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燃え立つ太陽・燃え立つ植物・燃え立つ眼・燃え立つ呼吸――何もかもが燃え立っているTHIS VERY SPAIN! そして、この闘牛場。 AH! SI! 何という職烈・何という強調楽・何という極彩色! ふたたび、何という炸裂的な「いすばにあ人屠牛之古図」! それがいま、私の全視野に跳躍しているのだ! 燃える流血・燃える発汗・燃える頬・燃える旗――わあっ! 血だ、血だ! ぷくぷくと黒い血が沸いたよ牛の血が! 血は、見るみる砂に吸われて、苦悶の極、虎視眈々と一時静止した牛が、悲鳴し怒号し哀泣し――が、許されっこない。もうここまで来たらお前が死なない以上納まりが付かないんだから、おい牛公! そんな情ない眼をせずに諦めて死んでくれ。そら! また、闘牛士が近づいた。今度こそは殺られるだろう――ひっそりと落ちる闘牛場の寂寞――。 やあっ! 何だいあれあ? 棒立ちになった馬、闘牛士の乗馬が盛んに赤い紐を引きずり出したぞ。ぬらぬら陽に光ってる。 EH? 何だって? 馬が腹をやられた? 角にかかって?――あ! そうだ、数条のはらわたがぶら下って地に這って、砂に塗れて、馬脚に絡んで、馬は、邪魔になるもんだから、蹴散らかそうと懸命に舞踏している! それを牛が、すこし離れてじいっと白眼んでる――何だ、同じ動物のくせに人間とぐるになって!――というように。 総立ちだ! 歓声、灼熱、陽炎、蒼穹。 血と砂と音と色との一大交響楽。 獣類と人の、生死を賭した決闘。 上から太陽が審判している。 その太陽が、このすぺいん国マドリッド市の闘牛場に充満する大観衆の一隅に、今かくいう私――ジョウジ・タニイ――を発見しているんだが――この真赤な刺激は、とうとう私に、人道的にそして本能的に眼を覆わせるに充分だった。 が、いくら私が眼をつぶったって、事実と光景はこのとおり活如として私の四囲に進展しつつある。 だから、どうせのことなら私も、このペン先に牛の血をつけて、出来るだけ忠実に写生し、織り交ぜ、「あらぶ・すぺいん」風の盛大な絵壁掛けを一つ作り上げてみたい。 To begin with ―― of all the exoticism, gimme Olde Spain! で、これから闘牛場へ出かけようとして、いま現実にマドリッドの往来に立っている私――THERE! ここから着手しよう。 西班牙では、私も意気な西班牙人だ。放浪者の特権。小黒帽をかぶってCAPAを翻してるDONホルヘ――私――の上に太陽が焼け、下には赤い敷石が焼けて、私の感覚も、「すぺいん」を吸収して今にも引火しそうだ。 太陽・紺碧――闘牛日! 歌って来る一団の青年。 声が街上の私を包囲する。
亜弗利加の陣営で ある西班牙兵士の唄える――。 南方へレス産の黄葡萄酒、 北方リオハ産の赤葡萄酒。 この赤とこの黄と。 われらが祖国いすぱにあの国旗!
