対のほうでは寝殿泊まりのこうした晩の習慣で女王は長く起きていて女房たちに小説を読ませて聞いたりしていた。人生を写した小説の中にも多情な男、幾人も恋人を作る人を相手に持って、絶えず煩悶する女が書かれてあっても、しまいには二人だけの落ち着いた生活が営まれることに皆なっているようであるが、自分はどうだろう、晩年になってまで一人の妻にはなれずにいるではないか、院のお言葉のように自分は運命に恵まれているのかもしれぬが、だれも最も堪えがたいこととする苦痛に一生付きまとわれていなければならぬのであろうか、情けないことであるなどと思い続けて、夫人は夜がふけてから寝室へはいったのであるが、夜明け方から病になって、はなはだしく胸が痛んだ。女房が心配して院へ申し上げようと言っているのを、 「そんなことをしては済みませんよ」 と夫人はとめて、非常な苦痛を忍んで朝を待った。発熱までもして夫人の容体は悪いのであるが、院が早くお帰りにならないのをお促しすることもなしにいるうち、女御のほうから夫人へ手紙を持たせて来た使いに、病気のことを女房が伝えたために、驚いた女御から院へお知らせをしたために、胸を騒がせながら院が帰っておいでになると、夫人は苦しそうなふうで寝ていた。 「どんな気持ちですか」 とお言いになり、手を夜着の下に入れてごらんになると非常に夫人の身体は熱い。昨日話し合われた厄年のことも思われて、院は恐ろしく思召されるのであった。粥などを作って持って来たが夫人は見ることすらもいやがった。院は終日病床にお付き添いになって看護をしておいでになった。ちょっとした菓子なども口にせず起き上がらないまま幾日かたった。どうなることかと院は御心配になって祈祷を数知らずお始めさせになった。僧を呼び寄せて加持などもさせておいでになった。どこが特に悪いともなく夫人は非常に苦しがるのである。胸の痛みの時々起こるおりなども堪えがたそうな苦しみが見えた。いろいろな養生もまじないもするがききめは見えない。重い病気をしていても時さえたてばなおる見込みのあるのは頼もしいが、この病人は心細くばかり見えるのを院は悲しがっておいでになった。もうほかのことをお考えになる余裕がないために、法皇の賀のことも中止の状態になった。法皇の御寺からも夫人の病をねんごろにお見舞いになる御使いがたびたび来た。 夫人の病気は同じ状態のままで二月も終わった。院は言い尽くせぬほどの心痛をしておいでになって、試みに場所を変えさせたらとお考えになって、二条の院へ病女王をお移しになった。六条院の人々は皆大厄難が来たように、悲しんでいる。冷泉院も御心痛あそばされた。この夫人にもしものことがあれば六条院は必ず出家を遂げられるであろうことは予想されることであったから、大将なども誠心誠意夫人の病気回復をはかるために奔走しているのであった。院が仰せられる祈祷のほかに大将は自身の志での祈祷もさせていた。少し知覚の働く時などに夫人は、 「お願いしていますことをあなたはお拒みになるのですもの」 と、院をお恨みした。力の及ばぬ死別にあうことよりも、生きながら自分から遠く離れて行かせるようなことを見ては、片時も生きるに堪えない気があそばされる院は、 「昔から私のほうが出家のあこがれを多く持っていながら、あなたが取り残されて寂しく暮らすことを思うのは、堪えられないことなので、こうしてまだ俗世界に残っているのに、逆にあなたが私を捨てようと思うのですか」 こんなにばかりお言いになって御同意をあそばされないのが悪いのか、夫人の病体は頼み少なく衰弱していった。もう臨終かと思われることも多いためにまた尼にさせようかとも院はお惑いになるのであった。こんなことで女三の宮のほうへは仮の訪問すらあそばされなかった。どこでも楽器はしまい込まれて、六条院の人々は皆二条のほうへ集まって行った。このお邸は火の消えたようであった。ただ夫人たちだけが残っているのであるが、これを見れば六条院のはなやかさは紫の女王一人のために現出されていたことのように思われた。女御も二条の院のほうへ来て御父子で看護をされた。 「あなたは普通のお身体でないのですから、物怪の徘徊する私の病室などにはおいでにならないで、早く御所へお帰りなさいね」 と、病苦の中でも夫人は心配して言うのであった。