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蟇の血(がまのち)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-25 8:57:43 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

     ※(ローマ数字「I」、1-13-21)

 三島みしまじょうは先輩の家を出た。まだ雨が残っているような雨雲が空いちめんに流れている晩で、暗いうえに雨水を含んだ地べたがじくじくしていて、はねあがるようで早くは歩けなかった。そのうえ山の手の場末ばすえの町であるから十時を打って間もないのに、両側の人家はもう寝てしまってひっそりとしているので、非常にみちが遠いように思われてくる。で、車があるなら電車まで乗りたいと思いだしたが、夕方来る時車のあるような処もなかったのですぐそのことは断念した。断念するとともに今まで先輩に相談していた女のことが意識に登って来た。
(もすこし女の身元や素性すじょうを調べる必要があるね)と云った先輩のことばが浮んで来た。法科出身の藤原君としては、素性も何も判らない女と同棲することを乱暴だと思うのはもっともなことだが、過去はどうでも好いだろう、この国の海岸の町に生れて三つの年に医師いしゃをしていた父に死なれ、母親が再縁した漁業会社の社長をしている人の処で大きくなり、三年ぜんに母が亡くなったころから家庭が冷たくなって来たので、昨年になってうちを逃げだしたと云うのがほんとうだろう、血統のことなんかは判らないが、たいしたこともないだろう……。
(一体女がそんなに手もなく出来るもんかね)と云って笑った先輩のことばがふとまた浮んで来る。……なるほど考えて見るとあの女を得たのはむしろ不思議と思うくらいに偶然な機会からであった。しかし、世間一般の例から云ってみるとありふれた珍しくもないことである。じぶんは今度の高等文官試験の本準備にかかるまえに五六日海岸の空気を吸うてみるためであったが、一口に云えばわかい男が海岸へ遊びに往っていて、偶然に壮い女と知己しりあいになり、その晩のうちに離れられないものとなってしまったと云う、毎日新聞の社会記事の中にある簡単な事件で、別に不思議でもなんでもない。
 女と交渉を持った日の情景がぼうとなって浮んで来る。……黄いろな夕陽の光が松原の外にあったが春の日のように空気が湿っていて、顔や手端てさきの皮膚がとろとろとして眠いような日であった。彼は松原に沿うた櫟林くぬぎばやしの中を縫うている小路こみちを抜けて往った。それはその海岸へ来てから朝晩に歩いているみちであった。櫟の葉はもう緑がせて風がある日にはかさかさと云う音をさしていた。
 その櫟林のさきはちょっと広い耕地になって、黄いろに染まった稲があったり大根やねぎの青い畑があった。そこには櫟林に平行して里川さとがわが流れていて柳が飛び飛びに生えている土手に、五六人の者がちらばって釣を垂れていた。人の数こそちがっているが、それは彼が毎日見かける趣であった。その魚釣うおつりの中には海岸へ遊びに来ている人も一人や二人はきっとまじっていた。そんな人は宿の大きなバケツを魚籃びくのかわりに持っていて、のぞいてみると時たま小さなふなを一二ひき釣っていたり、四五寸ある沙魚はぜを持っていたりする。
 彼が歩いて来た道がその里川に支えられた処には、上に土を置いた板橋がかかっていた。その橋の右のたもとにも釣竿つりざおを持った男が立っていた。それは鼻の下に靴ばけのようなひげを生やした頬骨の出た男で、黒のモスの兵児帯へこおび尻高しりだかに締めていた。小学校の教師か巡査かとでも云う物ごしであった。彼はその脚下あしもとに置いてある魚籃を覗いて見た。そこには五六尾の沙魚が入っていた。
(沙魚が釣れましたね)
 と、彼が挨拶のかわりに云うと、
(今日は天気の具合が好いから、もすこし釣れそうなもんですが、釣れません)
(やっぱり天気によりますか、なあ)
(あんまり、明るい、水の底まで見える日は、いけないですよ、今日も、もすこし曇ると、なお好いのですが)
(そうですか、なあ)
 彼はちょっと空の方を見た。薄い雲が流れてそれが網の目のようになっていた。彼はその雲を見たのちに川の土手の方へ往こうと思って、板橋の上に眼をやったところで橋のむこう側に立ってこっちの方を見ているわかい女を見つけた。紫の目立つ銘仙めいせんかなにかの華美はでな模様のついた衣服きもので、小柄なその体を包んでいた。ちょっと小間使か女学生かと云うふうであった。色の白い長手ながてな顔に黒い眼があった。彼はどこかこのあたりの別荘へ来ている者だろうと思ったきりで、それ以上べつに好奇心も起らないので、女のことは意識の外にいっしてその土手を上流かみての方へ歩いて往った。
