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点頭録(てんとうろく)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-18 9:04:10 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


       四 軍国主義(三)

 開戦の劈頭へきとうから首都巴里パリーおびやかされやうとした仏蘭西フランス人の脳裏には英国民よりもはるかに深くこの軍国主義の影響が刻み付けられたに違ない。たゞでさへうして独逸ドイツに復讐してやらうかと考へ続けに考へて来た彼等が、いよ/\となると、かへつその独逸の為に領土の一部分を蹂躪じうりんされるばかりか、政庁さへ遠い所へ移さなければならなくなつたのは、彼等に取つてはなはだ痛ましい事実である。その事実を眼前に見た彼等の精神に、一種の強い感銘が起るのもまた必然の結果とはなければなるまい。飛行船から投下された爆弾以外に、まだ寸土すんども敵兵に踏まれてゐない英国に比較すると、この精神的打撃はさら幾倍いくばいの深刻さを加へてゐると見るのがまさに妥当の見解である。
 不幸にして強制徴兵案の様に自分の想像を事実の上で直接たしかめてれる程の鮮やかな現象が、仏蘭西フランスではまだ起つてゐないから、自分は自分の臆説おくせつをさう手際てぎはよく実際に証明するわけに行かない。けれども戦争の経過につれて、彼等の公表する思想なり言説なりに現れて来る変化を迹付あとづければ、自分の考への大して正鵠せいこうを失つてゐない事だけほゞたしかなやうに思はれる。此間このあひだある雑誌で「力」といふ観念について独仏両者を比較したパラントといふ人の文章を読んだ時、自分はます/\其感を深くした。
 彼は「力」といふ考へのうちに、独逸ドイツ人の混入した不純な概念を列挙した末、仏蘭西フランスのそれも矢張やはり変にゆがんでしまつたといふ事をしもの様に説いてゐる。
「仏蘭西では科学的に所謂いはゆる「力」といふものが正義権利の観念と衝突した。ルーテル式独逸式ではないが、ルソー式、トルストイ式、四海同胞かいどうはう式、平和式、平等式、人道式なるこの観念のために本来の「力」といふ考へがつい曲げられて不徳不仁ふとくふじんの属性を帯びるやうになつてしまつた。そこで正義と人道と平和の為にこの「力」といふものを軽蔑しかつ否定しなければならなくなつた。さうして美と正義を一致させ、美と調和を一致させる美学を建設した。奮闘も差別も自然の法則であるといふ事を忘れた。美其物そのものも一種の「力」であり、又「力」の発現であるといふ事を忘れた。正義其物そのものも本来の意味から云へば平衡を得た「力」に過ぎないといふ事を忘れた。「力」の方が原始的で、正義の方はかへつ転来てんらい的であるといふ事も忘れた。んな僻見へきけんに比べるとニーチエの方がの位もつともであつたか分らない。……そこで吾々はうしても「力」といふ観念をこゝで一新する必要がある。さうして本当の意味でもう一度それを評価の階段中に入れへなければならない。自然の法則を現すといふ点において「力」は科学的なものである。勝利をこひねがふ人間の精神を現すといふ点に於て「力」は高尚なものである。吾々はもう権利と「力」とを対立させる事をめなければけない。権利がなくつて負けるのはまだしもだが、権利がある上に負けるのは二重の敗北である。最大の損害である。無上の不幸である」
 冗漫と難渋とを恐れて、わざと大意だけを抄訳したこの一節を読んで見ても、相手の軍国主義がんな風に仏蘭西の思想界の一部に食ひ入りつゝあるかが解るだらう。(つゞく)

       五 軍国主義(四)

