三
暗くなるまでには四時間あまりもあった。高清水は、歩いて行っても、三時間で行けるところだった。汽車もあるにはあるが、小牛田で東北本線に乗り換え、瀬峯まで行ってから軽便鉄道で築館まで行き、そから高清水まで歩くとなると、乗り換え時間の都合や何かで、三時間ぐらいで行けるかどうかわからなかった。それに、嘉三郎は、蟇口をもたずに家を出て来てしまったのだ。併し、汽車のあるところを、てくてく歩いて行くなどということは、嘉三郎の気持ちの、どうしても許さないことだった。そればかりではなく、例えどこまでにもしろ、無一文で旅をするということは、嘉三郎にはどうしても出来なかった。 嘉三郎は、途中、しばらく躊躇してから、米問屋に這入った。ちょうど折よく主人は家にいた。そして嘉三郎はすぐ茶の間へ通された。 「嘉三郎さん! それはいつかの兼元じゃねえかねえ?」 細長い風呂敷包みに眼をやりながら、米問屋の主人は、微笑を含んで言った。 「兼元でがすよ。これだけは手放すめえと思ってたんでがすが、東京へ勉強に行っている伜から、金を送れって言って来たんで、とにかく、持って来たわけなんですがな。いつかの話を思い出して……」 嘉三郎は坐りながら挨拶代わりにそう言った。 「そりゃあ、もちろん、送って上げなくちゃなんねえね。私が売ってもらいますべえよ。いつか私が言った値でいいかね?」 「それがですね。私の気持ちでは、出来るなら、売り切りにしたくねえんでね。先祖から伝わってるもので、どうせ私から伜へ伝わって行くものだし、伜の学資のために売ったとなれば、伜も何も文句はねえと思うんですが、伜が成功でもしたとき、またそれが欲しくなるかも知れねえですからね。それでですね。今は、あの半分だけ借りて置いて、一応は伜と相談してから売り切りにしたいんですがね。」 嘉三郎は髭を捻りながら言った。 「そりゃあ承知です。半分でなくたって、元金に利子せえ添えて下さりゃあ、私あいつでも返しますよ。それなら相談するまでもありますめえで。」 「それなら伜になど相談しねえんでいいんですがね。併し、沢山借りるのも気になりますから、それじゃあ、百円だけ……」 「百円。百円でいいかね。」 「売り切りじゃねえですよ。」 「承知です。」 頭をさげるようにしながら米問屋の主人は店の方へ立って行った。 「伜を一人、東京へ勉強に出して置くと、金がかかりますでね。私もそのためにあ、先祖から伝わっている刀まで手放さねえなんねえんでね。今はこうして半分だけ借りて行っても、すぐ又はあ、伜から金が要るって言って来れば、残りの半分を借りて、売り切りになるかも知れませんで。」 嘉三郎は髭を捻りながらそう米問屋の主人の背後に語りかけた。 「そりゃあ、東京へなど勉強に出して置いたら、随分とかかりましょうなあ。」 そんな風に言いながら、米問屋の主人は幾枚かの紙幣を握って、すぐ戻って来た。そしてその紙幣を、嘉三郎の前へ置いて序にその横から細長い包みを取った。嘉三郎は、自分の前に置かれた何枚かの紙幣を、数えても見ずに袂の中へ押し込んだ。 「立派なものだなあ。」 鞘を払って刀身を凝っと眺めながら米問屋の主人は言った。 「何ぶんにも大業物ですからな。」 「嘉三郎さん! 今日中に送るのなら、早く行かないと、郵便局が閉まりますで。待っていなさるんだべが……」 「それさね。」 嘉三郎はそう言いながらも、悠長に立ち上がって、泥濘の往来へ出たが、何故かもう、汽車で行く気にはなれなくなっていた。
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