境目に在る、狭い小川を飛び越えた時には、スッカリ汗まみれになって、動悸が高まって、眼が眩みそうになっていた。 女はもうその時に田の畦を渡りつくして、半町ばかり向うの線路に出ていたが、軌条の横の狭い砂まじりの赤土道を、汽車の来る方向に、さり気なく、気取った風付きで歩いて行くようすである。 勢込んで来た私は、そうした女の態度を見ると、ちょっと躊躇して立ち止まった。覚悟の轢死じゃないのかしら……と思って……。 ……と思う間もなく、真正面に横たわる松原の緑の波の中から、真黒な汽鑵車が、狂気のように白い汽笛を吹き立てつつ、全速力で飛び出して来た。機関手が女の姿を発見したに違いないのだ。 それと見た女は洋傘を、線路の傍の草の上に、拡げたままソッと置いた。下駄を脱ぎ揃えて、その上にビーズ入りのバッグを静かに載せた。そうして右手で襟元を繕いながら、左手で前裾をシッカリと掴むと、白足袋を横すじかいに閃めかして、汽鑵車の前に飛び込もうとしたが、線路の横の砂利に躓いて、バッタリと横向きに倒れた。その拍子に右手で軌条を掴んで起き上りかけたが、何故か又グッタリとなって、軌条のすぐ横の枕木の上に突伏した。そのまま白い両手を向うむきに投げ出して、肩を大きく波打たして、深いため息を一つしたように見えた。 私はそれを石のように固くなったまま見とれていたように思う。身動きは愚か、瞬き一つ出来ないままに……と思う間もなく女の全身に、真黒な汽鑵車の投影が、矢のように蔽いかかった。するとその投影の中から、群青と淡紅色のパラソルが、人魂か何ぞのようにフウーウと美しく浮き出して、二三間高さの空中を左手の方へ、フワリフワリと舞い上って行ったが、その方にチラリと眼を奪われた瞬間に、虚空を劈く非常汽笛と、大地を震撼する真黒い音響とが、私の一尺横を暴風のように通過した。 思わず耳と眼を塞いで立ち竦んでいた私は、その音響が通過すると直ぐに又、新聞記者の本能に立帰った。編上靴を宙に踊らせて、二十間ばかり向うに投げ出されている、屍体の傍へ駈けつけた。線路の左右の田の中から、訳のわからない叫び声があとからあとから起るのを聞き流しながら……。 まだ生きているのと同様に温かい女の屍体を、仰向けに引っくり返して見ると、どんな風にして車輪にかかったものか、頭部に残っているのは片っ方の耳と綺麗な襟筋だけである。あとは髪毛と血の和え物みたようになったのが、線路の一側を十間ばかりの間に、ダラダラと引き散らされて来ている。その途中の処々に鶏の肺臓みたようなものが、ギラギラと太陽の光を反射しているのは脳味噌であろうか。右の手首は、車輪に附着いて行ったものか見当らず、プッツリと切断された傷口から、鮮血がドクリドクリと迸しり出て、線路の横に茂り合った蓬の葉を染めている。その他の足袋の底と着物の裾に、すこしばかり泥が附いているだけで、轢死体としては珍らしく無疵な肉体が、草の中にあおのけに寝て、左手はまだシッカリと前裾を掴んでいた。 私はチラリと汽車の方をふり返りながら、その左手を着物から引き離して検めてみた。手の甲も、掌もチットも荒れていないようであるが、中指の頭にヨディムチンキが黒々と塗ってあるのに、そこいらが格別腫れても傷ついてもいないところを見ると、刺か何かを抜いたあとを消毒したものであろう。して見ればこの女は看護婦かな……と思い思い手早く胸を掻き開いてみると、白く水々しく光る乳房と、黒い、紫がかった乳首があらわれたが、その上を、もう、一匹の大きな黒蟻が狼狽して駈けまわっていた。 さては……と私は息を詰めた。すぐに安物らしい白地の博多帯をさぐってみると……どうだ……ムクリムクリ……ヒクリヒクリと蠢く胎動がわかるではないか……たしかに姙娠五箇月以上である。