三
さて為朝は一日も早くおとうさんを窮屈なおしこめから出してあげたいと思って、急いで都に上りました。ところが上ってみておどろいたことには、都の中はざわざわ物騒がしくって、今に戦争がはじまるのだといって、人民たちはみんなうろたえて右に左に逃げ廻っていました。どうしたのだろうと思って聞くと、なんでも今の天子さまの後白河天皇さまと、とうにお位をおすべりになって新院とおよばれになった先の天子さまの崇徳院さまとの間に行きちがいができて、敵味方に別れて戦争をなさろうというのでした。朝廷が二派に分かれたものですから、自然おそばの武士たちの仲間も二派に分かれました。そして、後白河天皇の方へは源義朝だの平清盛だの、源三位頼政だのという、そのころ一ばん名高い大将たちが残らずお味方に上がりましたから、新院の方でも負けずに強い大将たちをお集めになるつもりで、まずおとがめをうけて押しこめられている六条判官為義の罪をゆるして、味方の大将軍になさいました。為義はもう七十の上を出た年寄り[#「年寄り」は底本では「年寄り」]のことでもあり、天子さま同士のお争いでは、どちらのお身方をしてもぐあいが悪いと思って、 「わたくしはこのまま引き籠っていとうございます。」 といって、はじめはお断りを申し上げたのですが、どうしてもお聞き入れにならないので、しかたなしに長男の義朝をのけた外の子供たちを残らず連れて、新院の御所に上がることになりました。 そういうさわぎの中に為朝がひょっこり帰って来たのです。為義ももう昔のように為朝をしかっているひまはありません。大よろこびで、さっそく為朝を味方に加えて、みんなすぐと出陣の用意にとりかかりました。
四
為朝はやがて二十八騎の家来をつれて新院の御所に上がりました。新院は味方の勢が少ないので心配しておいでになるところでしたから、為朝が来たとお聞きになりますと、たいそうおよろこびになって、さっそくおそばに呼んで、 「いくさの駆け引きはどうしたものだろう。」 とおたずねになりました。すると為朝はおそれ気もなく、はっきりと力のこもった口調で、 「わたくしは久しく九州に居りまして、何十度となくいくさをいたしましたが、こちらから寄せて敵を攻めますにも、敵を引きうけて戦いますにも、夜討ちにまさるものはございません。今夜これからすぐ敵の本営の高松殿におしよせて、三方から火をつけて焼き立てた上、向かってくる敵を一方に引き受けてはげしく攻め立てることにいたしましょう。そうすると、火に追われて逃げてくるものは矢で射とります。矢をおそれて逃げて行くものは火に焼き立てられて命を失います。いずれにしても敵は袋の中のねずみ同様手も足も出せるものではございません。それにあちらへお味方に上がった武士の中で、いくらか手ごわいのはわたくしの兄義朝一人でございますが、これとてもわたくしが矢先にかけて打ち倒してしまいます。まして清盛などが人なみにひょろひょろ矢の一つ二つ射かけましたところで、ついこの鎧の袖ではね返してしまうまででございます。まあ、わたくしの考えでは、夜の明けるまでもございません。まだくらいうちに勝負はついてしまいましょう。御安心下さいまし。」 といいました。 為朝がこうりっぱに言いきりますと、新院はじめおそばの人たちは、「なるほど。」と思って、よけい為朝をたのもしく思いました。するとその中で一人左大臣の頼長があざ笑って、 「ばかなことをいえ。夜討ちなどということは、お前などの仲間の二十騎か三十騎でやるけんか同様の小ぜりあいならば知らぬこと、恐れ多くも天皇と上皇のお争いから、源氏と平家が敵味方に分かれて力くらべをしようという大いくさだ。そんな卑怯な駆け引きはできぬ。やはり夜の明けるのを待って、堂々と勝負を争う外はない。」 といって、せっかくの為朝のはかりごとをとり上げようともしませんでした。 為朝は、おもしろく思いませんでしたけれど、むりに争ってもむだだと思いましたから、そのままおじぎをして退きました。そして心の中では、 「何もしらない公卿のくせによけいな差し出口をするはいいが、今にあべこべに敵から夜討ちをしかけられて、その時にあわててもどうにもなるまい。こんなふうでは、この戦にはとても勝てる見込みはない。まあ、働けるだけ働いて、あとはいさぎよく討ち死にをしよう。」 と思いました。 こう覚悟をきめると、それからはもう為朝はぴったり黙り込んだまま、しずかに敵の寄せてくるのを待っていました。 すると案の定、その晩夜中近くなって、敵は義朝と清盛を大将にして、どんどん夜討ちをしかけて来ました。 頼長はまさかと思った夜討ちがはじまったものですから、今更のようにあわてて、為朝のいうことを聞かなかったことを後悔しました。