打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口

蟇の血(がまのち)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-25 8:57:43 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


      ※(ローマ数字「III」、1-13-23)

「ここですよ」
 蒸し蒸しするような物の底に押し込められているような気もちになっていた讓は、女の声に気がいて足をとめた。そこにはインキのにじんだような門燈のいている昔風な屋敷門があった。
「ここですか、では、失礼します」
 讓は下宿の女が気になって来た。彼は急いで女と別れようとした。
「失礼ですが、内まで、もうすこしお願いいたしとうございますが」
 女の顔は笑っていた。
「そうですか、好いですとも、往きましょう」
 左側に耳門くぐりがあった。女はその方へ歩いて往って門の扉に手をやると扉は音もなしにいた。女はそうして扉を開けてからり返って、男の来るのを待つようにした。
 讓は入って往った。女は扉を支えるようにして身をかた寄せた。讓は女の体と擦れ合うようにして内へはいった。と、女はうしろからいて来た。扉は女の後でまた音もなく締った。
「しつれいしました」
 薄月うすづきしたようになっていた。讓は眼が覚めたように四辺あたりを見まわした。庭には天鵞絨びろうどを敷いたような青あおした草が生えて、玄関口と思われる障子にの点いた方には、凌霄にんどうの花のような金茶色の花が一めんに垂れさがった木が一本立っていた。その花のであろう甘い毒どくしいにおいが鼻にみた。
「ここは姉の家ですよ、何にも遠慮はいらないのですよ」
 讓は上へあげられたりしては困ると思った。
「僕はここにおりますから、お入りなさい、あなたがお入りになったら、すぐ帰りますから」
「まあ、ちょっと姉に会ってください、お手間はとらせませんから」
「すこし、僕は用事がありますから」
「でも、ちょっとならよろしゅうございましょう」
 女はそう云って玄関の方へ歩いて往って、花のさがっている木の傍をよけるようにして往った。讓は困って立っていた。
 家の内へ向けて何か云う女の声が聞えて来た。讓はその声を聞きながら秋になっても草の青あおとしている庭のさまに心をやっていた。
 なまめかしい女の声が聞えて来た。讓は女の姉さんと云う人であろうかと思って顔をあげた。内玄関うちげんかんと思われる方の格子戸こうしどいて銀色のの光が明るく見え、その光を背にして昇口あがりぐちに立った背の高い女と、格子戸の処に立っているの女を近ぢかと見せていた。
 讓はあんなに玄関が遠くの方に見えていたのは、眼のせいであったろうと思った。彼はまた電燈の笠のくるくるまわったことを思いだして、今晩はどうかしていると思いながら、花の垂れさがった木の方に眼をやると、廻転機の廻るようにその花がくるくると廻って見えた。
「姉があんなに申しますから、ちょっとおあがりくださいまし」
 女が前へ来て立っていた。讓はふさがっていた咽喉のどがやっといたような気もちになって女の顔を見たが、頭はぼうとなっていて、なにを考える余裕もないので吸い寄せられるようにのある方へ歩いて往った。歩きながら怖ごわ花の木の方に眼をやって見ると、木は金茶色の花を一めんにつけてしずかに立っていた。
「さあ、どうぞおあがりくださいまし、妹が大変御厄介になりましたそうで、さあ、どうぞ」
 讓は何時いつの間にか土間どまへ立っていた。背の高い蝋細工ろうざいくの人形のような顔をした、黒い数多たくさんある髪を束髪そくはつにした凄いように※(「女+朱」、第3水準1-15-80)きれいな女が、障子しょうじ引手ひきてもたれるようにして立っていた。
「ありがとうございます、が、今晩はすこし急ぎますから、ここで失礼いたします」
「まあ、そうおっしゃらずに、ちょっとおあがりくださいまし、お茶だけさしあげますから」
「ありがとうございます、が、すこし急ぎますから」
「待っていらっしゃる方がおありでしょうが、ほんのちょっとでよろしゅうございますから」
 女はうるおいのある眼を見せた。讓も笑った。
「ちょっとおあがりくださいまし、何人たれも遠慮のある者はいないのですから」
 うしろに立っていた女が云った。
「そうですか、では、ちょっと失礼しましょうか」
 讓はしかたなしに左の手に持っている帽子を右の手に持ち替えてあがるかまえをした。
「さあ、どうぞ」
 女は障子しょうじの傍を離れてむこうの方へ歩いた。讓は靴脱くつぬぎへあがってそれから上へあがった。障子の陰に小間使のような十七八の島田しまだうたじょちゅうが立っていて讓の帽子をりに来た。讓はそれを無意識に渡しながら女のあとからふらふらといて往った。