なお序に、袂と、帯の間を撫でまわしてみると、筥崎から佐賀までの赤切符の未改札が一枚と、小型の名刺に「早川ヨシ子」「時枝ヨシ子」と別々に印刷したのが十枚ばかりずつ白紙に包んだのが、帯の間から出て来た。 その名刺をポケットに落し込みながら、私は取りあえず凱歌を揚げた。早川というのは九大医学部の寺山内科に居る、医学士の医員で、記者仲間に通った色魔に相違なかった。その背後には姉歯なにがしという産科医がいて、何かしら糸を操っているという噂まで、小耳に挟んでいる。又、時枝ヨシ子というのは、これも同大学の眼科に居る有名な美人看護婦ではないか。……二人の関係は二三箇月前にチラリと聞いた事があるにはあったが、評判の美人と色魔だけに、いい加減に結び付けた噂だろう……なぞと余計なカンを廻わしていたのが悪かった。もうここまで進んでいたのか……と思い思い今度は下駄を裏返してみると、まだ卸し立てのホヤホヤで、福岡市大浜竪町金佐商店という商標が貼ってあって、踵の処に※[#「┐」の中に「サ」、屋号を示す記号、188-7]と刻印が打ち込んである。次にビーズ入りのバッグを開いてみると、新しいハンカチが二枚と、六円二十何銭入りの蟇口と、すこしばかりの化粧道具を入れた底の方から、柳川ヨシエという名宛の質札が二枚出た。お召のコートと、羽織と、瓦斯の矢絣の単衣物と、女持のプラチナの腕時計の四点を、合計十八円也で、昨日と、一昨日の二日にわけて、筥崎馬出の三桝質店に入れたものである。 私は又も、その質札をポケットに突込みながら、二度目の凱歌を揚げた。……これだけのタネを握り込んで、三段や四段の特別記事が書けなければ、俺は新聞記者じゃない……むろん警察や、同業の奴等は指一本だって指せやしないだろう……占めたナ……と奥歯を噛み締めながらも、何喰わぬ顔を上げて、そこいらを見まわした。 私の周囲には二三人の田植連が、魘えた顔をして立っているきりである。一気に筥崎駅へ駈け込んだ列車の窓からは、旅客の顔が鈴生りに突き出ていて、そこから飛び降りた二三人の制服制帽が、線路づたいに走って来るのが見える。その外にもう一人、サアベルを掴んだ警官らしい姿も、後れ馳せにプラットホームから駈け降りて来るようであるが、しかしまだ四五町の距離があるから、私の顔を見知られる心配はない。 私は靴の踵に粘り付いた女の血を、蓬の葉で拭いながら悠々と立ち上った。はるか向うの青田の中に落ちたパラソルを見かえりもせずに、今しがた女が伝って来た畦道の、下駄の痕を踏み付け踏み付け、平気な顔で工学部の前に引返した。みるみる殖えて行く、線路の上の人だかりを横眼に見ながら、手近い法文科の門を潜って、生徒がウロウロしている地下室を通り抜けて、人通りのすくない海門戸に出ると、やっと上衣を脱いで汗を拭いた。ここまで来れば、もう捕まる心配は無いからである。ついでに腕時計を見るとチョウド十時半であった。
……夕刊の締切りまでアト二時間半キッカリ……その中で記事を書く時間をザット一時間と見ると……質屋にまわり込む時間は先ずあるまい……プラチナの腕時計がチットおかしいとは思うけれど……。 ……色魔の早川や、黒幕の姉歯にも会わない方が上策だろう……わざわざ泣き付かれに行くようなもんだからナ……。一つ抜き討ちを喰わして驚かしてくれよう……。 ……帰り着くまで降り出さなけあいいが……。
と腹の中で勘定をつけながら、とりあえずバットを啣えてマッチを擦った。 それから数時間の後、私は今川橋行きの電車の中で、福岡市に二つある新聞の夕刊の市内版を見比べて微笑んでいた。ほかの新聞には「又も轢死女」という四号標題で、身元不明の若い女の轢死が五行ばかり報道してあるだけで、姙娠の事実すら書いてないのに反して、私の新聞の方には初号三段抜きの大標題で、浴衣を着た早川医学士と、丸髷に結った時枝ヨシ子の二人が並んで撮った鮮明な写真まで入れて、次のような記事が長々と掲載されていた。