若宮のおかわいらしいのを見ても夫人は非常に泣くのであった。 「大きくおなりになるのを拝見できないのが悲しい。お忘れになるでしょう」 などと言うのを聞く女御も悲しかった。 「そんな縁起でもないことを思ってはいけませんよ。悪いようでもそんなことにはならないだろうと思う自身の性格で運命も支配していくことになりますからね。狭い心を持つ者は出世をしても寛大な気持ちでいられないものだから失敗する。善良な、おおような人は自然に長命を得ることになる例もたくさんあるのだから、あなたなどにそんな悲しいことは起こってきませんよ」 などと院はお慰めになるのであった。神仏にも夫人の善良さ、罪の軽さを告げて目に見えぬ加護を祈らせておいでになるのである。修法をする阿闍梨たち、夜居の僧などは院の御心痛のはなはだしさを拝見することの心苦しさに一心をこめて皆祈った。少し快い日が間に五、六日あって、また悪いというような容体で、幾月も夫人は病床を離れることができなかったから、やはり助かりがたい命なのかと院はお歎きになった。物怪で人に移されて現われるものもない。どこが悪いということもなくて日に添えて夫人は衰弱していくのであったから、院は悲しくばかり思召されて、いっさいほかのことはお思いになれなかった。 あの衛門督は中納言になっていた。衛門督の官も兼ねたままである。当代の天子の御信任を受けてはなやかな勢力のついてくるにつけても、失恋の苦を忘れかねて、女三の宮の姉君の二の宮と結婚をした。これは低い更衣腹の内親王であったから、心安い気がして格別の尊敬を妻に払う必要もないと思って、院からお引き受けをしたのである。普通の人に比べてはすぐれた女性ではおありになったが初めから心に沁んだ人に変えるだけの愛情は衛門督に起こらなかった。ただ人目に不都合でないだけの良人の義務を尽くしているに過ぎないのであった。今も以前の恋の続きにその方のことを聞き出す道具に使っている女三の宮の小侍従という女は、宮の侍従の乳母の娘なのである。その乳母の姉が衛門督の乳母であったから、この人は少年のころから宮のお噂を聞いていた。お美しいこと、父帝が溺愛しておいでになることなどを始終聞かされていたのがこの恋の萌芽になったのである。 六条院が病夫人と二条の院へお移りになっていて、ひまであろうことを思って小侍従を衛門督は自邸へ迎えて、熱心に話すのはまたそのことについてであった。 「昔から命にもかかわるほどの恋をしていて、しかも都合のよいあなたという手蔓を持っていて、宮様の御様子も聞くことができ、私の煩悶していることも相当にお伝えしてもらっているはずなのだが、少しも見るに足る効果がないから残念でならない。あなたが恨めしくなるよ。法皇様さえも、宮様が幾人もの妻の中の一人におなりになって、第一の愛妻はほかの方であるというわけで、一人お寝みになる夜が多く、つれづれに暮らしておいでになるのをお聞きになって、御後悔をあそばしたふうで、結婚をさせるのであったら普通人の忠実な良人を宮のために選ぶべきだったとお言いになり、女二の宮はかえって幸福で将来が頼もしく見えるではないかと仰せられたということを私は聞いて、お気の毒にも、残念にも思って煩悶しないではいられないではないか。私の宮さんも御姉妹ではあるが、それはそれだけの方としておくのだよ」 と衛門督が歎息をしてみせると、小侍従は、 「まあもったいない。それはそれとしてお置きになって、また何をどうしようというのでしょう」 ととがめた。衛門督は微笑を見せて、 「まあ世の中のことは皆そうしたもので、表も裏もあるものなのだよ。私が三の宮さんの熱心な求婚者であったことは、法皇様も陛下もよく御承知で、陛下はその時代に十分見込みはありそうだよ、とも仰せられたものなのだが、もう少しの御好意が不足していたわけだと私は思っている」 などと言う。 「それはだめですよ。むずかしいことですよ。運命もありますし、六条院様が求婚者になって現われておいでになっては、どの競争者だって勝ち味はないと思いますけれど、あなただけはたいへんな御自信があったのですね。近ごろになりましてこそ御官服の色が濃くおなりになったようでございますがね」 こんなふうにまくし立てる小侍従の攻撃にはかなわないことを衛門督は思った。 