 二丁ばかりも往くともう左側に耕地がなくなって松原の赭土あかつちの台地が来た。そこにも川のむこうへ渡る二本の丸太を並べて架けた丸木橋があったが、彼はそれを渡らずに台地の方へつまさきあがりの赭土を踏んであがって往った。
 そこには古い大きな黒松があってその浮き根がそこここに土蜘蛛つちぐもが足を張ったようになっていた。彼は昨日きのう一昨日おとといもその一つの松の浮き根に腰をかけて雑誌を読んでいたので、その日もまた昨日腰をかけて親しみを持っていた浮根へ往って腰をかけながら下流かわしもの方を見た。薄いにぶの光の中に釣人達は絵にいた人のように黙黙として立っていた。彼はさっきの女のことをちょっと思いだしたので、見なおしてみたがもうそれらしい姿は見えなかった。
 彼は何時いつの間にかふところに入れていた雑誌をりだして読みはじめた。読んでいるうちに面白くなって来たので、もうほかのことはいっさい忘れてしまって夢中になって読みふけっていた。それは軍備縮少の徹底的主張とか、生存権の脅威から来る社会的罪悪の諸相観とか、華盛頓ワシントン会議と軍備制限とか、そう云うような見出しを置いた評論文であった。そして、実生活の煩労はんろうから哲学と宗教の世界へと云うような、思想家として有名な某文士の評論を読みかけたところで、頭を押しつけられるような陰鬱いんうつな感じがするので、読むことをめて眼をあげると、もう陽が入ったのか四辺あたりが灰色になっていた。旅館でめし準備したくをして待っているだろうと思ったので、帰ろうと思って雑誌を懐に入れながらふと見ると、右側のちょっと離れた草の生えた処に女が一人低まった方に足を投げだし、双手りょうてで膝を抱くようにして何か考えるのか首を垂れている。それは衣服きものの色彩の具合がさっき板橋のむこうで見た女のようであった。
 彼は不審に思った。さっきの女が何故なぜ今までこんな処にいるのだろう。それともじぶんと同じように一人で退屈しているから散歩に来て遊んでいるのだろうか、しかし、あんなにうなれて考え込んでいるところを見ると何か事情があるかも判らない、傍へ寄って往ったら鬼魅きみを悪がるかも判らないが一つ聞いてやろうと思った。で、腰をあげて歩きかけたが、そっと往くのは何か野心があってねらい寄るようでやましいので、軽いせきを一二度しながらいばったように歩いて往った。
 女は咳と跫音あしおとに気がいてこっちを見た。それはたしかにさきの女であった。女は別に驚きもしないふうですぐ顔をむこうの方へ向けてしまった。彼は茱萸ぐみの枝にきものすそを引っかけながらすぐ傍へ往った。女は※(「女+朱」、第3水準1-15-80)きれいな顔をまたこっちに向けた。
(あなたは、どちらにいらっしゃるのです)
(私、さっきこちらへまいりましたのですよ)
 女が淋しそうに云った。
(それじゃ、宿やどにはまだお入りにならないのですね)
(ええ、ちょっと、なんですから)
 彼はふと女は何人だれか待合わす者でもあるかも判らないと思いだした。
(こんなに遅くなって、一人こうしていらっしゃるから、ちょっとおたずねしたのです)
(ありがとうございます、あなたはこのあたりの旅館にいらっしゃるの)
(五六日前から、すぐそこの鶏鳴館けいめいかんと云うのに来ているのです、もしお宿の都合で、他がいけないようならおでなさい、私は三島と云うのです)
(ありがとうございます、もしかすると、お願いいたします、三島さんとおっしゃいますね)
(そうです、三島讓と云います、じゃ、失敬します、ごつごうでおいでなさい)
 彼は女と別れて歩いたが弱よわしい女の態度が気になって、もしかするとよく新聞で見る自殺者の一人ではないだろうかと思いだした。彼は歩くのをやめて松の幹の立ち並んだ陰からそっと女の方をのぞいた。
 女は顔に双手りょうててのひらを当てていた。それはたしかに泣いているらしかった。彼はもう夕飯ゆうめしのことも忘れてじっとして女の方を見ていた……。
 讓はふと道の曲り角に来たことに気がついた。で、左に折れ曲ろうとして見ると、そこに一軒の門口かどぐちが見えて、出口に一本のけやきがあり、その欅のうしろになった板塀の内の柱に門燈が光っていたが、それは針金の網に包んだまるい笠におおわれたもので、その柱に添うて女竹めたけのような竹が二三本立ち、小さなその葉がじっと立っていた。ふと見るとその電燈の笠の内側に黒い斑点はんてんが見えた。それは壁虎やもりであった。壁虎はを見つけたのか首を出したがその首が五寸ぐらいも延びて見えた。彼はおやと思って足を止めた。電燈の笠が地球儀の舞うようにくるくると舞いだした。彼はいやなものを見たと思ってみちの悪いことも忘れて小走りに左の方へ曲って往った。

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