白鳥号
ボブの兄弟が立ち去ったあと、しばらくのあいだわたしたちは、ただ風の音と、キールにぶつかる波の音を聞くだけであった。やがて足音が上の甲板に聞こえて、滑車が回りだした。帆が上げられて、やがて急に一方にかしいだ。動き始めたと思うまもなく、船はあらい海の上へぐんぐんすべり出した。 「マチア、気のどくだね」とわたしはかれの手を取った。 「かまわないよ。助かったのだから」とかれは言った。「船に酔ったってなんだ」 そのあくる日、わたしは船室と甲板の間に時間を過ごした。マチアは一人うっちゃっておいてもらいたがった。とうとう船長が、あれがバルフルールだと指さしてくれたとき、わたしは急いで船室に下りて、かれにいい知らせを伝えようとした。 もう、バルフルールに着いたときは、夕方おそくなっていたので、ボブの兄弟はわたしたちによければ今夜一晩船の中でねて行ってもいいと言った。 「おまえさんがまたイギリスへ帰りたいと思うときには」とそのあくる朝、わたしたちがさようならを言って、かれの骨折りを感謝すると、こう言った。「エクリップス号は毎火曜日ここから出帆するのだから、覚えておいで」 これはうれしい好意であったが、マチアにもわたしにも、てんでん、この海を二度とわたりたくない……ともかくも、ここしばらくはわたりたくないわけがあった。 運よくわたしたちのかくしには、ボブの興行を手伝ってもうけたお金があった。みんなで二十七フランと五十サンチームあった。マチアはボブに二十七フランを、わたしたちの逃亡のために骨を折ってくれた礼にやりたいと思ったが、かれは一スーの金も受け取らなかった。 「さてどちらへ出かけよう」わたしはフランスへ上陸するとこう言った。 「運河について行くさ」とマチアはすぐに答えた。「ぼくは考えがあるのだ。ぼくはきっと白鳥号がこの夏は運河に出ていると思うよ。アーサが悪いのだからね。ぼくはきっと見つかるはずだと思うよ」とかれは言い足した。 「でもリーズやほかの人たちは」とわたしは言った。 「ぼくたちはミリガン夫人を探しながら、あの人たちにも会える。運河をのぼって行きながらとちゅう止まってリーズをたずねることができる」 わたしたちは持って来た地図で、いちばん近い川を探すと、それはセーヌ川であることがわかった。 「ぼくたちはセーヌ川をのぼって行って、とちゅう岸で会う船頭に片っぱしから白鳥号を見たかたずねようじやないか。きみの話では、その船はだいぶなみの船とはちがうようだから、見れば覚えているだろうよ」 これからおそらく続くかもしれない長い旅路にたつまえに、わたしはカピのからだを洗ってやるため、やわらかい石けんを買った。わたしにとっては、黄色いカピは、カピではなかった。わたしたちは代わりばんこにカピをつかまえては、かれがいやになるまでよく洗ってやった。でもボブの絵の具は上等な絵の具で、洗ってやってもやはり黄色かった。だがいくらか青みをもってはきた。それでかれをもとの色に返すまでには、ずいぶんたびたび石けん浴をやった。幸いノルマンデーは小川の多い地方であったから、毎日わたしたちは根気よく行水をつかってやった。 わたしたちはある朝小山の上に着いた。わたしたちの前途に当たって、セーヌ川が大きな曲線を作って流れているのを見た。それから進んで行って、わたしたちは会う人ごとにたずね始めた。あのろうかのついた美しい船の白鳥号を見たことはないか――だれもそれを見た者はなかった。きっと夜のうちに通ってしまったのかもしれなかった。わたしたちはそれからルーアンへ行った。そこでもまた同じ問いをくり返したが、やはりいい結果は得られなかった。でもわたしたちは失望しないで、一人ひとりたずねながらずんずん進んだ。 行く道みち食べ物を買う金を取るために、足を止めなければならなかったから、やがてパリの郊外へ着くまでは五日間かかった。 幸いシャラントンに着くと、まもなくどの方角に向かっていいか見当がついた。さっそく例のだいじな質問を出すと、初めてわたしたちは待ちもうけていた返答を受け取った。白鳥号に似た大きな遊山船が、この道を通ったが、左のほうへ曲がって、セーヌ川をずんずん上って行った、というのであった。 わたしたちは岸の近くに下りてみた。マチアは船頭たちの中で舞踏曲をやることになったので、たいへんはしゃぎきっていた。とつぜんダンスをやめて、ヴァイオリンを持って、マチアは気ちがいのように凱旋マーチをひいた。