七
廓をぬけ出した綾衣のゆくえは大菱屋でも手を分けて詮議していた。相手が外記であることは大抵察しているものの、痩せても枯れても天下の旗本という名に対して迂闊に懸け合いはできない。こっちに確かな証拠を握っていない以上は、逆捻(さかね)じに言いがかりを付けられて、飛んだ目に逢うことがある。玉(たま)をどこへか忍ばして置いて、抱え主から懸け合いの来るのを待っているなどは、この頃の悪(わる)旗本や悪御家人(ごけにん)には珍らしくない。大菱屋でもそれを懸念して、外記の屋敷の方へは容易に取ってかからなかった。 女は屋敷内に隠れていそうもない、きっと他に忍ばしてあることと大菱屋では睨んだ。今は両親(ふたおや)とも死に絶えてしまったが、綾衣は神田の生まれで、そこには遠縁の者があるとか聞いているので、まずそこらへ探りを入れているがまだ手がかりはない。 お時が馬道から聞き出して来た噂はこれだけに過ぎなかったが、とにかくに屋敷の方へは直接に懸け合い込まないというので、綾衣も安心した。お時も十吉もほっとした。ある晩、外記が来た時にその話をすると、外記は面白そうに笑っていた。 「おれも悪旗本かも知れないよ」 用心深いお時おやこと正直なお米との間に秘密は固く守られて、くるわに近いこの隠れ家に大菱屋の眼はとどかなかった。こうしてひと月余りも送るうちに、六月の土用も明けて、七月の秋が来た。 きょうは盂蘭盆の十三日で、昼の暑さはまだ水売りの声に残っているが、陰るともなしに薄い日影が山の手の古びた屋敷町を灰色に沈ませて、辻番(つじばん)のおやじが手作りの鉢の朝顔も蔓ばかり無暗に伸びて来たのが眼に立った。番町の藤枝の屋敷もひっそりと門を閉じて、塀の中からは蝉(せみ)の声ばかりがきこえた。 小普請入りとなれば暮らし向きも幾らか詰まって来る。殊に主人の放埒からいよいよ内証は苦しくなっているので、藤枝の屋敷でもこの春から家来や下女を減らした。さらぬでも陰気な屋敷の内が、このごろはますます寂しくなった。外記はこの五月頃から夜泊まりをしなくなって、夕方から屋敷を出ても夜ふけには必ず帰って来た。しかし放埒の噂はやはり消えないで、いよいよ甲府勝手を仰せ付けられるかも知れないなどという風説がお縫や三左衛門の胸を冷やした。 外記はそんなことに頓着しないらしかった。おととしまではこの日に墓参を欠かさなかったが、きょうは居間に閉じ籠って碌ろく口も利かなかった。午飯(ひるめし)を食ってしまっても何かぼんやりと考え暮らしていたが、やがて用人を呼びつけた。 「三左衛門。少し金子入用だが、知行所(ちぎょうしょ)から取り立てる工夫はないか」 おととし以来、これは毎々のことであるので、用人も手強く断わった。 「いかにご自分の御(ご)知行所でも、さだめのほかに無体の御用金などけしからぬ儀でござります」 「では、蔵の中から不用の鎧兜(よろいかぶと)太刀などを持ち出して、売り払ってはどうだ」 「鎧兜太刀などは武士の表道具、まして御先祖伝来の大切な品々、お前さまの御自由には相成(あいな)りませぬ」 何を言っても取り合わないばかりか、あべこべに主人を遣(や)り込めるような調子に、外記はむっとした。彼は黙って起ちあがって、床の間の鎧櫃(よろいびつ)から一領の鎧を引き摺り出して来た。 「これ、三左衛門。おれが今この鎧を持ち出して勝手に売り払ったらどうする」 三左衛門は形を改めて、唯今も申す通り、お前さまのお持ち物でもお前さまの御自由には相成りませぬと言い切った。その鎧は御先祖さまが慶長元和度々(どど)の戦場に敵の血をそそいだ名誉のお形見で、お家(いえ)に取っては何物にも替え難い宝でござる。