アイチミュラ・羽左衛門
『ミスタ・ウザエモン・イチムラ――有名な日本の俳優がここに泊っているはずですが、いまいらっしゃいましょうか?』 あちこち動きまわっている番頭たちのなかから、やっとのことでひとりの注意を捉え得た私は、せいの高い帳場の台ごしに上半身を乗り出して、「有名な」に力を入れてどなるようにこう訊いた。 相手の番頭というのは、縞ずぼんに黒の背広を着た、いかにも英吉利のホテルのクラアクらしい五十がらみの赤毛の男である。場処は倫敦ピカデリイのパアク・レイン・ホテル――午前十時。 六月末の蒸暑い曇った日で、戸外の、世紀的に古いロンドンの雑沓を貫いて、まえのピカデリイを走る自動車の警笛が、しっきりなしに、それでいて妙に遠く聞えている。 メイフェア――と言えば、「倫敦のロンドン」だ。ベイスウォウタア、ベルグレヴィア、サウス・ケンシントン、それにこのメイフェアの四つが、いっぱんに倫敦市内で一ばん高級な住宅街となっているが、メイフェアの持つ歴史と香気にくらべれば、ジョウジアン時代以後に出来た他の三つの区域は、厳正な意味で倫敦的であるべくあまりに生々しい。いいかえれば、それほどメイフェアの石と煉瓦は、雄弁に、じつに雄弁に倫敦を語っているのだ。この、十八世紀初期の建築が低い表階段を並べているメイフェアなる地点は、いろいろな装飾で取り巻かれた中心に小さな宝石が象眼してあるように、地理的にいえばごくせまい。南はピカデリイ、北はオックスフォウド街、東はボンド街、西はパアク・レインにかこまれた一廓に過ぎないが、小さな横町が無数に通っているので、生粋の倫敦人でもうっかりすると迷児になるくらいだ。大富豪の邸宅――といったところで驚くほど小さな――に混って、ばかに内部の暗い本屋や毛織物店が、時代と場処を間違えたように二、三軒かたまっていたりして、ここの街上で見かける紳士はどこまでもふるい英吉利国の紳士であり、角の太陽酒場から口を拭きながら出てくる御者と執事と門番は、そのむかしワイルドのむらさきの円外套をわらった御者と執事と門番に完全に――服装以外は――おなじである。しずかに過去を歩こうと思えばこのメイフェアに限る。近代化、もしくは亜米利加化しつつあるいまのロンドンに、いぎりすらしく頑固に、そして忠実に倫敦を保っているのはメイフェアと霧だけだからだ。十八世紀の中頃までは、毎年五月にここにお祭があって、この名もそこから来ているのだという。なるほどメイフェアの家は一つひとつが古いエッチングのように重く錆びている。そのなかの半月街に、一つちょっと通りへ出張った窓があるが、シェレイが快活な表情と輝かしい眼とで、本を手に、朝から晩まですわっているのがおもてから見えたというのはここだ。鳥籠と餌入れと水がないだけで、まるで若い貴婦人に飼われている雲雀が、日光のなかで歌うために出窓へ吊るされているようだと当時近処の人が陰口をきいたほど、この半月街の窓とシェレイとは離れられないものになっている。つぎのクラアジス街三番邸には一時マコウレイが住んでいたことがあり、三二番はよくバイロンが訪問したので有名だし、ボルトン街にはドュ・アブレイ夫人のいた家があり、そこの玄関にしばしばウォルタア・スコットの姿を見かけたそうだし、チャアルス街四二番はボウ・ブラメルの住宅だったし、ボンド街は倫敦のルウ・ドュ・ラ・ペエだし、アルブマアル五十番は、この屋根の下でバイロンとスコットがはじめて会っているし――そうしていま、そのメイフェアの西端パアク・レインに、弁天小僧の、切られ与三の、直侍の、とにかく日本KABUKIの「たちばなや」が印度大名のごとき国際的意気をもって雄々しくも――フジヤマとサムライとゲイシャの芸術国から――乗り込んで来ているのだ。パアク・レイン・ホテルは新しい建物で、さして大きくはないがまず一流。朝の十時、まだあの有名な耳が枕に押しついている頃おい――枕をはなれたが最後、耳も耳の主人もともに外出して、終日印度大名の一行のごとくうろつく危険があるから――を狙って、こうして私は彼女を引具し、職務に興味をもつ――というのはつまり入社後間もない――フリイト街の犬――新聞記者――みたいに奇襲して来た次第である。