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雁坂越(かりさかごえ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-4 9:36:23 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


   その三

 色々な考えにちいさな心を今さらあらたもつれさせながら、眼ばかりは見るもののあても無いそらをじっと見ていた源三は、ふっとなんとりだか分らない禽の、姿も見えるか見えないか位に高く高く飛んで行くのを見つけて、全くお浪にむかってでは無い語気で、
「禽はいなア。」
うめき出した。
「エッ。」
と言いながら眼をげて源三が眼の行くかたを見て、同じく禽の飛ぶのを見たお浪は、たちまちにそのこころさとって、えられなくなったか※(「さんずい+玄」、第3水準1-86-62、60-10)げんぜんとして涙をおとした。そして源三が肩先かたさきとらえて、
「またおまえは甲府へ行ってしまおうと思っているね。」
とさもうらめしそうに、しかも少しそうはさせませぬという圧制あっせいの意のこもったようなことばの調子で言った。
 源三はいささかたじろいだ気味で、
「なあに、無暗むやみけ出して甲府へ行ったっていけないということは、お前の母様おっかさんはなしでよくわかっているから、そんな事は思ってはいないけれど、あんまり家に居て食い潰し食い潰しって云われるのが口惜くやしいから、叔父さんにあ済まないけれどどこへでも出て、どんなつらい思いをしても辛棒しんぼうをして、すこしでもいいから出世したいや。弱虫だ弱虫だってみんなが云うけれど、おいらだって男の児だもの、いじめられてばかりいたかあ無いや。」
ひとこころさからわぬような優しい語気ではあるが、微塵みじんいつわは無い調子で、しみじみと心のうちを語った。
 そこでたがいに親み合ってはいても互にこころ方向むきちがっている二人の間に、たちまち一条の問答が始まった。
「どこへでも出て辛棒をするって、それじゃあやっぱり甲府へ出ようって云うんじゃあないか。」
とお浪は云い切って、しばしだまって源三の顔を見ていたが、源三が何とも答えないのを見て、
「そーれごらん、やっぱりそうしようと思っておいでのだろう。それあおまえも、品質ものが好いからって二合ばかりずつのお酒をその度々たびたびに釜川から一里もあるこの釜和原まで買いによこすようなひど叔母様おばさんに使われて、そうして釣竿でたれるなんて目に逢うのだから、つらいことも辛いだろうし口惜くやしいことも口惜しいだろうが、先日せんのように逃げ出そうと思ったりなんぞはしちゃあ厭だよ。ほんとに先日いつかばんだって吃驚びっくりしたよ。いくら叔母さんがひどいったって雪の降ってる中を無暗に逃げ出して来て、わたしのとこへも知らさないで、甲府へ出てしまって奉公しようと思うとって、夜にもなっているのにそっと此村ここを通り抜けてしまおうとしたじゃあないか。吾家うちおっかさんが与惣次よそうじさんところへばれて行った帰路かえりのところへちょうどおまえが衝突ぶつかったので、すぐに見つけられて止められたのだが、後で母様おっかさんのお話にあ、いくら下りだって甲府までは十里近くもある路を、夜にかかって食物の準備よういも無いのに、足ごしらえも無しで雪の中を行こうとは怜悧りこうのようでも真実ほんと児童こどもだ、わたしが行き合って止めでもしなかったらどんな事になったか知れやしない、思い出してもおそろしい事だとおっしゃったよ。そればかりじゃあ無い、奉公をしようと云ったって請人うけにんというものが無けりゃあかたい良いうちじゃあ置いてくれやしないし、他人ばかりの中へ出りゃあ、この児はこういう訳のものだから愍然かわいそうだと思ってくれる人だって有りゃあしない。だから他郷よそへ出て苦労をするにしても、それそれの道順をまなければ、ただあっちこっちでこづきまわされて無駄むだに苦しいおもいをするばかり、そのうちにあろくで無い智慧ちえの方が付きがちのものだから、まあまあ無暗に広い世間へ出たって好いことは無い、源さんも辛いだろうがもう少し辛棒していてくれれば、そのうちにあどうかしてあげるつもりだと吾家うちおっかさんがお話しだった事は、あの時の後にもわたしが話したからおまえだって知りきっているはずじゃあ無いかエ。それだのにまだおまえはすきさえありゃあ無鉄砲むてっぽうなことをしようとお思いのかエ。」
