老人は立上って秤を持って来た。それから、百箇の環の目方を測ると、次に箱全体の環を秤にかけた。全体を百で割ると、七百箇であった。
森製作所では片山の送別会が行われた。すると、正三の知らぬ人々が事務室に現れ、いろんなものをどこかから整えてくるのであった。順一の加わっている、さまざまなグルウプ、それが互に物資の融通をし合っていることを正三は漸く気づくようになった。……その頃になると、高子と順一の長い間の葛藤は結局、曖昧になり、思いがけぬ方角へ解決されてゆくのであった。 疎開の意味で、高子には五日市町の方へ一軒、家を持たす、そして森家の台所は恰度、息子を学童疎開に出して一人きりになっている康子に委ねる、――そういうことが決定すると、高子も晴れがましく家に戻って来て、移転の荷拵えをした。だが、高子にもまして、この荷造に熱中したのは順一であった。彼はいろんな品物に丁寧に綱をかけ、覆いや枠を拵えた。そんな作業の合間には、事務室に戻り、チェック・プロテクターを使ったり、来客と応対した。夜は妹を相手にひとりで晩酌をした。酒はどこかから這入って来たし、順一の機嫌はよかった…… と、ある朝、B29がこの街の上空を掠めて行った。森製作所の縫工場にいた学徒たちは、一斉に窓からのぞき、屋根の方へ匐い出し、空に残る飛行機雲をみとれた。「綺麗だわね」「おお速いこと」と、少女たちはてんでに嘆声を放つ。B29も、飛行機雲も、この街に姿を現したのはこれがはじめてであった。――昨年来、東京で見なれていた正三には久し振りに見る飛行機雲であった。 その翌日、馬車が来て、高子の荷は五日市町の方へ運ばれて行った。「嫁入りのやりなおしですよ」と、高子は笑いながら、近所の人々に挨拶して出発した。だが、四五日すると、高子は改めて近所との送別会に戻って来た。電気休業で、朝から台所には餅臼が用意されて、順一や康子は餅搗の支度をした。そのうちに隣組の女達がぞろぞろと台所にやって来た。……今では正三も妹の口から、この近隣の人々のことも、うんざりするほどきかされていた。誰と誰とが結托していて、何処と何処が対立し、いかに統制をくぐり抜けてみんなそれぞれ遣繰をしているか。台所に姿を現した女たちは、みんな一筋繩ではゆかぬ相貌であったが、正三などの及びもつかぬ生活力と、虚偽を無邪気に振舞う本能をさずかっているらしかった。……「今のうちに飲んでおきましょうや」と、そのころ順一のところにはいろんな仲間が宴会の相談を持ちかけ、森家の台所は賑わった。そんなとき近所のおかみさん達もやって来て加勢するのであった。
正三は夢の中で、嵐が揉みくちゃにされて墜ちているのを感じた。つづいて、窓ガラスがドシン、ドシンと響いた。そのうちに、「煙が、煙が……」と何処かすぐ近くで叫んでいるのを耳にした。ふらふらする足どりで、二階の窓際へ寄ると、遙か西の方の空に黒煙が濛々と立騰っていた。服装をととのえ階下に行った時には、しかし、もう飛行機は過ぎてしまった後であった。……清二の心配そうな顔があった。「朝寝なんかしている際じゃないぞ」と彼は正三を叱りつけた。その朝、警報が出たことも正三はまるで知らなかったのだが、ラジオが一機、浜田(日本海側、島根県の港)へ赴いたと報じたかとおもうと、間もなくこれであった。紙屋町筋に一筋パラパラと爆弾が撒かれて行ったのだ。四月末日のことであった。
五月に入ると、近所の国民学校の講堂で毎晩、点呼の予習が行われていた。それを正三は知らなかったのであるが、漸くそれに気づいたのは、点呼前四日のことであった。その日から、彼も早目に夕食を了えては、そこへ出掛けて行った。その学校も今では既に兵舎に充てられていた。燈の薄暗い講堂の板の間には、相当年輩の一群と、ぐんと若い一組が入混っていた。血色のいい、若い教官はピンと身をそりかえらすような姿勢で、ピカピカの長靴の脛はゴムのように弾んでいた。 「みんなが、こうして予習に来ているのを、君だけ気づかなかったのか」 はじめ教官は穏かに正三に訊ね、正三はぼそぼそと弁解した。 