かれがひいているまに、わたしはその船を見たという男によくたずねた。疑いもなくそれは白鳥号であった。なんでもそれはふた月ほどまえ、シャラントンを通って行った。 ふた月か。なんという遠い話であろう。だがなにをちゅうちょすることがあろう。わたしたちにも足がある。向こうも二ひきのいい馬の足がある。でもいつか追い着くであろう。ひまのかかるのはかまったことではない。なによりだいじな、しかもふしぎなことは、白鳥号がとうとう見つかったということであった。 「ねえ、まちがってはいなかった」とマチアがさけんだ。 わたしに勇気があれば、マチアに向かって、わたしがひじょうに大きな希望を持っていることを打ち明けたかもしれない。けれどわたしは自分の心を自分自身にすら細かく解剖することができなかった。わたしたちはもういちいち立ち止まって人に聞く必要はなかった。白鳥号がわたしたちの先に立って進んで行く。わたしたちはただセーヌ川について行けばいいのだ。わたしたちは道みちリーズのいる近所を通りかけていた。わたしはかの女がその家のそばの岸を船の通るとき、見ていなかったろうかと疑った。 夜になっても、わたしたちはけっしてつかれたとは言わなかった。そしてあくる朝は早くから出かける仕度をしていた。 「ぼくを起こしてくれたまえ」とねむることの好きなマチアは言った。 それでわたしが起こすと、かれはすぐにとび起きた。 倹約するためにわたしたちは荒物屋で買ったゆで卵と、パンを食べた。でもマチアはうまいものはたいへん好んでいた。 「どうかミリガン夫人が、そのタルトをうまくこしらえる料理番をまだ使っているといいなあ」とかれは言った。「あんずのタルトはきっとおいしいにちがいない」 「きみはそれを食べたことがあるかい」 「ぼくはりんごのタルトを食べたことはあるが、あんずのタルトは知らない。見たことはあるよ。あの黄色いジャムの上にいっぱいくっついている、白い小さなものはなんだね」 「はたんきょうさ」 「へええ」こう言ってマチアはまるでタルトを一口にうのみにしたように口を開いた。 水門にかかって、わたしたちは白鳥号の便りを聞いた。だれもあの美しい小舟を見たし、あの親切なイギリスの婦人と、甲板の上のソファにねむっている子どものことを話していた。 わたしたちはリーズの家の近くに来た。もう二日、それから一日、それからあとたった二、三時間というふうに近くなってきた。やがてその家が見えてきた。わたしたちはもう歩いてはいられない。かけ出した。どこへわたしたちが行くかわかっているらしいカピは、先に立って勢いよく走った。かれはわたしたちの来たことをリーズに知らせようとしたのであった。かの女はわたしたちをむかえに来るだろう。 けれどもわたしたちがその家に着いたとき、戸口には知らない女の人が一人立っているだけであった。 「シュリオのおかみさんはどうしました」とわたしはたずねた。 しばらくのあいだかの女は、ばかなことを聞くよ、と言わないばかりに、わたしたちの顔をながめた。 「あの人はもうここにはいませんよ」とやっとかの女は言った。「エジプトに行っていますよ」 「なにエジプトへ」 マチアとわたしはあきれて顔を見合わせた。わたしたちはほんとうにエジプトのある位置をよくは知らなかったが、それはぼんやりごくごく遠い海をこえて向こうのほうだと思っていた。 「それからリーズはどうしたでしょう。知っていますか」 「ああ、小さなおしのむすめだね。そう、あの子は知っているよ。あの子はイギリスのおくさんと船に乗って行きましたよ」 「へえ、リーズが白鳥号に」 ゆめを見ているのではないか。マチアとわたしはまた顔を見合った。 「おまえさん、ルミさんかい」とそのとき女はたずねた。 「ええ」 「まあ、シュリオさんは、水で死にましたよ……」 「ええ、水で死んだ」 「そう、あの人は水門に落ちて、くぎにひっかかって死んだのだ。それから気のどくなおかみさんはどうしていいかわからずにいた。するとあの人が先におよめに来るまえに奉公していたおくさんが、エジプトへ行くというので、そのおくさんにたのんで子どもの乳母にしてもらった。そうなるとリーズはどうしていいかわからずに困っていたところへ、イギリスのおくさんと病身の子どもが船に乗って運河を下りて来た。