藤枝五百石のお家は、その鎧と太刀さきの賜物(たまもの)であるということをお忘れなされたかと、彼は叱るように言った。 もうこうなったら主人でも容赦はない。手討ちになろうと勘当されようと、言うだけのことは言わなければならないと彼はあわれにも覚悟の胸を決めていた。 外記は白い歯を見せて笑い出した。 「慶長元和の血なまぐさい世の中と、太平百余年の今日(こんにち)とは、世のありさまも違えば人の心入れも違うぞ。鎧刀を武士の魂などと自慢する時代はもう過ぎた。おれも以前は武芸に凝り固まって、やれ剣術の柔術のと脂汗を流して苦しんだものだが、今さら思えば馬鹿であった。歴々の武士が竹刀(しない)の持ちようも知らず、弓の引きようも知らず、それでも立派にお役を勤めて家繁昌する世の中に、なんの役にも立たない鎧や刀は、五月の節句の飾り具足や菖蒲刀(しょうぶがたな)も同様だ。家重代の宝でもいい値に引き取る者があれば、なんどきでも売り放すぞ」 鎧は面当てらしく家来の眼の前にがらりと投げ出された。 三左衛門はあわててその鎧を引き寄せて押し戴くようにして自分の膝の上に抱きあげたが、勿体ないと情けないとが一つにもつれて、卯花縅(うのはなおどし)の袖の糸に彼の涙の痕がにじんだ。 お縫がはいって来て、市ヶ谷の叔父さまがお出(い)でになりましたと言った。外記は又かと顔をしかめたが、今さら留守ともいえない。病気ともいえない。まさか逃げることもできないと思っているうちに、背の高い叔父の姿がもう眼の前に現われた。 吉田五郎三郎は四十前後で、あさ黒い頬のあたりはやや寂しいが、鼻の高い、口もとのきっと引き締まった、さすがに争われない肉縁の証拠を外記とよく似た男らしい顔にもっていた。質素な家風と見え、鼠の狭布(さよみ)の薄羽織に短い袴を穿いて、長い刀を手に持っていた。 「朝夕は余ほど凌(しの)ぎよくなったが、日のなかはまだ残暑が強い。一同変ることもないか」 五郎三郎は機嫌よくみんなに挨拶して、腰から白扇(はくせん)を取り出してはらはら[#「はらはら」に傍点]と使った。庭には薄い日がどんよりとさしていた。低い四目垣(よつめがき)にかぶさっている萩の葉の軽いそよぎにも、どこにか冷たい秋風のかよっているのが知られて、大きいとんぼが縁のさきへ流れるように飛んで来た。 お縫が運んで来た茶を飲みながら、五郎三郎は世間話などを二つ三つした上で、ふだんから好きな碁の話に移った。 「おれもこのあいだは御用繁多であったが、幸い今日は非番だ。といって、屋敷に唯つくねん[#「つくねん」に傍点]としていても退屈だから、久し振りでひと勝負しようかとわざわざ出かけて来た。どうだ、外記。この頃は少しは強くなったか。三左衛門、盤を持ってまいれ」 三左衛門はすぐに碁盤を持ち出して来たが、外記はとてもそんな悠長な落ち着いた気分にはなれなかった。 「わたくしはこのごろ暫く盤にむかいませんので、とても叔父さまのお相手にはなれませぬ。どうかきょうは御免を……」 「見れば顔色もよくないようだが、気分でもすぐれぬのか」 「いえ、別に病気という訳でもござりませぬが……」 「病気でなくば一局まいれ。かえって暑さを忘れるものだ」 叔父はもう石を取り始めたので、外記も断わり切れなくなって、いやいやながら盤にむかった。五郎三郎も面白づくで碁を打っているのではなかった。いやいや相手になっている外記よりも、もっと忌(いや)な、苦しい、悲しい、切(せつ)ない思いを胸の奥に畳み込んで、無理に悠長らしい顔をつくっているのであった。 