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その眼前に揶揄係の紅いきれが靡く。 興奮した牛は、まずこれをめがけて全身的に挑み――牛ってやつは紅いものを見ると非常識に憤慨するくせがある――かかっている。 噴火のような唸り声だ。 観客はみんな腰を浮かして呶鳴ってる。 が、まだこの怒らせ役が牛をあつかってるあいだは、実を言うとほんとの闘牛ではない。こうして好い加減、牛の憤怒と惑乱が頂天に達した頃を見計らって、前座格のVERONICAが素早く牛を離れると、同時にいよいよ「血の本舞台」の第一段へ這入る。 一口に闘牛と言っても、三つの階梯から成り立つ。 1 Picadores 2 Banderillear 3 Matadores de Toros この順序だが、1のピカドウルは馬に乗って槍を持っている。これは、紅いきれを見せられてすっかり怒った牛の背中へ、深さ約二吋の穴を二つあけて、ますます怒らせるのがその任務だ。2はバンデリエイル。徒歩だ。三人出る。バンデリラという短い手銛のような物を、正面または横側から牛の背部、首根っこへ近いところへ二本ずつ打ち込む。三人各二本だから合計六本の矢鏃を差されて、牛はおいらんの笄みたいな観を呈する。そこへ単身徒歩で登場して牛に直面し、機を見て急所へ短剣の一撃を加えて目出度く仕留めるのが、3のマタドウル・デ・トウロスだ。この留めをさす役が、闘牛中の花形なのである。 槍馬士が出て来た。 日光と槍先と金モウルだ。 悍馬を御して牛の周囲を駈けめぐってる。 牛は馬を狙って角を下げている。 ピカドウルの槍が走った――うわあっ! 血だ血だ! ぶくぶくと血が噴き出したよ牛の血が! 黒い血だ。血はみるみる牛の足を伝わって流れて、砂に吸われて、点々と凝って、虎視眈々と一時静止した牛が、悲鳴し、怒号し、哀泣し――が、どうせ殺すための牛だ。そら! また槍が流れたぞ! もう一つ、紅い傷口がひらくだろう――ひっそりと落ちる闘牛場の寂寞――。 やあっ! 何だいあれあ? 棒立ちになった馬、ピカドウルの乗馬が急に紅い紐を引きずり出したぞ。ぬらぬらと日光を反射してる。 EH! 何だって? 馬が腹をやられた? 牛の角に触れて?――あ! そうだ、数本の馬の臓物がぶら下って、地に垂れて、砂にまみれて、馬脚に絡んで、馬は、邪魔になるもんだから蹴散らかそうとして懸命に舞踏している! それを牛が、すこし離れてじいっと白眼んでる――何だ、同じ動物仲間のくせに人間に買収されて!――というように。 総立ちだ。 足踏みだ。 大喚声だ。 傷ついた馬は、騎士を乗せたまま引っ込んで行った。が、直ぐに出て来た。おや! 同じ馬じゃないか。AH! 何という ghastly な! はみ出ていたはらわたを押し込んで、ちょっと腹の皮を縫ってあるだけだ。そのままでまたリングへ追いやる! 縫目の糸が白く見えている。 何と徹底した苦痛への無同情! 馬は、恐怖にいなないて容易に牛に近寄ろうとしない。それへ槍馬士が必死に鞭を加える。 この深紅の暴虐は、私をして人道的に、そして本能的に眼をおおわせるに充分だ。 が私ばかりじゃない。私の二、三段下に、さっきから顔を押さえて見ないように努めていた仏蘭西人らしい一団は、このとき、耐り兼ねたようにぞろぞろ立って行く。女はみんな蒼い顔をしてはんけちで眼を隠していた。 ドン・ホルヘは我慢する。 女のなかには気絶したのもあった。あちこちで担ぎ出されている。道理で、女伴れの外国人が闘牛券仲買所へ切符を買いに行くと、最初から出口へ近い座席を選ぶように忠告される。青くなって退場したり、卒倒したり、はじめての女でおしまいまで見通すのは殆どないからだ。だから、言わないこっちゃない。 しかし、男でも女でもこういう気の弱いのは初歩の外国人にきまっていて、西班牙人は大満悦だ。