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源氏物語(げんじものがたり)35 若菜(下)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-6 9:56:02 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 法皇は仏勤めに精進あそばされて、政治のことなどには何の干渉もあそばさない。春秋の行幸みゆきをお迎えになる時にだけ昔の御生活がお心の上に姿を現わすこともあるのであった。女三にょさんみやをなお気がかりに思召おぼしめされて、六条院は形式上の保護者と見て、内部からの保護をみかどにお託しになった。それで女三の宮は二品にほんの位にお上げられになって、得させられる封戸ふこの数も多くなり、いよいよはなやかなお身の上になったわけである。紫夫人は一方の夫人の宮がこんなふうに年月に添えて勢力の増大していくのに対して、自分はただ院の御愛情だけを力にして今の所はけ目がないとしても、そのお志というものも遂には衰えるであろう、そうした寂しい時にあわない前に今のうちに善処したいとは常に思っていることであったが、あまりに賢がるふうに思われてはという遠慮をして口へたびたびは出さないのである。院は法皇だけでなく帝までが関心をお持ちになるということがおそれおおく思召されて、冷淡にするうわさを立てさすまいというお心から、今ではあちらへおいでになることと、こちらにおられることとがちょうど半々ほどになっていた。道理なこととは思いながらもかねて思ったとおりの寂しい日の来始めたことに女王にょおうは悲しまれたが、表面は冷静に以前のとおりにしていた。東宮に次いでお生まれになった女一の宮を紫夫人は手もとへお置きしてお育て申し上げていた。そのお世話の楽しさに院のお留守るすの夜の寂しさも慰められているのであった。御孫の宮はどの方をも皆非常にかわいく夫人は思っているのである。花散里はなちるさと夫人は紫夫人も明石夫人も御孫宮がたのお世話に没頭しているのがうらやましくて、左大将の典侍ないしのすけに生ませた若君を懇望して手もとへ迎えたのを愛して育てていた。美しい子でりこうなこの孫君を院もおかわいがりになった。院は御子の数が少ないように見られた方であるが、こうして広く繁栄する御孫たちによって満足をしておいでになるようである。右大臣が院を尊敬して親しくお仕えすることは昔以上で、玉鬘たまかずらももう中年の夫人になり、何かの時には六条院へたずねて来て紫夫人にもって話し合うほかにも親しみ深い往来ゆききが始終あった。姫宮だけは今日もなお少女おとめのようなたよりなさで、また若々しさでおいでになった。もう宮廷の人になりきってしまった女御に気づかいがなくおなりになった院は、この姫宮を幼い娘のように思召して、この方の教育に力を傾けておいでになるのであった。
 朱雀すざく院の法皇はもう御命数も少なくなったように心細くばかり思召されるのであるが、この世のことなどはもう顧みないことにしたいとお考えになりながらも、女三の宮にだけはもう一度お逢いあそばされたかった。このままくなって心の残るのはよろしくないことであるから、たいそうにはせず宮がたずねておいでになることをお言いやりになった。院も、
「ごもっともなことですよ。こんな仰せがなくともこちらから進んでお伺いをなさらなければならないのに、ましてこうまでお待ちになっておられるのだから、実行しないではお気の毒ですよ」
 とお言いになり、機会をどんなふうにして作ろうかと考えておいでになった。何でもなくそっと伺候をするようなことはみすぼらしくてよろしくない。法皇をお喜ばせかたがた外見の整ったことがさせたいとお思いになるのである。来年法皇は五十におなりになるのであったから、若菜の賀を姫宮から奉らせようかと院はお思いつきになって、それに付帯した法会ほうえ布施ふせにお出しになる法服の仕度したくをおさせになり、すべて精進でされる御宴会の用意であるから普通のことと変わって、苦心の払われることを今からお指図さしずになっていた。昔から音楽がことにお好きな方であったから、舞の人、楽の人にすぐれたのを選定しようとしておいでになった。右大臣家の下の二人の子、大将の子を典侍腹のも加えて三人、そのほかの御孫も七歳以上の皆殿上勤めをさせておいでになった。それらと、兵部卿ひょうぶきょうの宮のまだ元服前の王子、そのほかの親王がたの子息、御親戚しんせきの子供たちを多く院はお選びになった。殿上人たちの舞い手も容貌ようぼうがよくて芸のすぐれたのをりととのえて多くの曲の用意ができた。非常な晴れな場合と思ってその人たちは稽古けいこを励むために師匠になる専門家たちは、舞のほうのも楽のほうのも繁忙をきわめていた。女三の宮は琴の稽古を御父の院のお手もとでしておいでになったのであるが、まだ少女時代に六条院へお移りになったために、どんなふうにその芸はなったかと法皇は不安に思召して、