「声が小さい!」 突然、教官は、吃驚するような声で呶鳴った。 ……そのうち、正三もここでは皆がみんな蛮声の出し合いをしていることに気づいた。彼も首を振るい、自棄くそに出来るかぎりの声を絞りだそうとした。疲れて家に戻ると、怒号の調子が身裡に渦巻いた。……教官は若い一組を集めて、一人一人に点呼の練習をしていた。教官の問に対して、青年たちは元気よく答え、練習は順調に進んでいた。足が多少跛の青年がでてくると、教官は壇上から彼を見下ろした。 「職業は写真屋か」 「左様でございます」青年は腰の低い商人口調でひょこんと応えた。 「よせよ、ハイ、で結構だ。折角、今迄いい気分でいたのに、そんな返事されてはげっそりしてしまう」と教官は苦笑いした。この告白で正三はハッと気づいた。陶酔だ、と彼はおもった。 「馬鹿馬鹿しいきわみだ。日本の軍隊はただ形式に陶酔しているだけだ」家に帰ると正三は妹の前でぺらぺらと喋った。
今にも雨になりそうな薄暗い朝であった。正三はその国民学校の運動場の列の中にいた。五時からやって来たのであるが、訓示や整列の繰返しばかりで、なかなか出発にはならなかった。その朝、態度がけしからんと云って、一青年の頬桁を張り飛ばした教官は、何かまだ弾む気持を持てあましているようであった。そこへ恰度、ひどく垢じみた中年男がやって来ると、もそもそと何か訴えはじめた。 「何だと!」と教官の声だけが満場にききとれた。「一度も予習に出なかったくせにして、今朝だけ出るつもりか」 教官はじろじろ彼を眺めていたが、 「裸になれ!」と大喝した。そう云われて、相手はおずおずと釦を外しだした。が、教官はいよいよ猛って来た。 「裸になるとは、こうするのだ」と、相手をぐんぐん運動場の正面に引張って来ると、くるりと後向きにさせて、パッとシャツを剥ぎとった。すると青緑色の靄が立罩めた薄暗い光線の中に、瘡蓋だらけの醜い背中が露出された。 「これが絶対安静を要した躯なのか」と、教官は次の動作に移るため一寸間を置いた。 「不心得者!」この声と同時にピシリと鉄拳が閃いた。と、その時、校庭にあるサイレンが警戒警報の唸りを放ちだした。その、もの哀しげな太い響は、この光景にさらに凄惨な趣を加えるようであった。やがてサイレンが歇むと、教官は自分の演じた効果に大分満足したらしく、 「今から、この男を憲兵隊へ起訴してやる」と一同に宣言し、それから、はじめて出発を命じるのであった。……一同が西練兵場へ差しかかると、雨がぽちぽち落ちだした。荒々しい歩調の音が堀に添って進んだ。その堀の向うが西部二部隊であったが、仄暗い緑の堤にいま躑躅の花が血のように咲乱れているのが、ふと正三の眼に留った。
康子の荷物は息子の学童疎開地へ少し送ったのと、知り合いの田舎へ一箱預けたほかは、まだ大部分順一の家の土蔵にあった。身のまわりの品と仕事道具は、ミシンを据えた六畳の間に置かれたが、部屋一杯、仕かかりの仕事を展げて、その中でのぼせ気味に働くのが好きな彼女は、そこが乱雑になることは一向気にならなかった。雨がちの天気で、早くから日が暮れると鼠がごそごそ這いのぼって、ボール函の蔭へ隠れたりした。綺麗好きの順一は時々、妹を叱りつけるのだが、康子はその時だけちょっと片附けてみるものの、部屋はすぐ前以上に乱れた。仕事やら、台所やら、掃除やら、こんな広い家を兄の気に入るとおりに出来ない、と、よく康子は清二に零すのであった。……五日市町へ家を借りて以来、順一はつぎつぎに疎開の品を思いつき、殆ど毎日、荷造に余念ないのだったが、荷を散乱した後は家のうちをきちんと片附けておく習慣だった。順一の持逃げ用のリュックサックは食糧品が詰められて、縁側の天井から吊されている綱に括りつけてあった。つまり、鼠の侵害を防ぐためであった。……西崎に繩を掛けさせた荷を二人で製作所の片隅へ持運ぶと、順一は事務室で老眼鏡をかけ二三の書類を読み、それから不意と風呂場へ姿を現し、ゴシゴシと流し場の掃除に取掛る。 ……この頃、順一は身も心も独楽のようによく廻転した。高子を疎開させたものの、町会では防空要員の疎開を拒み、移動証明を出さなかった。随って、順一は食糧も、高子のところへ運ばねばならなかった。五日市町までの定期乗車券も手に入れたし、米はこと欠かないだけ、絶えず流れ込んで来る。……風呂掃除が済む頃、順一にはもう明日の荷造のプランが出来ている。そこで、手足を拭い、下駄をつっかけ、土蔵を覘いてみるのであったが、入口のすぐ側に乱雑に積み重ねてある康子の荷物――何か取出して、そのまま蓋の開いている箱や、蓋から喰みだしている衣類……が、いつものことながら目につく。暫く順一はそれを冷然と見詰めていたが、ふと、ここへはもっと水桶を備えつけておいた方がいいな、と、ひとり頷くのであった。 三十も半ばすぎの康子は、もう女学生の頃の明るい頭には還れなかったし、澄んだ魂というものは何時のまにか見喪われていた。が、そのかわり何か今では不貞不貞しいものが身に備わっていた。病弱な夫と死別し、幼児を抱えて、順一の近所へ移り棲むようになった頃から、世間は複雑になったし、その間、一年あまり洋裁修業の旅にも出たりしたが、生活難の底で、姑や隣組や嫂や兄たちに小衝かれてゆくうちに、多少ものの裏表もわかって来た。この頃、何よりも彼女にとって興味があるのは、他人のことで、人の気持をあれこれ臆測したりすることが、殆ど病みつきになっていた。それから、彼女は彼女流に、人を掌中にまるめる、というより人と面白く交際って、ささやかな愛情のやりとりをすることに、気を紛らすのであった。半年前から知り合いになった近所の新婚の無邪気な夫妻もたまらなく好意が持てたので、順一が五日市の方へ出掛けて行って留守の夜など、康子はこの二人を招待して、どら焼を拵えた。燈火管制の下で、明日をも知れない脅威のなかで、これは飯事遊のように娯しい一ときであった。 ……本家の台所を預かるようになってからは、甥の中学生も「姉さん、姉さん」とよく懐いた。二人のうち小さい方は母親にくっついて五日市町へ行ったが、煙草の味も覚えはじめた、上の方の中学生は盛場の夜の魅力に惹かれてか、やはり、ここに踏みとどまっていた。夕方、三菱工場から戻って来ると、早速彼は台所をのぞく。すると、戸棚には蒸パンやドウナッツが、彼の気に入るようにいつも目さきを変えて、拵えてあった。腹一杯、夕食を食べると、のそりと暗い往来へ出掛けて行き、それから戻って来ると一風呂浴びて汗をながす。暢気そうに湯のなかで大声で歌っている節まわしは、すっかり職工気どりであった。まだ、顔は子供っぽかったが、躯は壮丁なみに発達していた。康子は甥の歌声をきくと、いつもくすくす笑うのだった。……餡を入れた饅頭を拵え、晩酌の後出すと、順一はひどく賞めてくれる。青いワイシャツを着て若返ったつもりの順一は、「肥ったではないか、ホホウ、日々に肥ってゆくぞ」と機嫌よく冗談を云うことがあった。実際、康子は下腹の方が出張って、顔はいつのまにか二十代の艶を湛えていた。だが、週に一度位は五日市町の方から嫂が戻って来た。派手なモンペを着た高子は香料のにおいを撒きちらしながら、それとなく康子の遣口を監視に来るようであった。そういうとき警報が出ると、すぐこの高子は顔を顰めるのであったが、解除になると、「さあ、また警報が出るとうるさいから帰りましょう」とそそくさと立去るのだった。 ……康子が夕餉の支度にとりかかる頃には大概、次兄の清二がやって来る。疎開学童から来たといって、嬉しそうにハガキを見せることもあった。が、時々、清二は「ふらふらだ」とか「目眩がする」と訴えるようになった。顔に生気がなく、焦躁の色が目だった。康子が握飯を差出すと、彼は黙ってうまそうにパクついた。それから、この家の忙しい疎開振りを眺めて、「ついでに石灯籠も植木もみんな持って行くといい」など嗤うのであった。
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