妹や家来たちが恐れていた通り、外記はいよいよ募る放埒のたたりで、近いうちにかの甲府勝手を仰せ付けられることになった。本人はまだ知らないが、支配頭から叔父にはもう内達(ないたつ)があった。この一家の上を掩(おお)っていた黒雲から、とうとう怖ろしい雷(らい)が落ちた。こうなることは内々予期していないでもなかったが、それを聞いた五郎三郎は今更のようにがっかりした。もうどうすることも出来ない。 藤枝の家はつぶされたも同然である。甥の身の上は自業自得(じごうじとく)の因果で是非ないとしても、自分の宗家(そうけ)たる藤枝の家をこのまま亡ぼしてしまっては、先祖に対しても申し訳がない、死んだ兄に対しても申し訳がない。五郎三郎は二日ほども胸を痛めた末に、思えばむごい、しかしこの時代の武士としてはまことにやむを得ない或る非常手段を考え出した。 彼は外記を自滅させようと覚悟した。表向きは頓死と披露して、妹のお縫に相当の婿を取れば、藤枝の家にも瑕(きず)が付かず、親類縁者一同も世間に恥をさらさずに済むであろう。殺される甥は不憫であるが、家には替えられない、親類縁者の大勢(おおぜい)には替えられないと、こう決心した五郎三郎の眼からは煮え湯のような涙がこぼれた。鬼のような自分の心が情けなくも思われた。 きょうは盂蘭盆というので、五郎三郎は赤坂の菩提寺に参詣した。墓場には昼でも虫が鳴いていた。彼は先祖代々の墓に香花(こうばな)や水をたむけて、苔の蒸した石にむかって甥を殺す余儀ない事情を訴えて、その足ですぐに番町へ廻って来たのである。彼は初めに甥を説得して詰め腹を切らせようかとも考えたが、もし不承知で四の五のいうと却って面倒である。いっそ不意に斬り殺してしまおうと思案を変えて、なにげない眼は碁盤の上に配っていながらも、張り詰めた心は相手の隙(すき)ばかりを狙っていた。 叔父にも思惑がある。甥にも思う事がある。二人の打つ石はしどろ[#「しどろ」に傍点]であった。そばに観ている者があっては気が散っていけないと言って、五郎三郎は何かの邪魔になるお縫や三左衛門を追い払ってしまった。力のない石の音はしずかな部屋のなかに暫くひびいていた。 「これはだいぶ暑くなって来た」 五郎三郎は羽織を脱いだ。その途端に、自分の膝のそばに引き寄せてある長い刀の柄(つか)に眼が触れると、彼はぞっ[#「ぞっ」に傍点]とした。これで眼の前にいる肉親の甥を切るのかと思うと、彼の胸は俄かに大きい波を打って、盤の上はぼう[#「ぼう」に傍点]と暗くなった。石を取る指さきもおのずと顫(ふる)われた。 殺すのも余り無慈悲だ、もう一度考え直して見ようと、五郎三郎は張り詰めた心が少しゆるんだ。彼は手を鳴らしてお縫を呼んで、もう一杯くれと茶を所望した。それから手拭を取り出して気味の悪い腋の下の冷汗を拭いた。 そのあいだ、外記はうっとりとした眼をあげて黙って天井を眺めていた。何かに気を取られて、魂はうつろになっているような其のとろけた眼づかいが、五郎三郎の気に入らなかった。こいつ、よくよく性根を女に奪われているのだと思うと、慈悲も情けも無駄なように考えられて、一旦ゆるんだこぶしの肉がまた動いて来た。 甥を生かすか殺すかに迷っている叔父は、盤の上の生き死になどには到底もう眼がとどかなくなった。彼の打っている石は乱れた。 「叔父さま。それでは違います」と、外記は眠そうな声で注意した。 「何が違う」と、五郎三郎も眼が醒めたように盤を睨んだ。 「お前さまのこの石はもう死んでおります」 「馬鹿を申すな。なんでこれが死ぬものか」 「でも、これは……」と、外記も行きがかりで争った。 