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柿の種(かきのたね)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/10/2 9:50:27 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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(昭和十年七月十三日) [#改ページ]* 腰の屈伸の不自由な病気にかかった。寝ているか、立っているのはいいがすわったり腰かけたりしているのがどうもぐあいが悪い。特に腰を低く下ろすような 珍しい秋晴れの日に縁側へ出て庭をながめながら物を考えたりするのにぐあいのいいような腰の高い椅子があるといいと思う。しかし近ごろは昔あったような高い これはやはり「流行」の現象であろうと思われる。しかし扁平な低い椅子がはやるという現象には何かしらその背後にある時代的な心理の反映が見られる。 [#改ページ] * 左の足が痛むのでびっこをひいて歩いていたら、その効果で今度は腹と腰とのつがい目の所の筋肉が痛んで立ったりすわったりするたびにそれが飛び上がるほど痛むのであった。立っているか寝ていればなんの事はない。しかしちょっとでも いろいろな動作でちっともそこにひびかぬ動作とひびく動作がある。それでこの特別な筋が平生いかなる動作にいかなる程度に動員されているかということが実によくわかった。健康な場合には到底わからないことである。物の効用は、それが失われてみて始めてよくわかるという一例である。 すわったり腰かけたりして、物を書こうとするとやはりこの筋肉が引きつって痛む。 物を書くのには頭と眼と手だけでいいと思っていたのは誤りであった。書くという仕事にはやっぱり「腹」や「腰」も入用なのである。意外な「発見」であった。 [#改ページ] * からだの自由に動かせない病気で十日も寝ているとむやみにかんしゃくが起こっておもしろい。今朝は呼び鈴のコードを手近に置くべきのをだれかが遠くに押しのけてあったので大声でオーイオーイと呼んだが階下にいる五人のだれにも聞こえない。 「お隣に大工さんが来て仕事しているのだと思った」そうである。 子供の時分に 今度の病気で昔の中風老人たちを想い出して、この天下に普遍な家庭小悲喜劇の心理分析を試みる機会を得た。 亡友K君が眼病で手術をして一時失明したことがあった。かんしゃくが起こりはしないかと聞いたら、それどころか反対に一生懸命細君にもその他の家族にも従順にしてきげんをそこねないようにしているという。どうしてかと聞くと、もしや今家族に見放されたらたいへんだという気がして、自然にそうなるのだということであった。 自分の場合のかんしゃくは結局、病気がたいした事でないという潜在的な自覚から、いくらやんちゃを言っても家族が大丈夫 [#改ページ] * 明治時代の青年における「星」「すみれ」の流行と近代ボーイにおけるマルキシズムのそれとはその原動力となる情熱の感傷的な点ではほとんど大差ないもののような気がする。ただ理論で裏づけられたヒステリック感傷は治療がいっそうめんどうなようである。 [#改ページ] * イタリアとエチオピアとの葛藤が永びいて、ほとんど毎日のようにムッソリニの顔が新聞に出る。毎日見ているとその顔がだんだんにナポレオンの顔に似てくる。実際どこかよく似ているのである。 伊軍の飛行機を輸送船に積み込むというので翼を取りはずした機体を 黙示録のいなごが現世に現われたのである。 形の似たものにはやはり性能にもどこか似たところがあるようである。 [#改ページ] * エチオピア事件でほとんど毎日毎夕の新聞に伊国首相や、エ国皇帝、それから国際聯盟の英仏代表イーデン、ラバールの肖像が出る。 日本の内閣に何か重大な事件でもあると岡田首相や陸相海相の顔が毎日のように新聞の紙面の相当な面積を占めて出現する。 ちょっとわれわれには了解のできにくい現象である。新聞の読者というものは恐ろしく健忘性なものであると仮定するか、あるいはまた新聞購読者の大多数は、ほんの気まぐれに、十日に一度 もっともこうしないと「その日その日主義」とも訳されるジャーナリズムの「気分」が出ないのかもしれない。 [#改ページ] * 秋晴れの午後二階の病床で読書していたら、突然北側の中敷窓から何かが飛び込んで来て、何かにぶつかってぱたりと落ちる音がした。