そのおくさんと話をしているうち、おくさんはいつも独りぼっちでたいくつしているむすこさんの遊び相手を探しているところなので、リーズをもらって行って、教育してみようと言ったのさ。おくさんの言うのには、この子を医者にみせたら、おしが治っていつか口がきけるようになろうということだからと言った。それでいよいよたって行くときに、リーズがおばさんに、もしおまえさんがここへ訪ねて来たら、こうこう言ってくれということづけをたのんで行ったそうだ。それだけですよ」 わたしはなんと言おうか、ことばの出ないほどおどろいた。でもマチアはわたしのようにぼんやりはしなかった。 「そのイギリスのおくさんはどこへ行ったでしょう」 「スイスへね。リーズはわたしの所に向けて、おまえさんにあげるあて名を書いて寄こすはずだったが、まだ手紙は受け取らないよ」
生きた証拠
「さあ、進め、子どもたち」婦人に礼を言ってしまうと、マチアがこうさけんだ。 「こうなるとぼくたちがあとを追うのは、アーサとミリガン夫人だけではなく、リーズまでいっしょなのだ。なんという幸せだ。どういう回り合わせになるか、わかったものではないなあ」 わたしたちはそれからまた白鳥号探索の旅を続けた。ただ夜とまって、ときどきすこしの金を取るだけに足を止めた。 「スイスからはイタリアへ出るのだ」とマチアが感情をこめて言った。「もしミリガン夫人を追いかけて行くうちに、ルッカまで出たら、ぼくの小さいクリスチーナがどんなにうれしがるだろうな」 気のどくなマチア、かれはわたしのために、わたしの愛する人たちを探すことに骨を折っている。しかもわたしはかれを小さな妹に会わせるためにはすこしも骨を折ってはいないのだ。 リヨンで、わたしたちは、白鳥号の便りを聞いた。それはほんの六週間わたしたちよりまえにそこを通ったのであった。それではいよいよスイスまで行かないうちに追い着くかもしれないと思った。そのときはまだ、ローヌ川からジュネーヴの湖水までは船が通らないことを知らなかった。わたしたちはミリガン夫人がまっすぐに船でスイスへ行ったものと思っていた。 するとそのつぎの町でふと白鳥号の姿を遠くに見つけたとき、どんなにわたしはびっくりしたであろう。わたしたちは河岸についてかけ出した。どうしたということだ。小舟の上はどこもここも閉めきってあった。ろうかの上に花もなかった。アーサはどうかしたのかしらん。わたしたちはおたがいに同じようなしずみきった顔を見合わせながら立ち止まった。 するとそのとき船を預かっていた男がわたしたちに、イギリスのおくさんは病人の子どもと、おしの小むすめを連れてスイスへ出かけたと言った。かれらは一人女中を連れて、馬車に乗って行った。あとの家来は荷物を運びながら、続いて行った。 これだけ聞いて、わたしたちはまた息が出た。 「それでおくさんはどちらに行かれたのでしょう」とマチアがたずねた。 「おくさんはヴヴェーに別荘を持っておいでだ。だがどのへんだかわからない。なんでも夏はそこへ行ってくらすことになっているのだ」 わたしたちはヴヴェーに向かって出発した。もう向こうはずんずん歩いて行く旅ではない、足を止めているのだから、ヴヴェーへ行って探せば、きっとわかる。 こうしてわたしたちがヴヴェーに着いたときには、かくしに三スーの金と、かかとをすり切った長ぐつだけが残った。でもヴヴェーは思ったように小さな村ではなかった。それはかなりな町で、ミリガン夫人はとか、病人の子どもとおしのむすめを連れたイギリスのおくさんはとか言ってたずねたところで、いっこうばかげていることがわかった。ヴヴェーにはずいぶんたくさんのイギリス人がいた。その場所はほとんどロンドン近くの遊山場によく似ていた。いちばんいいしかたは、あの人たちが住んでいそうな家を一けん一けん探して歩くことである。そしてそれはたいしてむずかしいことではないであろう。わたしたちはただ町まちで音楽をやって歩けばいいのだ。 それで毎日根よくほうぼうへ出かけて、演芸をやって歩いた。けれどまだミリガン夫人の手がかりはなかった。 わたしたちは湖水から山へ、山から湖水へ、右左を見て、しじゅう往来の人の顔つきをのぞいたり、ことばを聞いて、返事をしてくれそうな人にたずねて歩いた。ある人はわたしたちを山の中腹に造りかけた別荘へ行かせた。また一人は、その人たちは湖水のそばに住んでいると断言した。なるほど山の別荘に住んでいるのもイギリスのおくさんであった。