      ※(ローマ数字「IV」、1-13-24)

 長方形の印度更紗いんどさらさをかけたたくがあってそれに支那風しなふう朱塗しゅぬりの大きな椅子いすを五六脚置いたへやがあった。さきに入って往った女は華美はで金紗縮緬きんしゃちりめんの羽織の背を見せながらその椅子の一つに手をやった。
「どうかおかけくださいまし」
 讓は椅子の傍へ寄って往った。と、女はその左側にある椅子を引き寄せて、讓とななめに向き合うようにして腰をかけたので、讓もしかたなしに椅子を左斜ひだりななめにして腰をかけた。
「はじめまして、僕は三島讓と云うものですが」
 讓が云いはじめると女は手をあげて打ち消した。
「もう、そんな堅くるしいことは、おたがいによしましょう、私はこうした一人者のお婆さんですから、おいやでなけりゃこれからお朋友ともだちになりましょう」
「僕こそ、以後よろしくお願いいたします」
 讓の帽子を受けった婢が櫛形くしがたの盆に小さな二つのコップと、竹筒のような上の一方に口がつき一方に取手とってのついた壺を乗せて持って来た。
「ここへ持っておいで」
 女がさしずするとじょちゅうは二人の間の卓のはしにその盆を置いてから引き退さがろうとした。
「お嬢さんはどうしたの」
 婢はり返って云った。
「お嬢さんは、なんだかお気もちが悪いから、もすこしして、おうかがいすると申しております」
「気もちが悪いなら、私がお対手あいてをするのだから、よくなったらいらっしゃいって」
 婢はお辞儀をしてからドアを開けて出て往った。
「お茶のかわりに、つまらんものをさしあげましょう」
 女は壺の取手に手を持って往った。
「もうどうぞ、すぐ失礼しますから」
「まあ、およろしいじゃありませんか、何人たれも遠慮する者がありませんから、ゆっくりなすってくださいまし、このお婆さんでおよろしければ、何時いつまでもお対手をいたしますから」
 女は壺の液体を二つのコップに入れて一つを讓の前へ置いた。それは牛乳のような色をしたものであった。
「さあ、おあがりくださいまし、私もいただきますから」
 讓はさっさと一ぱい饗応ごちそうになってから帰ろうと思った。
「では、これだけ戴きます」
 讓は手にって一口飲んでみた。それは甘味のあるちょっとアブサンのような味のするものであった。
「私も戴きます、召しあがってくださいまし」
 女もそのコップを手にしてめるようにして見せた。
折角せっかくのなんですけれど、僕は、すこし、今、都合があって急いでいますから、これを一ぱいだけ戴いてから、失礼します」
「まあ、そんなことをおっしゃらないで、こんな夜更よふけに何の御用がおありになりますの、たまには遅く往って、じらしてやるがよろしゅうございますよ」
 女はコップを持ったなりに下顋したあごを突きだすようにして笑った。讓もしかたなしに笑った。
「さあ、もうすこしおあがりなさいましよ」
 讓はあとの酒を一口飲んでしまってコップを置くと、腰をすかすようにして、
「折角ですけれど、ほんとうに急ぎますから、これで失礼します」
 女はコップを投げるように置いて、立って来て讓の肩に双手りょうてを軽くかけて押えるようにした。
「もう、妹も伺いますから、もうすこしいらしてくださいまし」
 讓の肉体は芳烈にして暖かな呼吸いきのつまるような圧迫を感じて動くことができなかった。女の体に塗った香料は男の魂を縹渺ひょうびょうの界へれて往った。
何人たれだね、今は御用がないから、あちらへ往ってらっしゃい」
 女の声で讓は意識がまわって来た。その讓の頭にじぶんを待っている女のことがちらと浮んだ。讓はちあがった。女はもとの椅子に腰をかけていた。
「まあ、まあ、そんなに、お婆さんをお嫌いになるものじゃありませんわ」
 女のなまめかしい笑顔があった。讓は今一思ひとおもいに出ないとまたしばらく出られないと思った。