――なんかと、国旗の色をぶどう酒で識別して悦んでる。が、じつを言うと、西班牙の国旗は、鮮血を流して黄金を取りに行くという世にも正直な、そしてすぺいんらしい物騒な欲望を寓意して、そこで、赤と黄から出来上ってるのだ。しかし、それはそれとして、その赤葡萄酒と黄葡萄酒、鮮血と黄金の無数の旗が、きょう同国首府マドリッドの大通りにやたらにひらひらして、こうしてそこのアルカラ大街の雑沓に紛れ込んでるドン・ホルヘ―― Don George ――の耳に、「海賊の唄」と題するくだんのモロッコ従軍歌が、いま糖蜜のようなイベリヤ半島の烈日に熔けて爆発している――AA! 闘牛日のMADRID! 欧羅巴はピラネエ山脈に終り、あふりかはピラネエ山脈にはじまることの、西班牙は「白い大陸」と、「黒い大陸」の鎖だことの、やれ、ムウア人の黒い皮袋へ盛られた白葡萄酒の甘美さよ! だの、そうかと思うと、西の土に落ちて育って花が咲いて果を結んだ東の種だことのと、古来いろんな人に色んなことを言われて来ているこのESPANA――黒髪の女と橄欖色の皮肌、翻える視線と棕櫚の並木、あらびや風の刳門と白壁の列、ゆるく起伏する赤石の鋪道と、いま市民のひとりのようにその上を闊歩してるセニョオル・ドン・ホルヘ・タニイ――べら棒に長ったらしいが、私だって、西班牙へ来れば、George がホルヘと読まれてそのうえに Senor Don の敬称ぐらい附こうというものだ――そこでその、ドン・ホルヘの聴覚へ晩秋の熱風は先刻の「海賊の唄」を送りこみ、風にSI・SIとしきりに hissing sounds ――すぺいんの人はYESというところを「スィ!」と歯の隙間から、不可思議な息を押し出す――が罩もり、その呼吸に「カナリヤの労働」――きな臭い煙草――の名の香が絡み、散乱する長調の音譜と、澎湃たるこの雑色の動揺と、灼輝する通行人の顔と動物的な興奮。それらの陰影がくっきりと濃く地に倒れて、上には、銅の鍋を低くぶら下げたような、いやにきらめく南国午後の太陽と、O! 何と思い切った紫外線の大氾濫! そして、この西班牙的な群集・西班牙的な乗物・西班牙的な騒音!――それがどうだ! 今や犇と町の一方をさして渦まいて往く。闘牛場へ! AH! SI! SI! すぺいん・マドリイは、この瞬間、「血の祭典」を期待して爪立ちしている。深紅の国民的行事のうちに、誰もかれもが完全に「頭を失く」しているのだ、今日は。 プラサ・デ・トウロスに、午後四時から今年の季節中でも指折りの闘牛があるのだ。 だから、この流れる群集・游ぐ乗物・踊る騒音の一大市民行列――人呼んでマドリッド名物「闘牛行」と言う――が Calle de Alcala の町幅を埋めて、その絵画的な色彩、南国的な集団精神、これほど「失われたる前世紀の挿絵をいまに見せる」お祭り情緒はまたとあるまい。市に地下鉄が出来てから、この「闘牛場へいそぐ人の河」なる古儀に幾分気分を殺ぐものがあるとは言え、それでもまだ、この日、支那青の空に火のかたまりの太陽が燃える限り、そしてすぺいんに闘牛という「聖なる殺戮」があとを絶たないあいだ、過ぎし日を盲愛するこの国の人々は、銘々がめいめいの魂の全部をあげて、昔からその闘牛の序曲のように習慣づけられているこの市民的古式の行列「闘牛行」に、それぞれ派手な役目を持とうとするであろう。 闘牛行は、闘牛のある日、市の中央の広場「太陽の門」から闘牛場へいたる途中、アルカラの町筋に切れ目もなくつづく見物人の行列のことを修辞化したもので、郷土的な、そして歴史的に有名な、西班牙街上風物詩の第一頁だ。 午後二時から四時まで、マドリッドを貫くアルカラ街は、闘牛場へ近づくにつれ、闘牛へ殺倒する人と車馬のほかは交通を禁止される。この老若男女のすぺいん人の浪、亡国調を帯びたその大声の発音、日光のにおいと眠たげに汚れた白石建造物の反射、長く引っ張って押しつぶすような、あの歩きながら「海賊曲」を繰り返しつづける激情的な唄声――。
モロッコの陣地で 或る西班牙兵のうたえる。 南へレス産の黄葡萄酒! 北リオハ産の赤葡萄酒! この赤とこの黄と――。
