![]() ![]() |
柿の種(かきのたね)
|
作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/10/2 9:50:27 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
|
アメリカは人皆踊る
(昭和五年五月、渋柿)
[#改ページ]* いろいろな国語の初歩の読本には、その国々特有の色と香がきわめて濃厚に出ている。 ナショナルリーダーを教わった時に、幼い頭に描かれた異国の風物は、英米のそれであった。 ブハイムを手にした時には、また別の国の自然と、人と、その歴史が、新しい視野を展開した。 ロシアの読本をのぞくと、たちまちにして自分がロシアの子供に生まれ変わり、ラテンの初歩をかじると、二千年前のローマ市民の子供になり、 おとなの読み物では、決して、これほど農厚な国々に特有な雰囲気は感ぜられないような気がする。 飜訳というものもある程度までは可能である。 しかし、初歩の読本の与える不思議な雰囲気だけは、全然飜訳のできないものである。 (昭和五年七月、渋柿) [#改ページ]* 純白な卓布の上に、規則正しく並べられた銀器のいろいろ、切り子ガラスの花瓶に投げ込まれた紅白のカーネーション、皿の上のトマトの紅とサラドの緑、頭上に回転する扇風機の羽ばたき、高い窓を飾る涼しげなカーテン。 そこへ、美しいウエトレスに導かれて、二人の老人がはいって来る。 それは 芭蕉は定食でいいという、歌麿はア・ラ・カルテを主張する。 前者は氷水、後者はクラレットを飲む。 前者は少なく、後者は多く食う。 前者はうれしそうに、あたりをながめて多くは無言であるが、後者はよく談じ、よく論じながら、隣の卓の西洋婦人に、鋭い観察の眼を投げる。 隣室でジャズが始まると、歌麿の顔が急に活き活きして来る、葡萄酒のせいもあるであろう。 芭蕉は、相変わらずニコニコしながら、一片の角砂糖をコーヒーの中に落として、じっと見つめている。 小さな それが消えると同時に、芭蕉も、歌麿も消えてしまって、自分はただ一人、食堂のすみに取り残された自分を見いだす。 (昭和五年九月、渋柿) [#改ページ]震生湖より (はがき) 山裂けて成しける池や水すまし
(昭和五年十月、渋柿)
[#改ページ]* 新宿、 中央アジアの、人煙稀薄な その この映画の中に、おびただしい綿羊の群れを見せたシーンがある。 あんな広い野を歩くのにも、羊はほとんど身動きのできないほどに密集して歩いて行くのが妙である。 まるで 新宿の通りへ出て見ると、おりから三越の新築開店の翌日であったので、あの狭い人道は非常な混雑で、ちょうどさっき映画で見た羊の群れと同じようである。 してみると、人間という動物にも、やはりどこか綿羊と共通な性質があるものと見える。 そう考えると、自分などは、まず そうして、再びかの荒漠たる中央アジアの砂漠の幻影が、この濃まやかな人波の上に、 (昭和五年十一月、渋柿) [#改ページ]女の顔 夏目先生が洋行から帰ったときに、あちらの画廊の有名な絵の写真を見せられた。 そうして、この中で二、三枚好きなのを取れ、と言われた。 その中に、ギドー・レニの「マグダレナのマリア」があった。 それからまたサー・ジョシュア・レーノルズの童女や天使などがあった。 先生の好きな美女の顔のタイプ、といったようなものが、おぼろげに感ぜられるような気がしたのである。 そのマグダレナのマリアをもらって、 ![]() ああいうタイプもきらいではなかったように思う。 それからまたグリューズの「 ヴォラプチュアスだと評しておられた。 先生の「 いつか、上野の音楽会へ、先生と二人で出かけた時に、われわれのすぐ前の席に、二十三、四の婦人がいた。 きわめて地味な服装で、頭髪も油気のない、なんの技巧もない 色も少し浅黒いくらいで、おまけに しかし後ろから斜めに見た横顔が実に美しいと思った。 インテリジェントで、しかも優雅で温良な人柄が、全身から放散しているような気がした。 音楽会が果てて帰路に、先生にその婦人のことを話すと、先生も注意して見ていたとみえて、あれはいい、君あれをぜひ細君にもらえ、と言われた。 もちろんどこのだれだかわかるはずもないのである。 その後しばらくたってのはがきに、このあいだの人にどこかで会ったという報告をよこされた。