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もの思う葦(ものおもうあし)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-24 17:49:06 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 さもあらばあれ、「晩年」一冊、君のその両手のあかで黒く光って来るまで、繰り返し繰り返し愛読されることを思うと、ああ、私は幸福だ。――一瞬間。ひとは、その生涯に於いて、まことの幸福を味い得る時間は、これは、百メートル十秒一どころか、もっと短いようである。声あり。「嘘だ! 不幸なる出版なら、やめるがよい。」答えていわく、「われは、いまの世に二となき美しきもの。メジチのヴィナス像。いまの世のまことの美の実証を、この世にのこさんための出版也。
 見よ! ヴィナス像の色に出ずるほどの羞恥のさま。これ、わが不幸のはじめ。また、春夏秋冬つねに裸体にして、とわに無言、やや寒きかおこそ、(美人薄命、)天のこの冷酷極りなき嫉妬しっとむちを、かの高雅なる眼もてきみにそと教えて居る。」

     気がかりということに就いて

 気がかりということに、黒白の二種、たしかにあることを知る。なにわぶしの語句、「あした待たるる宝船。」と、プウシキンの詩句、「あたしは、あした殺される。」とは、心のときめきに於いては同じようにも思われるだろうが、熟慮半日、確然と、黒白の如く分離し在るを知れり。

     宿題

「チェック・チャックに就いて。」「策略ということについて。」「言葉の絶対性ということについて。」「沈黙は金なりということに就いて。」「野性と暴力について。」「ダンディスム小論。」「ぜいたくに就いて。」「出世について。」「羨望せんぼうについて。」「原始のセンチメンタリティということについて。」そのほか、はなはだけちのようなれども、題名を言われぬもの、十七八項目くらい。少しずつノオトに書きしるしていっているのであるが、いま、「文芸雑誌。」創刊号になにか書くことをすすめられ、何を書こうかと、ノオトを二冊も三冊も出してあちらをのぞき、こちらを覗きして、夕暮より、朝までかかった。どれもこれも、胸にひっからまり、工合いよくゆかぬ。牛乳を飲んで、朝の新聞を読んでいるうちに、わかった。
 私の心は千里はなれたいそにいて、浪にくるくる舞い狂っていたのである。私のはじめての本の出版。それで、すべてに、合点がついた。宿題。たくまずして、砂子屋書房主人、山崎剛平氏に、ばとんをお渡ししなければならなくなった。私の本がどれくらい、売れるであろうか。私の本の装釘そうていは、うまく行くであろうか。潮どきとかもめと浪の関係。

 附記。これは、半ば以上、私の本の、広告のために書いた。私、昭和十一年よりは、稿料、全く無しか、さもなくば、小説一枚五円、その他のくさぐさの文章一枚三円ときめた。
 今年正月号には、私の血一滴まじって居るとさえ思わせたる編輯者へんしゅうしゃの手紙のため。あるいは、書きますと去年の正月にお約束して、以後、一年間、自らすすんでいよいよ強くお約束してしまい、ついには、もの狂いの状態にさえなったがため。私をつねにやわらかくなぐさめ顔の、しかも文意あくまで潔白なる編輯部の手紙のため、その他、とにかく、いちどは書かなければならぬ事情ありて、断片の語、二十枚あまり書いた。稿料はすべて、私のほうから断って書いた。「人おのおの。おのれひとりの業務にのみ、努めること第一であるが、たまには隣人の、かなしくも不抜の自尊心を、そ知らぬふりして、あたためてやりたまえ。」





底本:「太宰治全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(平成元)年6月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月
初出:(「はしがき」から「ふたたび書簡のこと」まで)
   「日本浪曼派」
   1935(昭和10)年8月~12月
   (「わが儘という事」から「余談」まで)
   「東京日日新聞」
   1935(昭和10)年12月14日、15日
   (「Alles Oder Nichts」)
   「葦」
   1950(昭和25)年8月10日発行
   (「葦の自戒」から「敵」まで)
   「作品」
   1936(昭和11)年1月1日発行
   (「健康」から「最後のスタンドプレイ」まで)
   「文芸通信」
   1936(昭和11)年1月1日発行
   (「冷酷ということについて」から「わがダンディスム」まで)
   「文芸汎論」
   1936(昭和11)年1月1日発行
   (「「晩年」に就いて」から「宿題」まで)
   「文芸雑誌」
   1936(昭和11)年1月1日発行
※底本には「もの思う葦(その一)」「同(その二)」「同(その三)」と三部に分けて収録されていますが、このファイルでは一続きに編成しました。
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2005年3月21日作成
2006年7月1日修正
青空文庫作成ファイル:
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  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。

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