郵便物でも外から投げ込んだような音であったが、二階の窓に下から郵便をほうり込む人もないわけだから小鳥でも飛び込んだかしらと思ったが、からだの痛みで起き上がるのが困難だから確かめもせずにやがて忘れてしまっていた。しばらくしてから娘が二階へ上がって来て「オヤ、これどうしたの」と言いながら縁側から拾い上げて持って来たのを見ると一羽の 鳥の先祖の時代にはガラスというものはこの世界になかった。ガラス戸というものができてから今日までの年月は鳥に「ガラス教育」を施すにはあまりに短かった。 人間の行路にもやはりこの「ガラス戸」のようなものがある。失敗する人はみんな眼の前の「ガラス」を見そこなって鼻柱を折る人である。 三原山火口へ投身する人の大部分がそうである。またナポレオンもウィルヘルム第二世もそうであった。 この「ガラス」の見えない人たちの独裁下に踊る国家はあぶなくて見ていられない。 [#改ページ] * 隣家に犬がいる。戸外へは出さないらしいので姿は一度も見たことがない。夜中にほえている声から判断すると相当 生理学のほうで「条件反射」という現象がある。この犬の場合はあるいはその一例かもわからない。まだ小さい時分に何かしら同じような音響のする場所でたびたびひどい目に遇った経験の記憶が、この動物の脳髄に焼き付けられたように印象されているのかもわからない。 それともまた、この犬は何か耳の病気があって、ある一定の高さの音がとくに鋭く病的にその聴覚を刺戟するのかもしれない。これはただ犬の話であるが、われわれ人間でもよく考えてみるとこれとよく似た現象がいくらでもあるらしい。そこらの花盛りを見て心が浮き立ったり、秋の月を見て物を思わされたりするのもその一例であるが、これらは国民全体に共通な教育による「条件反射」のようなものである。しかしもっと特殊な例としては、芋虫を見るとからだがすくんでしまう人や、 (昭和十年十月十日) [#改ページ]* 友人の科学者で陶器を作るのを道楽にしている男がある。自分の邸内に 今病床の脇の小卓の上にこの三つの陶器がのせてあるのをつくづくながめていると、この三つの作品のそれぞれの個性がだんだんにはっきり眼についてくる。角箱には鼻っ張りの強い負けぎらいの気性とオリジナルで鋭いしかもデリケートな才能の動きが地味な褐色の釉薬の底から浮き出しているといったようなところがある。 灰皿のほうは肉の薄味、線の丸さ、波形の 花瓶のほうをよく見ていると手づくねの筒形の胴の表面の これではうっかり団子も丸められない。 (昭和十年十月十日) [#改ページ]* 辻待ちの円タク、たとえば曙町まで五十銭で行かないかというと、返事をしないでいきなりそっぽを向いてしまうのがある。いやな顔をしてきわめてゆっくりかぶりを振るのもある。それからまたにこにこと愛嬌笑いをしてもう十銭やってくださいといいながらドアに手をかけてインヴァイトするのがある。 前者はペシミストであり、後者はオプチミストであるともいわれる。しかしまた全くその反対だともいわれる。 いつか上野駅の向かい側のある路地の自動車停留場で、いちばん先頭の車の運転手に例のとおり曙町まで五十銭で行かないかといったら、あまり人相のよくないその男は「イカネエ」と強い意味をその横にひん曲げた口許に表示したかと思うと、いきなりエンジンをスタートして走り出した。そうして獲物をねらう鷹のような鋭い目を集注しているその視線の行く手を追跡してみると、すぐにその焦点がはっきりされた。今上野駅から出て来たらしい東北出と思われる この場合は悲劇的であるかもしれないが、またひどく喜劇的であるかもしれない。そんな事を考えながらスーツケースを右手にぶらさげてぶらぶらと山下のほうへより多く合理的な運転手を物色しながら歩いて行った事であった。 (昭和十年十月十日) [#改ページ]* 隣に栗の樹が一本ある。二十年前にここへ移って来たころには、まだいくらも隣の家の この栗の樹が近年になってなんとなく老衰の 次第に悪くなる東京の空気のせいであるのか、それともこの樹の本来の寿命によるものか、どうだか自分にはわからない。 とにかく栗の樹などというものは人間よりは長生きするものとばかり思っていたが、一概にそうでもなさそうである。 (昭和十年十月十一日) [#改ページ]* 住み家を新築したら細君が死んだという例が自分の知っている狭い範囲でも三つはある。立派な邸宅を新築してまもなく主人が死んでその家の始末に困っているという例を近ごろ二つ聞いた。 しかし家を立ててだれも死ななかった例は相当たくさんにあるであろうから、厳密な統計的研究をした上でなければ「家を建てると人が死ぬ」というような漠然とした言明は全然無意味である。 