「ええ、卑怯なことを申すな」 こう言い募って来るうちに、五郎三郎の血はのぼって来た。機会は今だ、と心の奥からささやかれて、彼は再び盤を指した。 「これ、よく見ろ。この石はこう切ったのだ」 切るという自分のことばで、自分にはずみを付けて、五郎三郎の手が刀の柄にかかったかと思うと彼は抜き撃ちに切り付けた。外記も武芸の心得はある。躱(かわ)したからだに初太刀(しょだち)は空を撃たせて、二度目の切っさきは碁盤で受け留めた。茶を持って来たお縫は驚いて声を立てた。三左衛門も駈けつけて来た。 五郎三郎ももう隠す訳にも行かなくなって、盤の上の一目二目の争いから、分別盛りの侍がおとなげない刃物三昧(ざんまい)をしたと思うな、家のため、親類縁者のためには、どうしても甥一人を殺すよりほかはないのだという自分の決心を明かして聞かせた。そうして外記にむかって、この上は尋常に腹を切れ、叔父が介錯してやると迫った。 外記はまだ命が惜しいと言った。お手討ちも詰め腹も真平御免(まっぴらごめん)だとことわった。叔父は卑怯な奴だといきまいた。甥は卑怯でないと冷やかに答えた。叔父と甥との考えはまるで食い違っていた。 叔父のいう理屈は、ひとつも外記の胸に落ちなかった。彼はむしろ腹立たしくなった。手討ちにするの、腹を切れのと、ひとの命を自分の勝手に取扱おうとするのが既に無理な注文ではないか。自分の命には自分という持ち主がある。家のためや親類縁者のためや、そうした事情のいけにえとして、罪もない自分のいのちを安価に売り買いされるのは自分の堪え得ることでない。それを拒(こば)むのは決して卑怯でないと外記は思った。彼はどうしても死ぬのは忌(いや)だと言い切った。 お縫や三左衛門にも外記の料簡は理解し得られなかった。しかし、かれらもさすがに兄や主人を殺そうとは思いも付かないので、泣いて縋って五郎三郎をさえぎった。二人はまつわられて五郎三郎も持て余した。 「では、きょうのところはともかくも免(ゆる)して置くから、よく分別して見ろ。卑怯者め」 ふた口目には卑怯呼ばわりをする叔父のむかし気質(かたぎ)を、外記は肚(はら)の中であざわらった。命を惜しむ卑怯者といちずに自分を認めるのは間違っている。勿論、自分は人のために死のうとは決して思わないが、自分のためならなんどきでも命を捨てて見せる。外記は死を恐れる卑怯者か臆病者か、いまに叔父にもよく判る時節があろうと、彼は口をむすんで再びなんにも言わなかった。 刀を鞘(さや)に納めたものの、五郎三郎はもうここに長居もできなかった。すぐに帰り支度をして、彼はお縫と三左衛門とに送られて出た。玄関を出るときに五郎三郎は二人にささやいて、外記は魂のぬけた奴、この上にどんな曲事(きょくじ)を仕出来(しでか)そうも知れない。お前たちも油断なく気をくばって、もし思案に能(あた)わぬことがあったら直ぐにおれのところへ知らせて来いと言った。 「おのれの心ひとつで一家一門、家来にまで苦労をかける。困った奴だ」 五郎三郎の眼には涙が浮かんだ。草履取りを連れて出てゆくその人のうしろ姿を、お縫も三左衛門も陰った顔でいつまでも見送っていた。 それから半※(はんとき)ほども過ぎた。塀の内には蝉の声もいつか衰えて、初秋のうすい日影は霧につつまれたように暮れかかった。屋敷町の門前にも盆燈籠を売るあきんどが通った。 白い帷子(かたびら)に水色の羽織を着た外記が門を出た。
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