年齢としは同じほどでも女だけにませたことを云ったが、その言葉の端々はしはしにもこの怜悧りこうで、そしてこの児を育てている母の、分別のかしこい女であるということも現れた。
 源三は首をれて聞いていたが、
「あの時は夢中になってしまったのだもの、そしてあの時おまえの母様おっかさんにいろんな事を云って聞かされたから、それからは無暗の事なんかしようとは思ってやしないのだヨ。だけれどもネ、」
と云いさして云いよどんでしまった。
「だけれどもどうしたんだエ。ああやっぱり吾家うち母様おっかさんの云うことなんかかないつもりなのだネ。」
「なあに、なあにそうじゃないけれども、……」
「それ、お見、そうじゃあないけれどもってお云いでも、後のことばは出ないじゃあないか。」
「…………」
「ほら、ほら、つかえてしまって云えないじゃあないか。おまえはわたし達にあかくしていてもおなかん中じゃあ、いつか一度は、誰の世話にもならないで一人で立派なものになろうと思っているのだネ。イイエ頭をってもそうなんだよ。」
「ほんとにそうじゃないって云うのに。」
「イイエ、何と云ってもいけないよ。わたしはチャーンと知っているよ。それじゃあおまえあんまりというものだよ、何もわたし達あおまえの叔母おばさんに告口いつけぐちでもしやしまいし、そんなにかくだてをしなくってもいいじゃあないか。せんの内はこんなおまえじゃあなかったけれどだんだんに酷い人におなりだネエ、黙々だんまりで自分の思い通りを押通おしとおそうとお思いのだもの、ほんとにおまえは人が悪い、こわいような人におなりだよ。でもおあいにくさまだが吾家うち母様おっかさんはおまえの心持を見通していらしって、いろいろな人にそう云っておおきになってあるから、いくらお前が甲府の方へ出ようと思ったりなんぞしてもそうはいきません。おまえの居る方から甲府の方へは笛吹川の両岸のほかには路は無い、その路にはおまえに無暗なことをさせないようにと思って見ている人が一人や二人じゃあ無いから、おまえの思うようにあなりあしないヨ。これほどに吾家うち母様おっかさんさるのも、おまえのためにいいようにと思っていらっしゃるからだとお話があったわ。それだのにとりを見て独語ひとりごとを云ったりなんぞして、あんまりだよ。」
まくし立ててなおお浪の言わんとするをおさえつけて、
「いいよ、そんなに云わなくったって分っているよ。おいらあ無暗に逃げ出したりなんぞしようと思ってやしないというのに。」
さえぎる。
「おや、まだ強情ごうじょう虚言うそをおきだよ。それほど分っているならなぜ禽はいいなあと云ったり、だけれどもネと云って後の言葉を云えなかったりするのだエ。」
追窮ついきゅうする。追窮されてもくるしまぬ源三は、
「そりゃあただおいらあ、自由自在になっていたらうれしいだろうと思ったからそう云ったのさ。浪ちゃんだってあの禽のように自由だったら嬉しいだろうじゃあないか。」
と云うと、お浪はまた新に涙ぐんで其言それには答えず、
「それ、その通りだもの。おまえにやまだ吾家うちおっかさんだのわたしだのが、どんなにおまえのためを思っているかが解らないのかネエ。真実ほんとにおまえは自分勝手がってばかり考えていて、ひとの親切というものは無にしてもかまわないというのだネ。おおかたわたし達も誰も居なかったら自由自在だっておまえはおよろこびだろうが、あんまりそりゃあ気随きずいぎるよ。吾家うち母様おっかさんもおまえのことには大層心配をしていらしって、も少しするとおまえのところの叔父さんにちゃんと談をなすって、何でもおまえのために悪くないようにしてあげようって云っていらっしゃるのだから、辛いだろうがそんな心持を出さないで、少しの間辛抱おしでなくちゃあ済まないわ。」
