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雁坂越(かりさかごえ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-4 9:36:23 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: ちくま日本文学全集 幸田露伴
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1992(平成4)年3月20日

底本の親本: 露伴全集
出版社: 岩波書店

 

  その一

 ここは甲州こうしゅう笛吹川ふえふきがわの上流、東山梨ひがしやまなし釜和原かまわばらという村で、戸数こすうもいくらも無いさみしいところである。背後うしろ一帯いったいの山つづきで、ちょうどその峰通みねどおりは西山梨との郡堺こおりざかいになっているほどであるから、もちろん樵夫きこり猟師りょうしでさえさぬ位の仕方の無い勾配こうばいの急な地で、さて前はというと、北から南へと流れている笛吹川の低地ひくちを越してのその対岸むこうもまた山々の連続つながりである。そしてこの村から川上の方を望めば、いずれ川上の方の事だから高いには相違そういないが、おそろしい高い山々が、余り高くって天につかえそうだからわざと首をすくめているというような恰好かっこうをして、がんっている状態ありさまは、あっちの邦土くにだれにも見せないと、意地悪くとおせんぼうをしているようにも見える位だ。その恐ろしい山々のつらなりのむこうは武蔵むさしの国で、こっちの甲斐かいの国とは、まるで往来ゆきかいさえ絶えているほどである。昔時むかしはそれでも雁坂越とって、たまにはその山を越して武蔵へ通った人もあるので、今でもあやしい地図に道路みちがあるように書いてあるのもある。しかしこの釜和原から川上へのぼって行くと下釜口しもかまぐち釜川かまがわ上釜口かみかまぐちというところがあるが、それで行止りになってしまうのだから、それから先はもうどこへも行きようは無いので、川をわたって東岸ひがしぎしに出たところが、やはり川下へさがるか、川浦かわうらという村から無理に東の方へ一ト山越して甲州裏街道うらかいどうへと出るかの外にはみちも無いのだから、今では実際雁坂越の道は無いと云った方がよいのである。こういうように三方は山でふさがっているが、ただ一方川下の方へと行けば、だんだんに山合やまあいひろくなって、川がふとって、村々がにぎやかになって、ついに甲州街道へ出て、それから甲斐一国の都会みやこ甲府こうふに行きつくのだ。笛吹川の水が南へ南へと走って、ここらの村々の人が甲府甲府と思っているのも無理は無いのである。
 釜和原はこういったところであるから、言うまでも無く物寂ものさびた地だが、それでも近い村々に比べればまだしもよい方で、前にげた川上の二三ヶ村はいうにおよばず、此村これから川下に当る数ヶ村も皆この村には勝らないので、此村ここにはいささかながら物を売るみせも一二けんあれば、物持だと云われているうちも二三はあるのである。
 今この村の入口へ川上の方から来かかった十三ばかりの男のがある。山間僻地さんかんへきちのここらにしてもちと酷過ひどすぎる鍵裂かぎざきだらけの古布子ふるぬのこの、しかもおぼうさんご成人と云いたいように裾短すそみじか裄短ゆきみじかよごくさったのを素肌すはだに着て、何だか正体の知れぬ丸木まるきの、つえには長く天秤棒てんびんぼうには短いのへ、五合樽ごんごうだる空虚からと見えるのを、の皮をなわがわりにしてくくしつけて、それをかついで、夏の炎天えんてんではないからよいようなものの跣足すあしかぶがみ――まるで赤く無い金太郎きんたろうといったような風体ふうていで、急足いそぎあしって来た。
 するとみちそばではあるが、川の方へ「なだれ」になっているところ一体にくわ仕付しつけてあるそのはるかに下の方の低いところで、いずれも十三四という女の児が、さすがに辺鄙ひなでもなまめき立つ年頃としごろだけにあかいものや青いものが遠くからも見え渡る扮装つくりをして、小籃こかごを片手に、節こそひなびてはおれど清らかな高いとおる声で、桑の嫩葉わかばみながら歌をうたっていて、今しも一人ひとりが、

わたしぁ桑摘むぬし※(「坐+りっとう」、第3水準1-14-62、52-2)きざまんせ、春蚕はるご上簇あがれば二人ふたり着る。


と唱い終ると、また他の一人が声張り上げて、

桑を摘め摘め、爪紅つまべにさした 花洛みやこ女郎衆じょろしゅも、桑を摘め。


と唱ったが、その声は実に前の声にも増して清いんだ声で、えず鳴る笛吹川の川瀬かわせの音をもしばしは人の耳からい払ってしまったほどであった。
 これを聞くとかの急ぎあしで遣って来た男の児はたちまち歩みをおそくしてしまって、声のした方を見ながら、ぶらりぶらりと歩くと、女の児の方では何かに打興うちきょうじて笑い声をらしたが、見る人ありとも心付かぬのであろう、桑のごしに紅いや青い色をちらつかせながら余念も無しに葉を摘むと見えて、しばしはしずかであったが、また前の二人ふたりとはちがった声で、

桑は摘みたしこずえは高し、


と唄い出したが、この声は前のように無邪気むじゃきに美しいのでは無かった。そうするとこれを聞いたこなたのきたな衣服なりの少年は、その眼鼻立めはなだちの悪く無い割には無愛想ぶあいそう薄淋うすさみしい顔に、いささか冷笑あざわらうようなわらいを現わした。うたぬしはこんな事を知ろうようは無いから、すぐと続いて、

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