牛の血が噴流すればするほど、馬の臓腑が露出すればするほど、女子供まで狂喜して躍り上ってる。反覆による麻痺だろうけれど、見ていると根本的に彼らの道義感を疑いたくなる。私は、無意識のうちに牛の肩を持っている自分を発見した。 一たい闘牛に対しては、西班牙国内にも猛烈な反対運動があって、宗教団体や知識階級の一部はつねに闘牛の改廃を叫んでいるんだが、この「血の魅力」はすぺいん国民の内部にあまりに深く根を下ろしている。羅馬法王なんかいくら騒いだって何にもならない。が、牛か人かどっちかが死ななければならないのが闘牛だとしたら、そして、はじめからリングで殺すつもりで育てた牛である以上、牛の死ぬのはまあ仕方がないとして、馬まで傍杖を食わして殺すのは非道い。こういう議論が起って、最近では、出場の馬へ硬革製の腹当てをさせることにしている。しかし、これも形式的なもので何ら実際に保護の用をなさない。何しろ相手は火のように猛り狂ってる野牛だ。馬の逃げ足が一秒でも遅いと、忽ち今日のような惨事を惹起することは眼に見えてる。が、この悲惨とか残酷とかいうのも外国人にとってだけで、すぺいん人はここが闘牛の面白いところだと手を叩いて喜んでるから、始末におえない。闘牛のつづくかぎり、馬の犠牲も絶えないだろう。 なぜ地球上にこういう野蛮な存在を許しておくか? これはじつに西班牙一国内の問題ではない。まさに全人類の牛馬に対する道徳上の重大事である。なんかと度々海のむこうから文句が出るんだけれど、どうしても止さないものだから、海外の識者もみんな呆れて、諦めて、この頃ではもう黙ってる。おかげで西班牙人は誰憚らず牛が殺せるというものだ。 これは、この闘牛を見てから二、三日してからだったが、例のドン・モラガスが私のところへやって来て、 『どうだったい、こないだの闘牛は?』 と訊くから、私――というより、私の社交性が、 『うん。なかなか面白かったよ。有難う。』 と答えると、彼は、 『ふふん。』 と鼻の先でせせら笑って、 『生意気いうない。君みてえなげいこく人に闘牛の味が解って耐るもんか。ほんとに闘牛を見るようになるまでにゃあ、君なんか、そうよなあ、もう十年この西班牙で苦労しなくちゃあ――。』 私はついむきになって、紅布へ挑戦する牛のようにモラガスへ突っかかって行った。 『冗談じゃない。闘牛なんかもう御めんだよ! 一度でたくさんだ。何だ! 一匹の牛を殺すのにああ何人も掛ったりして! ただ残酷というだけじゃない。あれあ卑怯だ。だから、見てるうちに、僕なんか牛に味方して大いに義憤を感じちゃった。すくなくとも文明的な競技じゃないね。』 どうだ、ぎゃふんだろうとモラガスの応答を待っていると、案の条かれはにやにやして話題の急転を計った。 『うちの一座にメリイ・カルヴィンという女優がいる。』 『誤魔化しちゃいけない。闘牛はどうしたんだ?』 『だからその闘牛のことだが、君、メリイ・カルヴィンって名をどう思う?』 『どう思うって別に――ただ西班牙名じゃないな。』 『そうだ。アングロ・サクソンの名だね。事実メリイ・カルヴィンは亜米利加人なんだ。』 『何だ、面白くもないじゃないか。』 『ところが面白い。』ドン・モラガスはひとりで勝手に面白がって、『いいかい。おまけに彼女は紐育の金持のひとり娘なんだ――では、どうしてこの、紐育富豪の令嬢メリイ・カルヴィンが西班牙芝居の下っぱ女優をつとめていなければならないか――ドン・ホルヘ、まあ聞き給え。これには一条の物語がある。』 なんかと、いやに調子づいたドン・モラガスが、舞台では見られない活々さをもって独特の金切声を張り上げるのを聞いてみると、こうだ。 HOTEL・RITZ――マドリッド第一のホテル――の数年まえの止宿人名簿を探すと、メリイ・カルヴィンの自署を発見するに相違ない。