としみじみと云うその真情まごころさそい込まれて、源三もホロリとはなりながらなお、
「だって、おいらあ男の児だもの、やっぱり一人で出世したいや。」
と自分の思わくとお浪の思わくとのちがっているのを悲む色をおもてに現しつつ、正直にしかも剛情ごうじょうに云った。その面貌かおつきはまるで小児こどもらしいところの無い、大人おとなびきったびきったものであった。
 お浪はこの自己おのれたのむ心のみ強いことばを聞いて、おどろいて目をみはって、
「一人でって、どう一人でもって?」
と問い返したが返辞が無かったので、すぐとまた、
「じゃあ誰の世話にもならないでというんだネ。」
ただすと、源三はじゅつなさそうに、かつは憐愍あわれみ宥恕ゆるしとをうようなかおをしてかすか点頭うなずいた。源三の腹の中はかくしきれなくなって、ここに至ってその継子根性ままここんじょう本相ほんしょうを現してしまった。しかし腹の底にはこういうひがみを持っていても、人の好意にそむくことはひどく心苦しく思っているのだ。これはこの源三が優しい性質うまれつきの一角と云おうか、いやこれがこの源三の本来の美しい性質で、いかなる人をもたのむまいというようなのはかえって源三が性質の中のある一角が、境遇きょうぐうのためにげきせられて他の部よりも比較的ひかくてきに発展したものであろうか。
 お浪は今明らかに源三の本心を読んで取ったので、これほどに思っている自分親子をも胸のおくの奥ではそでにしている源三のその心強さがうらめしくもあり、また自分が源三にへだてがましく思われているのが悲しくもありするところから、悲痛の色を眉目びもくかんうかめて、
「じゃあ吾家うち母様おっかさんの世話にもなるまいというつもりかエ。まあ怖しい心持におなりだネエ、そんなにきつくならないでもよさそうなものを。そんなおまえじゃあ甲府の方へは出すまいとわたし達がしていても、雁坂を越えて東京へも行きかねはしない、吃驚びっくりするほどの意地っ張りにおなりだから。」
と云った。すると源三はこれを聞いて愕然ぎょっとして、秘せぬ不安の色をおのずから見せた。というものは、お浪が云ったことば偶然ぐうぜんであったのだが、源三は甲府へ逃げ出そうとしてこころげなかった後、恐ろしい雁坂を越えて東京の方へ出ようと試みたことが、すでに一度で無く二度までもあったからで、それをお浪が知っていようはずは無いが、雁坂を越えて云々しかじかと云いあてられたので、突然いきなりするどい矢を胸の真正中まっただなか射込いこまれたような気がして驚いたのである。
 源三がお浪にもお浪の母にも知らせない位であるから無論誰にも知らせないで、自分一人でいだいている秘密ひみつはこうである。一体源三は父母を失ってから、叔母が片付いているえんによって今の家に厄介やっかいになったので、もちろん厄介と云っても幾許いくばくかの財産をも預けて寄食していたのだからまるで厄介になったという訳では無いので、そこで叔母にも可愛がらるればしたがって叔父にも可愛がられていたところ、不幸にしてその叔母が病気で死んでしもうて、やがて叔父がどこからか連れて来たのが今の叔母で、叔父は相変らず源三を愛しているにかかわらず、この叔父の後妻はどういうものか源三をいじめること非常なので、源三はついに甲府へげて奉公しようと、山奥の児童こどもにも似合わないかしこいことを考え出して、既にかつてえられぬ虐遇ぎゃくぐうこうむった時、夢中になって走り出したのである。ところが源三と小学からの仲好なかよし朋友ともだちであったお浪の母は、源三の亡くなった叔母と姉妹きょうだい同様の交情なかであったので、が親かったもののおいでしかも我が娘の仲好しである源三が、始終履歴りれきよごくさい女にひどい目に合わされているのを見て同情おもいやりえずにいた上、ちょうど無暗滅法むやみめっぽう浮世うきようずの中へ飛込もうという源三に出会ったので、取りあえずそのはや挙動ふるまいとどめておいて、さておおいに踏んんでもこの可憫あわれな児を危い道をませずに人にしてやりたいと思い、その娘のお浪はまたただ何と無く源三を好くのと、かつはその可哀あわれな境遇をどくと思うのとのために、これもまたいろいろに親切にしてやる。