全集にある「水底の感」という変わった詩はそのころのものであったような気がする。 「趣味の遺伝」もなんだかこれに聯関したところがあるような気がするが、これも覚えちがいかもしれない。 それはとにかく、この問題の婦人の顔がどこかレニのマリアにも、レーノルズの天使や童女にも、ロゼチの細君や妹にも少しずつ似ていたような気がするのである。 しかし、一方ではまた、先生が好きであったと称せらるる某女史の顔は、これらとは全くタイプのちがった純日本式の顔であった。 また「 先生はある時、西洋のある作者のかいたものの話をして「往来で会う女の七十プロセントに恋するというやつがいるぜ」と言って笑われた。 しかし、今日になって考えてみると、先生自身もやはりその男の中に、一つのプロトタイプを認められたのではなかったかという気もするのである。 (昭和六年一月、渋柿) [#改ページ] ![]() [#改ページ] 曙町より(一) 先夜はごちそうありがとう。 あの時、床の間に そうして、新築地劇団の「レ・ミゼラブル」の切符をすすめられ、ともかくも預かったものの、あまり気がすすまないので、このほうは失礼して邦楽座の映画を見に行った。 グレタ・ガルボ主演の「 たとえば、惨劇の始まろうとする始めだけ見せ、ドアーの外へカメラと観客を追い出した後に、締まった扉だけを 次には電話器だけが大写しに出る。 それが、どうしたのかと思うほど長く写し出される。 これはヒロインの ![]() 実際に扉の中で起こったはずの惨劇の結果――横たわる死骸――は、後巻で証拠物件を並べた陳列棚の中の現場写真で、ほんのちらと見せるだけである。 もっとも、こんなふうな簡単に説明できるような細工にはほんとうのうまみはないので、この映画の監督のジャック・フェイダーの芸術は、むしろ、こんなふうには到底説明する事のできないような微細なところにあるようである。 クローズアップのガルボの顔のいろいろの表情を交互に映出するしかたなどでもかなりうまい。 言わばそこにほんとうの「表情の俳諧」があるように思う。 一度御覧いかがや。ついでながらこのガルボという女はどこか小でまりの花の趣もあると思うがこの点もいかがや。 新劇「レ・ミゼラブル」は、見ないけれども、おそらくたった一口で言えるようなスローガンを頑強にべたべたと打ち出したものかと思う。 少なくとも、これにはおそらくどこにも「俳諧」は見いだす事ができないだろう、と想像される。 (昭和六年二月、渋柿) [#改ページ]曙町より(二) 先日は失礼。 鉄筋コンクリートの三階から、復興の東京を見下ろしての ソクラテスが、 日が暮れた窓から、下町の照明をながめていたら、高架電車の 自分がただ一人さびしい星の世界のまん中にでもいるような気がした。 今朝も庭の 調べてみると、一度うつ向きに落ちたのが反転して仰向きになったことが花粉の痕跡からわかる。 測定をして手帳に書きつけた。 このあいだ、植物学者に会ったとき、椿の花が仰向きに落ちるわけを、だれか研究した人があるか、と聞いてみたが、たぶんないだろうということであった。 花が樹にくっついている間は植物学の問題になるが、樹をはなれた瞬間から以後の事柄は問題にならぬそうである。 学問というものはどうも窮屈なものである。 落ちた花の花粉が落ちない花の受胎に参与する事もありはしないか。 「落ちざまに 明日は金曜だからまた連句を進行させよう。 (昭和六年五月、渋柿) [#改ページ]曙町より(三) 君の、空中飛行、水中潜行の夢の話は、その中にむせっぽいほどに これに対する、僕のさびしいミゼラブルな夢の一つを御紹介する。 それは「さまよえるユダヤ人」にもふさわしかるべき種類の夢である。 大学構内、耐震家屋のそばを通っていると、枯れ樹の枝に妙な花が咲いていて散りかかる。 見ると、その花弁の一つ一つが羽蟻のような虫である。 そうして、それが人にふりかかると、それがみんな そこへT工学士が来た。彼は今この虱のことについて学位論文を書いているというのである。 そのうちにも、この「虱の花」はパッパッと飛んで来て、僕のからだに付くのである。 あとで考えてみると、その二、三日前に地震研究所である人とこのT工学士についての話をしたことがある。 またやはり二、三日前の新聞で、見合いの時に頭から虱が出たので縁談の破れた女の話を読んだことがあった。 