「もう昔のことは言わないよ。ただね、このごろのようなまたとない好機会にせめてお居間の近くへまで行って、私の苦しんでいる心を少しだけお話しさせてくれることを計らってくれないか。もったいない欲念などは見ていてごらん、もういっさい起こさないことにあきらめているのだから、いいだろう」 「それ以上のもったいない欲心がありますかしら。恐ろしい望みをお起こしになったものですね、私は出てまいらなければよかった」 強硬に小侍従は拒む。 「ひどいことを言うものではないよ。たいそうらしく何を言うのだ。后といっても恋愛問題をかつてお起こしになった人もないわけではないよ。まして宮中のことではなしさ、ほかからは結構なお身の上に見られておいでになっても、口惜しいこともあれでは多かろうじゃないか。法皇様からはどのお子様よりも大事がられて御成人なすって、今は同じだけの御身分でない方と同等の一人の夫人で、しかも最愛の方としてはお扱われにならないというくわしいことを私は知っているのだよ。人は無常の世界にいるのだから、君が宮の御幸福をこうして守ろうとしていることが皆むだなことになるかもしれないからね。私に冷酷なことを言っておかないほうがいいよ」 「人ほど大事がられない奥様だとお言いになって、それをあなたの力でよくしていただけるというのですか。六条院様と宮様は普通の夫婦というのでもありませんよ。保護者もなく一人でおいでになりますよりはという思召しで親代わりにお頼みになったのですもの。院がお引き受けになりましたのもその気持ちでなすったことですもの、つまらないことを言って、結局は宮様を悪くあなたはおっしゃるのですね」 ついには腹をたててしまった小侍従の機嫌を衛門督はとっていた。 「ほんとうのことを言えば、あのまれな美貌の六条院様を良人にお持ちになる宮様に、お目にかかって自身が好意を持たれようとは考えても何もいないのだよ。ただ一言を物越しに私がお話しするだけのことで、宮様の尊厳をそこねることはないじゃないか。神や仏にでも思っていることを言って咎や罰を受けはしないじゃないか」 こう言って衛門督は絶対に不浄なことは行なわないという誓いまでも立てて、ひそかに御訪問をするだけの手引きを頼むのを、初めのうちは強硬にあるまじいことであると小侍従は突きはねていたが、もともとあさはかな若い女房であるから、こうまでも思い込むものかと、熱心な頼みに動かされて、 「もしそんなことによいような隙が見つかりましたら御案内いたしましょう。院がおいでにならぬ晩はお几帳のまわりに女房がたくさんいます。お帳台には必ずだれかが一人お付きしているのですから、どんな時にそうしたよいおりがあるものでしょうかね」 と困ったように言いながら小侍従は帰って行った。 どうだろう、どうだろうと毎日のように衛門督から責めて来られる小侍従は困りながらしまいにある隙のある日を見つけて衛門督へ知らせてやった。督は喜びながら目だたぬふうを作って小侍従を訪ねて行った。衛門督自身もこの行動の正しくないことは知っているのであるが、物越しの御様子に触れては物思いがいっそうつのるはずの明日までは考えずに、ただほのかに宮のお召し物の褄先の重なりを見るにすぎなかったかつての春の夕べばかりを幻に見る心を慰めるためには、接近して行って自身の胸中をお伝えして、それからは一行の文のお返事を得ることにもなればというほどの考えで、宮が憐んでくださるかもしれぬというはかない希望をいだいている衛門督でしかなかった。これは四月十幾日のことである。明日は賀茂の斎院の御禊のある日で、御姉妹の斎院のために儀装車に乗せてお出しになる十二人の女房があって、その選にあたった若い女房とか、童女とかが、縫い物をしたり、化粧をしたりしている一方では、自身らどうしで明日の見物に出ようとする者もあって、仕度に大騒ぎをしていて、宮のお居間のほうにいる女房の少ない時で、おそばにいるはずの按察使の君も時々通って来る源中将が無理に部屋のほうへ呼び寄せたので、この小侍従だけがお付きしているのであった。よいおりであると思って、静かに小侍従はお帳台の中の東の端へ衛門督の席を作ってやった。これは乱暴な計らいである。