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雪のシベリア(ゆきのシベリア)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-4 6:31:08 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


      五

 倉庫にしまってある実弾を二人はひそかに持ち出した。お互いに、十発ずつぐらいポケットにしのばせて、毎日、丘の方へ出かけて行った。
 帰りには必ず獲物をさげて帰った。
「こんなに獲っていちゃ、シベリヤの兎が種がつきちまうだろう。」
 吉田はそんなことを云ったりした。
 でも、あくる日行くと、また、兎は二人が雪を踏む靴音に驚いて、長い耳を垂れ、草叢くさむらからとび出て来た。二人は獲物を見つけると、必ずそれをのがさなかった。
「お前等、弾丸たまはどっから工面してきちょるんだ?」
 上等看護長は、勤務をそっちのけにして猟に夢中になっている二人を暗に病院から出て行かせまいとした。
「聯隊から貰ってきたんです。」吉田が云った。
「この頃、パルチザンがちょい/\出没するちゅうが、あぶないところへ踏みこまないように気をつけにゃいかんぞ!」
「パルチザンがやって来りゃ、こっちから兎のようにうち殺してやりまさ。」
 冬は深くなって来た。二人は狩に出て鬱憤うっぷんを晴し、退屈を凌いだ。兎の趾跡は、次第に少くなった。二人が靴で踏み荒した雪の上へ新しい雪は地ならしをしたように平らかに降った。しかし、そこには、新しい趾跡は、殆んどしるされなくなった。
「これじゃ、シベリアの兎の種がつきるぞ。」
 二人はそう云って笑った。
 一日、一日、遠く丘を越え、谷を渡り、山に登り、そうして聯隊がつくりつけてある警戒線の鉄条網をくゞりぬけて向うの方に出かけて行きだした。雪は深く、膝から腰にまで達した。二人はそれを面白がり、雪を蹴って濶歩した。
 獲物は次第に少くなった。半日かかって一頭ずつしか取れないことがあった。そういう時、二人は帰りがけに、山の上へ引っかえして、ヤケクソに持っているだけの弾丸をあてどもなく空に向けて発射してしまったりした。
 ある日、二人は、鉄条網をくゞって谷間に下った。谷間から今度は次の山へ登った。見渡すかぎり雪ばかりで、太陽は薄く弱く、風はなく、たゞ耳に入るものは、自分達が雪を踏む靴音ばかりであった。聯隊が駐屯ちゅうとんしている町も、病院がある丘も、後方の山にさえぎられて見えなかった。山の頂上を暫らく行くと、又、次の谷間へ下るようになっていた。谷間には沼があった。それが氷でもれ上っていた。沼の向う側には雪にうもれて二三の民屋が見えた。
 二人は、まだ一頭も獲物を射止めていなかった。一度、耳の長いやつを狩り出したのであったが、二人ともねらい損じてしまった。逃げかくれたあたりを追跡してさがしたが、どうしても兎はそれから耳を見せなかった。
「もう帰ろう。」
 小村は立ち止まって、得体の知れない民屋があるのを無気味がった。
「一匹もさげずに帰るのか、――俺れゃいやだ。」
 吉田は、どん/\沼の方へ下って行った。小村は不承無承に友のあとからついて行った。
 谷は深かった。谷間には沼に注ぐ河があって、それが凍っているようだった。そして、川は、沼に入り、それから沼を出て下の方へ流れているらしかった。
 下って行く途中、ひょいと、二人の足下から、大きな兎がとび出した。二人は思わず、銃を持ち直して発射した。兎は、ものゝ七間とは行かないうちに、射止められてしまった。
 二人の弾丸たまは、殆んど同時に、命中したものらしかった。可憐な愛嬌ものは、人間をうつ弾丸にやられて、長い耳を持った頭が、無残に胴体からちぎれてしまっていた。恐らく二つの弾丸が一寸ほど間隔をおいて頸にあたったものであろう。
 二人は、血がたら/\雪の上に流れて凍って行く獲物を前に置いて、そこで暫らく休んでいた。疲れて、のどが乾いてきた。
「もう帰ろう。」小村が促した。
「いや、あの沼のところまで行ってみよう。」
「いや、れゃ帰る。」
「なにもうすぐそこじゃないか。」
 そう云って、吉田は血がなおしたゝっている獲物をさげて、立ち上りしなに、一寸、自分達が下って来た山の方をかえり見た。
「おやッ!」
 彼は思わず驚愕きょうがくの叫びを発した。
 彼等が下って来るまで、見渡す限り雪ばかりで、犬一匹、人、一人見えなかった山の上に、茶色のひげを持った露西亜人が、毛皮の外套を着、銃を持って、こちらを見下しているのであった。それは馬賊か、パルチザンに相違なかった。
 小村は、脚が麻痺したようになって立上れなかった。
「おい、逃げよう。」吉田が云った。
「一寸、待ってくれ!」
 小村はどうしても脚が立たなかった。
「おじるこたない。大丈夫だ。」吉田は云った。「そばへよってくりゃ、うち殺してやる。」
