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点頭録(てんとうろく)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-18 9:04:10 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

     一

 また正月が来た。振り返ると過去が丸で夢のやうに見える。何時の年齢としを取つたものか不思議な位である。
 この感じをもう少し強めると、過去は夢としてさへ存在しなくなる。全くの無になつてしまふ。実際近頃のわたくしは時々たゞの無として自分の過去をくわんずる事がしば/\ある。いつぞや上野へ展覧会を見に行つた時、公園の森の下を歩きながら、自分はある目的をもつて先刻さつきから足を運ばせてゐるにもかゝはらず、いまかつて一すんも動いてゐないのだと考へたりした。これ耄碌もうろくの結果ではない。うちを出て、電車に乗つて、山下で降りて、それから靴で大地の上をしかと踏んだといふ記憶をたしかにつた上の感じなのである。自分は其時そのとき終日いていまかつかずといふ句が何処どこかにあるやうな気がした。さうしてその句の意味はういふ心持を表現したものではなからうかとさへ思つた。
 これをもつとづかしい哲学的な言葉でふと、畢竟ひつきやうずるに過去は一の仮象かしやうに過ぎないといふ事にもなる。金剛経にある過去しん不可得ふかとくなりといふ意義にも通ずるかも知れない。さうして当来たうらい念々ねん/\こと/″\刹那せつなの現在からすぐ過去に流れ込むものであるから、又瞬刻の現在から何等の段落なしに未来を生み出すものであるから、過去について云ひべき事は現在に就ても言ひべき道理であり、また未来にいても下しべき理窟であるとすると、一生はつひに夢よりも不確実なものになつてしまはなければならない。
 ういふ見地からわれといふものを解釈したら、いくら正月が来ても、自分は決して年齢としを取るはずがないのである。年齢としを取るやうに見えるのは、全く暦と鏡の仕業しわざで、その暦も鏡も実は無に等しいのである。
 驚くべき事は、これと同時に、現在の我が天地をおほひ尽して儼存げんそんしてゐるといふ確実な事実である。一挙手一投足の末に至るまでこのわれ」が認識しつゝ絶えず過去へ繰越くりこしてゐるといふ動かしがたい真境しんきやうである。だから其処そこに眼を付けて自分のうしろを振り返ると、過去は夢どころではない。炳乎へいことして明らかに刻下こくかの我をてらしつゝある探照燈のやうなものである。従つて正月が来るたびに、自分は矢張り世間なみ年齢としを取つて老い朽ちて行かなければならなくなる。
 生活に対するこの二つの見方が、同時にしかも矛盾なしに両存して、普通にいふ所の論理を超越してゐる異様な現象にいて、自分は今何も説明するつもりはない。又解剖する手腕もたない。たゞ年頭に際して、自分はこの一体二様の見解を抱いて、わが全生活を、大正五年の潮流にまかせる覚悟をした迄である。
 し無に即してへば、自分は今度の春を迎へる必要も何もない。いな明治の始めから生れないのと同じやうなものである。しかになづんで云へば、多病な身体からだが又一年き延びるにつれて、自分のすべき事はそれだけ量において増すのみならず、質においても幾分いくぶんか改良されないとも限らない。従つて天が自分に又一年の寿命をしてれた事は、平常から時間の欠乏を感じてゐる自分に取つては、の位の幸福になるか分らない。自分は出来るだけ余命のあらん限りを最善に利用したいと心掛けてゐる。
 趙州でうしう和尚といふ有名な唐の坊さんは、趙州古仏晩年発心ほつしんと人にはれただけあつて、六十一になつてから初めて道にこゝろざした奇特きどくな心懸の人である。七歳の童児なりとも、我にまさるものには我れすなはち彼に問はん、百歳の老翁らうをうなりとも我に及ばざる者には我れ即ちを教へんと云つて、南泉なんせんといふ禅坊さんの所へ行つて二十年間まずに修業を継続したのだから、卒業した時にはもう八十になつてしまつたのである。それから趙州の観音院に移つて、始めて人を得度とくどし出した。さうして百二十の高齢に至る迄化導けだうもつぱらにした。
 寿命は自分の極めるものでないから、もとより予測は出来ない。自分は多病だけれども、趙州の初発心しよほつしんの時よりもまだ十年も若い。たとひ百二十まで生きないにしても、力の続く間、努力すればまだ少しは何か出来る様に思ふ。それで私は天寿の許す限り趙州のひそみにならつて奮励する心組こゝろくみでゐる。古仏とはれた人の真似まねも長命も、無論自分のぶんでないかも知れないけれども、羸弱るゐじやくなら羸弱るゐじやくなりに、現にわが眼前に開展する月日に対して、あらゆる意味においての感謝の意を致して、自己の天分のたけを尽さうと思ふのである。
 自分は点頭録てんとうろくの最初に是丈これだけの事を云つて置かないと気が済まなくなつた。