BANZAI! と言うと、いかにも私が、デエリイ何とかの訪問記者にでもなって、この「日本むすめの寵神」――じっさいデエリイ何とか紙は羽左衛門の写真を掲げてこういう説明をつけていた。再びBANZAI!――から何段かを埋めるに足る Story を引き出すべく、常鋭鉛筆を片手に「好意的批評眼」をぽけっとに忍ばせ、いまし編輯長の激励裡に「紙屑の谷」を駈け出して来たように聞えるが、じつはただ、たまたまこの六月の朝、単なる旅行者としての私と彼女が、Doing the London の重要な一つであるかの名だたるメイフェア彷徨を実行しながら、英文学の教授みたいに温厚なそしてクラシックな品位を養いつつある最中、ピカデリイへ足を向けようとしてちょうどパアク・レインへさしかかったとたん――いったい何ごとによらずいつも「思いつく」のは彼女にきまってるんだが、この時も彼女が思いついて、and as an idea came to her 歩道に急止して私を使嗾したのである。 この近所のホテルに羽左衛門が来てますよ、と。記憶が私を強打した。倫敦の英字日本新聞アサヒ・ブレテンにこう出ていた――。
巴里より来倫したる市村羽左衛門氏夫妻は目下ピカデリイのパアク・レイン・ホテルに宿泊中。ちなみに近日蘇格蘭土に遊び、帰来六月下旬まで滞英の由。
ついでだが、この新聞はなかなか奇抜で、じつによくロンドンにおける「日本紳士」の動勢を調査し、細大洩らさず報道している。まず役所・銀行・日本関係の公共機関の所在からはじめて、個人の移転到着退国はもちろん、出産結婚死亡にいたるまでなに一つこの紙面から逃れることは不可能だ。それに広告がふるってる。 日本語で印刷してある部分だけ見本に二、三。
多年日本紳士諸彦ノ御引立ヲ蒙リ廉価ニ御調製仕候。
これはフェンチャアチ街一四九番のブリストウ&スタアリング洋服店。御叮嚀に日本字の書き版である。
日本御料理仕出シ御旅館 日ノ出家 日本食料品製造元特約代理店トシテ特別安価ニ販売仕候 英国製毛布ヒザ掛類 製産地直接取引ノ為メ日本ニ輸出卸値ト同様多少ニ拘ラズ勉強仕リ御便宜ノ為メ事務所トシテ日ノ出家ニ実物取揃申居候間御買上被下度候 創業千九百八年
矢野商会 これも書いた字。次ぎは活版だ。
支那御料理並にすき焼 一、支那御料理特別献立 昼食壱志八片 夕食弐志六片 其他御尋ねに従い各位様の御嗜好に相叶い候御料理色々御紹介可申上候 一、すき焼開始 牛鍋 弐志六片 鳥鍋及豚鍋各参志及参志六片 鴨鍋及鯛ちり各参志 プライベイト大宴会室の設備も有之候
これこそストランド「中国飯店」藤井米治氏大奮闘――の紙上披露である。すき焼開始並びに神秘的な豚鍋よ、永久にBANZAI! さて、新聞のことはこれでいいとして羽左衛門だが――。 こういういきさつを経たのち、こつぜんとしてパアク・レイン・ホテルの帳場に出現した私たちである。市俄古トリビュウンの写真班が亜米利加漫遊中のニウジイランド鉱泉王を襲撃に来たように、うっかりしている番頭の顔へ、私は出来るだけ気取った発音を吹っかけてやる。 『ミスタ・ウザエモン・イチムラという日本の俳優の方が――。』 と言いかけた私は、じつはここらで、その赤毛の番頭が大いに感激の色を呈し、思わず、AH! とか、OH! とか多分の肯定と「!」を含んだ声を発することであろうと内心期待して、事実、そのためにちょっと言葉を切って先方に機会をあたえたくらいだけれど、鈍感に洋服を着せたごとき感あるかの番頭は、依然ぽかんとして、 『ミスタア誰?』 『ミスタ・ウザエモン・イチムラ――。』 羽左もミスタア・ウザエモンじゃあどうもめりはりが合わなくて申訳ないが、これもこの場合まことに致し方ないというものは、橘家さんや大師匠ではこの赤毛の「おとこしゅ」に一そう通じっこないんだから――。 現にまだ頓と合点がゆかないとみえて、かれ番頭は、灰いろの眼をぱちくりさせて謎に面したように黙っている。