四 軍国主義(三)
開戦の劈頭から首都巴里を脅かされやうとした仏蘭西人の脳裏には英国民よりも遥に深く此軍国主義の影響が刻み付けられたに違ない。たゞでさへ何うして独逸に復讐してやらうかと考へ続けに考へて来た彼等が、愈となると、却て其独逸の為に領土の一部分を蹂躪されるばかりか、政庁さへ遠い所へ移さなければならなくなつたのは、彼等に取つて甚だ痛ましい事実である。其事実を眼前に見た彼等の精神に、一種の強い感銘が起るのも亦必然の結果と云はなければなるまい。飛行船から投下された爆弾以外に、まだ寸土も敵兵に踏まれてゐない英国に比較すると、此精神的打撃は更に幾倍の深刻さを加へてゐると見るのが正に妥当の見解である。 不幸にして強制徴兵案の様に自分の想像を事実の上で直接確めて呉れる程の鮮やかな現象が、仏蘭西ではまだ起つてゐないから、自分は自分の臆説をさう手際よく実際に証明する訳に行かない。けれども戦争の経過につれて、彼等の公表する思想なり言説なりに現れて来る変化を迹付ければ、自分の考への大して正鵠を失つてゐない事丈は略慥なやうに思はれる。此間或雑誌で「力」といふ観念に就て独仏両者を比較したパラントといふ人の文章を読んだ時、自分は益其感を深くした。 彼は「力」といふ考への中に、独逸人の混入した不純な概念を列挙した末、仏蘭西のそれも矢張り変に歪んでしまつたといふ事を下の様に説いてゐる。 「仏蘭西では科学的に所謂「力」といふものが正義権利の観念と衝突した。ルーテル式独逸式ではないが、ルソー式、トルストイ式、四海同胞式、平和式、平等式、人道式なる此観念のために本来の「力」といふ考へがつい曲げられて不徳不仁の属性を帯びるやうになつてしまつた。そこで正義と人道と平和の為に此「力」といふものを軽蔑し且否定しなければならなくなつた。さうして美と正義を一致させ、美と調和を一致させる美学を建設した。奮闘も差別も自然の法則であるといふ事を忘れた。美其物も一種の「力」であり、又「力」の発現であるといふ事を忘れた。正義其物も本来の意味から云へば平衡を得た「力」に過ぎないといふ事を忘れた。「力」の方が原始的で、正義の方は却て転来的であるといふ事も忘れた。斯んな僻見に比べるとニーチエの方が何の位尤もであつたか分らない。……そこで吾々は何うしても「力」といふ観念をこゝで一新する必要がある。さうして本当の意味でもう一度それを評価の階段中に入れ易へなければならない。自然の法則を現すといふ点に於て「力」は科学的なものである。勝利を冀ふ人間の精神を現すといふ点に於て「力」は高尚なものである。吾々はもう権利と「力」とを対立させる事を已めなければ行けない。権利がなくつて負けるのはまだしもだが、権利がある上に負けるのは二重の敗北である。最大の損害である。無上の不幸である」 冗漫と難渋とを恐れて、わざと大意丈を抄訳した此一節を読んで見ても、相手の軍国主義が何んな風に仏蘭西の思想界の一部に食ひ入りつゝあるかが解るだらう。(つゞく)
五 軍国主義(四)
すると戦争のまだ落着しないうちから、年来独逸によつて標榜された軍国的精神なるものは既に敵国を動かし始めたのである。遠い東の果に住んでゐる吾々の視聴を刺戟する位強く彼等の心を動かし始めたのである。さうして此影響はたとひ今度の戦争が片付いても、容易に彼等の脳裏から拭ひ去る事が出来ないのである。単に過去の経験を痛切に記憶すべく余儀なくされた結果として拭ひ去る事が出来ないばかりでなく、未来に対する配慮からしても到底此影響を超越する訳には行かないのである。 待対世界の凡てのものが悉く条件つきで其存在を許されてゐる以上、向後に回復されべき欧洲の平和にも、亦絶対の権威が伴つてゐない事だけは誰の眼にも明かである。