「こちらへ来られた時に宮の琴の音が聞きたい。あの芸だけは仕上げたことと思うが」
 と言っておいでになることが宮中へも聞こえて、
「そう言われるのは決して平凡なお手並みでない芸に違いない。一所懸命に法皇の所へ来ておきになるのを自分も聞きたいものだ」
 などと仰せられたということがまた六条院へ伝わって来た。院は、
「今までも何かの場合に自分からも教えているが、質はすぐれているがまだたいした芸になっていないのを、何心なくお伺いされた時に、ぜひ弾けと仰せになった場合に、恥ずかしい結果を生むことになってはならない」
 とお言いになって、それから女三の宮に熱心な琴の教授をお始めになった。変わったものを二、三曲、また大曲の長いのが四季の気候によって変わる音、寒い時と空気の暖かい時によっての弾き方を変えねばならぬことなどの特別な奥義をお教えになるのであったが、初めはたよりないふうであったものの、お心によくはいってきて上手じょうずにおなりになった。昼は人の出入りの物音の多さに妨げられて、いとすったり、おさえて変わる音の繊細な味を研究おさせになるのに不便なために、夜になってから静かに教うべきであるとお言いになって、女王にょおうの了解をお求めになって院はずっと宮の御殿のほうへお泊まりきりになり、朝夕のお稽古けいこの世話をあそばされた。女御にょごにも女王にも琴はお教えにならなかったのであったから、このお稽古の時に珍しい秘曲もお弾きになるのであろうことを予期して、女御も得ることの困難なおいとまをようやくしばらく得て帰邸したのであった。もう皇子を二人お持ちしているのであるが、また妊娠して五月ほどになっていたから、神事の多い季節は御遠慮したいと言ってお暇を願って来たのである。
 十一月が過ぎるともどるようにと宮中からの御催促が急であるのもさしおいて、このごろの楽ののおもしろさに女御は六条院を去りがたいのであった。なぜ自分には教えていただけなかったのかと院を恨めしくお思いもしていた。普通と変わって冬の月を最もお好みになる院は、雪のある月夜にふさわしい琴の曲をお弾きになって、女房の中の楽才のあるのに他に楽器で合奏をさせたりして楽しんでおいでになった。
 年末などはことに対の女王が忙しくていっさいの心配こころくばりのほかに、女御、宮たちのための春の仕度したくに追われて、
「春ののどかな気分になった夕方などにこの琴の音をよくお聞きしたい」
 などと言っていたが年も変わった。
 年の初めにまずみかどからのはなやかな御賀を法皇はお受けになることになっていて、差し合ってはよろしくないと院は思召し、少したった二月の十幾日のころと姫宮の奉られる賀の日をおめになり、楽の人、舞い手は始終六条院へ来てその下稽古を熱心にする日が多かった。
「対の女王がいつもお聞きしたがっているあなたの琴と、その人たちの十三げん琵琶びわを一度合奏する女ばかりの催しをしたい。現代の大家といっても私の家族たちの音楽に対する態度より純真なものを持っていませんよ。私はたいした音楽者ではないが、すべての芸に通じておきたいと思って、少年の時から世間の専門家を師にしてつきもしたし、また貴族の中の音楽の大家たちにも教えをうたものですが、特に尊敬すべき芸を持った人と思われるのはなかった。その時代よりもまた現在では音楽をやる人の素質が悪くなって、芸が浅薄になっていると思う。琴などはまして稽古をする者がなくなったということですからあなただけ弾ける人はあまりないでしょう」
 と院がお言いになると、宮は無邪気に微笑ほほえんで、自分の芸がこんなにも認められるようになったかと喜んでおいでになった。もう二十一、二でおありになるのであるが、幼稚な所が抜けないで、そして見たお姿だけは美しかった。
「長くお目にかからないでおいでになるのだから、大人になってりっぱになったと認めていただけるようにしてお目にかからなければいけませんよ」
 と事に触れて院は教えておいでになるのであった。実際こうした良人おっとがおいでにならなければ外間のいろいろなうわさにさえされる方であったかもしれぬと女房たちは思っていた。