宮は何心もなく寝ておいでになったのであるが、男が近づいて来た気配をお感じになって、院がおいでになったのかとお思いになると、その男はかしこまった様子を見せて、帳台の床の上から宮を下へ抱きおろそうとしたから、夢の中でものに襲われているのかとお思いになって、しいてその者を見ようとあそばすと、それは男であるが院とは違った男であった。これまで聞いたこともおありにならぬような話を、その男はくどくどと語った。宮は気味悪くお思いになって、女房をお呼びになったが、お居間にはだれもいなかったからお声を聞きつけて寄って来る者もない。宮はお慄い出しになって、水のような冷たい汗もお身体に流しておいでになる。失心したようなこの姿が非常に御可憐であった。 「私はつまらぬ者ですが、それほどお憎まれするのが至当だとは思われません。昔からもったいない恋を私はいだいておりましたが、結局そのままにしておけば闇の中で始末もできたのですが、あなた様をお望み申すことを発言いたしましたために、院のお耳にはいり、その際はもってのほかのこととも院は仰せられませんでした。それも私の地位の低さにあなた様を他へお渡しする結果になりました時、私の心に受けました打撃はどんなに大きかったでしょう。もうただ今になってはかいのないことを知っておりまして、こうした行動に出ますことは慎んでいたのですが、どれほどこの失恋の悲しみは私の心に深く食い入っていたのか、年月がたてばたつほど口惜しく恨めしい思いがつのっていくばかりで、恐ろしいことも考えるようになりました。またあなた様を思う心もそれとともに深くなるばかりでございました。私はもう感情を抑制することができなくなりまして、こんな恥ずかしい姿であるまじい所へもまいりましたが、一方では非常に思いやりのないことを自責しているのですから、これ以上の無礼はいたしません」 こんな言葉をお聞きになることによって、宮は衛門督であることをお悟りになった。非常に不愉快にお感じにもなったし、怖ろしくもまた思召されもして少しのお返辞もあそばさない。 「あなた様がこうした冷ややかなお扱いをなさいますのはごもっともですが、しかしこんなことは世間に例のないことではないのでございますよ。あまりに御同情の欠けたふうをお見せになれば、私は情けなさに取り乱してどんなことをするかもしれません。かわいそうだとだけ言ってください。そのお言葉を聞いて私は立ち去ります」 とも、手を変え品を変え宮のお心を動かそうとして説く衛門督であった。想像しただけでは非常な尊厳さが御身を包んでいて、目前で恋の言葉などは申し上げられないもののように思われ、熱情の一端だけをお知らせし、その他の無礼を犯すことなどは思いも寄らぬことにしていた督であったにかかわらず、それほど高貴な女性とも思われない、たぐいもない柔らかさと可憐な美しさがすべてであるような方を目に見てからは、衛門督の欲望はおさえられぬものになり、どこへでも宮を盗み出して行って夫婦になり、自分もそれとともに世間を捨てよう、世間から捨てられてもよいと思うようになった。 少し眠ったかと思うと衛門督は夢に自分の愛している猫の鳴いている声を聞いた。それは宮へお返ししようと思ってつれて来ていたのであったことを思い出して、よけいなことをしたものだと思った時に目がさめた。この時にはじめて衛門督は自身の行為を悟ったのである。が宮はあさましい過失をして罪に堕ちたことで悲しみにおぼれておいでになるのを見て、 「こうなりましたことによりましても、前生の縁がどんなに深かったかを悟ってくださいませ。私の犯した罪ですが、私自身も知らぬ力がさせたのです」 不意に猫が端を引き上げた御簾の中に宮のおいでになった春の夕べのことも衛門督は言い出した。そんなことがこの悲しい罪に堕ちる因をなしたのかと思召すと、宮は御自身の運命を悲しくばかり思召されるのであった。もう六条院にはお目にかかれないことをしてしまった自分であるとお思いになることは、非常に悲しく心細くて、子供らしくお泣きになるのを、もったいなくも憐れにも思って、自分の悲しみと同時に恋人の悲しむのを見るのは堪えがたい気のする督であった。夜が明けていきそうなのであるが、帰って行けそうにも男は思われない。 「どうすればよいのでしょう。