然し彼等が其平和の必要条件として、それとは全く両立しがたい腕力の二字を常に念頭に置くべく強ひられるに至つては、彼等と雖も今更ながら天のアイロニーに驚かざるを得まい。現代に所謂列強の平和とはつまり腕力の平均に外ならないといふ平凡な理窟を彼等は又新しく天から教へられたのである。土俵の真中で四つに組んで動かない力士は、外観上至極平和さうに見える。今迄彼等の享有した平和も、実はそれ程に高価で、又それ程に苦痛性を帯びてゐたのである。しかも彼等は相撲取のやうにそれを自覚してゐなかつたために突然罰せられた。換言すれば生存上腕力の必要を向後当分の間忘れる事の出来ないやうに遣付けられた。軍国主義が今迄彼等に及ぼした、又是から先彼等に及ぼすべき影響は決して浅いものではない。又短いものではなからう。 普魯西人は文明の敵だと叫んで見たり、独逸人が傍にゐると食つた物が消化れないで困ると云つたりしたニーチエは、偉大なる「力」の主張者であつた。不思議にも彼の力説した議論の一面を、彼の最も忌み悪んだ独逸人が、今政治的に又国際的に、実行してゐるのである。さうして成効してゐるのである。軍国主義の精神には一時的以上の真理が何処かに伏在してゐると認めても差支ないかも知れない。 然し自分の軍国主義に対する興味は、此処迄観察して来ると其処で消えてしまはなければならない。自分はこれ以上同じ問題に就いて考へる必要を認めない。又手数も厭はしい気がする。自分はもつと高い場所に上りたくなる。もつと広い眼界から人間を眺めたくなる。さうして今独逸を縦横に且獰猛に活躍させてゐる此軍国主義なるものを、もつと遠距離から、もつと小さく観察したい。 将来に於ける人間の生存上赤裸々なる腕力の発現が、大仕掛の準備、即ち戦争といふ形式を以て世の中に起るとすれば、それを解釈するものは、腕力の発現そのものが目的で人間が戦争をするのであるとするか、又は目的は他にあるが、それを遂行する手段として已を得ず戦争に訴へたのだとしなければならない。然し戦争其物が面白くつて戦争をしたものが昔からあるだらうか。ナポレオンの様な此方面の天才ですら、夜打朝懸、軍さの懸引に興味は有つてゐたかも知れないが、たゞ戦ひたいから戦つたのだとは受け取れない。たとひ露骨な腕力沙汰が個人の本能だとしても、相手を殺したり傷けたりしない程度に於て其本能を満足させるのが人情である。一日に何千何万といふ人命を賭にして此本能に飽満の悦楽を与へるのが戦争であるとは、誰しも云ひ得まい。すると戦争は戦争の為の戦争ではなくつて、他に何等かの目的がなくてはならない、畢竟ずるに一の手段に過ぎないといふ事に帰着してしまふ。 何れの方面から見ても手段は目的以下のものである。目的よりも低級なものである。人間の目的が平和にあらうとも、芸術にあらうとも、信仰にあらうとも、知識にあらうとも、それを今批判する余裕はないが、とにかく戦争が手段である以上、人間の目的でない以上、それに成効の実力を付与する軍国主義なるものも亦決して活力評価表の上に於て、決して上位を占むべきものでない事は明かである。 自分は独逸によつて今日迄鼓吹された軍国的精神が、其敵国たる英仏に多大の影響を与へた事を優に認めると同時に、此時代錯誤的精神が、自由と平和を愛する彼等に斯く多大の影響を与へた事を悲しむものである。
六 トライチケ(一)