しかしまた考えてみると、家を建てると人が死ぬということも、解釈のしようによっては全然無意味だともいわれない。 今まで借家 また従来すでに一通りの成効の道を進んで来た人が、いよいよ隠退でもして老後を楽しむために新しい邸宅でも構えようというような場合にも、やはり同じような事がいわれようかと思う。 植物が花を咲かせ実を結ぶ時はやがて枯死する時である。それとこれとは少しわけは違うがどこか似たところもないではない。 いつまでも花を咲かせないで適当に貧乏しながら適当に働く。平凡なようであるが長生きの道はやはりこれ以外にはないようである。 (昭和十年十月十一日) [#改ページ]* 夜中にからだじゅうの痛む病気に そういう時にどうしたわけかわからないが、別に悲しくもなんともないのに涙が眼の中にいっぱいに押し出してくる。 学生時代に、アヘン喫煙者が中毒からくる恐ろしい悪夢のために悩まされていたのが、突然その夢がさめて現実にかえって、片方にいる人間の顔を見た時に、涙が止め度もなく流れたというくだりを読んだ記憶がある。 悲しいときの涙、うれしいときの涙、その他いろいろな涙のほかにこうしたような不思議な涙がまだほかにもいろいろありそうな気がする。 (昭和十年十月十一日) [#改ページ]* 銀座のオリンピックで食事をしていたら、同じ食卓の向かい側に腰を掛けて何か食っていた中年の男が新たにパンを注文した。柔らかい六角のパンを持って来た女給に「これでない堅いやつを持って来い」といって、手まねでその形をして見せた。「フレンチロールですかコッペーですか。」「ああ、そのコッペーだ。」「焼いて持って参りましょうか。」「いや焼かないで持って来い。」やがてそのコッペーを皿に入れて持って来たら「ああやっぱり焼いて持って来てくれ」といってその皿をつきだした。 こうした型の男はおそらくなんでもまめによく仕事をしまた世話のできる人であろう。おそらく嫁や養子の世話から相手の人のネクタイの世話までやく人かもしれない。しかし、「俳諧」のほうにはどうも不向きらしい。 (昭和十年十月十四日) [#改ページ]* ある若い男の話である、 この話をその後いろいろの人に話してみたが、大概の人はこれを聞いて快い微笑をもらすようである。 なぜだかわからない。 (昭和十年十月十四日) [#改ページ]* 人体生理学や組織学の教科書の中に載せてあるいろいろな顕微鏡写真の標本には、しばしば死刑囚の身体のいろいろな部分から取ったものがある。 この点だけから見ると、一生何一つ世間のために貢献することなしに終わる紳士淑女たちよりも、こういう死刑囚のほうがはるかに大きな功績を世界人類の知識の上に (昭和十年十月十四日) [#改ページ]* 大きな百貨店へ行けば大概の品はいつでも 十月の初旬病床で暖かい日に蒲団の代わりにかけようと思って旅行用の夏の膝掛けを買いにやった。そうしたら、来年の夏まで待たなければ店には出ないといった。それから、夜中に肩の冷えるのを防ぐために鳥の羽根入りの肩蒲団を探しにやったら、もう一月くらいすれば出ますといったそうである。時候に合わない品だから無理もないが、しかし百貨店という所はやっぱり存外不便な所である。 もっとも、今ごろ本屋でスコットの「湖上の美人」やアーヴィングの「スケッチブック」やニーチェの「ツァラツーストラ」でも探すとしたらすぐに手に入るかどうか心もとないような気がする。マルクス、エンゲルスが同様な羽目になる時がいつかは来るかもしれないという気もするのである。 (昭和十年十月十四日) [#改ページ]* ある日電車の中で、有機化学の本を読んでいると、突然「 人間の頭脳のたよりなさはこの一例からでもおおよそ想像がつく。 (昭和十年十月十四日) [#改ページ]* ベルギー皇帝がただ一人で自動車を運転していて山の中の崖から墜落して崩御された。そのいたましい変事の記憶がまだ世人の記憶に新しいのに、今度はまた新しい皇帝が皇后とスイッツルの湖畔をドライブしていたとき、不慮の事故を起こして、そのために若く美しいアストリード皇后陛下はその場で崩御され皇帝も負傷され、ただうしろの座席に乗っかっていた運転手だけが不思議にかすり傷一つ負わなかった。 皇帝が前の座席の左側にすわってハンドルを握り、皇后はその右側にすわって一枚の地図を拡げ何か皇帝にお尋ねになると、皇帝は右を向いてその地図をのぞき込まれた、その瞬間に車の右の前輪が道の片側を仕切るコンクリートの低い土手の切れ目にひっかかった。そのはずみで土手を飛び越えて道の右側の斜面に走り込んだ車はその右の横腹を立ち樹にぶっつけて、ぐいと右に方向を転じ、その際に皇后は運悪く頭を立ち樹にぶっつけて即座に絶命すると同時に草原の上に投げ出された。