仮りにも羽左衛門を知らないなんて、何たる――なんかといくらむかついてみたところで、ここは英吉利ロンドンの、しかもさっきもいうとおりのメイフェアである。英詩のごとく飽くまで上品に、そして、何よりも怒ってはいけない。 ここで、機をみるに敏な私は、とっさに羽左衛門こと市村録太郎氏を英語ふうにもじったのである。 『The party I want is Mr. ラックテロ・アイチミュウラ。 Now, don't say you don't know him !』 『MR・R・アイチミュウラ、え?』 とサンスクリットの呪文を唱えるように口中に繰りかえしながら、「羽左衛門」を知らないほど間の抜けた彼の顔にも、漸時に了解の情がそれこそ倫敦のしののめのように拡がってきて、 『乞う待て。』 なんかと仔細らしく指を上げてみせたのち、宿帳のところへ行って暫らく頁をめくっていたが、やがてのことに発見の喜悦とともに、 『おお! ミスタ・アイチミュラ、いええす、居ます、たしかにそういう名の人が泊っています――が、今は? と。さあ、お部屋にいますかどうか――。』 というわけで、ようよう電話で羽左衛門の在室を突きとめ、それっ! とばかりにこうして昇降機上の人となってきた六階の六三七号室である。 ノック。開扉。侵入。来意。 『どうぞちょっとお待ち下さい。いまちょうどひげを剃っておりますから。』 という東道役のことばに、そのまま穏便に別室へ通れば、眼の下にはピカデリイ・サアカスからハイド・パアクへと、およびその反対の交通――車輪と靴による――のざわめき、鉄柵のむこうにグリイン公園の芝生、メイフェアの家々の煙突の林、車道を横ぎる女、手を上げてタキシを呼びとめる老紳士、郵便箱をあけて袋いっぱいにさらえ込んでいる配達夫、それを見物している使小僧、スワン&エドガアの赤塗り荷物自動車、If It's Trueman, It Is a Beer の看板――それらが静粛に扁平に鳥瞰されて、朝のおそいここらにも、さすがにもう昼の事務の開始されているのを知る。が、一たび眼を転じて室内を見わたすや、かたわらの卓子に、主人公羽左衛門が愛読するらしく「面白くてためになる」日本の娯楽雑誌――幕末剣客・妖婦列伝・成功秘訣・名士訓話等々満載――が二、三投げ出してあるきり、ここばかりはなつかしき故国の勇敢な延長だ。 いかさま「日本娘の寵神――カブキの偶像」が正しく鬚をそっているとみえて、水の音が長閑にきこえてくる。そこで、その雑誌の頁をぱらぱらと繰っていた私は、間もなく、すぐ眼のまえの戸口に、黒と銀の派手なドレッシング・ガウンをまとった半白の一人物が、タオルで頬を撫でながらぽつんと直立しているのに気がついた。市村羽左衛門の登場――はいいが、なるほど今まで「剃」っていたらしく、しきりに顎のあたりを気にして拭いている。縞フランネルのパジャマのずぼんをだぶだぶに折返して――西洋のは脚が長いから――その上から洒落た部屋着なんか引っかけてはいるものの、だんまりのうちによく見ると、やっぱり弁天小僧の、切られ与三の、直侍の、そうしてKABUKIの「大たちばな」だ。いくら西洋のドン・ジュアンに扮したって争われないことには耳が裏切っている。と同時に私は、この倫敦ピカデリイとメイフェアのあいだにあって、たしかにちょうんと木の頭を聞き、のしのついた引幕の揺れを見、あの雑色的な「おしばや」の空気を感じ、ぷうんと濃厚な日本のにおいを嗅ぎ、弁松の膳――幕あいの食堂で――にむかって衛生御割箸をとった気になった。のは、私だけが勝手にそんな錯覚におち入ったにすぎなく、一日本紳士市村録太郎氏としての羽左衛門は、アブドュラの二十八番、薔薇の花びらで吸口を巻いたシガレットをくゆらしながら、いかにも外遊中の日本紳士らしくぽうっとしてそこに腰かけている。 以下、面談――といいたいところだが、羽左衛門によれば、ただ――。 倫敦は、地味でおちついていて。 巴里は、騒々しいが暢気で面白く。
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