朝から粉雪が降っていた。その街に泊った旅人は何となしに粉雪の風情に誘われて、川の方へ歩いて行ってみた。本川橋は宿からすぐ近くにあった。本川橋という名も彼は久し振りに思い出したのである。むかし彼が中学生だった頃の記憶がまだそこに残っていそうだった、粉雪は彼の繊細な視覚を更に鋭くしていた。橋の中ほどに佇んで、岸を見ていると、ふと、「本川饅頭」という古びた看板があるのを見つけた。突然、彼は不思議なほど静かな昔の風景のなかに浸っているような錯覚を覚えた。が、つづいて、ぶるぶると戦慄が湧くのをどうすることもできなかった。この粉雪につつまれた一瞬の静けさのなかに、最も痛ましい終末の日の姿が閃いたのである。……彼はそのことを手紙に誌して、その街に棲んでいる友人に送った。そうして、そこの街を立去り、遠方へ旅立った。
……その手紙を受取った男は、二階でぼんやり窓の外を眺めていた。すぐ眼の前に隣家の小さな土蔵が見え、屋根近くその白壁の一ところが剥脱していて粗い赭土を露出させた寂しい眺めが、――そういう些細な部分だけが、昔ながらの面影を湛えているようであった。……彼も近頃この街へ棲むようになったのだが、久しいあいだ郷里を離れていた男には、すべてが今は縁なき衆生のようであった。少年の日の彼の夢想を育んだ山や河はどうなったのだろうか、――彼は足の赴くままに郷里の景色を見て歩いた。残雪をいただいた中国山脈や、その下を流れる川は、ぎごちなく武装した、ざわつく街のために稀薄な印象をとどめていた。巷では、行逢う人から、木で鼻を括るような扱いを受けた殺気立った中に、何ともいえぬ間の抜けたものも感じられる、奇怪な世界であった。 ……いつのまにか彼は友人の手紙にある戦慄について考えめぐらしていた。想像を絶した地獄変、しかも、それは一瞬にして捲き起るようにおもえた。そうすると、彼はやがてこの街とともに滅び失せてしまうのだろうか、それとも、この生れ故郷の末期の姿を見とどけるために彼は立戻って来たのであろうか。賭にも等しい運命であった。どうかすると、その街が何ごともなく無疵のまま残されること、――そんな虫のいい、愚かしいことも、やはり考え浮ぶのではあった。
黒羅紗の立派なジャンパーを腰のところで締め、綺麗に剃刀のあたった頤を光らせながら、清二は忙しげに正三の部屋の入口に立ちはだかった。 「おい、何とかせよ」 そういう語気にくらべて、清二の眼の色は弱かった。彼は正三が手紙を書きかけている机の傍に坐り込むと、側にあったヴィンケルマンの『希臘芸術模倣論』の挿絵をパラパラとめくった。正三はペンを擱くと、黙って兄の仕事を眺めていた。若いとき一時、美術史に熱中したことのあるこの兄は、今でもそういうものには惹きつけられるのであろうか……。だが、清二はすぐにパタンとその本を閉じてしまった。 それはさきほどの「何とかせよ」という語気のつづきのようにも正三にはおもえた。長兄のところへ舞戻って来てからもう一カ月以上になるのに、彼は何の職に就くでもなし、ただ朝寝と夜更しをつづけていた。 彼にくらべると、この次兄は毎日を規律と緊張のうちに送っているのであった。製作所が退けてからも遅くまで、事務所の方に灯がついていることがある。そこの露次を通りかかった正三が事務室の方へ立寄ってみると、清二はひとり机に凭って、せっせと書きものをしていた。工員に渡す月給袋の捺印とか、動員署へ提出する書類とか、そういう事務的な仕事に満足していることは、彼が書く特徴ある筆蹟にも窺われた。判で押したような型に嵌った綺麗な文字で、いろんな掲示が事務室の壁に張りつけてある。……正三がぼんやりその文字に見とれていると、清二はくるりと廻転椅子を消えのこった煉炭ストーブの方へ向けながら、「タバコやろうか」と、机の抽匣から古びた鵬翼の袋を取出し、それから棚の上のラジオにスイッチを入れるのだった。ラジオは硫黄島の急を告げていた。話はとかく戦争の見とおしになるのであった。清二はぽつんと懐疑的なことを口にしたし、正三ははっきり絶望的な言葉を吐いた。……夜間、警報が出ると、清二は大概、事務所へ駈けつけて来た。警報が出てから五分もたたない頃、表の呼鈴が烈しく鳴る。寝呆け顔の正三が露次の方から、内側の扉を開けると、表には若い女が二人佇んでいる。監視当番の女工員であった。「今晩は」と一人が正三の方へ声をかける。正三は直かに胸を衝かれ、襟を正さねばならぬ気持がするのであった。それから彼が事務室の闇を手探りながら、ラジオに灯りを入れた頃、厚い防空頭巾を被った清二がそわそわやって来る。「誰かいるのか」と清二は灯の方へ声をかけ、椅子に腰を下ろすのだが、すぐにまた立上って工場の方を見て廻った。