七 トライチケ(二)
もしトライチケの名がニーチエやヘーゲルと同じ意味に於て此戦争の引合に出るならば、自分は少なくとも是丈の事を頭のうちに入れて置く方が便利だと考へる。さうすれば大した困難と誤解なしに、現下独乙に於る彼の地位が、比較的明瞭に想像され得るからである。 ニーチエやヘーゲルは此事件後に復活した名前ではない。只在来の名前に英仏人が新らしい意義を付けた丈である。疾うから知れてゐる彼等の内容を、一種の刺戟に充ちた異様の眼で、特別に眺めた丈である。トライチケも復活した名でないかも知れない。けれども前者と違つて、此際新らしい解釈を受ける必要のない名である。今迄のトライチケを今迄通りに見てゐれば、視線の角度を改める必要も手数も要らないで、すぐ彼と今度の戦争との関係が解るのである。彼の説はニーチエ程高踏的でなかつた。孤峰頂上から下界へ向つて命令するが如き態度で、詩のやうな哲学、又哲学のやうな詩を絶叫しはしなかつた。無論ヘーゲル程神秘の雲のうちに隠れて弁証の稲妻を双手に弄する人ではなかつた。彼は最初から確実に地上を歩いてゐた。のみならず彼の眼界は狭い独乙によつて東西南北共に仕切られてゐた。従つて今更新らしく彼を翻訳する必要もなければ又しやうとした所で其余地もないのである。たゞ当時の彼を当時の儘引き延ばして、今の戦争に連続させさへすれば、それで両者の関係は可なり判然するのである。自分はわざと両者の関係と云つた。実は彼が今次の大戦争に及ぼした影響と云ひたいのであるが、それはニーチエやヘーゲルの場合と同じく、影響の程度からいつて、自分には能く解らないから、仕方なしにさういふ言葉遣ひを遠慮した。しかも其上に前述べた通り、彼我国情の差違並びに批評家の誇張などを念頭に置いて、是からトライチケを一瞥しやうとするのである。 千八百三十四年ドレスデンに生れた彼は、父が軍籍に在つた関係から云つても、母が士官の娘であつた因縁から見ても、兵士たるべき運命を有つて生れたと同じ事であつた。小供の時、疱瘡に罹つたのと、それに引き続いて耳の病気に冒されたので、幸か不幸か、彼は彼の既定の行路を全然見捨てなければならなくなつた。 然し十四位から彼の父に送る手紙の中には、もう政治上の意見などがちらほら散見し始めたさうである。さうして十六になるかならない内に、彼はいつの間にか熱烈なる独乙統一論者になつて仕舞つた。無論普魯西を盟主としなければならないといふのが、彼の当初からの主張であつた。彼がライプチツヒに遊学した頃、教授の講義は碌に聴きもせず、手当り次第に一人ぼつちの乱読を恣まにした時ですら、書物から得る凡ての知識は、みな此普魯西中心の国家といふ大理想を構成する為に利用されたのである。 彼はマキアルを読んだ。正義だらうが道徳だらうが、国家の為ならば、何時犠牲に供しても差支ないものだといふ信念を抱くやうになつた。専政だらうが圧制だらうが、苟も国家の統一を維持し、又国家の威力を増進する以上は、いくら何う用ひても構はないものだといふ決論に到着した。さうして其意見を彼の父に書いて遣つた。是は彼がゲツチンゲンで修業してゐる頃で、年歯にすると二十二三の時の事である。(つゞく)
八 トライチケ(三)
東西南北どちらの方角を眺めても、彼の眼に映ずるものは悉く独乙の敵であつた。彼は魯西亜を軽蔑した。年来独乙の統一に反対する墺地利も、彼の憎悪を免かれなかつた。ミルトンとシエクスピヤを嘆美しながらも、それらの詩人を有する英吉利は、彼から見ると独乙の発展に妨害ある一種の邪魔物に過ぎなかつた。彼は到底一戦争しなければ済まないと考へた。さうして其戦争から真に強固にして健全な独乙が生れて来るといふ事を信じて疑はなかつた。 多数の聴講生を有する彼は、此目的をもつて大学で普国史を講じ出した。ごた/\した小邦はみんな取り潰してしまはなければならないといふ彼の本意は、此一事でも窺はれた。彼は自ら小邦に生れた事を忘れた。彼の父に対する義理も忘れた。彼は父に向つて云つた。 「親子の情合のために自分の信念を枉げる事は、私には何うしても出来ません」 彼は此言葉と共にライプチツヒを去つた。再び招かれて其所で演説を試みた時、彼は独乙統一のために、焔のやうな熱烈の言辞を二万の聴衆の上に浴せ掛けた。無邪気な彼等は呆然として驚ろいた。 所へビスマークが現はれた。さうしてビスマークは彼の要する理想の人物であつた。ビスマークの時めく普魯西政府は猶の事統一の中心にならねばならなかつた。彼の所謂「国家」とならねばならなかつた。「第一に自由、夫から統一」といふ叫び声を無意味なものとして聞き流した彼は、「第一に国家の権利、夫から国家」といふ旗幟を無遠慮に押し立てた。さうして其国家は即ち普魯西である。他の小邦は幾多の犠牲を甘んじても、此中央政府の意志と命令に従はなければならないといふのが彼の意見であつた。 