「これで失礼します」
 讓はドアのある処へ走るように往って急いで扉を開けて出た。
 廊下には丸髷まるまげった年増としまの女が立っていて讓を抱き止めるようにした。
何人どなたです、放してください、僕は急いでるのです」
 讓はり放そうとしたが放れなかった。
「まあ、ちょっとお待ちくださいましよ、お話したいことがございますから」
 讓はしかたなしに立った。そして、の女が追って出て来やしないかと思いながら注意したがそんなふうはなかった。
「すこし、お話したいことがありますから、ちょっとこちらへいらしてくださいよ、ちょっとで好いのですから」
 年増の女は手を緩めたがそれでも前から退かなかった。
「どんなことです、僕は非常に急いでるのですから、こちらの奥さんの止めるのも聞かずに、逃げて帰るところですから、なんですか早く云ってください、どんなことです」
「ここではお話ができませんから、ちょっと次のへやへいらしてください、ちょっとで好いのですから」
 讓は争っているよりもちょっとで済むことなら、聞いてみようと思った。
「では、ちょっとなら聞いても好いのです」
「ちょっとで好いのですよ、来てください」
 年増としまの女が歩いて往くのでいて往くとすぐつぎのへやドアを開けて入った。
 中には手前の壁に寄せかけて安楽椅子をはじめ五六脚の形のちがった椅子を置き、そのむこうには青いとばりを引いてあった。そこは寝室らしかった。
「さあ、ちょっとここへかけてくださいよ」
 年増の女が入口に近い椅子に指をさすので讓は急いで腰をかけた。
「なんですか」
 年増の女はその前に近く立ったなりで笑った。
「そんなに邪見じゃけんになさるものじゃありませんよ」
「なんですか」
「まあ、そんなにおっしゃるものじゃありませんよ、あなたは、家の奥さんの心がお判りになったのでしょう」
「なんですか、僕にはどうも判らないのですが」
「そんな邪見なことをおっしゃらずに、奥さんは、お一人で淋しがっていらっしゃいますから、今晩、おとぎをしてやってくださいましよ、こうして、お金がうなるほどある方ですから、あなたの御都合で、どんなことでも出来るのですよ」
「だめですよ、僕はすこし都合があるのですから」
洋行ようこうでもなんでも、あなたの好きなことができるのじゃありませんか、私の云うことを聞いてくださいよ」
「それはだめですよ」
「あんたはよくを知らない方ね」
「どうしても、僕はそんなことはできないのです」
御容色おきりょうだって、あんなきれいな方はめったにありませんよ、好いじゃありませんか、私の云うことを聞いてくださいよ」
「そいつはどうしてもだめですよ」
 年増の女の隻手かたては讓の隻手にかかった。
「まあ、そんなことはおっしゃらずに、あちらへまいりましょう、私のことを聞いてくださいよ、悪いことはありませんから」
 讓は動かなかった。
「だめです、僕はそんなことはいやだ」
「好いじゃありませんか、年よりの云うことを聞くものですよ」
 讓はもういらいらして来た。
「だめですよ」
 叱りつけるようにつかまえられた手をり放した。
「あんたは邪見、ねえ」
 ドアいて小さな婆さんがちょこちょこと入って来た。頭髪かみの真白なうおのような光沢つやのない眼をしていた。
「どうなったの、お前さん」
「だめだよ、なんと云っても承知しないよ」
「やれやれ、これもまた手数てすうをくうな」
野狐のぎつねがついてるから、やっぱりだめだよ」
 年増の女はあざけるように云ったが讓の耳にはそんなことは聞えなかった。彼はその女を突きのけるようにして外へ飛びだした。へやの中から老婆のひいひいと云う笑い声が聞えて来た。

上一页  [1] [2] [3] [4] [5]  下一页 尾页




打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口