 一月の二十日過ぎにはもうよほど春めいてぬるい微風そよかぜが吹き、六条院の庭の梅も盛りになっていった。そのほかの花も木も明日の約されたような力が見えて、もりかすみ渡っていた。
「二月になってからでは賀宴の仕度したくで混雑するであろうし、こちらだけですることもその時の下調べのように思われるのも不快だから、今のうちがよい、あちらで会をなさい」
 と院はお言いになって女王を寝殿のほうへお誘いになった。供をしたいという希望者は多かったが、寝殿の人と知り合いになっている以外の人は残された。少し年はいっている人たちであるがりっぱな女房たちだけが夫人に添って行った。童女は顔のいい子が四人ついて行った。朱色の上に桜の色の汗袗かざみを着せ、下には薄色の厚織のあこめ、浮き模様のある表袴おもてばかまはだにはつちの打ち目のきれいなのをつけさせ、身の姿態とりなしも優美なのが選ばれたわけであった。女御の座敷のほうも春の新しい装飾がしわたされてあって、華奢かしゃを尽くした女房たちの姿はめざましいものであった。童女は臙脂えんじの色の汗袗かざみに、支那綾しなあやの表袴で、あこめ山吹やまぶき色の支那にしきのそろいの姿であった。明石夫人の童女は目だたせないような服装をさせて、紅梅色を着た者が二人、桜の色が二人で、下は皆青色を濃淡にした袙で、これも打ち目のでき上がりのよいものを下につけさせてあった。姫宮のほうでも女御や夫人たちの集まる日であったから、童女の服装はことによくさせてお置きになった。青丹あおにの色の服に、柳の色の汗袗かざみで、赤紫のあこめなどは普通の好みであったが、なんとなく気高けだかく感ぜられることは疑いもなかった。縁側に近い座敷の襖子からかみをはずして、貴女たちの席は几帳きちょうを隔てにしてあった。中央の室には院の御座おんざが作られてある。今日の拍子合わせの笛の役には子供を呼ぼうとお言いになって、右大臣家の三男で玉鬘たまかずら夫人の生んだ上のほうの子がしょうの役をして、左大将の長男に横笛の役を命じ縁側へ置かれてあった。演奏者のしとねが皆敷かれて、その席へ院の御秘蔵の楽器が紺錦こんにしきの袋などから出されて配られた。明石夫人は琵琶びわ、紫の女王には和琴わごん、女御はそうの十三げんである。宮はまだ名楽器などはお扱いにくいであろうと、平生弾いておいでになるので調子を院がお弾き試みになったのをお配らせになった。院は、
そうことは絃がゆるむわけではないが、他の楽器と合わせる時に琴柱ことじの場所が動きやすいものなのだから、初めからその心得でいなければならないが、女の力では十分締めることがむずかしいであろうから、やはりこれは大将に頼まなければなるまい。それに拍子を受け持っている少年たちもあまり小さくて信用のできない点もあるから」
 とお笑いになりながら、
「大将にこちらへ」
 とお呼び出しになるのを聞いて、夫人たちは恥ずかしく思っていた。明石夫人以外は皆院の御弟子なのであるから、院も大将が聞いて難のないようにとできばえを祈っておいでになった。女御は平生から陛下の前で他の人と合奏も仕れているからだいじょうぶ落ち着いた演奏はできるであろうが、和琴というものはむずかしい物でなく、きまったことがないだけ創作的の才が必要なのを、女の弾き手はもてあましはせぬか、春の絃楽は皆しっくり他に合ってゆかねばならぬものであるが、和琴がうまくいっしょになってゆかぬようなことはないかとも損な弾き手に同情もしておいでになった。
 左大将は晴れがましくて、音楽会のいかなる場合に立ち合うよりも気のつかわれるふうで、きれいな直衣のうし薫香たきものの香のよくんだ衣服に重ねて、なおもそでをたきしめることを忘れずに整った身姿みなりのこの人が現われて来たころはもう日が暮れていた。感じのよい早春の黄昏たそがれの空の下に梅の花は旧年に見た雪ほどたわわに咲いていた。ゆるやかな風の通り通うごとに御簾みすの中の薫香たきものの香も梅花のにおいを助けるように吹き迷ってうぐいすを誘うかと見えた。御簾の下のほうからそうことのさきのほうを少しお出しになって、院が、
「失礼だがこのいとの締まりぐあいをよく見て調音をしてほしい。他人に来てもらうことのできない場合だから」
 とお言いになると、大将はうやうやしく琴を受け取って、一越いっこつ調のはついとの標準のを置き全体を弾き試みることはせずにそのまま返そうとするのを院は御覧になって、
「調子をつけるだけの一弾きは気どらずにすべきだよ」
 と院がお言いになった。
「今日の会に私がいささかでも音を混ぜますようなだいそれた自信は持っておりません」
 大将は遠慮してこう言う。