陽光に酔った大学生の群が、肩に手をかけ合って今日の闘牛行に加わっているのだ。 低い太陽の真下に、アルカラの焼け石道を踏んでぎっしり詰めかけてゆく真摯な闘牛行の人々! 銀行員はペンを捨て、鍛冶屋は槌をおき、八百屋の小僧は驢馬をつなぎ、政治家と軍人は盛装し、女房と娘は「牛の光栄」のため古めかしくいでたって、みんなが同じ赤と黄の華やかさにはしゃぎ切って急いでいる。 AH・SI! 何という西班牙らしさ! 闘牛は彼らにとって伝統的国家精神の具現なのだ。宗教以上の宗教、第一位の信仰なのだ。黒い彫刻的な男の横顔と、白く閃めく女の眼と歯を見ただけでも、それはわかる。だから私も、西班牙人なみに眼の色を変えて、闘牛行をめざしこうして進軍しつつあるんだが、これから目撃しようとする「血と砂」の国民的大スポウツの予想に、皆がみな走りながらしゃべってるこの「西の支那人」の大群――その騒々しいこと、殺気立ってること、これじゃあ今日殺されるはずの牛族のほうがよっぽど冷静だろう。何のことはない。逆上と饒舌と有頂天の一大混成旅団が、アルカラ大街を帯のように徐々に動いて、むこうの闘牛場の入口へ吸い込まれていくと思えばいい。そして、この叙景に忘れてはならないものは、じりじりする太陽と真黒な地物の影、女の頬と旗と植物を撫でてゆくこの高台の光風だ。 闘牛場は近い。 太陽も近い。 てらら・らん・らん! てらら・らん・らん! とつぜん闘牛楽が聞えてくる。開演の迫った合図――軍楽隊のONE・STEPだ。 ドン・ホルヘの歩調も、殺害さるべき牛の身の上を忘れてとても陽気にならざるを得ない。てらら・らん・らん! てらら・らん・らん! と。 何と舞踏的なパサ・ドブレ! てらら・らん・らん! てらら・らん――! 洪水のような西班牙人の混雑に押されて、ドン・ホルヘの私も闘牛楽に合わせて踊りながら、いよいよ入口を潜った。 と、突如、円形の黄砂広場は、直射を受けて眼に痛い。 そしてその周囲、城壁のように石の段々に重なって動き、そよぎ、うなずき合っている八千から一万のすぺいん人種の顔――あとからもどんどん割り込んできている。 上には、太陽の示威運動だ。 これより先――。 ボルドオから聖セバスチャンを経てMADRIDへ辿り着いたジョウジ・タニイ――それは陸橋に月が懸って、住宅の根元の雑草にBO・BOと驢馬の鳴く晩だった――が、ドン・ホルヘに転身してこのマドリイの宿ときめたのが、商業街の心臓モンテイロ街のいま居る家だった。 ここでちょっと道くさを食べる。 いま言った町の名だが、このモンテイロというのは主馬頭の語意だ。すなわち、いつの世かこの町のこの家に、時の王に仕侍する主馬頭が住んでいたことがあった。あの、十字の船印の附いた大帆前船を操ったすぱにゃあどが、自分らの鮮血と交換に黄金を奪りに海を越えた時代に相違ない。とにかく、その主馬頭の夫人は小説的な吸血鬼で、騎士だの侍従だの詩人だのたくさんのBEAUXを持つ。だから主馬頭が宮廷に宿直の夜なんか、蒸暑い南国のことだから窓を開け放して、本人は寝巻か何か引っかけた肉感的なスタイルのまんま、窓枠に靠れて下の往来を覗きながら、南ヘルス産の黄葡萄酒・北リオハ産の赤葡萄酒なんかと好い気に月を仰いで低唱していると、忍んで来た勇士達が、このセニョラの窓の下で鉢合せを演じて盛んに殺したり殺されたりする。それを月と夫人が上から青白く冷たく見物していた――というので、これがひどく有名になり、それからこの通りを主馬頭町と呼ぶにいたった。 こういう因縁つきの町の、おまけに私の居る家というのが、取りも直さずその主馬頭の旧邸なんだから、夜中にたびたび窓の下でごそごそ人声がする。さては騎士だの侍従だの詩人だの、例の主馬頭夫人の魅笑に惹き寄せられた恋のすぺいんの亡霊たちが何か感違いして現れたとみえる――こう思ってGABAと寝台を跳ね下りた私が、せいぜい歌劇的に窓へ進んで、そのむかしセニョラがしたであろうように窓を開いて見下ろすと――。 マドリッドは孤丘の上に建っている。連日の青天に白く乾いた遥かの陸橋に新月がかかって、建築中の電話会社の足場の下を、朝市場へ野菜を運ぶ驢馬の長列がBO・BOと泣いて通り過ぎつつあるばかり――芝居帰りのドン・ファン・テノリオ、夜のドン・キホウテとサンチョ・パンザの人影が霧にぼやけて、聖フランシスコ寺院の鐘も鳴らず、一晩じゅう戸外を笑い歩くマドリッドの町民もいまは短い明け方の眠りを眠っている。あんまり好い月夜なので、ドン・ホルヘもつい、うろ覚えの南部ヘレス産の黄葡萄酒・北部リオハ産の赤葡萄酒なんかと、むかし主馬頭夫人がやったように月を仰いで低唱しようとしたところが、やっぱりいけない。窓の真下からSI・SI・SIとはっきり恋の迷魂らしいささやきが揺れ上ってくるのだ。 ドン・ホルヘの私は、眼をこすって窓の下の月光を透かし見た。 家の根元に、何だか黒い物が魔誤々々している。
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