湖水のそばに家を持っていたのもイギリスのおくさんであったが、わたしたちのたずねるミリガン夫人ではなかった。 ある日の午後、わたしたちは例のとおり往来のまん中で音楽をやっていた。そこに大きな鉄の門のある家があった。母屋は園のおくに引っこんで建っていた。前には石のかべがあった。わたしはありったけの高い声で歌を歌っていた。例のナポリの小唄の第一節を歌って第二節にかかろうとしていたとき、か細いきみょうな声で歌う声がした。だれだろう。なんというふしぎな声だろう。 「アーサじゃないかしら」とマチアが聞いた。 「いいや、アーサではない。ぼくはこれまであんな声を聞いたことがなかった」 けれどそのうちカピがくんくん言い始めた。はげしい歓喜の表情のありったけを見せて、かべに向かってとびかかっていた。 「だれが歌を歌っているのだ」と、わたしはもう自分をおさえることができなくなってさけんだ。 「ルミ」と、そのときそのきみょうなか細い声がさけんだ。いまのわたしのことばに返事をする代わりに、わたしの名前を呼んだのだ。 マチアとわたしはかみなりに打たれたようにおたがいに顔を見合わせた。わたしたちがあっけにとられて、てんでんの顔を見合ったまま立っていると、かべの向こうにハンケチが一枚ひらひらしているのが見えた。わたしたちはそこへかけ出して行った。わたしたちは、園の向こう側を取り巻いているかきねのそばまで行ってみて、初めてハンケチをふっている人を見つけた。 「リーズだ」 とうとうわたしたちはかの女を見つけた。もう遠くない所にミリガン夫人も、アーサもいるにちがいなかった。 「でもだれが歌を歌ったのだろう」 これがマチアもわたしも、やっとことばが出るといきなり持ち出した質問であった。 「わたしよ」とリーズが答えた。 リーズが歌っていた。リーズが話しかけていた。 医者は、いつかリーズがかの女のことばを取り返すだろう、それはたぶんはげしい感動の場合だと言っていたが、わたしはそんなことができるはずがないと思っていた。でも目の前に奇跡は行われた。そしてそれはわたしがかの女の所に来て、いつも歌い慣れたナポリ小唄を歌うのを聞いて、はげしい感動を起こしたしゅんかんに、かの女がその声を回復したことがわかった。わたしはそう思って、深く心を打たれたあまり、両手を延ばしてからだをまっすぐにした。 「ミリガン夫人はどこにいるの」とわたしはたずねた。「それからアーサは」 リーズはくちびるを動かしたが、ほんの聞き取れない音を出しただけで、じれったくなって、いつもの手まねのことばになった。かの女はまだことばをほんとうに出すだけに器用に舌が働かなかった。 かの女はそのとき園を指さした。そこにアーサが病人用のねいすにねているのを見た。そのそばに母の夫人がいた。そしてもう一つこちらには……ジェイムズ・ミリガン氏がいた。 こわくなって、実際戦慄して、わたしはかきねの後ろにはいこんだ。リーズはわたしがなぜそんなことをするか、ふしぎに思ったにちがいない。そのときわたしは手まねをして、かの女に向こうへ行かせた。 「おいで、リーズ。それでないとぼくが、災難に会うから」とわたしは言った。「あした九時にここへおいで。一人でだよ。そのとき話してあげるから」 かの女はしばらくちゅうちょしたが、やがて園へはいって行った。 「ぼくたちはミリガン夫人に話をするのをあしたまで待っていてはいけない」とマチアが言った。「こう言ううちもあの悪おじさんがアーサを殺しかねない。あの人はまだぼくの顔は知らないのだから、ぼくはすぐにミリガン夫人に会いに行って話をする」 マチアの言うところに道理があったので、わたしはかれを出してやった。わたしはしばらくのあいだ、少しはなれた大きなくりの木のかげに待っていることにした。 わたしは長いあいだマチアを待った。十何度も、わたしはかれを出してやったのが、失敗ではなかったかと疑った。 やっとのことで、わたしはかれがミリガン夫人を連れてもどって来るのを見た。わたしはあわてて夫人のほうへかけて行って、わたしに差し出された手をつかんで、その上にからだをかがめた。しかしかの女は両うでをわたしのからだに回して、こごみながら優しくわたしの額にキッスした。 「まあ、どうおしだえ」と夫人はつぶやいた。 夫人は美しい白い指で、わたしの額髪をなでて、長いあいだわたしの顔を見た。 「そうだそうだ」とかの女は優しく独り言をささやいた。 