 すると戦争のまだ落着しないうちから、年来独逸ドイツによつて標榜へうばうされた軍国的精神なるものは既に敵国を動かし始めたのである。遠い東のはてに住んでゐる吾々の視聴を刺戟するくらゐ強く彼等の心を動かし始めたのである。さうしてこの影響はたとひ今度の戦争が片付いても、容易に彼等の脳裏からぬぐひ去る事が出来ないのである。単に過去の経験を痛切に記憶すべく余儀なくされた結果として拭ひ去る事が出来ないばかりでなく、未来に対する配慮からしても到底この影響を超越するわけには行かないのである。
 待対たいたい世界のすべてのものがこと/″\く条件つきでその存在を許されてゐる以上、向後かうごに回復されべき欧洲の平和にも、また絶対の権威が伴つてゐない事だけは誰の眼にも明かである。しかし彼等がその平和の必要条件として、それとは全く両立しがたい腕力の二字を常に念頭に置くべくひられるに至つては、彼等といへども今更ながら天のアイロニーに驚かざるを得まい。現代に所謂いはゆる列強の平和とはつまり腕力の平均に外ならないといふ平凡な理窟を彼等は又新しく天から教へられたのである。土俵の真中で四つに組んで動かない力士は、外観上至極しごく平和さうに見える。今迄彼等の享有きやういうした平和も、実はそれ程に高価で、又それ程に苦痛性を帯びてゐたのである。しかも彼等は相撲取のやうにそれを自覚してゐなかつたために突然罰せられた。換言すれば生存上腕力の必要を向後かうご当分のあひだ忘れる事の出来ないやうに遣付やつつけられた。軍国主義が今迄彼等に及ぼした、又これから先彼等に及ぼすべき影響は決して浅いものではない。又短いものではなからう。
 普魯西プロシヤ人は文明の敵だと叫んで見たり、独逸ドイツ人がそばにゐると食つた物が消化こなれないで困るとつたりしたニーチエは、偉大なる「力」の主張者であつた。不思議にも彼の力説した議論の一面を、彼の最もにくんだ独逸人が、今政治的に又国際的に、実行してゐるのである。さうして成効してゐるのである。軍国主義の精神には一時的以上の真理が何処どこかに伏在ふくざいしてゐると認めても差支さしつかへないかも知れない。
 しかし自分の軍国主義に対する興味は、此処迄ここまで観察して来ると其処そこで消えてしまはなければならない。自分はこれ以上同じ問題にいて考へる必要を認めない。又手数もいとはしい気がする。自分はもつと高い場所にのぼりたくなる。もつと広い眼界から人間を眺めたくなる。さうして今独逸ドイツを縦横にかつ獰猛だうまうに活躍させてゐるこの軍国主義なるものを、もつと遠距離から、もつと小さく観察したい。
 将来に於ける人間の生存上赤裸々せきらゝなる腕力の発現が、大仕掛おほじかけの準備、すなはち戦争といふ形式を以て世の中に起るとすれば、それを解釈するものは、腕力の発現そのものが目的で人間が戦争をするのであるとするか、又は目的はにあるが、それを遂行すゐかうする手段としてやむを得ず戦争に訴へたのだとしなければならない。しかし戦争其物そのものが面白くつて戦争をしたものが昔からあるだらうか。ナポレオンの様なこの方面の天才ですら、夜打朝懸ようちあさがけいくさの懸引〔かけひき〕に興味はつてゐたかも知れないが、たゞ戦ひたいから戦つたのだとは受け取れない。たとひ露骨な腕力沙汰が個人の本能だとしても、相手を殺したりきずつけたりしない程度においその本能を満足させるのが人情である。一日に何千何万といふ人命をかけにしてこの本能に飽満はうまんの悦楽を与へるのが戦争であるとは、誰しもひ得まい。すると戦争は戦争の為の戦争ではなくつて、他に何等なんらかの目的がなくてはならない、畢竟ひつきやうずるに一の手段に過ぎないといふ事に帰着してしまふ。
 いづれの方面から見ても手段は目的以下のものである。目的よりも低級なものである。人間の目的が平和にあらうとも、芸術にあらうとも、信仰にあらうとも、知識にあらうとも、それを今批判する余裕はないが、とにかく戦争が手段である以上、人間の目的でない以上、それに成効の実力を付与する軍国主義なるものもまた決して活力評価表の上に於て、決して上位をむべきものでない事は明かである。
 自分は独逸によつて今日迄鼓吹こすゐされた軍国的精神が、その敵国たる英仏に多大の影響を与へた事をいうに認めると同時に、この時代錯誤的精神が、自由と平和を愛する彼等にく多大の影響を与へた事を悲しむものである。

       六 トライチケ(一)