「もっともだけれども、女だけの音楽に引きさがった、逃げたと言われるのは不名誉だろう」
 院はお笑いになった。で大将は調子をかき合わせて、それだけで御簾みすの中へ入れた。院の御孫にあたる小さい人たちが美しい直衣のうし姿をして吹き合わせる笛の音はまだ幼稚ではあるが、有望な未来の思われる響きであった。かき合わせが済んでいよいよ合奏になったが、どれもおもしろく思われた中に、琵琶びわはすぐれた名手であることが思われ、神さびたばち使いで澄み切った音をたてていた。大将は和琴に特別な関心を持っていたが、それはなつかしい、柔らかな、愛嬌あいきょうのある爪音つまおとで、逆にかく時の音が珍しくはなやかで、大家のもったいらしくして弾くのに少しも劣らない派手はでな音は、和琴にもこうした弾き方があるかと大将の心は驚かされた。深く精進を積んだ跡がよく現われたことによって院は安心をあそばされて夫人をうれしくお思いになった。十三絃の琴は他の楽器の音の合い間合い間に繊細な響きをもたらすのが特色であって、女御の爪音つまおとはその中にもきわめて美しくえんに聞こえた。琴は他に比べては洗練の足らぬ芸と思われたが、お若い稽古けいこ盛りの年ごろの方であったから、確かな弾き方はされて、ほかの楽器と交響する音もよくて、上達されたものであると大将も思った。この人が拍子を取って歌を歌った。院も時々扇を鳴らしてお加えになるお声が昔よりもまたおもしろく思われた。少し無技巧的におなりになったようである。大将も美音の人で、夜のふけてゆくにしたがって音楽三昧ざんまいの境地が作られていった。月がややおそく出るころであったから、燈籠とうろうが庭のそこここにともされた。院が宮の席をおのぞきになると、人よりも小柄なお姿は衣服だけが美しく重なっているように見えた。はなやかなお顔ではなくて、ただ貴族らしいお美しさが備わり、二月二十日ごろの柳の枝がわずかな芽の緑を見せているようで、うぐいすの羽風にも乱れていくかと思われた。桜の色の細長を着ておいでになるのであるが、髪は右からも左からもこぼれかかってそれも柳の糸のようである。これこそ最上の女の姿というものであろうと院はおながめになるのであったが、女御には同じようなえんな姿に今一段光る美の添って見える所があって、身のとりなしに気品のあるのは、咲きこぼれたふじの花が春から夏に続いて咲いているころの、他に並ぶもののない優越した朝ぼらけの趣であると院は御覧になった。この人は身ごもっていて、それがもうかなりに月が重なって悩ましいころであったから、済んだあとでは琴を前へ押しやって苦しそうに脇息きょうそくへよりかかっているのであるが、背の高くない身体からだを少し伸ばすようにして、普通の大きさの脇息へ寄っているのが気の毒で、低いのを作り与えたい気もされてあわれまれた。紅梅の上着の上にはらはらと髪のかかったかげの姿の美しい横に、紫夫人が見えた。これは紅紫かと思われる濃い色の小袿こうちぎに薄臙脂えんじの細長を重ねたすそに余ってゆるやかにたまった髪がみごとで、大きさもいい加減な姿で、あたりがこの人の美から放射される光で満ちているような女王にょおうは、花にたとえて桜といってもまだあたらないほどの容色なのである。こんな人たちの中に混じって明石夫人は当然見劣りするはずであるが、そうとも思われぬだけの美容のある人で、聡明そうめいらしい品のよさが見えた。柳の色の厚織物の細長に下へ萌葱もえぎかと思われる小袿こうちぎを着て、薄物の簡単なをつけて卑下した姿も感じがよくてあなずらわしくは少しも見えなかった。青地の高麗錦こまにしきふちを取った敷き物の中央にもすわらずに琵琶びわを抱いて、きれいに持ったばちさきいとの上に置いているのは、音を聞く以上に美しい感じの受けられることであって、五月さつきたちばなの花も実もついた折り枝が思われた。いずれもつつましくしているらしい内のものの気配けはいに大将の心はかれるばかりであった。紫の女王の美は昔の野分のわきの夕べよりもさらに加わっているに違いないと思うと、ただその一事だけで胸がとどろきやまない。女三にょさんみやに対しては運命が今少し自分に親切であったなら、自身のものとしてこの方を見ることができたのであったと思うと、自身の臆病おくびょうさも口惜くちおしかった。朱雀すざく院からはたびたびそのお気持ちを示され、それとなく仰せになったこともあったのであるがと思いながらも、よくすきの見えることを知っていては女王に惹かれたほど心は動きもしないのであった。女王とはだれも想像ができぬほど遠い間隔のある所に置かれている大将は、その忘れがたい感情などは別として、せめて自分の持つ好意だけでも紫の女王に認めてもらうだけを望んでできないのを考えては煩悶はんもんしているのである。あるまじい心などはいだいていない、その思いを抑制することはできる人である。