これらの事情の湊合そうごうのために、源三は自分の唯一ゆいいつの良案と信じている「甲府へ出て奉公住みする」という事をあえてしにくいので、自分が一刻も早く面白くない家を出てしまって世間へ飛び出したいというこころからは、お浪親子の親切を嬉しいとは思いながら難有迷惑ありがためいわくに思う気味もあるほどである。もちろんお浪親子がいかに一本路を見張っているにしても、そのくぐって甲府へ出ることはそれほど難しいことでは無いが、元は優しいので弱虫弱虫とほか児童等こどもたちに云われたほどの源三には、その親切なお浪親子の家の傍を通ってその二人をくことが出来ないのであった。しかし家に居たく無い、出世がしたい、奉公に出たらよかろうと思わずにはいられない自分の身の上の事情は継続けいぞくしているので、小耳にはさんだ人の談話はなしからついに雁坂を越えて東京へ出ようという心が着いた。
 東京は甲府よりは無論いところである。雁坂を越してとうげ向うの水にいてどこまでも下れば、その川は東京の中を流れている墨田川すみだがわという川になる川だから自然と東京へ行ってしまうということを聞きかじっていたので、何でも彼嶺あれさえ越せばと思って、前の月のある朝ひど折檻せっかんされたあげくに、ただ一人思い切って上りかけたのであった。けれどもそこは小児こども思慮かんがえも足らなければ意地も弱いので、食物を用意しなかったため絶頂までの半分も行かぬうちに腹はって来る気はえて来る、路はもとより人跡じんせき絶えているところを大概おおよその「かん」で歩くのであるから、忍耐がまん忍耐がまんしきれなくなってこわくもなって来れば悲しくもなって来る、とうとう眼をくぼませて死にそうになって家へ帰って、物置のすみで人知れず三時間もてその疲労つかれいやしたのであった。そこでその四五日は雁坂の山を望んでは、ああとてもあの山は越えられぬとはらの中で悲しみかえっていたが、一度そのこころを起したので日数ひかずの立つうちにはだんだんと人の談話はなしや何かが耳に止まるため、次第次第に雁坂を越えるについての知識を拾い得た。そうするとまたそろそろと勇気いきおいが出て来て、家を出てから一里足らずは笛吹川の川添かわぞいを上って、それから右手の嶺通みねどおりの腰をだんだんと「なぞえ」に上りきれば、そこが甲州武州ぶしゅうの境で、それから東北ひがしきたへと走っている嶺を伝わって下って行けば、ついには一つのながれに会う、その流に沿うて行けば大滝村おおたきむら、それまでは六里余り無人の地だが、それからは盲目めくらでも行かれる楽な道だそうだ、何でもとうげさえ越してしまえば、と朝晩雁坂の山を望んでは、そのむこうに極楽でもあるように好ましげに見ていた。
 すると叔父は山※(「峠」の「山へん」が「てへん」、第3水準1-84-76、72-5)かせぎをするものの常で二三日帰らなかったある夜の事であった。叔母のかたをばんでいるうち、夜も大分だいぶけて来たので、源三がついうかりとして居睡いねむると、さあ恐ろしい煙管きせる打擲ちょうちゃくを受けさせられた。そこでまた思い切ってその翌朝よくあさ、今度は団飯むすびもたくさんに用意する、かねも少しばかりずつ何ぞの折々に叔父にもらったのをめておいたのをひそかに取り出す、足ごしらえも厳重にする、すっかり仕度したくをしてしまって釜川を背後うしろに、ずんずんずんずんと川上に上った。やがて一里も来たところで、さあここらから川の流れに分れて、もう今まで昼となく夜となく眼にしたり耳にしたりしていた笛吹川もこれが見納めとしなければならぬという場所にかかった。そこでとしこそかないが源三もなんとなく心淋しいような感じがするので、川のそばの岩の上にしばし休んで、※(「革+堂」、第3水準1-93-80、72-14)どうとうと流れる水のありさまを見ながら、名づけようを知らぬ一種の想念おもいに心を満たしていた。そうするといずくからともなく人声が聞えるようなので、もとより人も通わぬこんなところで人声を聞こうとも思いがけなかった源三は、一度ひとたび愕然ぎょっとして驚いたが耳を澄まして聞いていると、上の方からだんだんと近づいて来るその話声は、ふたたび思いがけ無くもたしかに叔父の声音こわねだった。