▼標題……「田植連中の環視の中で……姙娠美人の鉄道自殺……けさ十時頃、筥崎駅附近で……相手は九大名うての色魔……女は佐賀県随一の富豪……時枝家の家出娘」……「両親へ詫びに帰る途中……思い迫ったものか……この悲惨事」…… ▲記事……(上略)……時枝ヨシ子(二〇)が東京にあこがれて家出をしたのは、四年前の事であったが、何故か東京へは行かずに、博多駅で下車し、福岡の知人を便って、九大の眼科に看護婦となって入り込んだ。これを聞いたヨシ子の両親は非常に立腹し、直ちに勘当を申し渡したとの事であるが、美人の評判が高いままに、あらゆる誘惑と闘いつつ、無事にこの四年間をつとめて来たものであった。……(中略)……流石の色魔、早川医学士(三〇)もヨシ子と関係して、現在の大浜の下宿に同棲するようになってからは、人間が違ったように素行を謹しんだばかりでなく、得意の玉突さえもやめてしまって、ひたすら彼女との恋に精進するように見えた。彼女ヨシ子の早川に対する愛着が、それ以上であった事は云う迄もない。……(中略)……かくて姙娠七箇月になったヨシ子は、早川医学士と、その友人で、兼てから二人の事に就いて何くれとなく心配していた姉歯某とが、極力制止するをも諾かず、窃かに旅費をこしらえて、単身人眼を避けつつ、佐賀の両親の許に行くべく決心した……(中略)……わざと博多駅より二つ手前の筥崎駅から、佐賀までの赤切符を買ったが、その列車を待ち合わせている間に、色々と身の行く末を考えて極度に運命を悲観したものらしく、遂に自分が乗って行く筈であった下り四二一号列車の轍にかかって、かくも無残の……云々……
ここまで読んで来ると私は、内心大得意の顔を上げて、電車の中を見まわした。当てもない咳払いを一つして反り身になった。
ところがその翌る日のこと……。 昨日取り損ねた九大工学部の記事を、漁りなおしに行くべく、今川橋の下宿から、電車で筥崎の終点へ行く途中、医学部前の停留場を通過すると、職業柄懇意にしている筥崎署の大塚警部が飛び乗って来たので、脛に傷持つ私はちょっとドキンとさせられた。 大塚警部は私よりも十五六ぐらい年上で、二三度一緒に飲みに行ってからというもの、同輩みたように交際っている。かなり狡いところのある男であるが、殆んど空っぽになっている電車の片隅に、私の姿を発見すると、ビックリした表情をしながら、ツカツカと私の横に来て、二十貫目あるという大きな図体をドタリと卸した。それからサアベルを股倉に挟んで、帽子を阿弥陀にして赤ッ面の汗を拭き拭き、頗る緊張した表情で、内ポケットから新聞を引き出すと、無言のまま、私の鼻の先に突きつけた。見ると私が書いた昨日の夕刊記事の全部に、毒々しい赤線が引いてある。 私はわざとニッコリしてうなずいた。その私の顔を大塚警部はニガリ切って白眼み据えた。 「困るじゃないか……こんな事をしちゃ……僕等を出し抜いて……」 「フフン、何もしやしない。工学部の正門を這入ろうとしたら、鉄道線路の上に真黒な人ダカリがしていた。行って見たらこの轢死だった……というだけの事さ……」 「女の身元はどうして洗った」 「屍体の左手の中指の先にヨディムチンキが塗ってあった。別段腫れても、傷ついてもいないところを見ると、刺か何かを抜いたアトを消毒したものらしいが、ヨディムチンキをそんな風に使う女なら、差し詰め医師の家族か、看護婦だろう」 「……フーム……ソンナモンカナ」 「ところで服装を見ると看護婦は動かぬところだろう。同時に下駄のマークを見ると、早川の下宿の近所で買っている。そこで取りあえず九大の看護婦寄宿舎の名簿を引っくり返してみたら、時枝という有名なシャンが三月ばかり前から休んでいる。もしやと思って原籍を調べたら驚いたね。佐賀県神野村の時枝茂左衛門、第五女と来ているじゃないか」 「それだけで見当つけたんか」
[1] [2] [3] 下一页 尾页
|