死界から
君達は生きた人間の世界を 私は死んだ人間の世界を 生と死とこの二つの世界を 君達と私とで占有しよう、 そして二つの世界に属しない ものたちを挟み撃しよう、 二つの世界に属しないものが 果してあるか、 ある――、 生きてゐることにも 死んだことにもならないものが、 死を怖れなかつた時代よ、 肉体から 最後の一滴の血を したたり落す瞬間まで 死の怖ろしさを 知らなかつた男のために、 私は死の門をひらいてやらない、 そいつの霊よ、 勝手なところへ迷つて行け、
我々の死界には 何の機関もない、 死んだもののためには 生の世界の君達記録係りが ペンをとりあげよ、 更に生きてゐる人間の 行動の正しい評価のために 君らの世界に 新しい墓標を数かぎりなく 立てたらいゝ、 生きた世界には 死の自由人が多い、 彼が死を怖れないことが 完全だといふ意味で 彼の自由であり また無力であつた、 私はこの死の極左主義者のために 私の死の門を開いてやらない、
すべての自由とは 意識された必然ではないのか、 死も勿論生の感動に 答へるほどの高さになければ 君の人間としての 肉体は滅びて 一匹の蛆虫を生かすにすぎない、
君の考へは何処に生き どこに記録されたか、 盲者よ、 君は幾人の 労働者をふるひたたせ、 コンニャク版で 幾枚の宣言を刷つたか、 幾度、幾本の橋を渡り 幾度女にふれたか、 公開し給へ、
君は死んでゐる 君は語ることができまい 君が意志を伝達したものが それを後世に伝へるだけだ、 だが誰も証明し 伝達しない、 君の霊は迷ふだけだ、 狭い自己の必然性に 甘えて脱落し 死んでいつたものよ、 英雄らしく捕へられて 小人らしく獄舎に悩んだものよ、 なぜ逆でないのか、 小人らしく捕へられて 英雄的に死んでいつた 無数の謙遜な友を私は知つてゐる、
死の軽忽は責められない、 彼は追はれた、 右のポケットに手を突込んだ、 そこに短銃はなかつた あわてゝ彼は左のポケットを探した そこにはそれがあつた、 彼は己れのコメカミを射撃する、 その戸まどひは 愛すべきものだ、 人間的なこの男の真実は 決して右にも左にも どちらのポケットにも無かつた、 真実はその中間にあつたのだ、 それは頭脳の位置にあつただらう、
私は死界から 濃藍色の生の世界を見透す じつと諸君の傍の 赤いランプをみまもつてゐる 光りと生命の明滅を、 フッと光りは消された 暗黒の中に諸君と 私は何を待つてゐるのか、 知れたことだ、 灯を点じられることを待つてゐる、 時間の変化の中に 点じられない洋燈(ランプ)を おくことは良くない、 生と死との瞬きの火、 近づき難いものに 近づくことのできる 最初の男達は マッチのやうに燃え尽きるだらう、 そして完全に灯はともるだらう、 私は彼のために死の門を開かう、
死界へは生の感動を 土産にもつてきてくれ、 死んで世迷ひ言をいふ手輩は 死の門の鉄扉の前にいたづらに騒ぐ 脱落に生きて 物言ふものは 焦燥と無感動とに もの言ふたびに己れの舌を噛む、 沈黙をしてゐる義務を 与へられてゐることを彼は知らないのだ、 美しい死者を迎へるために 門を化粧して私は待つ 素朴で激情的な 行為は讃へられよう、 死は前脚で 生は後脚 後脚はいつも 前脚にオベッカを使ふ、 このチンバの馬の 醜態のために いたづらに土は荒らされる。 駿馬の闊達とした足なみの 美しい調和よ、 生死の感動の高まりのために 私は死の門を開放するだらう。
