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柿の種(かきのたね)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/10/2 9:50:27 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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(昭和十年五月、渋柿) [#改ページ]曙町より(二十五) 六月九日の日曜に家族連れで上野精養軒の藤棚の下へ昼飯を食いに行った。隣のテーブルにも家族づれの客が多い。小さな子供のいる食卓の上には子供の数だけのゴム風船が 精養軒の玄関にボーイが一人立って人待ち顔に入り口のほうをながめている。このボーイはここではもうずいぶん古い古参である。自分など覚えてからこのかたずっと勤続しているようである。今の世にこういう何十年一日のごとき人を見るとなんだかたのもしいようななつかしいような気がする。電車の車掌などにもずいぶん古いのがいるがそんなのを見ても同じような気がする。こんな人はやはりどこかいいところのある人間であろうと思われる。 上野から円タクを雇って深川の 待合所で船を待っていたら、退屈しているらしい巡査が話しかけた。仏国映画に出るプレジャンという俳優に似た顔をしている。「これから 一銭蒸汽の中で丸薬の見本を二粒ずつ船客一同に配っておいてから、そろそろと三百何十粒入りの袋を売りだす女がいた。どこへ行っても全く油断のできない世の中である。 近ごろの大旅行であった。舟車による水陸の行程約七里半、徒歩ならゆっくり一日がかりのところである。 自分の生まれない前に両親が深川 なつかしや
(昭和十年七月、渋柿)
[#改ページ]曙町より(二十六) 風呂の中の女の髪は運命よりも恐ろしい。 (昭和十年九月、渋柿) [#改ページ]曙町より(二十七) 子供のときから夜具といえば手織り 今度からだが痛む病気になって 天網のごとく、夢魔のごとく、運命の神のごとく恐ろしいものは絹蒲団である。 (昭和十年十一月、渋柿) [#改丁、ページの左右中央に]短章 その二 [#改丁] * 美人と言えば女に限るようである。美醜は男をスペシファイする属性にならぬと見える。甘い辛いが絵の具の区別に役立たぬように。 [#改ページ] * [#改ページ] * [#改ページ] * 三原山の投身者の記事が今日新聞紙上に跡を絶たない。よく聞いてみると、浅間山にもかなり多数の投身者があるそうであるが、このほうは新聞に出ない。ジャーナリズムという現象の一例である。 [#改ページ] * 「陸相官邸にて割腹」という大きな見出しの新聞記事がある。陸相が割腹したのかと思うと、陸相の官邸でだれかが割腹したのである。日本語の不完全を巧みに利用したジャーナリズムのトリックである。 [#改ページ] * 夜中に眼が覚めた。どこかで「デンポー、デンポー」と言っているらしい声が聞こえる。それから五分もたつとまた同じような声が聞こえる。あまり長い間をおいてしばしば繰り返されるから不思議だと思って注意していると数町さきの通りを通る自動車の「ブ、ブー」という警笛が聞こえる。さっきの「デンポー」はやはり自動車の警笛であった。笛のうちには音色がかなり人声に似たのがあると見える。 [#改ページ] * [#改ページ] * 第一相互館の屋上で夜の銀座をながめていたら、突然停電で屋上はまっ闇になり、同時に銀座の両側の街燈も消えたが、街壁を飾るネオンサインはみんな平気でともっていた。しばらくして、街燈が一度にともったが、自分らのいる屋上はまだまっ暗であった。そうして楼下の町でまずぱっと明るさが増して、しばらくしてからやっと屋上が点燈した。人間の [#改ページ] * 電話が自働式に変わると同時に所属局が「 [#改ページ] * 去年の秋 今までいっこう聞いたこともないこんな所にこんな絶景があると思うことはここに限らずしばしばある。そういう所はしかしたいてい絵にかいても絵にならず、写真をとってもしようのないようなところである。有名な名所になるための資格が欠けているのである。 こういう所の美しさは純粋な空間の美しさである。