「国家の実質とも見傚し得べき「力」を有たない小邦が、何で国家を代表する事が出来よう」 彼は斯ういつて、多くの小邦を睥睨した。其内には彼の故郷のサクソニーも無論含まれてゐた。 千八百六十七年ビスマークの力によつて成就された北独乙の聯合は、此意味から見て、彼の理想をある程度迄現実にしたものに違なかつた。其結果として凡てに課せられたる義務兵役と、其義務兵役から生ずる驚ろくべき多くの軍隊とは、支配権を有する普魯西に取つて大いなる力であつた。それを独乙勢力の増進に必要な条件、即ち西方発展策に応用したのが即ち普仏戦争なのである。 彼の教授を受けた多くの学生は其時従軍した。彼等の一人が熱烈な告別の辞を述べた時、「どんな犠牲を払つても勝て」と云つた彼は、忽ちヒーローとして青年から目されるやうになつた。彼は固より独乙の勝利を信じて疑はなかつたのである。さうして不思議の沈黙に陥つたかと思ふと、彼は負けた仏蘭西に課すべき条件の項目を其間に調べ出した。彼はアルサス、ローレンの歴史を研究した末、此二州は元々独乙のものであつたのだから、戦勝後は当然旧主の手に帰るべきものだといふ説を発表した。(つゞく)
九 トライチケ(四)
独乙は勝つた。独乙帝国は成立した。彼が十年の間夢に迄見た希望は遂に達せられた。 「統一の星は上つた。其途を妨ぐるものは災を蒙れ」 是が彼の言葉であつた。此光輝ある時期に際会しながら、猶且つ厭世哲学を説くハルトマンの如きは畢竟ずるに一種の精神病者に過ぎないと彼は断言した。其癖意志の肯定は国家として第一の義務であると主張する彼は、ハルトマンによつて復活されたる意志の哲学、即ち宇宙実在の中心点を意志の上に置く哲学によつて大いに動かされたのである。彼は実社界を至極手荒いものに考へた。仁義博愛は口に云ふべくして政治上に行ふべきものでないと信じた。斯くして彼はあらゆる人道的及び自由主義の運動に反対したのである。…… 自分はトライチケの影響で今度の欧洲戦争が起つたとは云はない。彼の生時にあつてすら、彼はビスマークの顧問でもなければ又助言者でもなかつた。彼の主張とビスマークの実行とは寧ろ偶然に一致したのだらう。たとひ彼が鉄血宰相の謳歌者であつたにした所で、謳歌されるビスマークの方では、夫程彼の言論に動かされてゐなかつたかも知れない。それにも拘はらず結果から云へば、彼はビスマークの政治上で断行した事を、彼の学説と言論によつて一々裏書したと云つても差支ないのである。さうして今日の独乙が、社会主義者其他の反抗に関せず、当時の方針を基儘継続して、其極今度の大乱を引き起したとすれば、思想家としてトライチケの独乙に対する立場も亦自然明瞭になつた訳である。 是丈の関係を明かにすると、自分の癖として、又根本問題に立ち返つて、質問が起したくなる。 「トライチケの鼓吹した軍国主義、国家主義は畢竟独乙統一の為ではないか。其統一は四囲の圧迫を防ぐためではないか。既に統一が成立し、帝国が成立し、侵略の虞なくして独乙が優に存在し得た暁には撤回すべき性質のものではないか。もし永久に此主義で押し通すとならば、論理上此主義其物に価値がなくてはならない。さうして其価値によつて此主義の存在が保証されなければならない。そんな価値が果して何処から出て来るだらうか」 個人の場合でも唯喧嘩に強いのは自慢にならない。徒らに他を傷める丈である。国と国とも同じ事で、単に勝つ見込があるからと云つて、妄りに干戈を動かされては近所が迷惑する丈である。文明を破壊する以外に何の効果もない。勝つたものは勝つた後で、其損害を償ふ以上の貢献を、大きな文明に対してしなければならない筈である。少なくとも其心掛がなくてはならない筈である。自分は今の独乙にそれ丈の事を仕終せる精神と実力があるか何うかを危ぶまざるを得ないのである。するとトライチケの主張は独乙統一前には生存上有効でもあり必要でもあり合理的でもあつて、今の独乙には無効で不必要で不合理なものかも知れないといふ事に帰着する。 然しながら彼は云つた。―― 「ヰリアム帝は独乙に祖国を与へたるのみならず、より平衡を得たる又より合理的なる支配の下に文明世界を置いた。全世界を健全にするは独乙の事業なりと云つた詩人ガイベルの言葉は今に実現せられるだらう」 して見るとトライチケは、独乙が全欧のみならず、全世界を征服する迄、此軍国主義国家主義で押し通す積だつたかも知れない。然しながら、我々人類が悉く独乙に征服された時、我々は其報酬として独乙から果して何を給与されるのだらう。独乙もトライチケもまづ其所から説明してかゝらなければならない。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
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