 欧洲戦争が起つてから、独乙〔ドイツ〕の学者思想家の言論を実際的に解釈するものが続々出て来た。
 最初英吉利〔イギリス〕の雑誌にはニーチエといふ名前がしきりに見えた。ニーチエは今度の事件が起る十年も前、既に英語に翻訳されてゐる。英吉利の思想界にあつて別にあたらしい名前でもない。然し彼等は〔その〕名前に特別なあたらしい意味をけた。さうして彼の思想を〔この〕大戦争の影響者である如くに言ひ出した。是は誰のにもうつる程しば/\繰りかへされた。基督〔キリスト〕の道徳は奴隷どれいの道徳であると罵つたのは正にニーチエであると同時に、ビスマークを憎みトライチケを侮つたのもニーチエであるとすると、彼が〔こ〕ういふ解釈を受けて満足するかどうかは疑問である。本人の思はく如何〔いかん〕は別問題として、彼の唱道した超人主義の哲学が、此際独乙〔ドイツ〕に取つて、れ程役に立つてゐるかも遠方に生れた自分には殆んど見当が付かない。
 仏蘭西〔フランス〕の一批評家は「所謂〔いわゆる〕独乙的発展」といふ題目のしたに、ヘーゲルとビスマークとヰリアム二世の名を列挙した。彼はヘーゲルの様な純粋の哲学者を軍人政治家と結びける許りか、其思想が彼等軍人政治家の実行に深い関係を有してゐるのだといふことを説明しやうと試みた。彼の云ふ所によると、普魯西〔プロシア〕の軍国主義はヘーゲルの観念論の結果に外ならんといふのである。――元来独乙のアイヂアリズムは観念の科学であつて、其観念なるものが又大いに感情的分子をふくんでゐる。文字の示現通り単なる冥想や思索でなくつて、場合が許すならば、何時いつでも実行的に変化するのみならず、時としては侵略的にさへなりかねない〔ほど〕毒々しいものである。アイヂアリズムが論議の援助を受けて、主観客観の一致を発見したが最後、こゝに外界と内界の墻壁〔しょうへき〕を破壊して、凡てを吸収し尽さなければ〔や〕まないことになる。アイヂアリズムから思ひも寄らない物質主義が現はれてくる。是は最初から無関心で出立しない哲学として、陥るべき当然の結果である。
 此批評家の云ふことが、果して真相の解釈であるかうか、是も自分には分らない。唯遠くにゐて、其土地の空気を呼吸しない所為せゐか、ういふ説明は自分から見て〔ど〕うも切実でないやうな気がする。奇抜なこと突飛〔とっぴ〕な位奇抜とは思ふが、それがため却つて成程と首肯しがたくなる位なものである。
 例を挙げればまだ沢山あるが、さう一々も覚えてゐないから、まづ此位にして置いて、自分は一寸ういふ現象に就いてこゝに挿話的ながら考へて見たいと思ふことがある。
 英仏の評論家は現在の戦争を単に当面の事実としてばかり眺めてゐないのみならず、又それを政治上の問題としてばかり考へてゐないのみならず、其背後に必ずある思想家なり学者なりの言説を大いなる因子いんしとして数へたがつてゐる傾向に見える。実際欧洲の思想家や学者はそれ程実社会を動かしてゐるのだらうか。
 自分は日露戦争が、我日本の生んだ大哲学者の影響を〔こうむ〕つて発現したとは決して思はない。日清戦争も其通りである。戦争はとにかく、其他の小事件にせよ、我日本に起つた歴史的事実の背景に、思想家の思想を基点として据ゑ得るものは殆んどないやうに思ふ。現代の日本に在つて政治は〔あ〕く迄も政治である。思想は又何所〔どこ〕迄も思想である。二つのものは同じ社会にあつて、てんでんばら/\に孤立してゐる。さうして相互の間に何等の理解も交渉もない。たまに両者の連鎖を見出すかと思ふと、それは発売禁止の形式に於て起る抑圧的なものばかりである。山陽の日本外史が維新の大業に醗酵分となつて交り込んだのは、例外中の例外で、しかもそれは明治大正以前の事実に過ぎない。日本の思想家が貧弱なのだらうか。日本の政治家の眼界が狭いのだらうか。又は西洋の批評家の解釈に誇張が多過ぎるのだらうか。自分は三つとも否定する訳に行くまいと思ふ。さうして其内で西洋の批評家の誇張が一番少ないと思ふ。(つゞく)

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