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鎮西八郎(ちんぜいはちろう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-1 12:22:04 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


     五

 為朝ためとも大島おおしまわたると、
「おれは八幡太郎はちまんたろうまごだ。このしま天子てんしさまからいただいたものだ。」
 といって、しましたがえてしまいました。そのうち方々ほうぼうにかくれていた為朝ためとも家来けらいが、一人ひとり二人ふたりとだんだんあつまって為朝ためともにつきました。
九州きゅうしゅうよりはずっとちいさいが、また為朝ためともくにができた。」
 こういって、為朝ためともはここでもおうさまのような威勢いせいになりました。
 あるとき為朝ためともうみばたに出て、はるかおきほうをながめていますと、しろいさぎとあおいさぎが二つれってうみの上をんで行きます。為朝ためともはそれをながめて、
「わしかなんぞなららないが、さぎのようなはねよわいものでは、せいぜい一か二ぐらいしかちからはないはずだ。それがああして行くところをると、きっとここからそうとおくないところにしまがあるにちがいない。」
 といって、そのまま小船こぶねにとびって、さぎのんで行った方角ほうがくかってどこまでもこいで行きました。
 その日一にちこいで、うみの上で日がくれましたが、しまらしいものはつかりません。よるはちょうど月のいいのをさいわいに、またどこまでもこいで行きますと、がたになって、やっとしまらしいもののかたちえました。
 為朝ためともはだんだんそばへよってみますと、きしいわがけわしい上になみたかいので、ふねけられません。さんざんまわりをこぎまわりますと、やっとたいらなのようなところがあって、しまの中からちいさな川がそこにながしていました。
 為朝ためともはそこからがって、ずんずんおくはいってますと、一めん、いわでたたんだような土地とちで、もなければはたもありません。ところどころになれない草木くさきえて、めずらしいにおいのはないていました。
 いくらあるいてもいえらしいものもえませんでしたが、そのうちいつどこから出てたか、一じょうせいたかさのある大男おおおとこがのそのそと出てました。まっくろなからだがもじゃもじゃえて、あたまかみはまっで、はりえたようでした。
 為朝ためとも不思議ふしぎおもって、
「このしまなんというしまだ。」
 と大男おおおとこ一人ひとりきますと、
おにしまといいます。」
 とこたえました。
 為朝ためともは、いよいよめずらしくおもって、
「じゃあおまえたちはおにか。それとも先祖せんぞおにだったのか。」
 とたずねました。
「そうです。わたくしどもはおに子孫しそんです。」
おにしまなら、たからがあるだろう。」
「むかしほんとうのおにだった時分じぶんには、かくれみのだの、かくれがさだの、水の上をくつだのというものがあったのですが、いまでは半分はんぶん人間にんげんになってしまって、そういうたからもいつのにかなくなってしまいました。」
「よそのしまわたったことはないか。」
「むかしはふねがなくっても、ずんずん、よそのしまへ行って、人をとったりしたこともありましたが、いまではふねもないし、たまによそからかぜにふきつけられてくるふねがあっても、なみあらいので、きしがろうとするといわにぶつかってくだけてしまうのです。」
なにべてきている。」
さかなとりべます。さかなはひとりでにいそがってます。あなってその中にかくれて、とりこえをまねていると、とりはだまされてあなの中にとびんでます。それをとってべるのです。」
 こういっているときに、ひよどりのようなとりがたくさんそらの上をかけってました。為朝ためともはもってゆみをつがえて、とりかってかけますと、すぐ五六ばたばたとかさなりってちてました。
 しま大男おおおとこ弓矢ゆみやたのははじめてなので、目をまるくしてていましたが、そらんでいるものが、射落いおとされたのをて、したをまいておじおそれました。そして為朝ためともかみさまのようにうやまいました。
 為朝ためともおにしまたいらげたついでに、ずんずんふねをこぎすすめて、やがて伊豆いず島々しまじまのこらず自分じぶん領分りょうぶんにしてしまいました。そしておにしまから大男おおおとこ一人ひとりつれて、大島おおしまかえってました。
 大島おおしまものは、為朝ためとも小船こぶねって出たなりいまだにかえってないので、どうしたのかとおもっていますと、あるおそろしいおにをつれてひょっこりかえってたので、みんなびっくりしてしまいました。

     六

 こうして為朝ためともは十ねんたたないうちに、たくさんのしましたがえて、うみおうさまのようないきおいになりました。すると為朝ためとものために大島おおしまわれた役人やくにんがくやしがって、あるときみやこのぼり、為朝ためとも伊豆いずの七とう勝手かってうばった上に、おにしまからおにをつれてて、らんぼうをはたらかせている、ててくと、いまにまた謀反むほんいくさをおこすかもしれませんといってうったえました。
 天子てんしさまはたいそうおおどろきになり、伊豆いず国司こくし狩野介茂光かののすけしげみつというものにたくさんのへいをつけて、二十余艘よそうふね大島おおしまをおめさせになりました。
 為朝ためともきしの上からはるかにてきの船のかげをると、あざわらいながら、
ひさしぶりでうでだめしをするか。」
 といって、れいつよゆみながをつがえて、まっさきすすんだ大きなふね胴腹どうばらをめがけて射込いこみました。するとふねはみごとに大穴おおあながあいて、たくさんのへいせたまま、ぶくぶくとうみの中にしずんでしまいました。てきはあわててうみの中でしどろもどろにみだれてさわぎはじめました。
 為朝ためともはつづいて二のをつがえようとしましたが、ふねしずめられたおおぜいの敵兵てきへいが、おぼれまいとして水の中であっぷ、あっぷもがいている様子ようすると、ふとかわいそうになって、
「かれらはいいつけられて為朝ためともちにたというだけで、もとよりおれにはあだもうらみもないものどもだ。そんなもののいのちをこの上むだにとるにはしのびない。それにいったんこうしててき退しりぞけたところで、朝敵ちょうてきになっていつまでも手向てむかいがしつづけられるものではない。かんがえてると、おれもいろいろおもしろいことをしてたから、もうんでもしくはない。おれがここで一人ひとりんでやれば、おおぜいのいのちたすかるわけだ。」
 こういって、為朝ためともはそのままうちにかえって、自分じぶん居間いまにはいると、しずかに切腹せっぷくしてんでしまいました。
 そのあとでは、こわごわしまがってて、為朝ためとも一人ひとりでりっぱにんでいるのをてまたびっくりしました。





底本:「日本の英雄伝説」講談社学術文庫、講談社
   1983(昭和58)年6月10日第1刷発行
※「鬼ガ島」の「ガ」は底本では小書きになっています。
入力:鈴木厚司
校正:今井忠夫
2004年1月6日作成
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