       二 軍国主義(一)

 今度の欧洲おうしう戦争が爆発した当時、自分は或人あるひとから突然質問を掛けられた。
んな影響が出て来るでせう」
左様さやう
 自分は実際考へるひまたなかつた。けれども答へなければならなかつた。
んな影響が出て来るか、来て見なければ無論解りませんけれども、何しろ吾々がこれはと驚ろくやうな目覚めざましい結果は予期しにくいやうに思ひます。元来ことの起りが宗教にも道義にも乃至ないし一般人類に共通な深い根柢を有した思想なり感情なり欲求なりに動かされたものでない以上、何方どつちが勝つた所で、善が栄えるといふわけでもなし、又何方どつちが負けたにした所で、しんいきほひを失ふといふ事にもならず、美がかゞやきを減ずるといふ羽目はめにも陥る危険はないぢやありませんか」
 自分はさうひ切つて仕舞しまつた。さうして戦争の展開する場面が非常に広い割に、又それに要する破壊的動力がすさまじいくらゐ猛烈な割に、案外落付いてゐられるのは、全くこの見解が知らず/\胸のうちにあるからだらうと、ひそかに自分で自分を判断した。
 実際この戦争から人間の信仰に革命を引き起すやうな結果は出て来やうとも思はれない。又従来の倫理観を一変するやうな段落が生じやうとも考へられない。これがため美醜びしうの標準にくるひが出やうとは猶更なほさら懸念できない。の方面から見ても、吾々の精神生活が急劇な変化を受けて、所謂いはゆる文明なるものゝ本流に、強い角度の方向転換が行はれるおそれはないのである。
 戦争と名のつくものゝ多くは古来から大抵んなものかも知れないが、ことに今度の戦争は、その仕懸しかけの空前に大袈裟おほげさだけに、やゝともすると深みの足りない裏面を対照としてかへつて思ひ出させるだけである。自分は常にあの弾丸とあの硝薬せうやくとあの毒瓦斯ガスとそれからあの肉団にくだんと鮮血とが、我々人類の未来の運命に、の位の貢献をしてゐるのだらうかと考へる。さうしてる時は気の毒になる。或る時は悲しくなる。又或る時は馬鹿々々しくなる。最後に折々をり/\は滑稽さへ感ずる場合もあるといふ残酷な事実を自白せざるを得ない。左様さうした立場から眺めると、如何いかすさまじい光景でも、如何になまぐさい舞台でも、それに相応した内面的背景をそなへて居ないといふ点において、又それに比例した強硬な脊髄を有して居ないといふ意味に於て、浅薄な活動写真だの軽浮けいふなセンセーシヨナル小説だのとえらぶ所がないやうな気になる。たとひ殺傷に参加する人々個々の頭上には、千差万別の悲劇が錯綜紛糾さくそうふんきうして、時々刻々に彼等の運命を変化しつゝあらうとも、それは当座限りの影響にすぎない。永久に吾人ごじん一般の内面生活を変色させるやうな強い結果は何処どこからも生れて来ない。とすると、今度の戦争は有史以来特筆大書すべき深刻な事実であると共に、まことに根の張らない見掛倒しの空々そら/″\しい事実なのである。(つゞく)