わたしはあまり幸福で、ひと言もものが言えなかった。 「マチアとわたしは長いあいだお話をしましたよ」とかの女は言った。「でもわたしはあなたがどうしてドリスコルのうちへ行くようになったか、あなたの口から聞きたいと思うのですよ」 わたしはかの女に問われるままに答えた。そしてかの女は、そのあいだときどき口をはさんで、所どころ要点を確かめるだけであった。わたしはこれほどの熱心をもって話を聞いてもらったことがなかった。かの女の目はすこしもわたしからはなれなかった。 わたしが話をしてしまったとき、かの女はしばらくだまって、わたしの顔を見つめていた。最後にかの女は言った。 「これはなかなか重大なことだから、よく考えなければならない。けれどいまからあなたはアーサのお友だち……」 こう言ってかの女はすこしちゅうちょしながら、「兄弟だと思ってください。二時間たったら、ザルプというホテルへ来てください。さしあたりそこに待っていてくれれば、だれか人を寄こしてそちらへ案内させますから。ではしばらくごめんなさいよ」 ふたたび夫人はわたしにキッスした。そしてマチアと握手をして、足早に歩いて行った。 「きみはミリガン夫人になにを話したのだ」とわたしはマチアに質問した。 「あの人がいまきみに言っただけのことさ。それからまだいろいろなことをね」とかれは答えた。 「ああ、あの人は親切なおくさんだね。りっぱなおくさんだね」 「アーサにも会ったかい」 「ほんの遠方から。でもりっぱな子どもだということはよくわかった」 わたしはまだマチアに質問し続けた。けれどもかれは、何事もぼんやりとしか答えなかった。 わたしたちは相変わらずぼろぼろの旅仕度であったが、ホテルでは黒の礼服に白のネクタイをした給仕に案内をされた。かれはわたしたちを居間へ連れて行った。わたしたちの寝部屋をわたしはどんなに美しいと思ったろう。そこには白い寝台がならんでいた。窓は湖水を見晴らす露台に向かって開いていた。給仕は「夕食にはなんでもお好みのものを」と言った。そうして、よければ露台へ食卓を出そうかとも言った。 「タルトがありますか」とマチアがたずねた。 「へえ、大黄のタルトでも、いちごのタルトでも、すぐりの実のタルトでも」 「よし。ではそのタルトをぜひ出してください」 「三種ともみんな出しますか」 「むろん」 「それからお食事は。肉はなんにいたしましょう。野菜は……」 いちいちの口上にマチアは目を丸くした。でもかれはいっこう閉口したふうを見せなかった。 「なんでもいいように見計らってください」とかれは冷淡に答えた。 給仕はもったいぶって部屋を出て行った。 そのあくる日ミリガン夫人は、わたしたちに会いに来た。かの女は洋服屋とシャツ屋を連れて来た。わたしたちの服とシャツの寸法を計らせた。ミリガン夫人は、リーズがまだ話をしようと努めていることを話して、医者はもうじき治ると言っていると言った。それから一時間わたしたちの所にいて、またわたしに優しくキッスし、マチアと固い握手をして、出て行った。 四日続けてかの女は来た。そのたんびにだんだん優しくも、愛情深くもなっていったが、やはりいくらかひかえ目にするところがあった。五日目に、わたしが白鳥号でおなじみになった女中が夫人の代わりに来て、ミリガン夫人がわたしたちを待ち受けている、もうおむかえの馬車がホテルの門口に来ていると言った。マチアはさっそく一頭引きの馬車の上に、むかしから乗りつけている人のように乗りこんだ。カピもいっこうきまり悪そうなふうもなく中へとびこんで、ビロードのしとねの上にゆうゆうと上がりこんだ。 馬車の道はわずかであった。あまりわずかすぎたと思った。わたしはゆめの中を歩いている人のように、ばかげた考えで頭の中がいっぱいであった。いや、すくなくともわたしの考えたことはばかげていたらしかった。わたしたちは客間に通された。ミリガン夫人と、アーサと、リーズがそこにいた。アーサは手を差し延べた。わたしはかれのほうへかけ出して行って、それからリーズにキッスした。ミリガン夫人はわたしにキッスした。「やっとのことで」とかの女は言った。「あなたのものであるはずの位置に、あなたを置くことができるようになりました」 わたしはこう言われたことばの意味を話してもらおうと思って、かの女の顔を見た。かの女はドアのほうへ寄って、それを開けた。そのときこそほんとうにびっくりするものが現れた。