百姓雑兵
草原に鯨波(とき)の声はきこえてきた、 腸(はらわた)にひゞきわたる陣太鼓 他人の首を獲る 権利を与へられたる大軍こゝにあり、 緋おどしの鎧は華美と位階と 敵に対する威嚇とを兼ね備へ トツトツと馬を陣頭にすゝめてゆく、 ――もの共、続けやあ――、 と武士は大音声に呼ばはつたり、 『もの共続けやあ』といふ命令を 現代語に訳してみると 『物質共続けやあ』といふことになる、
すると物質共は、 わあ、わあ叫喚し 味方の大将を死なすなと 雑兵達争つて 敵方の陣に突込む、 ――我こそは一番槍なり ――続いて太倉源五郎、二番槍なり、 ――味方の大将こそは 我が武勇の程を賞覧あれ、 『天晴れ、出かしたり、勇猛なり、』 みどりの草原に濛塵たち オレンヂ色の夕映を背景にして 敵味方、真紅の血をながす、 自然も、旗も、人々の服装も 色彩は豊富だ、 ただ一色であるものは 戦に出た者達が 生きてかへるか 死んでかへるか 二つにひとつである、 ひとしきり猛烈な集団戦があつて、 鎧に桜の枝さして 出陣した若いロマンチストも、 鬼面人を驚ろかす 兜をかぶつた武士も、 敵の足を長柄の槍で横に払つて 転んだところを 首を掻いた卑怯者も、 百姓家を襲つて 百姓の首頂戴して敵の首に 間に合はした横着者も、 すべての戦士意気揚々と 陣営にひきあげてきた、 これらの戦士達が 必ず敵の首を引つ提げて 来るとはかぎらない、 カラ手で帰るものもある、 だが彼は悔いてはゐない、 まだ胴に首がついてゐる 敵がたくさんゐるから、 彼は負傷して帰つてきた 彼は大将の前で一切を報告した 肩の痛みは焼けるやうだ、 苦痛は電光のやうに顔を走つて 顔の筋肉をぴりぴりふるはせ ――誰かある、彼を陣営にひきとらせ 手当いたしてつかはせ、 引退つて陣営にかへると 彼は精一杯 苦痛に泣いたり、わめいたりする、 この戦ひに誰が一番勇気があつて 首を沢山獲つてきたか、 栗毛の馬の持主か、 緋縅の鎧か 千軍万馬の戦功者 クロガネ五郎兵衛久春殿か、 いやいや彼は今度の戦ひでは 順調にいかなかつた、 かへつて鼻を削(そ)がれて帰つてきた、 醜態と名誉との総決算所へ ふうふう馬のやうに 鼻穴をひろげて 十三個の敵の首の 耳から耳へ数珠つなぎ 薯の俵を引いてくるやうに 首をごろごろ陣営に引いてきたのは 単なる一雑兵にすぎない、
彼は全く戦にかけては ズブの素人で つい夏の頃から百姓から雑兵に 成り上つたもの 言はゞエキストラ 無口で温順で、ものぐさで 一見愚鈍で、のろのろしてゐる、 突撃の前、 武士や雑兵たちがそれぞれ 長槍を吟味したり刃を調べたり 風を切つて刀の撓(しな)ひを試めし 目釘の検査、足固め、鎖カタビラ キリリ眼がつりあがる程 鉢巻締めて、胸わくわく 焦燥と不安に陣営の湧きたつとき 彼は人々のすることをぼんやりと 気抜けのやうに片隅でじつと見てゐた、 朋輩は彼をせきたて ――行かう、といふ 彼は何処へとたづねる ――戦場へ、――と朋輩はいふ、 ――何をしに――と彼はいふ、 ――知れたことぢや首獲りにぢや、 この血の巡りの悪い百姓雑兵は 始めて頭をたてに振つて 合点、合点 ――おらあ、首欲しうないわ、 ――欲しうなうても獲るのが戦さぢや、 ――成程、 ――大将は敵の首をたいへん所望ぢや、 ――幾つ獲つて来たらいゝだ、 ――いくつ、そりや多い方が機嫌がいゝ だが敵は素直に首は渡すまいぞ、 ――成程 ――なにが成程ぢや、 てめいと話をしてゐると シンが疲れるわ、 そうれ出陣に法螺の貝が鳴りをつたわい、 ――ぢや、出かけべい、