 でも、彼はあわてゝ逃げようとした。だが、こちらの山の傾斜面には、民屋もなにもなく、逃げる道は開かれていると思っていたのに、すぐそこに、六七軒の民屋が雪の下にかくれて控えていた。それらが露西亜人の住家になっているということは、疑う余地がなかった。
 山の上の露西亜人は、散り/\になった。そして間もなく四方から二人を取りかこむようにして近づいて来た。
 吉田は銃をとって、近づいて来る奴を、ねらって射撃しだした。小村も銃をとった。しかし二人は、兎をうつ時のように、微笑ほゝえむような心持で、楽々と発射する訳には行かなかった。ねらいをきめても、手さきが顫えて銃が思う通りにならなかった。十発足らずの弾丸は、すぐなくなってしまった。二人は銃を振り上げて近づいて来る奴を殴りつけに行ったが、間もなく四方から集って来た力強い男に腕を掴まれ、銃をもぎ取られてしまった。
 吉田は、南京袋のような臭気を持っている若者にねじ伏せられて、息が止まりそうだった。
 大きな眼に、すごい輝やきを持っている頑丈な老人が二人を取りおさえた者達に張りのある強い声で何か命令するように云った。吉田の上に乗りかぶさっていた若者は、二三言老人に返事をした。吉田は立てらされた。
 老人は、身動きも出来ないように七八本の頑固な手で掴まれている二人のそばへ近づいて執拗しつように、白状させねばおかないような眼つきをして、何か露西亜語で訊ねた。
 吉田も小村も露西亜語は分らなかった。でも、老人の眼つきと身振りとで、老人が、彼等の様子をさぐりにやってきたと疑っていることや、町に、今、日本兵がどれ位い駐屯しているか二人の口から訊こうとしていることが察しられた。こうしているうちにでも日本兵が山の上から押しかけて来るかもしれない。老人は、そんなことにまで気を配っているらしかった。
 吉田は、聞き覚えの露西亜語で、「ネポニマーユ」(分らん)と云った。
 老人は、暫らく執拗な眼つきで、二人をじろ/\見つめていた。藍色の帽子をかむっている若者が、何か口をさしはさんだ。
「ネポニマーユ」吉田は繰返した。「ネポニマーユ。」
 その語調は知らず/\哀願するようになってきた。
 老人は若者達に何か云った。すると若者達は、二人の防寒服から、軍服、襦袢じゅばん、袴下、靴、靴下までもぬがしにかかった。
 ……二人は雪の中で素裸体すっぱだかにされて立たせられた。二人は、自分達が、もうすぐ射殺されることをさとった。二三の若者は、ぬがした軍服のポケットをいち/\さぐっていた。ほかの二人の若者は、銃を持って、少し距った向うへ行きかけた。
 吉田は、あいつが自分達をうち殺すのだと思った。すると、彼は思わず、聞き覚えの露西亜語で「助けて! 助けて!」と云った。だが、彼の覚えている言葉は正確ではなかった。彼が「助けて」(スパシーテ)というつもりで云った言葉が「有がとう」(スパシーポ)と響いた。
 露西亜人には、二人の哀願を聞き入れる様子が見えなかった。老人の凄い眼は、二人に無関心になってきた。
 向うへ行った二人の若者は銃を持ちあげた。
 それまでおとなしく雪の上に立っていた吉田は、急に前方へ走りだした。すると、小村も彼のあとから走りだした。
「助けて!」
「助けて!」
「助けて!」
 二人はそう叫びながら雪の上を走った。だが、二人の叫びは、露西亜人には、
「有難う!」
「有難う!」
「有難う!」
 と聞えた。
 ……間もなく二ツの銃声が谷間に轟き渡った。
 老人は、二人からもぎ取った銃と軍服、防寒具、靴などを若者に纏めさして、雪に埋れた家の方へ引き上げた。
「あの、頭のない兎も忘れちゃいけないぞ!」

      六

 三日目に、二個中隊の将卒総がゝりで、よう/\探し出された時、二人は生きていた時のまゝの体色で凍っていた。背に、小指のさき程の傷口があるだけであった。
 顔は何かに呼びかけるような表情になって、眼をけたまゝ固くなっていた。
「俺が前以て注意をしたんだ、――兎狩りにさえ出なけりゃ、こんなことになりゃしなかったんだ!」
 上等看護長は、大勢の兵卒に取りかこまれた二人の前に立って、自分に過失はなかったものゝように、そう云った。
 彼は、他の三年兵と一緒に帰らしておきさえすればこんなことになりはしなかったのだ、とは考えなかった!
 彼は、二個の兵器、二人分の被服を失った理由書をかゝねばならぬことを考えていた。

(一九二七年三月)




 



底本:「黒島傳治全集 第一巻」筑摩書房
   1970(昭和45)年4月30日第1刷発行
※「シベリア」と「シベリヤ」の混在は底本通りにしました。
入力:Nana ohbe
校正:林 幸雄
2006年1月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
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  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。

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