そして為朝の御機嫌をとるつもりで、急に新院に願って為朝を蔵人という重い役にとり立てようといいました。すると為朝はあざ笑って、 「敵が攻めて来たというのに、よけいなことをする手間で、なぜ早く敵を防ぐ用意をしないのです。蔵人でもなんでもかまいません。わたしはあくまで鎮西八郎です。」 とこうりっぱにいいきって、すぐ戦場に向かって行きました。 為朝が例の二十八騎をつれて西の門を守っておりますと、そこへ清盛と重盛を大将にして平家の軍勢がおしよせて来ました。 為朝はそれを見て、 「弱虫の平家め、おどかして追いはらってやれ。」 と思いまして、敵がろくろく近づいて来ないうちに、弓に矢をつがえて敵の先手に向かって射かけますと、この矢が前に立って進んで来た伊藤六の胸板をみごとに射ぬいて、つきぬけた矢が後ろにいた伊藤五の鎧の袖に立ちました。 伊藤五がおどろいて、その矢をぬいて清盛の所へもって行って見せますと、並みの二倍もある太い箆の先に大のみのようなやじりがついていました。清盛はそれを見たばかりでふるえ上がって、 「なんでもこの門を破れという仰せをうけたわけでもないのだから、そんならんぼう者のいない外の門に向かうことにしよう。」 と勝手なことをいいながら、どんどん逃げ出して行きました。 するとこんどはにいさんの義朝が平家の代わりに向かって来ました。にいさんはにいさんだけの威光で、いきなりしかりつけて為朝を恐れ入らしてやろうと思ったと見えて、義朝は為朝の顔の見えるところまで来ますと、大きな声で、 「そこにいるのは八郎だな。にいさんに向かって弓をひくやつがあるか。はやく弓矢を投げ出して降参しないか。」 といいました。 すると為朝は笑って、 「にいさんに弓をひくのがわるければ、おとうさんに向かって弓をひくあなたはもっとわるいでしょう。」 とやり込めました。 これで義朝もへいこうして、だまってしまいました。そしてくやしまぎれに、はげしく味方にさしずをして、めちゃめちゃに矢を射かけさせました。 為朝はこの様子をこちらから見て、大将の義朝をさえ射落とせば、一度に勝負がついてしまうのだと考えました。そこで弓に矢をつがえて、義朝の方にねらいをつけました。 「あの仰むけている首筋を射てやろうか。だいぶ厚い鎧を着ているが、あの上から胸板を射とおすぐらいさしてむずかしくもなさそうだ。」 こう為朝は思いながら、すぐ矢を放そうとしましたが、ふと、 「いや待て。いくら敵でもにいさんはにいさんだ。それにこうして父子わかれわかれになっていても、おとうさんとにいさんの間に内しょの約束があって、どちらが負けてもお互いに助け合うことになっているのかもしれない。」 と思い返して、わざとねらいをはずして、義朝の兜に射あてました。すると矢は兜の星を射けずって、その後ろの門の七八寸もあろうという扉をぷすりと射ぬきました。これだけで義朝は胆を冷して、これも外の門へ逃げ出して行きました。 こうして為朝一人に射すくめられて、その守っている門にはだれも近づきませんでしたが、なんといっても向こうは人数が多い上に、こちらの油断につけ込んで夜討ちをしかけて来たのですから、はじめから元気がちがいます。とうとう外の門が一つ一つ片はしからうち破られ、やがてどっと総くずれになりました。 こうなると為朝一人いかに力んでもどうもなりません。例の二十八騎もちりぢりになってしまったので、ただ一人近江の方へ落ちて行きました。 その後、新院はおとらわれになって、讃岐の国に流され、頼長は逃げて行く途中だれが射たともしれない矢に射られて死にました。 おとうさんの為義はじめ兄弟たちは残らずつかまって、首をきられてしまいました。 その中で為朝は一人、いつまでもつかまらずに、近江の田舎にかくれていましたが、戦の時にうけたひじの矢きずがはれて、ひどく痛み出したものですから、ある時近所の温泉に入って矢きずのりょうじをしていました。するとかねてから為朝のゆくえをさがしていた平家の討っ手が向かって、為朝の油断をねらって、大勢一度におそいかかってつかまえてしまいました。 為朝はそれから京都へ引かれて、首をきられるはずでしたが、天子さまは為朝の武勇をお聞きになって、 「そういう勇士をむざむざと殺すのはもったいない。なんとかして助けてやったらどうか。」 とおっしゃいました。そこで為朝の死罪を許して、その代り強い弓の引けないように、ひじの筋を抜いて伊豆の大島に流しました。 為朝は筋を抜かれて弓は少し弱くなりましたが、ひじがのびたので、前よりもかえって長い矢を射ることができるようになりました。
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