バルブレンのおっかあがはいって来た。その手には赤んぼうの着物、同じカシミアの外とう、レースのボンネット、毛糸のくつなどをかかえていた。かの女がこれらの品物を机に置くか置かないうちに、わたしはかの女をだきしめた。わたしがかの女にあまえているあいだに、ミリガン夫人は召使いに何か言いつけた。そのときほんの、「ジェイムズ・ミリガン」という名を聞いただけであったが、わたしは青くなった。 「あなたはなにもこわがることはないのよ」とミリガン夫人は優しく言った。「ここへおいで。あなたの手をわたしの手にお置きなさい」 ジェイムズ・ミリガン氏は例の白いとんがった歯をむき出して、にこにこしながらはいって来た。ところがわたしの顔を見ると、微笑がものすごい渋面になった。ミリガン夫人はかれにものを言うひまをあたえなかった。 「あなたにおいでを願いましたのは」と、ミリガン夫人はやや声をふるわせながら言った。「長男がやっと見つかりましたので、あなたにお引き合わせしたいとぞんじまして」こう言ってかの女はわたしの手をにぎりしめた。 「でもあなたはもうこの子にはお会いくださいましたそうですね。この子をぬすんだ男の家で、この子にお会いになって、からだの具合をお調べになったそうですね」 「それはなんのことです」とジェイムズ・ミリガン氏が反問した。 「なんでもお寺へ盗賊にはいったその男が、残らず白状いたしましたそうです。その男はどういうふうにしてわたくしの赤んぼうをぬすみ出して、パリへ連れて行き、そこへ捨てたか、その一部始終を述べました。これがわたくしの子どもの着ておりました着物でございます。わたくしの子どもを育ててくれましたのは、この正直なおばあさんでございました。この手続をお読みになりたいとおぼしめしませんか。この着物を調べてごらんになりたいとおぼしめしませんか」 ジェイムズ・ミリガン氏はわたしにとびかかって、しめ殺してでもやりたいような顔をしたが、やがてくるりとかかとをふり向けた。そしてしきい際でかれはふり返って言った。 「いずれ法廷が、この子どもの作り話をどう聞くか、見てみましょうよ」 わたしの母、もういまはそう呼んでもいいが、――母はそのとき静かに答えた。 「あなたが法廷へこの事件をお持ち出しになるのはご随意です。わたくしはあなたが夫のご兄弟でいらっしゃるために、わざとそれをさしひかえたのでございます」 ドアは閉まった。そのとき、生まれて初めてわたしは、母を、かの女がわたしにキッスしたようにキッスし返した。 「きみ、お母さんに、ぼくが秘密をよく守ったことを話してくれたまえ」とマチアがわたしのそばに寄って来てこう言った。 「ではきみは残らず知っていたのか」 「わたしはマチアさんにそれをそっくり言わずにいるようにたのんでおいたのです」とわたしの母が言った。「それはあなたがわたしの子だということはわかっていたけれど、わたしも確かな証拠をにぎりたかったから、バルブレンのおっかさんに、着物を持ってここまで来てもらったのです。こんなにしたうえで、つまりそれがまちがいだということになったら、どんなにつらい思いをするかしれないからね。わたしたちはこれだけの証拠のあるうえは、もう二度と別れることはないのよ。あなたはこれからずっとあなたの母さんや弟といっしょにくらすのです」こう言ってマチアとリーズを指さしながら、「それから」と言いそえた。「あなたが貧しかったときおまえの愛したこの人たちもね」
家庭で
いく年か、それはずいぶん長い月日が短く過ぎた。そのあいだしじゅう楽しい幸福な日が続いた。わたしはいまでは、わたしの先祖からのやしきであるイギリスのミリガン・パークに住んでいる。 うちのない子、よるべのない子、この世の中に捨てられ、忘れられて、運命のもてあそぶままに西に東にただよって、広い大海のまん中に、目標になる燈台もなく、避難の港もなかったみなし子が、いまでは自分が愛し愛される母親や兄弟があるだけではない、その国で名誉のある先祖の名跡をついで、ばくだいな財産を相続する身の上になったのである。 夜な夜な、物置きやうまやの中、または青空の下の木のかげにねむったあわれな子どもが、いまは歴史に由緒の深い古城の主人であった。 わたしが汽車からとび下りて、押送の巡査の手からのがれて船に乗った、あの海岸から西へ二十里(約八十キロ)へだたった所に、わたしの美しい城はあった。 