欧洲戦争が起つてから、独乙の学者思想家の言論を実際的に解釈するものが続々出て来た。 最初英吉利の雑誌にはニーチエといふ名前が頻りに見えた。ニーチエは今度の事件が起る十年も前、既に英語に翻訳されてゐる。英吉利の思想界にあつて別に新らしい名前でもない。然し彼等は其名前に特別な新らしい意味を着けた。さうして彼の思想を此大戦争の影響者である如くに言ひ出した。是は誰の眼にも映る程屡繰り返された。基督の道徳は奴隷の道徳であると罵つたのは正にニーチエであると同時に、ビスマークを憎みトライチケを侮つたのもニーチエであるとすると、彼が斯ういふ解釈を受けて満足するかどうかは疑問である。本人の思はく如何は別問題として、彼の唱道した超人主義の哲学が、此際独乙に取つて、何れ程役に立つてゐるかも遠方に生れた自分には殆んど見当が付かない。 仏蘭西の一批評家は「所謂独乙的発展」といふ題目の下に、ヘーゲルとビスマークとヰリアム二世の名を列挙した。彼はヘーゲルの様な純粋の哲学者を軍人政治家と結び付ける許りか、其思想が彼等軍人政治家の実行に深い関係を有してゐるのだといふ事を説明しやうと試みた。彼の云ふ所によると、普魯西の軍国主義はヘーゲルの観念論の結果に外ならんといふのである。――元来独乙のアイヂアリズムは観念の科学であつて、其観念なるものが又大いに感情的分子を含んでゐる。文字の示現通り単なる冥想や思索でなくつて、場合が許すならば、何時でも実行的に変化するのみならず、時としては侵略的にさへなりかねない程毒々しいものである。アイヂアリズムが論議の援助を受けて、主観客観の一致を発見したが最後、こゝに外界と内界の墻壁を破壊して、凡てを吸収し尽さなければ已まない事になる。アイヂアリズムから思ひも寄らない物質主義が現はれてくる。是は最初から無関心で出立しない哲学として、陥るべき当然の結果である。 此批評家の云ふ事が、果して真相の解釈であるか何うか、是も自分には分らない。唯遠くにゐて、其土地の空気を呼吸しない所為か、斯ういふ説明は自分から見て何うも切実でないやうな気がする。奇抜な事は突飛な位奇抜とは思ふが、それがため却つて成程と首肯しがたくなる位なものである。 例を挙げればまだ沢山あるが、さう一々も覚えてゐないから、まづ此位にして置いて、自分は一寸斯ういふ現象に就いてこゝに挿話的ながら考へて見たいと思ふ事がある。 英仏の評論家は現在の戦争を単に当面の事実としてばかり眺めてゐないのみならず、又それを政治上の問題としてばかり考へてゐないのみならず、其背後に必ず或思想家なり学者なりの言説を大いなる因子として数へたがつてゐる傾向に見える。実際欧洲の思想家や学者はそれ程実社会を動かしてゐるのだらうか。 自分は日露戦争が、我日本の生んだ大哲学者の影響を蒙つて発現したとは決して思はない。日清戦争も其通りである。戦争はとにかく、其他の小事件にせよ、我日本に起つた歴史的事実の背景に、思想家の思想を基点として据ゑ得るものは殆んどないやうに思ふ。現代の日本に在つて政治は飽く迄も政治である。思想は又何所迄も思想である。二つのものは同じ社会にあつて、てんでんばら/\に孤立してゐる。さうして相互の間に何等の理解も交渉もない。たまに両者の連鎖を見出すかと思ふと、それは発売禁止の形式に於て起る抑圧的なものばかりである。山陽の日本外史が維新の大業に醗酵分となつて交り込んだのは、例外中の例外で、しかもそれは明治大正以前の事実に過ぎない。日本の思想家が貧弱なのだらうか。日本の政治家の眼界が狭いのだらうか。又は西洋の批評家の解釈に誇張が多過ぎるのだらうか。自分は三つとも否定する訳に行くまいと思ふ。さうして其内で西洋の批評家の誇張が一番少ないと思ふ。(つゞく)
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