私を非常にお憎みになっていますから、もうこれきり逢ってくださらないことも想像されますが、ただ一言を聞かせてくださいませんか」 宮はいろいろとこの男からお言われになるのもうるさく、苦しくて、ものなどは言おうとしてもお口へ出ない。 「何だか気味が悪くさえなりましたよ。こんな間柄というものがあるでしょうか」 男は恨めしいふうである。 「私のお願いすることはだめなのでしょう。私は自殺してもいい気にもとからなっているのですが、やはりあなたに心が残って生きていましたものの、もうこれで今夜限りで死ぬ命になったかと思いますと、多少の悲しみはございますよ。少しでも私を愛してくださるお心ができましたら、これに命を代えるのだと満足して死ねます」 と言って、衛門督は宮をお抱きして帳台を出た。隅の室の屏風を引き拡げ蔭を作っておいて、妻戸をあけると、渡殿の南の戸がまだ昨夜はいった時のままにあいてあるのを見つけ、渡殿の一室へ宮をおおろしした。まだ外は夜明け前のうす闇であったが、ほのかにお顔を見ようとする心で、静かに格子をあげた。 「あまりにあなたが冷淡でいらっしゃるために、私の常識というものはすっかりなくされてしまいました。少し落ち着かせてやろうと思召すのでしたら、かわいそうだとだけのお言葉をかけてください」 衛門督が威嚇するように言うのを、宮は無礼だとお思いになって、何かとがめる言葉を口から出したく思召したが、ただ慄えられるばかりで、どこまでも少女らしいお姿と見えた。ずんずん明るくなっていく。あわただしい気になっていながら、男は、 「理由のありそうな夢の話も申し上げたかったのですけれど、あくまで私をお憎みになりますのもお恨めしくてよしますが、どんなに深い因縁のある二人であるかをお悟りになることもあなたにあるでしょう」 と言って出て行こうとする男の気持ちに、この初夏の朝も秋のもの悲しさに過ぎたものが覚えられた。
おきて行く空も知られぬ明けぐれにいづくの露のかかる袖なり
宮のお袖を引いて督のこう言った時、宮のお心はいよいよ帰って行きそうな様子に楽になって、
あけぐれの空にうき身は消えななん夢なりけりと見てもやむべく
とはかなそうにお言いになる声も、若々しく美しいのを聞きさしたままのようにして、出て行く男は魂だけ離れてあとに残るもののような気がした。 夫人の宮の所へは行かずに、父の太政大臣家へそっと衛門督は来たのであった。夢と言ってよいほどのはかない逢う瀬が、なおありうることとは思えないとともに、夢の中に見た猫の姿も恋しく思い出された。大きな過失を自分はしてしまったものである。生きていることがまぶしく思われる自分になったと恐ろしく、恥ずかしく思って、督はずっとそのまま家に引きこもっていた。 恋人の宮のためにも済まないことであるし、自身としてもやましい罪人になってしまったことは取り返しのつかぬことであると思うと、自由に外へ出て行ってよい自分とは思われなかったのである。陛下の寵姫を盗みたてまつるようなことをしても、これほどの熱情で愛している相手であったなら、処罰を快く受けるだけで、このやましさはないはずである。そうした咎は受けないであろうが、六条院が憎悪の目で自分を御覧になることを想像することは非常な恐ろしい、恥ずかしいことであると衛門督は思っていた。 貴女と言っても少し蓮葉な心が内にあって、表面が才女らしくもあり、無邪気でもあるような見かけとは違った人は誘惑にもかかりやすく、無理な恋の会合を相手としめし合わせてすることにもなりやすいのであるが、女三の宮は深さもないお心ではあるが、臆病一方な性質から、もう秘密を人に発見されてしまったようにも恐ろしがりもし、恥じもしておいでになって、明るいほうへいざって出ることすらおできにならぬまでになっておいでになって、悲しい運命を負った自分であるともお悟りになったであろうと思われる。宮が御病気のようであるという知らせをお受けになって、六条院は、はなはだしく悲しんでおいでになる夫人の病気のほかに、またそうした心痛すべきことが起こったかと驚いて見舞いにおいでになったが、宮は別にどこがお悪いというふうにも見えなかった。ただ非常に恥ずかしそうにして、そしてめいっておいでになった。院のお目を避けるようにばかりして、下を向いておいでになるのを、久しく訪ねなかった自分を恨めしく思っているのであろうと、院のお目にそれが憐れにも、いたいたしいようにも映って、紫夫人の容体などをお話しになり、 「もうだめになるのでしょう。