       三 軍国主義(二)

 しかしもう少し低い見地に立つて、もつと手近な所を眺めると、この戦争の当然将来にもたらすべき結果は、いくらでも吾々の視線のうち這入はひつて来なければならない。政治上にせよ、経済上にせよ、向後かうご解決されべき諸問題はくらゐ彼等の前によこたはつてゐるか分らないとつてもい位である。
 其中そのうちで事件の当初から最も自分の興味をいたもの、又現に惹きつゝあるものは、軍国主義の未来といふ問題に外ならなかつた。人道の為の争ひとも、信仰の為の闘ひとも、又意義ある文明の為の衝突とも見做みなす事の出来ないこの砲火の響を、自分はたゞ軍国主義の発現として考へるより外に翻訳の仕様がなかつたからである。欧洲大乱といふ複雑極まる混乱した現象を、鷲攫わしづかみに纏めて観察した時、自分は始めてこの戦争にある意味を附着する事が出来た。さうしておもその意味からばかり勝敗の成行なりゆきを眺めるやうになつた。従つて個人としての同情や反感を度外に置くと、独逸ドイツだの仏蘭西フランスだの英吉利イギリスだのといふ国名は、自分に取つてもう重要な言葉でも何でもなくなつて仕舞しまつた。自分は軍国主義を標榜へうばうする独逸が、の位の程度において聯合国を打ち破り得るか、又ほど根強くそれらに抵抗し得るかを興味にちた眼で見詰めるよりは、はるかにより鋭い神経を働かせつつ、独逸につて代表された軍国主義が、多年英仏えいふつに於て培養された個人の自由を破壊し去るだらうかを観望してゐるのである。国土や領域や羅甸ラテン民族やチユトン人種やすべて具象的な事項は、今の自分にした問題になつてゐない。
 独逸は当初の予期に反してすこぶる強い。聯合軍に対して是程これほど持ちこたへやうとは誰しも思つてゐなかつた位に強い。すると勝負の上において、所謂いはゆる軍国主義なるものゝ価値は、もう大分だいぶ世界各国に認められたとはなければならない。さうして向後かうご独逸が成功を収めれば収める程、この価値は漸々ぜん/\高まる丈である。英吉利のやうに個人の自由を重んずる国が、強制徴兵案を議会に提出するのみならず、それが百五対四百三の大多数を以て第一読会どくくわいを通過したのを見ても、その消息はよくうかゞはれるだらう。
 かつてギッシングの書いたものを読んだら、小さいうち学校で体操を強ひられるのが、非常の苦痛と不快を彼に与へたといふ事がくはしく述べてあつた末に、もしわが英国で本人の意思に逆つて迄も徴兵を強制するやうになつたと仮定したら、自分はんな心持になるだらう、さういふ事実は万々起るはずはないのだけれども、たゞ想像して見てさへへられないと附け加へてあつた。ギッシングのやうに独居どくきよを好む人は特別だとふかも知れないが、英国人の自由を愛する念と云つたら、ほとんど第二の天性として一般に行き渡つてゐるのだから、強制徴兵に対する嫌悪の情は、誰しもギッシングに譲らないと見ても間違はないのである。その英国で無理にも国民を兵籍に入れやうとするのには至大しだいの困難があると思はなければならない。其困難ををかして新しい議案が持ち出され、又其議案が過半の多数につて通過されたとすると、現に非常な変化が英国民の頭のうちに起りつつある証拠になる。さうしてこの変化は既に独逸が真向まつかうに振りかざしてゐる軍国主義の勝利と見るより外に仕方がない。戦争がまだ片付かないうちに、英国は精神的にもう独逸に負けたと評しても好い位のものである。(つゞく)

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