しかし枯れ木の花が虱に変わる、ということがどこから来たかなかなか思いつかれない。 それはとにかく、この夢の雰囲気と、君の夢の雰囲気との対照がおもしろいと思うのでお知らせすることにする。 (昭和六年七月、渋柿) [#改ページ]曙町より(四) 二日の日曜の午後に だいぶ暑い日であった。 間違えて、労働者切符の売り場へ行ったら「 資本主義の 入場してまず眼についたのは、カーテンの下のほうに「松屋」という縫い取りの文字で、これが少し不思議に思われた。 観客はたいてい若い人が多く、旧式ないわゆる小市民の家庭のお嬢さんらしい女学生も、下町ふうな江戸前のおとなしい娘さんたちもいるのが特に目についた。 中年の、もっともらしいおばさんたちもぽつぽつ見えた。 男の中には、学生も多いが、中にはどうも刑事かと思うようなのもいた。 みんな平気で上着を脱いでいるのは、これもなんとなく愉快であった。 いわゆるナッパ服を着て、頭を光らせ、もみ上げを それがニチャニチャと アメリカ式チューインガムを尊崇することと、ロシア式イデオロギーを噛んで喜ぶこととは、全く縁のないことでもないかと思われた。 それから三、四列前の腰掛けに、中年のインテリ奥様とでも言われそうなのが二人、それはまた二人おそろいでキャラメルらしいもの――噛み方でわかる――を噛んでいるのが、ちょっとおもしろい対照をなしていた。 イデオロギーに砂糖がはいっているのである。 芝居(?)「 恐ろしいものである。 今度会った時に話しましょう。 (昭和六年九月、渋柿) [#改ページ]曙町より(五) 僕はこのごろ、ガラス枚を、鋼鉄の球で衝撃して、割れ目をこしらえて、その割れ方を調べている。 はなはだばかげたことのようであるが、やってみるとなかなかおもしろいものである。 ごく軽くたたいて、肉眼でやっと見えるくらいの おもしろいことには、その円錐形のひびわれを、毎日のように顕徴鏡でのぞいて見ていると、それがだんだんに大きなものに思われて来て、今では、ちょっとした小山のような感じがする。 そうしてその山の高さを測ったり、斜面の尾根や谿谷を数えたりしていると、それがますます大きなものに見えて来るのである。 実際のこの山の高さは一 この調べが進めば、僕は、ひびを見ただけで、直径幾ミリの球が、いくらの速度で衝突したかを言いあてることができるであろうと思う。 それを当てたらなんの役に立つかと聞かれると少し困るが、しかし、この話が、何か君の俳諧哲学の参考にならば幸いである。 今まで、まだやっと二、三百枚のガラス板しかこわしていないが、少なくも二、三千枚ぐらいはこわしてみなければなるまいと思っている。 (昭和六年十一月、渋柿)
[#改ページ]曙町より(六) このあいだかなり寒かった朝、日の当たった縁側に一羽のカナリヤが来て、丸くふくれ上がって、縁の端の敷居につかまっていた。 人を見ても逃げもせず、かえって向こうから近寄って来た。 どこかにしまってあるはずの鳥籠を探しているうちに、見えなくなったと思ったら、 籠に入れてから、さっそく粟を買って来て、それを 菜っ葉をやると、さもうまそうについばんでは、くちばしを止まり木にこすりつけた。 猫の「ボウヤ」が十月に死んでから、妙にさびしくなった家が、これでまた急ににぎやかになったような気がして、それからは、毎朝新しい菜っ葉をやっては、玉をころがすような朗らかなワーブリングを聞くのが楽しみであった。 ところが、今朝家人がえさを取り替える際に、ちょっとの不注意で、せっかくのこの楽しみを再び空に 惜しいというよりはかわいそうな気がした。 夕方家へ帰って見ると、見馴れぬ子猫が一匹いる。 死んだ「ボウヤ」にそっくりの白い猫である。 今朝、どこからか迷って来たのが、もうすっかりなついてしまって、落ち着いているのだそうである。 それを聞いた時に、ちょっと不思議な気がした。 どうも以前に一度、やはり小鳥が死ぬか逃げるかした同じ日に、子猫が迷い込んで来たことがあったような記憶がある。それと同じ出来事が、今日再び繰り返して起こったような気がするのである。 しかし、どうもはっきりしたことが思い出せない。 あるいはよくあるそういう種類の錯覚かもしれない。 拾ったと思ったら無くする、無くしたと思ったらもう拾っている。 