最後になって冷淡に思わせてやりたくないと考えるものですから付いていっているのですよ。少女時代から始終そばに置いて世話をした妻ですから、捨てておけない気もして、こんなに幾月もほかのことは放擲したふうで付ききりで看護もしていますが、またその時期が来ればあなたによく思ってもらえる私になるでしょう」 などとお言いになるのを、宮は聞いておいでになって、あの罪は気ぶりにもご存じないことを、お気の毒なことのようにも、済まないことのようにもお思いになって、人知れず泣きたい気持ちでおいでになった。 衛門督の恋はあのことがあって以来、ますますつのるばかりで、はげしい煩悶を日夜していた。賀茂祭りの日などは見物に出る公達がおおぜいで来て誘い出そうとするのであったが、病気であるように見せて寝室を出ずに物思いを続けていた。夫人の女二の宮には敬意を払うふうに見せながらも、打ち解けた良人らしい愛は見せないのである。督は夫人の宮のそばでつれづれな時間をつぶしながらも心細く世の中を思っているのであった。童女が持っている葵を見て、
悔しくもつみをかしける葵草神の許せる挿頭ならぬに
こんな歌が口ずさまれた。後悔とともに恋の炎はますます立ちぼるようなわけである。町々から聞こえてくる見物車の音も遠い世界のことのように聞きながら、退屈に苦しんでもいるのであった。女二の宮も衛門督の態度の誠意のなさをお感じになって、それは何がどうとはおわかりにならないのであるが、御自尊心が傷つけられているようで、物思わしくばかり思召された。女房などは皆祭りの見物に出て人少なな昼に、寂しそうな表情をあそばして十三絃の琴を、なつかしい音に弾いておいでになる宮は、さすがに高貴な方らしいお美しさと艶な趣は備わってお見えになるのであるが、ただもう少しの運が足りなかったのだと衛門督は自身のことを思っていた。
もろかづら落ち葉を何に拾ひけん名は睦まじき挿頭なれども
こんな歌をむだ書きにしていた。もったいないことである。 院はまれにお訪ねになった宮の所からすぐに帰ることを気の毒にお思いになり、泊まっておいでになったが、病夫人を気づかわしくばかり思っておいでになる所へ使いが来て、急に息が絶えたと知らせた。院はいっさいの世界が暗くなったようなお気持ちで二条の院へ帰ってお行きになるのであったが、車の速度さえもどかしく思っておいでになると、二条の院に近い大路はもう立ち騒ぐ人で満たされていた。邸内からは泣き声が多く聞こえて、大きな不祥事のあることは覆いがたく見えた。夢中で家へおはいりになったが、 「この二、三日は少しお快いようでございましたのに、にわかに絶息をあそばしたのでございます」 こんな報告をした女房らが、自分たちも、いっしょに死なせてほしいと泣きむせぶ様子も悲しかった。もう祈祷の壇は壊たれて、僧たちもきわめて親しい人たちだけが残ってもそのほかのは仕事じまいをして出て行くのに忙しいふうを見せている。こうしてもう最愛の妻の命は人力も法力も施しがたい終わりになったのかと、院はたとえようもない悲しみをお覚えになった。 「しかしこれは物怪の所業だろうと思われる。あまりに取り乱して泣くものでない」 と院は泣く女房たちを制して、またまた幾つかの大願をお立てになった。そしてすぐれた修験の僧をお集めになり、 「これが定まった命数でも、しばらくその期をゆるめていただきたい、不動尊は人の終わりにしばらく命を返す約束を衆生にしてくだすった。それに自分たちはおすがりする。それだけの命なりとも夫人にお授けください」 こう僧たちは言って、頭から黒煙を立てると言われるとおりの熱誠をこめて祈っていた。院も互いにただ一目だけ見合わす瞬間が与えられたい、最後の時に見合わせることのできなかった残念さ悲しさから長く救われたいと言ってお歎きになる御様子を見ては、とうていこの夫人のあとにお生き残りになることはむずかしかろうと思われて、そのことをまた人々の歎くことも想像するにかたくない。 この院の夫人への大きな愛が御仏を動かしたのか、これまで少しも現われてこなかった物怪が、小さい子供に憑って来て、大声を出し始めたのと同時に夫人の呼吸は通ってきた。院はうれしくも思召され、また不安でならぬようにも思召された。