このミリガン・パークの本邸に、わたしは母と、弟と、妻と、自分とで、家庭を作っていた。 半年前からわたしは城内の文庫にこもって、わたしの長い少年時代の思い出を、せっせと書きつづっていた。わたしたちはちょうど長男のマチアのために洗礼式を上げようとしている。今夜わたしのやしきには貧窮であった時代の友だちが集まって、いっしょに洗礼式を祝おうとしている、わたしの書きつづった少年時代の思い出は一冊の本にできあがっていた。今夜集まる人たちに一冊ずつ分けるつもりである。 これだけわたしのむかしの友だちの集まるということが、わたしの妻をおどろかした。かの女はこの一夜に、父親と、姉と、兄と、おばさんに会うはずであった。ただ母と弟にはまだ内証にしてあった。もう一人この席にだいじな人が欠けていた。それはあの気のどくなヴィタリス親方。 親方の生きているあいだには、わたしはなにもこの人のためにしてやることができなかった。でもわたしは母にたのんで、この人のために大理石の墓を築かせた。その墓の上にはカルロ・バルザニの半身像をすえさせた。その半身像の複製はこうして書いているわたしの卓上にあった。「思い出の記」を書いている間も、わたしはたびたび目を上げてこの半身像をながめた。わたしの目はわけなくこの像にひきつけられた。わたしはこの人をけっして忘れることができない。なつかしいヴィタリス親方を忘れることはできない。 そう思っているとき、母が弟のうでにもたれかかって出て来た。弟のアーサはもうすっかりおとなになって、からだもじょうぶになって、いまではりっぱに母をだきかかえする人になっていた。母の後ろからすこしはなれて、フランスの百姓女のようなふうをした婦人が、白いむつき(おむつ)に包まれた赤子をだいてついて来た。これこそむかしのバルブレンのおっかあで、だいている子どもは、わたしのむすこのマチアであった。 アーサがそのとき「タイムズ」新聞を一枚持って来て、ウィーンの通信記事を読めといって見せてくれた。それを見ると、いまは大音楽家になったマチアが、演奏会を一とおりすませたところで、とりわけウィーンでの大成功がかれをせつに引き止めているにかかわらず、あるやむにやまれないやくそくを果たすため、ただちにイギリスに向かって出発の途に着いたと書いてあった。わたしはそのうえ新聞記事をくどくどと読む必要がなかった。いまでこそ世間はかれを、ヴァイオリンのショパンだといってほめそやすが、わたしはとうからかれのめざましい成長発達を予期していた。わたしと弟とかれと三人、同じ教師について勉強していたじぶん、マチアは、ギリシャ語やラテン語こそいっこう進歩はしなかったが、音楽ではずんずん先生を凌駕(しのぐ)していた。こうなると、マンデの床屋さん兼業の音楽家エピナッソー先生の予言がなるほどとうなずかれた。 そのとき、配達夫が一通の電報を配達して来た。その文言にはこうあった。 「海上はなはだあらく、ひどくなやまされた。とちゅうパリに一泊。妹クリスチーナを同伴四時に行く。出むかえの馬車をたのむ。マチア」 クリスチーナの名が出たので、わたしはアーサの顔を見た。するとかれはきまり悪そうに目をそらせた。アーサがマチアの妹のクリスチーナを愛していることはわたしにはわかっていた。そしていつか、それがいますぐというのではなくとも、母がこの結婚を承知することはわかっていた。子どもの誕生のお祝いばかりですむものではない。母はわたしの結婚にも反対しなかった。いまにそうするのが、つまりアーサのためだとわかれば、これにも反対するはずがなかった。 リーズ、わたしの美しい美しいリーズがろうかを通って出て来て、わたしの母の頭に手をかけた。 「ねえ、お母さま」とかの女は言った。「あなたはうまくたくらみにかかっておいでなのですわ。それであなたに不意討ちを食わせて、おどろかそうというのでしょう。 それもおもしろいでしょう。でもわたしはちっともおどろきませんわ」 「おい、リーズ、そんなことを言っているうちに、だしぬけを食ってびっくりするなよ」とわたしは言った。そのとき外でがらがらと馬車の止まった音がした。 一人、一人、お客が着くと、わたしとリーズは広間へ出てむかえた。アッケン氏、カトリーヌおばさん、エチエネット、それからたったいま植物採集の旅から帰ったばかりの有名な植物学者バンジャメン・アッケンの胴色に焼けた顔が現れた。それから青年が一人、老人が一人やって来た。