そこで源三は川から二三けんはなれた大きな岩のわずかにひらけているその間に身をかくして、見咎みとがめられまいとひそんでいると、ちょうど前に我が休んだあたりのところへ腰を下してやすんだらしくて、そして話をしているのはまったく叔父で、それに応答うけこたえをしているのは平生ふだん叔父の手下になっては※(「峠」の「山へん」が「てへん」、第3水準1-84-76、73-8)甲助こうすけという村の者だった。川音と話声とまじるのでひどく聞きづらくはあるが、話のうちに自分の名が聞えたので、おのずと聞きはずすまいと思って耳を立てて聞くと、「なあ甲助、どうせ養子をするほども無い財産しんだいだから、かかあが勧める嚊の甥なんぞの気心も知れねえやつを入れるよりは、怜悧りこう天賦たちいあの源三におらがったものは不残みんなるつもりだ。そうしたらあいつの事だから、まさかおらが亡くなったっておらのはかを草ん中にころげさせてしまいもすめえと思うのさ。前の嚊にこそ血筋ちすじは引け、おらには縁の何も無いが、おらあ源三が可愛くって、家へ帰るとあいつめが叔父さん叔父さんと云いやがって、草鞋わらじいてくれたり足のどろを洗ってくれたり何やかやと世話を焼いてくれるのが嬉しくてならない。子という者あ持ったことも無いが、まあ子も同様に思っているのさ。そこでおらあ、今はもう※(「峠」の「山へん」が「てへん」、第3水準1-84-76、74-3)がないでも食って行かれるだけのことは有るが、まだ仕合しあわせに足腰も達者だから、五十と声がかかっちゃあ身体からだ太義たいぎだが、こうして※(「峠」の「山へん」が「てへん」、第3水準1-84-76、74-4)いで山林方やまかたを働いている、これもみんなすこしでも延ばしておいて、源三めにって喜ばせようと思うからさ。どれどれ今日きょうは三四日ぶりで家へ帰って、叔父さん叔父さんてあいつめが莞爾にこつく顔を見よう、さあ、もう一服やったら出掛けようぜ」と高話たかばなしして、やがて去った。これを聞いていた源三はしくしくしくしくと泣き出したが、程立ほどたって力無げに悄然しょんぼりと岩の間から出て、流のしもの方をじっとていたが、きあえぬなみだはらった手の甲を偶然ふっと見ると、ここには昨夜ゆうべの煙管のあと隠々いんいんと青く現れていた。それが眼に入るか入らぬにきっかしらげた源三は、白い横長い雲がかかっている雁坂の山をにらんで、つかつかと山手の方へ上りかけた。しかしたちまちにして一トあしは一ト歩よりおそくなって、やがて立止まったかと見えるばかりにのろく緩くなったあげく、うっかりとして脱石ぬけいし爪端つまさき踏掛ふんがけけたので、ずるりとすべる、よろよろッと踉蹌よろける、ハッと思う間も無くクルリとまわってバタリと倒れたが、すぐには起きもあがり得ないでまずつちに手をいて上半身を起して、見ると我が村の方はちょうど我が眼の前に在った。すると源三は何を感じたかたきのごとくに涙をおとして、ついにはすすなきしてまなかったが、泣いて泣いて泣きつくしたはて竜鍾しおしおと立上って、背中に付けていたおおき団飯むすびほうり捨ててしまって、吾家わがやを指して立帰った。そして自分の出来るだけ忠実まめやかに働いて、叔父が我が挙動しうちを悦んでくれるのを見て自分も心から喜ぶ余りに、叔母のむごさをさえ忘れるほどであった。それで二度までも雁坂越をしようとした事はあったのであるが、今日までおくびにも出さずにいたのであった。
 ただよく愛するものは、ただよく解するものである。源三がいだいているこういう秘密を誰から聞いて知ろうようも無いのであるが、お浪は偶然にも云いてたのである。しかし源三は我が秘密はあくまでも秘密として保って、お浪との会話はなしをいいほどのところにさえぎり、余り帰宅かえりが遅くなってはまた叱られるからという口実のもとに、酒店さかやへと急いで酒を買い、なお村の尽頭はずれまで連れ立って来たお浪に別れて我が村へと飛ぶがごとくに走り帰った。

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