車はさらに進んで第二の立ち樹にその左の横腹をぶっつけて傷ついた皇帝を投げ出した。そうしてずるずると斜面をころがりながら湖水のみぎわの これが昔の日本であったら、この二代続きの遭難はきっと何かしらもっともらしい迷信でつづられた因縁話の種を作ったかもしれない。 しかし因縁が全然無いこともない。それは先代の皇帝も今の皇帝も自分でハンドルを握って墜落の危険の絶無ではないような道路を走らせることに興味を持たれたという事がたしかに一つの必然な因縁でつながれているのである。すなわち一つの公算的な因果の現われだともいわれるであろう。 (昭和十年十月十五日) [#改ページ]* 聯合艦隊が この日病床で寝ていたらたくさんの飛行機が西の空から東へかけてちょうど このページェントが非常時の東京市民にわが海軍の偉容を示して、心強さと頼もしさを吹き込むという効果を持ったであろうという事には少しの疑いはない。 しかし物は考えようである。私はこの百余台の飛行機の示威運動を病床からながめながら、もしかわが聯合艦隊の航空兵器の主力がたったこれだけのしかもあまり世界的に自慢のできない飛行機で代表されているのだとしたら、なんという心細いことであろうという気がした。そうして外国映画や絵入り雑誌の挿し絵で見る欧米列強の飛行隊の壮観を思い浮かべ、一方ではまたわが国の海軍飛行機のあまりにも これはおそらくその日の病苦のせいであったかもしれない。 (昭和十年十月十五日) [#改ページ]* 蝶や鳥の雄が非常に美しい色彩をしているのは雌の視覚を喜ばせてその注意をひくためだというような説は事実に合わないものだということがいろいろの方面から説明されているようである。自分の 周囲の環境と著しく違った色彩はその動物の敵となる動物の注意をひきやすく従ってそうした敵の襲撃を受けやすいわけである。そういう攻撃を受けた場合にその危険を免れるためには感覚と運動の異常な鋭敏さを必要とするであろう。それで最も目立つ色彩をしていながら無事に敵の襲撃を免れて生き遺ることのできるような優秀な個体のみが自然淘汰の 戦争好きで、戦争に強い民族なぞの発生にいくらかこれに似た選択過程が関係しているのではないかという気がする。 (昭和十年十月十六日) [#改ページ]* 先ごろ警視庁で東京市のギャング狩りを行なったときに検挙された「街の紳士」たちの中に、杯やコップを噛み砕いてくちびるから赤い血を出して相手を縮みあがらせるというのがいた。この新聞記事を読んだとき私は子供の時分に見た「ガラスを食う山男」の見世物のことを思い出した。 高知の ![]() なんでも蛇をかじって見せたり、うさぎの毛皮の一片を食いちぎって見せたりした。それからおしまいには大きなランプのホヤのこわれたのを取り出して、どんどんじゃんじゃんという物すごい 噛み砕く音がだんだんに弱く細かくなって行った。やがて噛み砕いたものを呑み下したと思うと、大きな口をかっと開いて見物席の右から左へと顔をふり向けながら、口中にもはや何にも無いという証拠を見せるのであった。その時に山男の口中がほんとうに血のようにまっかであったように記憶している。 この幼時に見た珍しい見世物の記憶が、それから三十余年後に自分が あの哀れな山男は、おそらくあれから一、二年とはたたない間に消化器の潰瘍にかかってみじめな最期を遂げたに違いない。言わば、生きるためにガラスを食って自殺を遂げたようなものである。 街の紳士の場合もいくらかこれと似たところがあるかもしれない。 (昭和十年十月十六日) 底本:「柿の種」岩波文庫、岩波書店 1996(平成8)年4月16日第1刷発行 1997(平成9)年10月15日第9刷 底本の親本:「寺田寅彦全集 第十一巻」岩波書店 1961(昭和36)8月7日第1刷発行 ※無題の短章の冒頭に添えられている「花のようなマーク」は、「*」で代えた。 ※「十四、五」「二、三」など、連続する数字をつなぐ際に底本が用いている半角の読点は、全角に変えた。 ※底本の編集にあたっては、親本に加えて、「柿の種」小山書店、1946(昭和21)年、第12刷、「栃の実」小山書店、1936(昭和11)年も参照されている。 ※「自序」から「曙町より(十一)」までは「柿の種」に、その他は「栃の実」に集録された作品である。 入力:山口美佐 校正:田中敬三 2003年7月2日作成 2005年10月29日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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