おもしろいと思えばおもしろく、はかないと言えばはかなくもある。 この猫をひざへのせて夕刊を読んでいたら号外が来て、後継内閣組織の大命が政友会総裁に (昭和七年一月、渋柿) [#改ページ]曙町より(七) 毎朝通る路次に小さなせいぜい二 ![]() 去年の暮れ近いころからジョンの家の門口でまた若い婦人が時々張り物をしたりバケツをさげたりしているのを見かけるようになった。今度は前よりはもっとほっそりしたインテリジェントな顔をした婦人であった。ジョンジョンと言って呼ばれると犬は喜んで横飛びに飛んで行って彼女の 人間はまったくおせっかいである。 (昭和七年三月、渋柿) [#改ページ]曙町より(八) 二女の女学校卒業記念写真帳と、三女のそれとを較べて見ていると、甲の女学校の生徒の顔には、おのずから共通なあるものがあり、乙の女学校には、また乙の女学校特有のあるものがあるような気がして来る。 不思議なようでもあり、また当然だという気もする。 日本人と朝鮮人との顔の特徴にしてもやはり同様にして発達したものであろう。 ただ、女学校では、わずか五年の間の環境の影響で、すでにこれだけの効果が現われる。 恐ろしいものである。 レストーランで昼食をしていると、隣の食卓へお いずれも同年輩で、同じようないがぐりあたまが、これはまた申し合わせたように同じ程度にはげているのである。 ある学科関係の学者の集合では、かなり年寄りも多いのに一人も また別の学会へ行くと若い人まで禿頭が多い。 これも不思議である。 (昭和七年五月、渋柿) [#改ページ]曙町より(九) 隣の席に、七十余りのおばあさんが、これは皿の中のビーフカツレツらしいものを、両手に一つずつ持った 肉がかたくて、歯のない口では噛めないらしい。 通りがかりの女給を呼んで何か言っている。 そうして、箸で僕の 女給は困った顔をして、もじもじしている。 僕はすっかり気の毒になって、よっぽど自分の皿の上の一尾の やがて老人は長い 僕はその時なんとなく亡き祖母や母のことを思い出すと同時に、食堂の広い窓から流れ込む明るい初夏の空の光の中に、 食卓の島々の中をくぐって遠ざかる老人の後ろ姿をながめていたら、「 参らせん親は
(昭和七年七月、渋柿)
[#改ページ]曙町より(十) プラタヌスの樹蔭で電車を待っていると、 右の手は出前の盆を高くさし上げたまま、左の手をハンドルにかけ、左の足をペダルに掛けて、つっと車を乗り出すと同時にからだを宙に浮かせ、右脚を軽く上げてサドルに腰をかけようとしたが、軽い風が水色模様の まっ白な 女は少しも騒がないで、巧みに車のつりあいを取りながら、静かに右脚をもう一遍地面に下ろした。 そうして、二度目には、ひらりと軽く乗り移ると同時に、車輪は静かにすべるように動きだした。 そうして、電車線路を横切って遠ざかって行った。 ちょっと歌麿の絵を現代化した光景であった。 朱塗りの出前の荷と、浴衣の水色模様は、この木版画を生かすであろうと思った。 これとは関係のないことであるが、「風流」という言葉の字音が free, frei, franc などと相通ずるのはおもしろいと思う。 実際、風流とは心の自由を意味すると思われるからである。 (昭和七年九月、渋柿) [#改ページ]曙町より(十一) 「墨流し」の現象を、分子物理学的の方面から、少しばかり調べてみていたら、だんだんいろいろのおもしろいことがわかって来た。 それで、墨の製法を詳しく知りたくなって、製造元を 一方で、鐘に こんなことがわかったころに、ちょうど君は奈良ホテルに泊まって鹿の声を聞いていたのである。 今年今月は不思議に奈良に縁のある月であった。 奈良へ出かけなければならないことになるかもしれない。 (昭和七年十二月、渋柿) [#改ページ]曙町より(十二) 今日神田の それから、暇つぶしに、あの脊の高い書架の長城の城壁の前をぶらぶら歩いているうちに、「随筆」と札のかかった区劃の前に出た。 脊の低い、丸顔の、かわいい高等学校の生徒が一人、古風な おやと思っているうちに、手早く書架からそれを引っこ抜いてから、しばらく内容を点検していたが、やがて、それをそっと元の穴へ返した、と思うと、今度は、すぐ左隣の「 そうして、次にはそれから少しはなれて、十四、五冊くらいおいた左のほうへと移って行った。 正月の休みに郷里帰省中であったのが、 もっとも、あるいはそれからまたもう一遍立ち帰ったかどうか、そこまでは見届けないからわからない。 それはどうでもいいが、とにかく安倍君というものと、自分というものとが、このかわいい学生の謙譲なる購買力の前で、立派な それよりも、もしあの学生が「藪柑子集」を読んだとしたら、その内容から自然に想像するであろうと思われる若い昔の藪柑子君の面影と、今ここで、水ばなをすすりながら「性的犯罪考」などをあさっている年取った現在の自分の姿との対照を考えると、はなはだ滑稽でもあり、また少しさびしくもあった。 哲学も科学も寒き