小手をかざして見渡せば、 山野になびく旗幟、 白字に赤く、上り藤、下り藤、 また怒れる七面鳥、イタチの宙返りなど、 それそれ紋所に図案を凝したり、 旗幟どのやうに華美に 山野を飾らうとも 所詮、生命のやりとり場所、 人馬のいでたち美しければ美しいほど たたかふものはメランコリイになる、 一日の戦が終つてホッと吐息をつく、 それぞれ収獲をたづさへてかへる、 首の土産のない者は あの時、敵がヤッと叫んで切りつけたとき、 その時、ひらりと身共は一間程も飛び上つたり、 などと陣中自慢の手柄話は尽きない、
そこへひよつこり百姓雑兵 この度の戦にも十数個の 敵の首を提げてきて人々を驚ろかす、 所望とあれば もつと持参致しませうかと、 いまにも駈けだしさうなので 大将まあまあ良いと あきれて押しとどめるほど この愚鈍な百姓雑兵は いくさの度にいやいやで出掛け 首獲りの成績では陣中第一人者だ、 彼はいくさは性に合はなかつた、 林の中にもぐりこみ 昼の内はぐつすり草の中に眠つてゐる、 その日の戦も終末に近づき 敵味方陣に引きあげる頃 やをら彼は叢の中から現れ 林の暗い小路に仁王立ち、 折柄通りかゝる味方の武士を呼びとめる ――ちよつくら待つてくれろ、 お前さま敵の首を獲つて来ただか、 武士は呼びとめられて 雑兵をじつと見すかしながら ――いかにも、首はとつて参つた 群がる敵陣にうつていり 当るを幸ひ切りまくり、 ――当るを幸ひ切りまくり、 いくつ獲つて来ただ、 ――一つ獲つて参つた、 ――それでは、その首おれにくんろ、 ――何と申す、無礼者、 ――首渡さねば、お前さまの 首もちよつくらネヂ切るだに、 ――これは無法な奴 おのれが敵陣にかけこんで とつて参つたらよいに、 ――そんな事、百も知つてるだ、 そんなら殺生嫌なこつた、 うぬら百姓の米喰つて腹減らして 首とつて嬉しがつてる 気がわからねいだ、 ――こいつ、こいつ大胆不敵な奴、 ――文句いはねいで首おいてゆけ、 武士は腹を立てゝ大刀抜き放し、 百姓雑兵に切りかゝると 雑兵は田舎仕込の太い腕で 松の木引つこぬいて ぶんぶんふりまはして 武士を追ひつめ首を横取りしてしまふ、 こんな調子で味方の武士の 首を横取りしては済ました顔、 おのれの名誉のためにも 百姓雑兵に首を横取りされましたとも言へないので、 泣寝入りの武士が恨めしさうに 大将の前に雑兵の差出す首を 横眼でみてゐる、 いまでは陣中では 首の横取り百姓雑兵と もつぱらの評判、 陣中では知らぬは大将ばかりなり、
百姓雑兵は、いつたい戦にかけて 強いのか弱いのか、 武士たちはいくら考へても判らない 百姓雑兵はいつものやうに 夢現つに銅鑼の声をきゝながら 次の戦にも林の叢で昼の間は寝てゐた、 そろそろ味方が首を獲つて帰る頃だと、 やをら立ちあがつて 辺りを見まはすと、 どうしたことだ、 戦場には味方の胴体ばかり ごろごろ転がつてゐて、 その格好は どれもあまり行儀がよくない、 味方は全滅 大将もとつくに首がない、 ――いくさべイ終つただか、 それだば大将さまも もう首いらねいだべ やれやれ、村にけいつて いもでも掘つくりかえすべいか、 と傍の馬にひらりとまたがつて 百姓雑兵はとつとつと村へ引あげてゆく。
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