物怪は僧たちにおさえられながら言う、 「皆ここから遠慮をするがよい。院お一人のお耳へ申し上げたいことがある。私の霊を長く法力で苦しめておいでになったのが無情な恨めしいことですから、懲らしめを見せようと思いましたが、さすがに御自身の命も危険なことになるまで悲しまれるのを見ては、今こそ私は物怪であっても、昔の恋が残っているために出て来る私なのですから、あなたの悲しみは見過ごせないで姿を現わしました。私は姿など見せたくなかったのだけれど」 と物怪は叫んだ。髪を顔に振りかけて泣く様子は、昔一度御覧になった覚えのある物怪であった。その当時と同じ無気味さがお心に湧いてくるのも恐ろしい前兆のようにお思われになって、その子供の手を院はお捉えになって、前へおすわらせになり、あさましい姿はできるだけ人に見させまいとお努めになった。 「ほんとうにその人なのか。悪い狐などが故人を傷つけるためにでたらめを言ってくることがあるから、確かなことを言うがいい。他人の知らぬことで私にだけ合点のゆくことを何か言ってみるがいい。そうすれば少しは信じてもいい」 院がこうお言いになると、物怪はほろほろと涙を流しながら、悲しそうに泣いた。
「わが身こそあらぬさまなれそれながら空おぼれする君は君なり
恨めしい、恨めしい」 と泣き叫びながらもさすがに羞恥を見せるふうが昔の物怪に違う所もなかった。嘘でないことからかえってうとましい気がよけいにして情けなくお思われになるので、ものを多く言わすまいと院はされた。 「中宮に尽くしてくださいますことはうれしい、ありがたいこととはあの世からも見ておりますが、あの世界の人になっては子の愛というものを以前ほど深くは感じないのですか、恨めしいとお思いしたあなたへの執着だけがこんなふうにもなって残っています。その恨みの中でも、生きていますころにほかの人よりも軽くお扱いになったことよりも、夫婦のお話の中で私を悪くお言いになったことが私をくやしくさせました。もう私は死んでいるのですから、私が悪くってもあなたはよくとりなして言ってくだすっていいではありませんか。そうお恨みしただけで、こんな身になっていますと大形な表示にもなったのです。奥様を深く恨んでいませんが、法の護りが強くて近づけないので反抗してみただけです。あなたのお声もほのかに承ることができましたからもういいのです。私の罪の軽くなるような方法を講じてください。修法、読経の声は私にとって苦しい焔になってまつわってくるだけです。尊い仏の慈悲の声に接したいのですが、それを聞くことのできないのは悲しゅうございます。中宮にもこのことをお話しくださいませ。後宮の生活をするうちに人を嫉妬するような心を起こしてはならない、斎宮をお勤めになった間の罪を御仏に許していただけるだけの善根を必ずなさい、あの世で苦しむことをよく考えなければならないとね」 などと言うが、物怪に向かってお話しになることもきまり悪くお思いになって、物怪がまた出ぬように法の力で封じこめておいて、病夫人を他の室へお移しになった。 紫夫人が死んだという噂がもう世間に伝わって弔詞を述べに来る人たちのあるのを不吉なことに院はお思いになった。今日の祭りの帰りの行列を見物に出ていた高官たちが、帰宅する途中でその噂を聞いて、 「たいへんなことだ。生きがいのあった幸福な女性が光を隠される日だから小雨も降り出したのだ」 などと解釈を下す人もあった。また、 「あまりに何もかもそろった人というものは短命なものなのだ。『何をさくらに』(待てといふに散らでしとまるものならば何を桜に思ひまさまし)という歌のように、そうした人が長生きしておれば、一方で不幸に甘んじていなければならぬ人も多くできるわけだ。二品の宮が院の御寵愛を一身にお集めになる日もこれで来るだろう。あまりにお気の毒なふうだったからね」 などとも言う人があった。衛門督は引きこもっていた昨日の退屈さに懲りて今日は弟の左大弁、参議などの車の奥に乗って見物に出ていた町で、人の言い合っている噂が耳にはいった時に、この人は一種変わった胸騒ぎがした。「散ればこそいとど桜はめでたけれ」(何か浮き世に久しかるべき)などとも口ずさみながら同車の人々とともに二条の院へ参った。