そうして、警報が出た翌朝も、清二は早くから自転車で出勤した。奥の二階でひとり朝寝をしている正三のところへ、「いつまで寝ているのだ」と警告しに来るのも彼であった。 今も正三はこの兄の忙しげな容子にいつもの警告を感じるのであったが、清二は『希臘芸術模倣論』を元の位置に置くと、ふとこう訊ねた。 「兄貴はどこへ行った」 「けさ電話かかって、高須の方へ出掛けたらしい」 すると、清二は微かに眼に笑みを浮べながら、ごろりと横になり、「またか、困ったなあ」と軽く呟くのであった。それは正三の口から順一の行動について、もっといろんなことを喋りだすのを待っているようであった。だが、正三には長兄と嫂とのこの頃の経緯は、どうもはっきり筋道が立たなかったし、それに、順一はこのことについては必要以外のことは決して喋らないのであった。
正三が本家へ戻って来たその日から、彼はそこの家に漾う空気の異状さに感づいた。それは電燈に被せた黒い布や、いたるところに張りめぐらした暗幕のせいではなく、また、妻を喪って仕方なくこの不自由な時節に舞戻って来た弟を歓迎しない素振ばかりでもなく、もっと、何かやりきれないものが、その家には潜んでいた。順一の顔には時々、嶮しい陰翳が抉られていたし、嫂の高子の顔は思いあまって茫と疼くようなものが感じられた。三菱へ学徒動員で通勤している二人の中学生の甥も、妙に黙り込んで陰鬱な顔つきであった。 ……ある日、嫂の高子がその家から姿を晦ました。すると順一のひとり忙しげな外出が始り、家の切廻しは、近所に棲んでいる寡婦の妹に任せられた。この康子は夜遅くまで二階の正三の部屋にやって来ては、のべつまくなしに、いろんなことを喋った。嫂の失踪はこんどが初めてではなく、もう二回も康子が家の留守をあずかっていることを正三は知った。この三十すぎの小姑の口から描写される家の空気は、いろんな臆測と歪曲に満ちていたが、それだけに正三の頭脳に熱っぽくこびりつくものがあった。 ……暗幕を張った奥座敷に、飛きり贅沢な緞子の炬燵蒲団が、スタンドの光に射られて紅く燃えている、――その側に、気の抜けたような順一の姿が見かけられることがあった。その光景は正三に何かやりきれないものをつたえた。だが、翌朝になると順一は作業服を着込んで、せっせと疎開の荷造を始めている。その顔は一図に傲岸な殺気を含んでいた。……それから時々、市外電話がかかって来ると、長兄は忙しげに出掛けて行く。高須には誰か調停者がいるらしかった――、が、それ以上のことは正三にはわからなかった。 ……妹はこの数年間の嫂の変貌振りを、――それは戦争のためあらゆる困苦を強いられて来た自分と比較して、――戦争によって栄耀栄華をほしいままにして来たものの姿として、そしてこの訳のわからない今度の失踪も、更年期の生理的現象だろうかと、何かもの恐しげに語るのであった。……だらだらと妹が喋っていると、清二がやって来て黙って聴いていることがあった。「要するに、勤労精神がないのだ。少しは工員のことも考えてくれたらいいのに」と次兄はぽつんと口を挿む。「まあ、立派な有閑マダムでしょう」と妹も頷く。「だが、この戦争の虚偽が、今ではすべての人間の精神を破壊してゆくのではないかしら」と、正三が云いだすと「ふん、そんなまわりくどいことではない、だんだん栄耀の種が尽きてゆくので、嫂はむかっ腹たてだしたのだ」と清二はわらう。 高子は家を飛出して、一週間あまりすると、けろりと家に帰って来た。だが、何かまだ割りきれないものがあるらしく、四五日すると、また行方を晦ました。すると、また順一の追求が始まった。「今度は長いぞ」と順一は昂然として云い放った。「愚図愚図すれば、皆から馬鹿にされる。四十にもなって、碌に人に挨拶もできない奴ばかりじゃないか」と弟達にあてこすることもあった。……正三は二人の兄の性格のなかに彼と同じものを見出すことがあって、時々、厭な気持がした。森製作所の指導員をしている康子は、兄たちの世間に対する態度の拙劣さを指摘するのだった。その拙劣さは正三にもあった。……しかし、長い間、離れているうちに、何と兄たちはひどく変って行ったことだろう。それでは正三自身はちっとも変らなかったのだろうか。……否。みんなが、みんな、日毎に迫る危機に晒されて、まだまだ変ろうとしているし、変ってゆくに違いない。ぎりぎりのところをみとどけなければならぬ。――これが、その頃の正三に自然に浮んで来るテーマであった。
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