黒島傳治全集 第一巻 |
筑摩書房 |
1970(昭和45)年4月30日 |
1970(昭和45)年4月30日第1刷 |
1970(昭和45)年4月30日第1刷 |
一
内地へ帰還する同年兵達を見送って、停車場から帰って来ると、二人は兵舎の寝台に横たわって、久しくものを言わずに溜息をついていた。これからなお一年間辛抱しなければ内地へ帰れないのだ。 二人は、過ぎて来たシベリヤの一年が、如何に退屈で長かったかを思い返した。二年兵になって暫らく衛戍病院で勤務して、それからシベリアへ派遣されたのであった。一緒に、敦賀から汽船に乗って来た同年兵は百人あまりだった。彼等がシベリアへ着くと、それまでにいた四年兵と、三年兵の一部とが、内地へ帰って行った。 シベリアは、見渡す限り雪に包まれていた。河は凍って、その上を駄馬に引かれた橇が通っていた。氷に滑べらないように、靴の裏にラシャをはりつけた防寒靴をはき、毛皮の帽子と外套をつけて、彼等は野外へ出て行った。嘴の白い烏が雪の上に集って、何か頻りにつゝいていたりした。 雪が消えると、どこまで行っても変化のない枯野が肌を現わして来た。馬や牛の群が吼えたり、うめいたりしながら、徘徊しだした。やがて、路傍の草が青い芽を吹きだした。と、向うの草原にも、こちらの丘にも、処々、青い草がちら/\しだした。一週間ほどするうちに、それまで、全く枯野だった草原が、すっかり青くなって、草は萌え、木は枝を伸し、鵞や鶩が、そここゝを這い廻りだした。夏、彼等は、歩兵隊と共に、露支国境の近くへ移って行った。十月には赤衛軍との衝突があった。彼等は、装甲列車で、第一線から引き上げた。 草原は一面に霧がかゝって、つい半町ほどさきさえも、見えない日が一週間ほどつゞいた。 彼等は、ある丘の、もと露西亜軍の兵営だった、煉瓦造りを占領して、掃除をし、板仕切で部屋を細かく分って手術台を据えつけたり、薬品を運びこんだりして、表へは、陸軍病院の板札をかけた。 十一月には雪が降り出した。降った雪は解けず、その上へ、雪は降り積り、降り積って行った。谷間の泉から、苦力が水を荷って病院まで登って来る道々、こぼした水が凍って、それが毎日のことなので、道の両側に氷がうず高く、山脈のように連っていた。 彼等は、ペーチカを焚いて、室内に閉じこもっていた。 二人は来し方の一年間を思いかえした。負傷をして、脚や手を切断され、或は死んで行く兵卒を眼のあたりに目撃しつゝ常に内地のことを思い、交代兵が来て、帰還し得る日が来るのを待っていた。 交代兵は来た。それは、丁度、彼等が去年派遣されてやって来たのと同じ時分だった。四年兵と、三年兵との大部分は帰って行くことになった。だが、三年兵のうちで、二人だけは、よう/\内地で初年兵の教育を了えて来たばかりである二年兵を指導するために残されねばならなかった。 軍医と上等看護長とが相談をした。彼等は、性悪で荒っぽくて使いにくい兵卒は、此際、帰してしまいたかった。そして、おとなしくって、よく働く、使いいゝ吉田と小村とが軍医の命令によって残されることになった。
二
誰れだって、シベリアに長くいたくはなかった。 豪胆で殺伐なことが好きで、よく銃剣を振るって、露西亜人を斬りつけ、相手がない時には、野にさまよっている牛や豚を突き殺して、面白がっていた、鼻の下に、ちょんびり髭を置いている屋島という男があった。 「こういうこた、内地へ帰っちゃとても出来ないからね。――法律も何もないシベリアでウンとおたのしみをしとくんだ。」 彼は、よく軍医や看護長に喰ってかゝった。ある時など、拳銃を握って、軍医を追っかけまわしたことがあった。軍医が規則正しく勤務することを要求したのが、癪にさわったというのであった。彼は、逃げて行く軍医を、うしろからねらって、轟然と拳銃を放った。ねらいはそれて、弾丸は二重になった窓硝子を打ち抜いた。 彼は、シベリアにいることを希望するだろうと誰れしも思っていた。 「一年や二年、シベリアに長くいようがいまいが、長い一生から見りゃ、同じこっちゃないか。――大したこっちゃないじゃないか!」 彼は、皆の前でのんきそうなことを云っていた。 だが、軍医と上等看護長とは、帰還者を決定する際、イの一番に、屋島の名を書き加えていた。――つまり、銃剣を振りまわしたり、拳銃を放ったりする者を置いていては、あぶなくて厄介だからだ。 自分からシベリアへ志願をして来た福田という男があった。福田は露西亜語が少し出来た。シベリアへ露西亜語の練習をするつもりで志願して来たのであった。一種の図太さがあって、露西亜人を相手に話しだすと、仕事のことなどそっちのけにして、二時間でも三時間でも話しこんだ。露西亜語が相当に出来るようになってから内地へ帰りたいというのが彼の希望だった。 けれども、福田も、帰還者名簿中に、チャンと書きこまれていた。 そういう例は、まだ/\他にもあった。 無断で病院から出て行って、三日間、露人の家に泊ってきた男があった。それは脱営になって、脱営は戦時では銃殺に処せられることになっていた。だがそれを内密にすましてその男は処罰されることからは免れた。しかし、その代りとして、四年兵になるまで残しておかれるだろうとは、自他ともに覚悟をしていた。 だが、その男も、帰還者の一人として、はっきり記されてあった。 そして、残されるのは、よく働いて、使いいゝ吉田と小村の二人であった。 二人とも、おとなしくして、よく働いていればその報いとして、早くかえしてくれることに思って、常々から努めてきたのであった。少し風邪気味で、大儀な時にでも無理をして勤務をおろそかにしなかった。 ――そうして、その報いとして得たものは、あと、もう一箇年間、お国のために、シベリアにいなければならないというだけであった。 二人は、だまし討ちにあったような気がして、なげやりに、あたり散らさずにはいられない位い胸がむか/\した。
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