あめりかのちょいとした家の子女が誰もかれもするように、学校卒業と同時に最後のみがきをかけるべく「大陸をして」いた彼女が、無事にこの西班牙国マドリッド市まで来たとき、それはちょうど季節で、血の年中行事が市全体を狂的に引っ掻き廻している最中だった。 すぺいんへの旅行者は闘牛だけは見逃さない。早速彼女も出かけて行った。そして勿論、正確に気絶したひとりだった。気絶どころか、二、三日食物も咽喉へ通らないで床に就いたくらいだが、こうして寝ながら、メリイ・カルヴィンは考えたのだ。どうしてああ西班牙人がみんな面白がって見てるのに、自分だけ気絶なんかしたんだろう? こんなはずはない。Something wrong これはきっと解ると自分も好きになるに相違ない。いや、どうしても好きにならなければならない――と、ここに妙な決心を固めて、それから一週間延ばしに旅程を変更しちゃあ毎日曜日に闘牛へ通い出した。が、やっぱり駄目だ。あのピカドウルの槍の先に血が光るのを見ると、彼女は、何と自分を叱っても身ぶるいがして来て、その次ぎもそのつぎも、二度も三度も続けさまに気絶してしまった。そこで彼女は、もの好きな話だが、すっかり残りの予定を破棄してマドリッドに腰を据え、これではならないとわざと砂に近い席へ陣取って、その季節中一つも欠かさずに、修行のように通い詰めた。言うまでもなく紐青からは、なぜそういつまでも西班牙にいるのかと詰問の電報が矢のように飛来した。が、それを無視して闘牛場の石段にすわっているうちに、数度の失心ののち、ようやく刺激に慣れたと言おうか、だんだん全演技を通じて正視出来るようになって、しまいには、どんな光景に直面しても彼女は平気でいられるようになった。西班牙人の闘牛の「見方」が、彼女にも少しずつ判りかけたのだ。こうなると、個々の闘牛士の癖とか、無経験な見物には気のつかない危機とか、紅布の捌き、足の構えの妙味、ちょっとした手銛のこつとか、つまり専門的に細かい闘牛眼がメリイ・カルヴィンにも備わって来て、そして、そう気のついた時、彼女はもう押しも押されもしない立派な闘牛ファンになり切っていた。 その年の季節は終った。が、彼女は亜米利加へ帰るかわりに、地方巡業に出た闘牛士を追っかけて西班牙じゅうを廻り歩いた。そして翌年のマドリッド闘牛場はまたメリイ・カルヴィンの姿を発見した。あめりかも紐育も生家の富も、この血と砂の誘惑のまえには彼女にとっては無力だった。帰国を促す交渉がとうとう破裂しても、西班牙に闘牛があるあいだ、すぺいんを見捨てることは彼女には不可能だった。麺麭と入場料を獲るために彼女は女優になった。そしてずうっとこんにちに及んでいる。いまのメリイ・カルヴィンは、闘牛によってのみ生甲斐を感じているといっても、過言ではあるまい。 『さあ――何といったらいいか、この気持はちょっと説明出来ないが――。』 とモラガスは、役者だけにさも困ったように首をかしげて、 『そうだな。動物に対する人間征服感の満足とでも言おうか。いや、決してそんな安価な感情じゃあないんだが、そうかと言って、君はじめ多くの外国人が考えるような、単純な「血の陶酔」でもない。勿論すぺいん人だって普通の感覚は持ってるし、闘牛以外では、ずいぶん人に譲らない動物愛護者のつもりだが――とにかく、メリイ・カルヴィンの場合なんか、メリイには、リングの牛が、不愉快なほど無神経に、愚鈍に見えてしょうがないそうだ。だから、そんな馬鹿には生きてる権利もない、どんなに虐殺しても構わない――と言ったような、自分でも不思議な、まあ一種の制裁的痛快感に、思わず拍手しちまうといってる。それに、も一つ可笑しなことは、メリイは、闘牛を見るたびにああ自分があの牛だったらと思ってぞっとするそうだが、この幾分変態的な戦慄も手伝って、一生闘牛場へ呪縛されるのがあのメリイの運命だろう――。』
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