それは空虚な空間ではなくて、人間にいちばんだいじな酸素と窒素の混合物で 往復ともに [#改ページ] * 昨年九月の暴風雨で東京の街路樹がだいぶいじめられた。たぶんいわゆる「塩風」であったためか、樹々の南側の葉が焦げたように 日本の海岸になぜ黒松が多いかというわけがはじめてはっきりわかったような気がしたのであった。 国々にそれぞれ昔から固有なものにはやはりそれぞれにそれだけのあるべき理由があるのである。 [#改ページ] * 昭和九年の十一月中旬には東京の丸の内のところどころの柳が青々として風になびいていた。その一方で 十月には武蔵野のどこかで桜が返り咲きに満開したそうである。十一月二十五日になってもまだ庭のカンナが咲き続けていた。 植物でも季節の変調にだまされやすいのとそうでないのとあるらしい。 [#改ページ] * 夏目先生のお 千駄木時代は先生の有名になり始めからだいたい有名になりきるまでの時代で、作品から言っても「猫」から「 それはとにかく先生の芸術なりまたその芸術の父なる先生の人に吸引されてしばしばその門に出入した人々を「お弟子」と名づけることになっているようである。しかしこの上記の定義は実ははなはだ不完全であるかと思われる。たとえば故○○君のごとく先生に傾倒して毎週ほとんど欠かさず出入りして、そうして先生の しかし、どんな人でも先生に接して後のその人を見て、もし先生に接しなかったとした場合のその人を推察することは不可能であるから、先生の影響が無いなどとは言われないわけである。してみると結局「お弟子」の定義には証明の可能な「門戸出入」の もし何かの訴訟事件でも起こって甲某が先生の弟子であったか、なかったかという事が問題になったとしたら――そんなことがありうるかどうかは知らないが――その時にはやはりこの「実証」以外に何物も物を言わないであろうと思う。 お弟子の名もはかないものである。 [#改ページ] * 震災や火災や風水害に関する科学的常識とこれに対する平生の心得といったようなものを小学校の教科書に入れるということは、日本のような国では実に必要なことである。これはほとんど「問題にならぬ」ほど明白なことであると思われるのに、これがどういうわけだかいっこうに実行されていないで時々「問題になる」ようである。 自分の想像するところでは、結局教科書を 小学教科書の編纂にはやはり単に文科方面のみならずあらゆる主要な自然科学の各部門からの代表者を集めて資料選択の任に当たらせる必要があるかと思われる。 多くの人の見るところでは、小学の教科書には忠良なる文化的日本人として一生知らなくてもたいしてさしつかえのないような事項が数々ある一方で、知らなくてはならないとわれわれに思われる事で書いてないことがたくさんあるようである。 たとえば手近なところで震災火災風災に対する科学的常識とか、細かいことではたとえば揮発油取り扱いの注意とか、誤って頭を打撲したときの手当とかいうものは万人必要の知識であるが自分の知る限り少なくも十分には取り扱われていない。 I博士の言うところを無断で借用すれば、ドリアンという臭くてうまいくだもののことなど知らなくても日本人の 児童教育より前にやはりおとなであるところの教育者ならびに教育の事をつかさどる為政者を教育するのが肝要かもしれない。 [#改ページ] * 学校を卒業したばかりの秀才が先生になって講義をするととかく講義がむつかしくなりやすい。これにはいろいろの理由があるが、一つには自分の歩いて来た遠い道の遠かったことを忘れるというせいもあるらしい。 若い学者が研究論文を書くと、とかくひとり合点で説明を省略し過ぎて、人がよむとわかりにくいものにしてしまう場合が多い。これもいろいろの理由があるが、一つには自分がはじめてはいった社会の先進者の頭の水準を高く見積もり過ぎるためもあるらしい。 [#改ページ] * 昭和九年の秋英人スコットの乗った飛行機が英国と その目ざましい成効の報知がわが国に伝わった晩にちょうど日本の東京のJOAKで文士の航空に関する座談会というのが放送された。それは先日新聞社の催しで数名の知名の文士を北半日本のリレー飛行に いずれも生まれて初めて飛行機に乗って珍しく感じたことを 世界地図をあけてスコットの飛んだ距離と、これらの日本の文士の一人ずつが飛んだ距離とを比べてみたときに、なんとなく多少の皮肉な感じを起こさないわけには行かなかった。 [#改ページ] * 上野公園の こういうときに、会が終わってほっとした気持ちで外へ出て、そうして連れに別れて一人でぶらぶら公園を歩いていると、いつも見飽きるほど見馴れた公園の森や草木が今までかつて見たことのないように異常に美しく見え、また行き通りの人々の顔が実に楽しく喜ばしそうに見え、そうして特に女子供がたとえようもなく美しく愛らしく見えてくる。今まで堅く冷たくすっかり凍結していた自分の中の人間らしい血潮が急に雪解けのように解けて流れて全身をめぐり始めるような気がするのである。 学者であって、しかも同時に人間であることがいかにむつかしいものかということをつくづく考えさせられるのは、そういう時である。 [#改ページ] * 血液の化学成分は驚くべき精密さをもって恒同に保たれている。ちょっと労働でもして血液中の水素イオン濃度がわずかに一億分一だけ増すとすぐ呼吸が 人間の社会もこのくらい有機的になって、全系統の生理に有害なものを自働的に 現在でもある程度まではすでにそうなっているかもしれない。しかしこの調節作用を阻害するような病気があまりに多く、それに対する抵抗力があまりに弱いのではないかと思われる。 [#改ページ] * ある日電車で新宿の通りを通過しながら街路をながめていると、両側の人道にほとんど軒並みに同じような建て札が立ち並んでいる。見るとそれには区会議員か何かの候補者の名前が書いてある。小さな張り板ぐらいの恰好の木枠に白紙を貼って、それに筆太に墨黒々と「 その建て札に交じってまたところどころこれとよく似てはいるが少し風変わりな建て札が見える。それには「よせ鍋はま鍋」「 建て札が同型であるという事実の裏にはその建て札の内容にも若干の共通点があるという事を暗示するのではないかという気がした。 どちらも「売り物」である。そうしてどちらにも用心しないと喰わせ物があるかもしれない。 食物や商品のいかものが市民に及ぼす害毒は、腐敗した議員たちのそれに比べたらそれほどでもないであろう。 [#改ページ] * 元素には今では原子番号数というものができて、何番の元素と言えばそれで事柄は完全に確定する。それだのに今でも科学者はやはり水素とか酸素とかテルリウムとかウラニウムとか、言わば一種の「 科学といえども人間の産んだ愛児の中の愛児である。血の気を絞り取ってしまったら それはとにかく、元素の名前に「 [#改ページ] * 自分の欠点を相当よく知っている人はあるが、自分のほんとうの美点を知っている人はめったにいないようである。欠点は自覚することによって改善されるが、美点は自覚することによってそこなわれ [#改ページ] * 髪を短くしている人は大概髪を延ばすと醜くなるようなたちの人だと床屋が言う。それはそういう場合もあるかもしれないが、またそうでない場合があるかもしれない。 いつもとりすました顔をしている女は、たぶんすましたときのほうがいちばん美しく見えるような型であり、始終 めいめいで口をきいてめいめいの意見を吐露すべき会合の席上でいつでも黙々として始めからおしまいまで口を利かない人がある。もしかするとそれは口をきくと自分の美と尊厳をそこなうことを恐れる人ではないかという気がする。またこれと反対にいわゆる 公人としての会議ではやはり公の問題そのものの前に自分の私を忘れるべきであろう。「顔」を気にする女の場合とはちがうと思われる。 [#改ページ] * 猫の 科学の研究に体験をもたない言わばただの「科学学者」の科学論には往々人間の書いた「猫の尻尾論」のようなのがあるのも誠にやむを得ない次第であろう。 [#改ページ] * 昭和九年十月十四日、 この群れはどこの池沼で発生して、そうしてどこを目ざして移住するのか。目的地の方向を何で探知するか。渡り鳥の場合にでも解釈のつきにくいこれらの問題はこのいっそう智能の低い昆虫の場合にはいっそうわかりにくそうである。 二匹ずつつながっているのが、それぞれ雌雄のひとつがいだとすると、彼らの こうした問題が徹底的に解かれるまでは人間の社会学にもまだどんな大穴が残され忘れられているかもしれないであろう。 [#改ページ] * 省線電車渋谷駅の人気者であった「忠犬」の たかが犬一匹にこのお祭り騒ぎはにがにがしい事だと言ってむきになって腹を立てる人もあった。 しかし、これがにがにがしければすべての「宗教」はやはりにがにがしく腹立たしいものでなければならない。 ある日上野の科学博物館裏を通ったら、隣の帝国学士院の裏庭で大きな白犬の写真を撮っていた。