 夜がふけてゆくらしい冷ややかさが風に感ぜられて臥待月ふしまちづきが上り始めた。
「たよりない春のおぼろ月夜だ。秋のよさというのもまたこうした夜の音楽と虫の音がいっしょに立ち上ってゆく時にあるものだね」
 と院は大将に向かってお言いになった。
「秋の明るい月夜には、音楽でも何の響きでも澄み通って聞こえますが、あまりきれいに作り合わせたような空とか、草花の露の色とかは、専念に深く音楽を味わわせなくなる気もいたします。やはり春のたよりない雲の間から朧な月が出ますほどの夜に、静かな笛の音などの上ってゆくのを聞きますほうが、音楽そのものを楽しむのにはよいかと思われます。女は春をあわれむという言葉がございますがもっともなことと思われます。すべてのものの調子がしっくり合うのは春の夕方に限るように考えられますが」
 と大将が言うと、
「それは断定的には言えないことだ。古人でさえ決めかねたことなのだから、末世のわれわれの力で正しい批判のできるわけもない。ただ音楽のほうでは秋の律の曲を、春のりょの曲の下に置かれていることだけは今君が言ったような理由があるからだろう」
 院はこう仰せられた。また、
「どう思うかね。現在の優秀な音楽家とされている人たちの、宮中などのお催しなどの場合に演奏を命ぜられる人のをいても名人だと思われるのは少なくなったようだが、先輩についてよく研究をしようとするような熱心が足りないのかね。今日のような女ばかりの音楽の会に交じっても、格別きわだつと思われる人があるようにも思われない。しかしそれは近年の私がどこへも行かずに一所に引きこもっていて、鑑識が悪く偏してしまったのかもしれないが、とにかく感激を覚えさせられる音楽者のいないのは残念だ。どんな芸事も演ぜられる場所によっては平生と違ったできばえを見せるものであるが、最も晴れの場所の宮中でのこのごろの音楽の遊びに選び出される人たちに、この女性たちのを比べて劣っていると思う点があるかね」
「それを申し上げたいと思ったのでございますが、しかし頭の悪い私はでたらめを申すことになるかもしれません。今の世間の者は昔の音楽の盛んな時を知らないからでもありますか衛門督えもんのかみの和琴、兵部卿ひょうぶきょうの宮様の琵琶びわなどを激賞いたします。私どもも妙技とはしておりますが、今晩の皆様の御演奏には驚愕きょうがくいたしました。はじめはたいしたお遊びでもあるまいと軽く考えていたためにいっそう感激が大きいのでございましょうか。歌の役はまことに気がさして勤めにくうございました。和琴は太政大臣によってだけすべての楽音を率いるような巧妙な音のたつものと思っておりまして、その境地へは一歩も他の者がはいれないものと思われるむずかしい芸でございますが、今晩のはまた特別なものでございました。結構でした」
 大将はほめた。
「そんな最大級な言葉でほめられるほどのものではないのだが」
 得意な御微笑が院のお顔に現われた。
「私にはまずできそこねの弟子はないようだね。琵琶だけは私に骨を折らせた弟子でしの芸ではないがすぐれたものであったはずだ。意外なところで私の発見した天性の弾き手なのだよ。ずいぶん感心したものだが、そのころよりはまた進歩したようだ」
 こうして皆御自身の功にしてお言いになるのを聞いていて、女房たちなどはひじを互いに突き合わせたりして笑っていた。
「すべての芸というものは習い始めると奥の深さがわかって、自分で満足のできるだけを習得することはとうていできないものなのだが、しかしそれだけの熱を芸に持つ人が今は少ないから、少しでも稽古けいこを積んだことに自身で満足して、それで済ませていくのだが、琴というものだけはちょっと手がつけられないものなのだよ。この芸をきわめれば天地も動かすことができ、鬼神の心も柔らげ、悲境にいた者も楽しみを受け、貧しい人も出世ができて、富貴な身の上になり、世の中の尊敬を受けるようなことも例のあることなのだ。この芸の伝わった初めの間は、これを学ぶ人は皆長く外国へ行っていて、あらゆる困難に打ち勝って、上達しようとしたものだが、そうまでして成功したものの数はわずかだったのだ。実際すぐれた琴の音は月や星の座を変えさせることもあったし、その時季でなしに霜や雪を降らせたり、黒雲がき出したり、雷鳴がそのためにしたりしたことも昔はあったのだよ。