まだ確かでないことであるから、形式を病気見舞いにして行ったのであるが、女房の泣き騒いでいる時であったから、真実であったかとさらに驚かれた。ちょうど式部卿の宮がお駈けつけになった時で、萎れたふうで宮は内へおはいりになった。押し寄せて来た多数の見舞い客の挨拶はまだことごとくは取り次ぎきれずに、家従たちの忙しがっている所へ左大将が涙をふきながら出て来た。 「どんなふうでいらっしゃるのですか。不吉なことを言う人があるのを私たちは信じることができないで伺ったのです。ただ長い御疾患を御心配申し上げて参ったのです」 などと衛門督は言った。 「重態のままで長く病んでおられたのですが、今朝の夜明けに絶息されたのは、それは物怪のせいだったのです。ようやく呼吸が通うようになったと言って皆一安心しましたが、まだ頼もしくは思われないのですからね。気の毒でね」 と言う大将には実際今まで泣き続けていたという様子が残っていた。目も少しは腫れていた。衛門督は自身のだいそれた心から、大将が親しむこともなかった継母のことでこうまで悲しむのは不思議なことであると目をつけた。こんなふうに高官らも見舞いに集まって来たことをお聞きになって、院からの御挨拶が伝えられた。 「重い病人に急変が来たように見えましたために女房らが泣き騒ぎをいたしましたので、私自身もつい心の平静をなくしているおりからですから、またほかの日に改めて御好意に対するお礼を申しましょう」 院のお言葉というだけで、もう衛門督の胸は騒ぎ立っていたのである。こうした混雑紛れでなくては自分の来られない場所であることを知っているのであるから腹ぎたないふるまいである。 蘇生したのちをまだ恐ろしいことに院はお思いになって、夫人のためにもろもろの法力の加護をお求めになった。生霊で現われた時さえも恐ろしかった物怪が、今度は死霊になっているのであるから、宗教画に描かれてある恐ろしい形相も想像されて、気味悪く、情けなく思召された院は、中宮のお世話をされることもこの時だけは気の進まぬことに思召されたが、しかしその人には限らず女というものは皆同じように、人間の深い罪の原因を作るものであるから、人生のすべてがいやなものに思われるとお考えになり、あれは他人がだれも聞かぬ夫婦の間の話の中にただ少し言ったことに過ぎなかったのにと、そんなことをお思い出しになると、いよいよ愛欲世界がうるさくお考えられになるのであった。ぜひ尼になりたいと夫人が望むので、頭の頂の髪を少し取って、五戒だけをお受けさせになった。戒師が完全に仏の戒めを守る誓いを、仏前で尊い言葉で述べる時に、院は体面もお忘れになり、夫人に寄り添って涙を拭いつつ夫人とともに仏を念じておいでになったのを見ると、聡明な貴人も御愛妻の病に仏へおすがりになる心は凡人に変わらないことがわかった。どんな方法を講じて夫人の病を救い、長く生命を保たせようかと夜昼お歎きになるために、院のお顔にも少し痩せが見えるようになった。五月などはまして気候が悪くて病夫人の容体がさわやいでいくとも見えなかったが、以前よりは少しいいようであった。しかもまだ苦しい日々が時々夫人にあった。院は物怪の罪を救うために、日ごとに法華経一巻ずつを供養させておいでになった。そのほか何かと宗教的な営みを多くあそばされた。病床のかたわらで不断の読経もさせておいでになるのであって、声のいい僧を選んでそれにはあてておありになった。一度現われて以来おりおり出て物怪は悲しそうなことを言うのであって、全然退いては行かないのである。暑い夏の日になっていよいよ病夫人の衰弱ははげしくなるばかりであるのを院は歎き続けておいでになった。病に弱っていながらも院のこの御様子を夫人は心苦しく思い、自分の死ぬことは何でもないがこんなにお悲しみになるのを知りながら死んでしまうのは思いやりのないことであろうから、その点で自分はまだ生きるように努めねばならぬと、こんな気が起こったころから、米湯なども少しずつは取ることになったせいか、六月になってからは時々頭を上げて見ることもできるようになった。珍しくうれしくお思いになりながら、なお院は御不安で六条院へかりそめに行って御覧になることもなかった。
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