犬がちっとも動かないでいつまでもじっとしておとなしくカメラのほうを見つめている、と思ったら、そばに立っていた人がひょいとその胴をかかえて持ち上げ、二、三歩前のほうへ位置を変えたのでそれが 翌朝新聞を見るとこの犬の写真が出ていた。やはりそれが八公であったのである。 この剥製の写真を撮っている光景を見たときにはやはり自分の胸の中にしまい忘れてあった「宗教」がちょっと顔を出した。 (昭和十年六月十二日) [#改ページ]* 親がつけてくれた名が気に入らなくなって改名する人がある。姓名判断という迷信的な俗説を信じて改名するのはまた別であるが、そうでなくて改名する人にはおのずから共通な性質があるような気がする。あえて弱点というほどではないがとにかく若干の人のよさがあるような気がする。 自分の知った人で非常に珍しい姓があった。おまけに名まで変っているのであったが、その人は快活で これで思い出すのは、昔 電車の運転手や車掌には実際変った姓名が多いようである。しかし、これが、異った姓名の人は車掌や運転手になる確率が多いという証拠にはならない。たとえば一方には車掌運転手の名簿、一方には帝国大学生の名簿を置いて比較統計を取ってみなければならない。しかしそうなると「変った姓」と「変っていない姓」とを分類する標準が非常にむつかしくなってちょっと手がつけにくい仕事になるであろうと思われる。 しかし、変った姓はしかたがないとして、断然変った名の持ち主百人と、常識的にちっとも変っていないと判断される名の持ち主百人とを選び出して、その当人は問題とせず、それらの人々の父親について、その社会的地位階級、教育の程度、趣味の品別等について統計してみたら、あるいは多少の差別が認められはしないかという気がする。 もし多少でもそうであったとしたら、父の差別が子の差別に多少でも反映していないとも限らないと考えられるのである。 [#改ページ] 木蓮 桜でも 人間でもなんだか、これに似た二種類があるような気がするが、何が「花」で何が「葉」だかが自分にはまだはっきりわからない。 [#改ページ] 学会 いろいろの学会にはいっている。すすんで入会したのもあり、いつのまにか入れられていたのもあり、また強いてはいらされたのもある。数にしたら二十近い会の会員になっている。 学会にはそれぞれ例会や総会がある。それに一々出席していたらきりがないからたいてい出ないことにしている。 どうも日本人はいろいろな会をこしらえることの好きな国民ではないかという気がする。 [#改ページ] 琴 学生時代には本郷へんの屋敷町を歩いているとあちらこちらの垣根の中や植え込みの奥から琴の音がもれ聞こえて、 たまにいい琴の音がすると思ってよく聞くとそれはラジオである。 [#改ページ] 漫画 新聞の日曜附録の一ページに大掃除を題材にした漫画がいろいろ出ている中に ほかにも数々の漫画があるが、どうもただ表面だけふざけていて中味の何もないのが多いようである。一平氏のには、多くの場合にそうであるように、おかしみの底に人情味が流れていて噛みしめるとあわれがにじみ出す。この漫画なども、現代の家庭における老祖母と主婦と孫娘との三角関係を心理的に描写し尽くして余すところがないような気がする。その真実性の中からおかしみも美しさもあわれも生まれてくるのであろう。 ただ一枚の漫画でもこういうのを朝食時に見ると、その日一日ぐらいは自分の心情の上に何かしらよい効果を残すように思われる。 [#改ページ] 笑い声 初夏のある日友人と京橋近くの七階楼上で昼飯を食った。すがすがしい好晴の日で食卓から見下ろす銀座方面のながめははればれと明るくいきいきと美しいものであった。一隅の別室からにぎやかな爆笑が 席を立って帰りがけに開け放したその別室をのぞいて見ると、意外にもそれは「制服の処女」たちではなくて、みんなもう三十前後の立派な奥さんたちの集会であった。 奥さんたちの笑い方と女学生の笑い方とはたしかに区別があるはずである。それだのに別室で聞いた笑声はどうしても十五、六、七、八の女生徒の集団にのみ聞かれる笑声であった。 やはりどこかの女学校の第何回卒業同窓会であろうと思われた。同窓の顔が寄り合った機会に彼女たちの十余年昔の笑いが復活したのではないかと思われて、なんとなくほほえましい気持ちのしたのはあながち青葉時の好晴の天気のせいでもなかったようである。 [#改ページ] 講演の口調 ラジオなどで聞くえらい ある会議の席上である長官がある報告をするのを聞いていたとき、ふと前述の講演のタイプを想い出した。 長官はその属僚の調べ上げてこしらえた報告書を自分のものにして報告しなければならない。それで文句はわかってもその内容は実はあんまり身にしみていないらしいので、それでああいう口調と態度とが自然に生まれるのではないかという気がした。 これに反して、文士でも芸術家ないし芸人でも何か一つ腹に覚えのある人の講演には 学者の講演でもやっぱり同じようなことがあるようである。 空腹はなかなか隠せないものらしい。 [#改ページ] 不審紙 子供の時分に漢籍など読むとき、よく意味のわからない箇所にしるしをつけておくために「 そのころでもすでに粗製のうその朱唐紙があって、そういうのは色素が 不審が氷解すればそこの不審紙を爪のさきで軽く引っ掻いてはがしてしまう。本物の朱唐紙だとちっともあとが残らない。 中学時代にはもう不審紙などは使わなかった。そのかわりに鉛筆や紫鉛筆でやたらにアンダーラインをしたり、?や!を書き並べて、書物をきたなくするのが自慢であるかのような新習俗に それはとにかく、日本紙に大きな文字を木版刷りにした書物のページに、点々と真紅の不審紙を貼り付けたものの視像を今でもありありと想い出すことができるが、その追憶の幻像を透して、実にいろいろな旧日本の思想や文化の万華鏡がのぞかれるような気がするのである。 [#改ページ] 学会警察 英国の物理学者Dとオーストリアの物理学者Bとが日本へ遊びに来て大学や理化学研究所で講演をしたがいずれも満員以上の盛況だったそうである。 Dは数年前にも一度来朝したが、その後ノーベル賞をもらって世界第一流の学者としての折り紙をつけられた。Bはこれに比べれば今のところ第二流の仲間である。それが偶然にDといっしょに日本へ来たので、同時に肩を並べて歩き、同じ演壇で講演をした。B一人で来たら講演会が催されたかどうかというようなことが学界ゴシップの話題になった。 Dを大学の某研究所に案内していろいろな業績を見せた。前に来たときはかなりいろいろの事に興味を示したそうであるが、今度はいっこうにそっけなくて何を見せても冷淡な態度しか見せなかった、とにかくそういうふうにその研究所の人たちには感ぜられたそうである。 以上の事実はいろいろな意味で記録しておく価値があると思われる。 ずっと前にアインシュタインが来朝したときのことをいろいろ思い出す中に一つあまり従来記録されていないと思うきわめて興味ある現象がある。 アインシュタインが大学内を歩いているときにはいつでも、その後ろに学界の長老たちが影のように附き添って歩いていた。集会の席でも護衛兵のように引き添って立ったりすわったりしていた。珍客を遇する礼として当然のことと思われた。自分らのような弱輩のものがこの それから後は、もう西洋から有名な学者が来てもあまり近よらないことにした。第一言語が不随意で思ったことの三分一も言えず先方のいうこともどれだけわかったかわからないかさえわからないからわざわざ危険を冒して近よることもないと思ったのである。ただ遠方からその それでも、どうかすると自分の研究室へ外来の学者を案内して来られることがある。その案内者が親しい同僚だけであればなんでもないが、しかしその中に学界の監察官のようなかたが一人でもいて来客の肩の後ろで厳粛な顔をしていられると自分の口は自然に こうした監察官も日本の名誉のために必要かもしれない。 とにかく以上の事実は記録に値する。これは自分だけの体験した事実ではなくてかなり多数の同学者が多少ちがった程度と形式とで体験した事実だからである。 (昭和十年六月) [#改ページ]死刑囚 友人の生理学者が見せてくれた この世に活かしておけないという理由で処刑された人間の身体の一局部のきわめて微細な顕微鏡標本は生理学や医学の教科書に採録されて世界の学徒を教育する。 くだらない人間や、あるいはきわめていけない人間の書いたものでも後世を益することはある。たとえそれがどんなうそでも とは言うものの、「 全く役に立たない人間になる、ということほどむつかしい事はないかもしれない。 (昭和十年七月三日)
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