だれも音楽のうちの最高のものと知っていても、完全にその芸を習いおおせるものが少なかったし、末世にはなるし、今残っているのは昔のほんとうのものの断片だけの価値のものかとも思われる。それでもまだ鬼神が耳をとどめるものになっている琴の稽古けいこをなまじいにして、上達はできずにかえっていろいろな不幸な終わりを見たりする人があるものだから、琴の稽古をする者は不吉を招くというような迷信もできて、近ごろではこの面倒な芸を習う人が少なくなったということだね。遺憾なことだ。琴がなくては世の中の音楽が根本の音を持たないものになるのだからね。すべての物は衰えかけると早い速力で退化する一方なんだから、そんな中で一人の人間だけが熱心にその芸に志して、高麗こうらい支那しなと渡り歩いて家族も何も顧みない者になってしまうのも狂的だから、それほどはしないでも、この芸がどんなものであるかを知りうるだけのことを私はしたいと思って、一曲でも十分に習いうることは困難なものとしても、これにはむずかしい無数の曲目のあるものなのだから、若くて音楽熱の盛んな年ごろの私は世の中にあるだけの琴の譜を調べたり、あちらから来ているものは皆手もとへ取り寄せて、それによって研究をしたが、しまいには私以上の力のある先生というものもなくなって不便だったものの、独学で勉強をしたが、それでも古人の芸に及ぶものでは少しもなかったのだからね。ましてこれからは心細いものになるだろうとこの芸について私は悲しんでいる」
 などと院のお語りになるのを聞いていて大将は自身をふがいなく恥ずかしく思った。
今上きんじょうの親王が御成人になれば、それまで生きているかどうかおぼつかないことだが、その時に私の習いえただけの琴の芸をお授けしようと願っている。二の宮は今からそうした天分を持たれるようだから」
 このお言葉を明石あかし夫人は自身の名誉であるように涙ぐんで側聞かたえぎきをしていたのであった。
 女御はそうを紫夫人に譲って、悩ましい身を横たえてしまったので、和琴わごんを院がおきになることになって、第二の合奏は柔らかい気分の派手はでなものになって、催馬楽さいばら葛城かつらぎが歌われた。院が繰り返しの所々で声をお添えになるのが非常に全体を美しいものにした。月の高く上る時間になり、梅花の美もあざやかになってきた。十三げんそうの音は、女御のは可憐かれんで女らしく、母の明石夫人に似たの音が深く澄んだ響きをたてたが、女王のはそれとは変わってゆるやかな気分が出て、き手の心に酔いを覚えるほどの愛嬌あいきょうがあり、才のひらめきの添ったものであった。合奏の末段になってりょの調子が律になる所の掻き合わせがいっせいにはなやかになり、琴は五つの調べの中の五六のいとのはじき方をおもしろく宮はお弾きになって、少しも未熟と思われる点がなく、よく澄んで聞こえた。春と秋その他のあらゆる場合に変化させねばならぬ弾法の使いこなしようを院がお教えになったのを誤たずによく会得して弾いておいでになるのに、院は誇りをお覚えになった。小さい御孫たちが熱心に笛の役を勤めたのをかわいく院は思召おぼしめして、
「眠くなっただろうのに、今晩の合奏はそう長くしないはずでわずかな予定だったのがつい感興にまかせて長く続けていて、それも楽音で時間を知るほどの敏感がなく、思わずおそくなって、思いやりのないことをした」
 とお言いになり、しょうの笛を吹いた子に酒杯をお差しになり、御服を脱いでお与えになるのであった。横笛の子には紫夫人のほうから厚織物の細長にはかまなどを添えて、あまり目だたせぬ纏頭てんとうが出された。大将には姫宮の御簾みすの中から酒器かわらけが出されて、宮の御装束一そろいが纏頭にされた。
「変ですね。まず先生に御褒美ほうびをお出しにならないで。私は失望した」
 院がこう冗談じょうだんをお言いになると、宮の几帳きちょうの下からお贈り物の笛が出た。院は笑いながらお受け取りになるのであったが、それは非常によい高麗笛であった。少しお吹きになると、もう退出し始めていた人たちの中で大将が立ちどまって、子息の持っていた横笛を取ってよい音に吹き合わせるのが、至芸と思われるこの音を院はうれしくお聞きになり、これもまた自分の弟子でしであったと満足されたのであった。
 大将は子供をいっしょに車へ乗せて月夜の道を帰って行ったが、いつまでも第二回のおりの箏の音が耳についていて、る瀬なく恋しかった。この人の妻は祖母の宮のお教えを受けていたといっても、まだよくも心にはいらぬうちに父の家へ引き取られ、十三絃もはんぱな稽古けいこになってしまったのであるから、良人おっとの前では恥じて少しも弾かないのである。すべておおまかに外見をかまわず暮らしていて、あとへあとへ生まれる子供の世話に追われているのであるから、大将は若い妻の感じのよさなどは少しも受け取りえない良人なのである。しかも嫉妬しっとはして、腹をたてなどする時に天真爛漫らんまんな所の見える無邪気な夫人なのであった。