(昭和八年二月、渋柿)
[#改ページ]曙町より(十三) デパートなどで、時たま、若い年ごろの娘の装身具を見て歩くことがある。コートとか帯とか束髪用の しかし、それなら、もしも娘たちが和服も時々は着て、そうして髪も時々は島田にでも結うのであったら、父なる自分ははたしてこれらの装身具をどれだけ喜んで買ってやることができるであろうか。こう考えてみると、さらにいっそうさびしい想いがするのである。 (昭和八年四月、渋柿) [#改ページ]曙町より(十四) 三越新館に熱帯魚の展覧会があった。水を入れたガラス (昭和八年六月、渋柿) [#改ページ]曙町より(十五) 僕のふきげんな顔は君にも有名である。 三越の隣の刃物屋の店先に紙製の人形が、いつ見ても このごろは毎朝床の中で近所のラジオ体操を聞く。一、二、三、四、五、六の掛け声のうちで「ゴー」だけが特別に高く、長く飛びぬけて聞こえる。この「ゴー」の掛け声が妙に気になる。妙に気恥ずかしくて背中がくすぐったくなるような声である。「ゴッ」と短く打ち切ってもらいたい。 僕も毎朝ラジオ体操がやれるようなほがらかな気分になれれば、そうしたら、きっといつもきげんのいい顔をお目にかけることができるかもしれない。 (昭和八年八月、渋柿) [#改ページ]曙町より(十六) 八月十五日に この科学的なインスチチュートのメンバーとして、そういうロマンチックな婦人がたとえ数日の間でも働いていたということは、浅間山という特異な自然現象と関聯してはじめて生じうる特異な人事現象でなければならない。 入場券は半月ほどの間に千七百枚とか売れたそうである。 浅間の火口に投身した人の数は今年の夏も相当にあった。しかし (昭和八年十月、渋柿) [#改ページ]曙町より(十七) せんだって「 こういうたんねんな仕事に興味をもつ夫人をもっていたということが、あの伊藤公の生涯にやはりそれだけの影響を及ぼしたのかもしれないと思った。 明治節の朝、 (昭和八年十二月、渋柿) [#改ページ]曙町より(十八) このごろ朝が寒いので床の中で寝たままメリヤスのズボン下をはき、それから、すでに夜じゅう着たきりのシャツの上にもう一枚のシャツを、これも寝たままで着ることを発明して実行している。 今朝はよほど頭が悪かったと見えて、手さぐりで見当をつけておいたにかかわらず突っ込んだ右の脚はまちがいなくズボン下の左脚にはいっていた。それからシャツを頭から引っかぶってみるとどうもぐあいが変である。左の腕は 出勤前に洋服に着換えるとき、チョッキのボタンを上から順にかけて行くとおしまいのボタンには相手が見つからなかった。 そんなことでよくお役目がつとまるとある人が感心する。自分も感心する。 しかし、こののろまのおかげで三十年の学窓生活をつづけて来た。ものぐさのおかげで大臣にも富豪にも 自分は冬じゅうは半分肺炎に (昭和九年二月、渋柿) [#改ページ]曙町より(十九) 映画「カンチェンジュンガ」を見た。芝居気の交じらないきまじめな実写の編輯は気持ちのいいものである。 インドの山中の山家が日本のによく似ているのをおもしろくもなつかしく思った。それから、目的の山に近づく前に一度深い谷へ降りて行く光景の映写されるのもおもしろかった。 人間の世界を離れた高山に思いがけなく一寸法師の夫婦が子供を一人養っているのを発見して撮影している。これを見たとき「人生の意義」などというものが文明国の人間などになかなかそう簡単にわかるものではないという気がした。 数十頭のヤク牛が重い荷を負わされて雪解けの谿流を まっ自な雪原を横切る隊列の遠望写真を見たときは、人間も虫もこんな大自然の前にはあまり同等なものと思われた。 大きな雲の ぜひ一遍見て来たまえ。そうしてこの「雲の言葉」を句にしてくれたまえ。 (昭和九年四月、渋柿) [#改ページ]曙町より(二十) 有名なエノケンをはじめて映画で見た。これまで写真を見ただけで、どうしても実物の芝居を見る気がしなかったが、映画で見ると予想したほどに不愉快ではなく、やはりときどきは笑わされてしまった。 彼にはやはりどこかに「強い」ところがあると見える。それが少なくも彼としての「成効」の原因であろう。とにかく見物が大丈夫笑ってくれるという自信をもっているらしい。 自信のないことを自覚している演芸ほど見ていて苦しいものはない。しかし、そうかと言って、自信するだけの客観的内容のないただ主観的なだけの自信をふり回す芸も困ることはもちろんである。 至芸となると、演技者の自信が演技者を抜け出して観客の中へ乗り移ってしまう。エノケンもそれまでにはだいぶ距離がある。 (昭和九年六月、渋柿) [#改ページ]星野温泉より 一年ぶりに星野温泉に来て去年と同じ家に落ち付いてみると、去年の夏と今年の夏との間に一年もたったという気がどうしてもしない。ほんの一週間ぐらい東京へ帰ってまた出て来たような気がする。もっともこれは、去年帰るときに子供らをのこして帰り、今年は先に子供らをよこしてあったので往き帰りの引っ越し騒ぎに関与しなかったからでもあるらしい。 しかし、なんだか、東京にいる間は「星野の自分」が眠っていてその間は「東京の自分」が活動しており、星野へ来るとはじめて「星野の自分」が眼を覚まして活動しだしたといったような気もする。 軽微なる二重人格症の症状とも言われるかもしれない。しかし、たとえばいろいろな月給生活者でも、勤め先における自分の生活と家庭における生活とはやはりある程度までは別の世界であり、その二つの世界ではやはりそれぞれ二つの別の自分があるのでははいかという気もする。 (昭和九年八月、渋柿) [#改ページ]曙町より(二十一) 昭和九年八月十五日は浅間山火山観測所の創立記念日で、東京の大学地震研究所員数名が峯の茶屋の観測所に集合して附近の見学をした。翌十六日は一行の中の、 翌日の東京朝日新聞長野版を見ると、石本坪井両氏と寺田が登山し三人とも二時十五分の汽車で帰京したことになっていた。 その後、九月五日にまた星野温泉へ行って七日に帰京したのであるが、九月十三日の某新聞消息欄を見ると、吉村冬彦が軽井沢から帰京したことになっている。 これらの記事は事実の報道としてはみんな途方もないうそである。しかしこれをジャーナリズムの中にある「俳諧」と思って見れば別にたいした不都合はないかもしれない。うその中の真実が真実の真実よりもより多く真実なのかもしれないからである。 (昭和九年十月、渋柿) [#改ページ]曙町より(二十二) 越後のある小都会の未知の人から そのままにして忘れていたらやがて催促状が来て、もし「いやならいやでよろしく」それなら送った品を返送せよというのであった。それでびっくりしてさっそく返送の手続きをとったことであった。 それから数年たった近ごろ、また同じ人からはがき大の色紙を二、三枚よこして、これに何か書いてよこせ、「大切に保存するから」と言って来た。 ちょっと日本人ばなれがしている。アメリカのウォール街あたりの人のように実にきびきびと物事をビジネス的に処理する人らしく思われる。 ただ、こういう気質の人のもつ世界と自分らの考えている俳句の世界とがどういうふうにつながり、どういうぐあいに重なり合っているかという事がちょっと不思議に思われたのであった。 今度は催促されないように折り返し色紙を返送した。 (昭和九年十二月、渋柿) [#改ページ]曙町より(二十三) この話は人柱とは少しちがうが、しかしどこかしらだいぶ似たところがある。 豚や牛のように人間を殺して 同じ書物にまた次のような話もある。 あまり評判のよくないほうで有名なローマの最後の王様タルキヌスがほうぼうで攻め落とした敵の市街からの奪掠物で寺院を建てた。そのときに敷地の土台を掘り返していたら人間の頭蓋骨が一つ出て来た。しかし人々はこれこそこの場所が世界の主都となる 以上偶然読書中に見つけたから安倍君の (昭和十年三月、渋柿)
[#改ページ] 上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] 下一页 尾页
|
![]() ![]() |