片耳を切られて
こう口を出したのは、越中の薬売りだという三十一、二の小柄の男であった。 「まアお聞きなさい。……お嬢様は、良人になる奉行の息子というのが、兎口の醜男なので嫌いぬいていたんですが、親と親との約束なのでどうにもならず、それで婚礼の席へは出たものの、今夜からこの男と……と思ったらいても立ってもいられず……そこでその席から逃げ出し……若党をつれて湯治場へ遁がれ……」 「婚礼の当夜ではあり、若い若党と、そんな温泉宿で、二人だけで泊まったのに、何んでもなかったとは偉いですなあ」 と云ったのは、同じ越中の薬売りであった。 「だが人は信じますまいよ」 「そうなのです」 と、絹商人は話をつづけた。 「お嬢様の父親というのがまず信じなかったそうで……」 「どうしました?」 「主家の娘を誘惑し、連れ出し、傷者にした不届きの若党というので……」 「どうしました?」 「打ち首……」 「へえ」 「というところを、片耳を剃いで、抛りだしたそうで」 「ひどいことをしやがる。娘がそいつを止めないという法はない」 「そうですとも」 「それから娘はどうしました?」 「翌年、他藩の重役のご子息のもとへ、めでたく輿入れなされたそうで」 「結構なことで、フン!」 「結構でないのは若党――お侍さんで、ガラリと性質が変わりましたそうで」 「変わりましょうなア」 「それからは女という女を憎むようになったそうです」 「あっしだって憎みますよ」 と、口を出したのは、八木原宿の葉茶屋の亭主だという、四十がらみの男であった。 「あっしばかりじゃアない、誰だって憎むでしょうよ。……ねえご主人、そうじゃアありませんか」 こう云うと葉茶屋の亭主だという男は、桔梗屋の主人の方へ顔を向けた。 桔梗屋の主人の佐五衛門は、持っていた筆を、ヒョイと耳へんだが、帳場格子へ、うっかり額を打ち付けそうに頷き、 「ごもっともさまで、女出入りで、そんな酷い目にあわされましたら、誰だって女を憎むようになりますとも」 「若党っていう男に、同情だってするでしょうねえ」 とまた口を出したのは、左官の親方だという触れ込みの、三十四、五の男であった。 「さようですとも、その気の毒な若党殿には、私ばかりか、誰だって同情するでございましょうよ」 と、佐五衛門はまた頷いてみせた。 「ところで、その若党――お侍さんが、どんな塩梅に女を憎んだかってこと、お話ししましょうかね」 と、絹商人は、話のつづきを話し出した。 「そのことがあってからというもの、そのお侍さんは、生活の途を失い……そりゃアそうでしょうよ、片耳ないような人間を、誰だって使う者はおりませんからねえ。……ウロウロと諸地方を彷徨いましたそうで。……木曽街道を彷徨っていた時のことだといいますが、板橋宿外れの葉茶屋へ寄って、昼食をしたためたそうで。すると側に、二十一、二ぐらいの仇めいた道中姿の女がいて、これも飯を食べていたそうで。いざお勘定となると、百文の勘定に、何んと女は小判を出して、これで取ってくれといったそうで。ところが、そんな葉茶屋ですから釣銭がない。それで女にそういうと、女は当惑したような顔をしいしい、妾にも小銭はないと云い、ヒョイとそのお侍さんの方へ向き、 『申し兼ねますがお立て替えを』 『よろしゅうござる』 とお侍さんは何んと感心にも、乏しい懐中の中から金を立て替えてやり、それを縁に連れ立って歩き、日の暮れに上尾宿まで参りましたところ、女の姿が見えなくなったそうで。 『はぐれた筈もないが』 と不思議に思いながらその宿の安宿へ泊まり、翌朝発足して熊谷宿まで行くと、棒端の葉茶屋にその女がいたそうで。そこでお侍さんも寄って茶を飲み、女と話したそうですが、いざお勘定となると同じことが行われたそうで。……女が小判を出す、葉茶屋には釣銭がない。 『申し兼ねますがお立て替えを』 『よろしゅうござる』 ……こうしてそこを出、野道へさしかかった時、お侍さんが開き直り、 『拙者立て替えた銭お払いなされ」 ……すると女はさもさも軽蔑したように、 『あればかりの小銭……』 ――とたんにお侍さんは女を斬り仆し……いや、峰打ちで気絶するまで叩き倒したそうで」 「なるほど」 「お侍さんの心持ちはこうだったそうで『弱いを看板に、女が男をたぶらかしたとあっては許されぬ』と……」 「こりゃアもっともだ」 と云ったのは、易者だという触れ込みの、総髪の男であったが、 「ご主人、何んと思われるかな?」 と、佐五衛門の方を見た。 佐五衛門は、少し当惑したような表情をしたが、 「さようで。女が男をたぶらかすということ、こいつアよろしくございませんなあ。……重ね重ね、そのお侍さんはご不運で」 薪が刎ねて炉の火がパッと焔を立てた。 湯治客たちは一斉に胸を反らせたが、五人が五人ながらたがいに顔を見合わせた。
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