 院は対のほうへお帰りになり、紫夫人はあとに残って女三の宮とお話などをして、明け方に去ったが、昼近くなるまで寝室を出なかった。
「宮は上手じょうずになられたようではありませんか。あの琴をどう聞きましたか」
 と院は夫人へお話しかけになった。
「初めごろ、あちらでなさいますのを、聞いておりました時は、まだそうおできになるとは伺いませんでしたが、非常に御上達なさいましたね。ごもっともですわね、先生がそればかりに没頭していらっしゃったのですものね」
「そうですね、手を取りながら教えるのだからこんな確かな教授法はなかったわけですね。あなたにも教えるつもりでいたが、あれは面倒で時間のかかる稽古ですからね、つい実行ができなかったのだが、院の陛下も琴だけの稽古はさせているだろうと言っておられるということを聞くと、お気の毒で、せめてそれくらいのことは保護者に選ばれたものの義務としてしなければならないかという気になって、やり始めた先生なのですよ」
 などと仰せられるついでに、
「小さかったころのあなたを手もとへ置いて、理想的に育て上げたいとは思ったものの、そのころの私にはひまな時間が少なくて、特別なものの先生になってあげることもできなかったし、近年はまたいろいろなことが次から次へと私を駆使して、よく世話もしてあげなかった琴のできのよかったことで私は光栄を感じましたよ。大将が非常に感心しているのを見たこともうれしくてなりませんでしたよ」
 ともおほめになった。そうした芸術的な能力も豊かである上に、今は一方で祖母の義務を御孫の宮たちのために忠実に尽くしていて、家庭の実務をとることにも力の不足は少しも見せない夫人であることを院はお思いになり、こうまで完全な人というものは短命に終わるようなこともあるのであると、そんな不安をお覚えになった。多くの女性を御覧になった院が、これほどにも物の整った人は断じてほかにないときめておいでになる紫の女王であった。夫人は今年が三十七であった。同棲どうせいあそばされてからの長い時間を院は追懐あそばしながら、
祈祷きとうのようなことを半生の年よりもたくさんさせて今年は無理をしないようにあなたは慎むのですね。私がそうしたことは常に気をつけてさせなければならないのだが、ほかのことに紛れてうっかりとしている場合もあるだろうから、あなた自身で考えて、ああしたいというようないくぶん大きな仏事の催しでもあれば、言ってくれればいくらでも用意をさせますよ。北山の僧都そうずがなくなっておしまいになったことは惜しいことだ。親戚しんせきとせずに言ってもりっぱな宗教家でしたがね」
 ともお言いになった。また、
「私は生まれた初めからすでにたいそうに扱われる運命を持っていたし、今日になって得ている名誉も物質的のしあわせも珍しいほどの人間ともいってよいが、また一方ではだれよりも多くの悲しみを見て来た人とも言えるのです。母や祖母と早く別れたことに始まって、いろいろな悲しいことが私のまわりにはありましたよ。それが罪業を軽くしたことになって、こうして思いのほか長生きもできるのだと思いますよ。あなたは私とあの別居時代のにがい経験をしてからはもう物思いも煩悶はんもんもなかったろうと思われる。おきさきと言われる人、ましてそれ以下の宮廷の人には人との競争意識でみずから苦しまない人はないのですよ。親の家にいるままのようにして今日まで来たあなたのような気楽はだれにもないものなのですよ。この点だけではあなたがだれよりも幸福だったということがわかりますか。思いがけなく姫宮をこちらへお迎えしなければならないことになってからは、少しの不愉快はあるでしょうがね、それによって私の愛はいっそう深まっているのだが、あなたは自身のことだからわかっていないかもしれない。しかし物わかりのいい人だから理解していてくれるかもしれないと頼みにしていますよ」
 と院がお言いになると、
「お言葉のように、ほかから見ますれば私としては過分な身の上になっているのですが、心には悲しみばかりがふえてまいります。それを少なくしていただきたいと神仏にはただそれを私は祈っているのですよ」
 言いたいことをおさえてこれだけを言った女王に貴女らしい美しさが見えた。