今度の旅行はかれらにとって二重の興味があった。というわけは、この人たちはわたしどもの招待をすませると、ウェールズまで鉱山見物に出かけるはずになっていた。この青年のほうは鉱山の視察をとげて、国にたんとみやげ話を持って帰って、かれがいまツルイエールの鉱山でしめている重い位置にいっそうの箔をつけようというのであったし、老人のほうはこのごろヴァルセの町で鉱石収集をやって町で重んぜられているので、今度の調査の結果いっそう重大な発見をとげて帰ろうとするのであった。この老人と青年というのは、言うまでもなく、ヴァルセ鉱山で働いていた「先生」と、アルキシーとであった。 リーズとわたしが来賓にあいさつをしていると、またがらがらと四輪馬車が着いて、アーサとクリスチーナとマチアが中から出て来た。すぐそのあとに続いて、一両の二輪馬車が着いた。気の利いた顔つきの男が御者をして、これと背中合わせに一人、ぼろぼろの服を着た船乗りが乗っていた。たづなをひかえて御者をしているのは、このごろ金のできたボブで、いっしょに乗って来たのは、あのときわたしをイギリスの海岸からにがしてくれたボブの兄であった。 さて洗礼式がすむと、マチアはわたしを窓際まで連れ出した。 「わたしたちはこれまで、知らないよその人のためにばかり音楽をやっていた。さあこの記念の席上でわたしたちの愛する人びとのために音楽をやろうじやないか」とかれは言った。 「おい、マチア、きみは音楽のほかに楽しみのない男だね」とわたしは笑いながら言った。「きみの音楽のおかげで雌牛をおどろかして、ひどい目に会ったっけなあ」 マチアは歯をむき出して笑った。 ビロードで側を張ったりっぱなはこから、売ったら二フランとはふめまいと思う古ぼけたヴァイオリンをマチアは取り出した。わたしもふくろの中から、むかしのハープを取り出した。雨に洗われて、もとのぬり色ももう見分けることができなくなっていた。 「きみは好きなナポリ小唄を歌いたまえ」とマチアが言った。 「うん、この歌のおかげで、リーズは口がきけるようになったのだからなあ」 こうわたしは言って、にっこりしながら、そばに立っていた妻をふり向いた。 来賓はわたしたちのぐるりを取り巻いた。 ふと一ぴきの犬がとび出して来た。 大好きなカピのじいさん、この犬はもうたいへん年を取って、耳が遠くなっていたが、視力はまだなかなかしっかりしていた。ねていた暖かいしとねの上から、むかしなじみのハープを見つけると、「演芸」が始まると思ってはね起きて来た。歯ぐきの間には下ざらを一枚くわえていた。かれは「ご臨席の来賓諸君」の間をどうどうめぐりするつもりでいた。 かれはむかしのように、後足で立って歩こうとした。けれどもうそれだけの力がないので、まじめくさってぺったりすわったまま、前足で胸を打って、来賓にごあいさつをした。 わたしたちの歌がおしまいになると、カピはいっしょうけんめい立ち上がって、「どうどうめぐり」を始めた。みんなが下ざらにいくらかずつほうりこむと、カピはほくほくしてそれをわたしの所へ持って帰った。これこそかれがこれまで集めたいちばんの金高であった。中には金貨と銀貨ばかり――百七十フランはいっていた。 わたしはむかししたように、かれの冷たい鼻にキッスした。するうち、子どもの時代の困窮が思い出して、ふとある考えがうかんだ。わたしはそこで来賓に向かって、この金はさっそくあわれな大道音楽師のために救護所設立の第一回寄付金としたいと宣言した。そのあとの寄付はわたしと母とですることにする。 「おくさん」とそのときマチアがわたしの母の手にキッスしながら言った。「わたしにもその慈善事業のお手伝いをさせてください。ロンドンで開くはずのわたしの演奏会第一夜の収入は、どうぞカピのさらの中へ入れさせてください」 こう言うと、カピも「賛成」というように、一声高くウーとほえた。
(おわり)
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- [#…]は、入力者による注を表す記号です。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
- 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
<< 上一页 [11] [12] [13] 尾页
|