「ほんとうは私はもう長く生きていられない気がしているのでございますよ。この厄年やくどしまでもまだ知らない顔でこのままでいますことは悪いことと知っています。以前からお願いしていることですから、許していただけましたら尼になります」
 とも夫人は言った。
「それはもってのほかのことですよ。あなたが尼になってしまったあとの私の人生はどんなにつまらないものになるだろう。平凡に暮らしてはいるようなものの、あなたとむつまじくして生きているということよりよいことはないと私は信じているのです。あなただけをどんなに私が愛しているかということを、これからの長い時間に見ようと思ってください」
 院がこうお言いになるのを、またもいつもの慰め言葉で自分の信仰にはいる道をおはばみになると聞いて、夫人の涙ぐんでいるのを院はあわれにお思いになって、いろいろな話をし出して紛らせようとおつとめになるのであった。
「そうおおぜいではありませんが、私の接触した比較的優秀な女性について言ってみると、女は何よりも性質が善良で落ち着いた考えのある人が一等だと思われるが、それがなかなか望んで見いだせないものなのですよ。大将の母とは少年時代に結婚をして、尊重すべき妻だとは思っていましたが、仲をよくすることができずに、隔てのあるままで終わったのを、今思うと気の毒で堪えられないし、残念なことをしたと後悔もしていながら、また自分だけが悪いのでもなかったと一方では考えられもするのですよ。りっぱな貴婦人であったことは間違いのないことで、なんらの欠点はなかったが、ただあまりに整然とととのったのが堅い感じを受けさせてね。少し賢過ぎるといっていいような人で、話で聞けば頼もしいが、妻にしては面倒な気のするというような女性でしたよ。中宮ちゅうぐうの母君の御息所みやすどころは、高い見識の備わった才女の例には思い出される人だが、恋人としてはきわめて扱いにくい性格でしたよ。うらむのが当然だと一通りは思われることでも、その人はそのままそのことを忘れずに思いつめて深く恨むのですから、相手は苦しくてならなかった。自己を高く評価させないではおかないという自尊心が年じゅう付きまつわっているような気がして、そんな場合に自分は気に入らない男になるかもしれないと、あまりに見栄を張り過ぎるような私になって、そして自然に遠のいて縁が絶えたのですよ。私が無二無三に進み寄ってあるまじい名の立つ結果を引き起こしたその人の真価を知っているだけなお捨ててしまったのが済まないことに思われて、せめて中宮にはよくお尽くししたいと、それも前生の約束だったのでしょうが、こうして子にしてお世話を申していることで、あの世からも私を見直しているでしょうよ。今も昔も浮わついた心から人のために気の毒な結果を生むことの多い私ですよ」
 なお幾人いくたりかの女の上を院はお語りになった。
女御にょごのあの後見役はたいしたものではあるまいと軽く見てかかった相手ですが、それが心の底の底までは見られないほどの深い所のある女でしたからね。うわべは素直らしく柔順には見えながら、自己を守る堅さが何かの場合に見える怜悧れいりなたちなのですよ」
 と院がお言いになると、
「ほかの方は見ないのですからわかりませんけれど、あの方にはおりおりお目にかかっていますが、聡明そうめいで聡明で御自身の感情を少しもお見せにならないのに比べて、だれにも友情を押しつける私をあの方はどう御覧になっていらっしゃるかときまりが悪くてね。しかしとにもかくにも女御は私をいいようにだけ解釈してくださるだろうと思っています」
 夫人にとってはねたましく思われた人であった明石あかし夫人をさえこんなに寛大な心で見るようになったのも、女御を愛する心の深いからであろうと院はうれしく思召おぼしめした。
「あなたは恨む心もある人だが思いやりもあるから私をそう困らせませんね。たくさんな女の中であなたの真似まねのできる人はない。あまりにりっぱ過ぎるわけですね」
 微笑して院はこうお言いになる。
 夕方になってから、
「宮がよくおきになったお祝いを言ってあげよう」
 と言って、院は寝殿へお出かけになった。自分があるために苦しんでいる人がほかにあることなどは念頭になくて、お若々しく宮は琴の稽古けいこを夢中になってしておいでになった。
「もう琴は休ませておやりなさい。それに先生をよく歓待なさらなければならないでしょう。苦しい骨折りのかいがあって安心してよいできでしたよ」
 と院はお言いになって、楽器は押しやって寝ておしまいになった。



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