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中国怪奇小説集(ちゅうごくかいきしょうせつしゅう)09稽神録(宋)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-27 17:48:58 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


   桃林の地妖

 ※(「門<虫」、第3水準1-93-49)みん王審知おうしんちはかつてせん州の刺史しし(州の長官)でありましたが、州の北にある桃林とうりんという村に、唐末の光啓こうけい年中、一種の不思議が起りました。
 ある夜、一村の土地が激しく震動して、地下で数百の太鼓を鳴らすような響きがきこえましたが、明くる朝になってみると、田の稲は一本もないのです。試みに土をほり返すと、その稲はみな地中にさかさまに生えていました。
 その年、審知は兄の王潮おうちょうと共に乱を起して晋安しんあんに勝ち、ことごとく※(「門<虫」、第3水準1-93-49)おうみんの地を占有して、みずから※(「門<虫」、第3水準1-93-49)王と称することになりました。それから伝うること六十年、延義えんぎという人の代に至って、かの桃林の村にむかしの地妖が再び繰り返されました。やはり一村の地下に怪しい太鼓の音がきこえたのです。但しその時はもう刈り入れが終ったのちで、稲の根だけが残っていたのですが、土を掘ってみると、それが前と同じように、みな地中に逆さまに立っていました。
 その年、延義は家来のために殺されて、王氏は滅亡しました。

   怪青年

 軍吏ぐんり徐彦成じょげんせいは材木を買うのを一つの商売にしていまして、丁亥ていがいの年、しん州の※(「さんずい+内」、第4水準2-78-24)口場ぜいこうじょうへ材木を買いに行きましたが、思うような買物が見当らないので、暫くそこにふながかりをしていると、ある日の夕暮れ、ひとりの青年が二人のしもべをつれて、岸のあたりを人待ち顔に徘徊しているのを見ましたので、徐は声をかけてその三人を舟へ呼び込み、有り合わせの酒や肴を馳走すると、青年はひどく気の毒がっているようでしたが、帰るときに徐に言いました。
「わたしはここから五、六里のところにある別荘に住んでいる者です。明日一度お遊びにお出で下さいませんか」
「ありがとうございます」
 あくる日、約束の通りにたずねて行くと、一里ばかりのところに迎いの者が来ていました。馬に乗せられ、案内されると、やがて大きい邸宅の前に着きました。かの青年もで迎えて、いろいろの馳走をしてくれた末に、徐が材木を仕入れに来ていることを聞いて、青年は言いました。
「それならば私の持っている山に材木がたくさんありますから、早速に伐り出させましょう」
 舟へ帰って待っていると、果たして一両日の後にたくさんの材木を運ばせて来ました。しかも木地が良くて、やすいので、徐は大喜びで取引きをしました。
 それでもうこの土地にいる必要もないので、徐はさらに暇乞いとまごいに行きますと、青年はまた四枚の大きい杉の板を出しました。
「これは売り買いではなく、わたしからお餞別せんべつに差し上げるのです。の地方へお持ちになると、きっと良い御商法になりましょう」
 そこで、呉の地方へ舟を廻しますと、あたかも呉のそつが死んで、その棺にする杉の板が入用だということになったのですが、その土地にはよい板がない。そこへかの杉を売り込みに行ったので、たちまち買い上げられることになって、一度に数十万銭を儲けました。
 徐もその謝礼として、種々の珍しい物を買い込んで、再びかの青年のところへ持参すると、青年もよろこんで再び材木を売ってくれました。
 その後にもまた二、三度往復して、徐は大金儲けをしましたが、それから一年ほども間を置いて訪ねてゆくと、もう其の家は見えませんでした。
 あんな大きい邸宅がどこへ移転したのかと、近所の里の人びとに聞き合わせると、初めからそんな家のあったことさえも知らないというのでした。

   鬼国

 りょうの時、せい州の商人が海上で暴風に出逢って、どことも知れない国へ漂着しました。遠方からみると、それは普通の嶋などではなく、山や川や城もあるらしいのです。
「どこだろう」
「そうですねえ」と、船頭も考えていました。「わたし達も多年の商売で、方々へ吹き流されたこともありますが、こんな処へは一度も流れ着いたことがありません。なんでもここらの方角に鬼国きこくというのがあると聞いていますから、あるいはそれかも知れません」
 なにしろ訪ねてみようというので、人びとが上陸すると、家の作りや田畑のさまは中国とちっとも変りません。ただ変っているのは、途中で逢う人びとに会釈えしゃくしても、相手はみな知らない顔をして行き過ぎてしまうのです。むこうの姿はこちらに見えても、こちらの姿はむこうに見えないらしいのです。
 やがて城門の前に行き着くと、そこには門を守る人が立っているので、こちらでは試みに会釈すると、かれらはやはり知らない顔をしているのです。そこで、構わずに城内へはいり込んでゆくと、建物もなかなか宏壮で、そこらを往来している人物もみな立派にみえますが、どの人もやはりこちらを見向きもしないので、ますます奥深く進んでゆくと、その王宮では今や饗宴の最中らしく、大勢の家来らしい者が列坐している。その服装も器具も音楽もみな中国と大差がないのでした。
 咎める者がないのを幸いに、人びとは王座のそばまで進み寄ってうかがうと、王は俄かに病いにかかったという騒ぎです。そこで巫女みこらしい者を呼び出して占わせると、かれはこう言いました。
「これは陽地の人が来たので、その陽気に触れて、王は俄かに発病されたのでござります。しかしその人びとも偶然にここへ来合わせたので、別にたたりをなすというわけでもござりませんから、食い物や乗り物をあたえてかえしてやったらよろしゅうござりましょう」
 すぐに酒や料理を別室に用意させたので、人びとはそこへ行って飲んだり食ったりしていると、巫女をはじめ他の家来らも来て何か祈っているようでした。そのうちに馬の用意も出来たので、人びとはその馬に乗って元の岸へ戻って来ましたが、初めから終りまで向うの人たちにはこちらの姿が見えなかったらしいということでした。
 これは作り話でなく、青州の節度使賀徳倹がとくけん魏博ぎはくの節度使楊厚ようこうなどという偉い人びとが、その商人あきんどの口から直接に聴いたのだと申します。

   蛇喰い

 安陸あんりくもうという男は毒蛇を食いました。食うといっても、酒と一緒に呑むのだそうですが、なにしろ変った人間で、蛇食い又は蛇使いの大道だいどう芸人となって諸国を渡りあるいた末に、予章よしょうという所に足をとどめて、やはり蛇を使いながら十年あまりも暮らしていました。
 すると、ここにたきぎを売る者がありまして、※(「番+おおざと」、第3水準1-92-82)はんようから薪を船に積んで来て、黄培山こうばいさんの下に泊まりますと、その夜の夢にひとりの老人があらわれて、わたしが頼むから、一匹の蛇を江西のもうという蛇使いの男のところへ届けてくれと言いました。そこで、その人は予章へ行って、毛のありかを探しているうちに、持って来た薪も大抵は売り尽くしてしまいました。
 そのときに一匹の蒼白い蛇が船舷ふなぞこにわだかまっているのを初めて発見しましたが、蛇は人を見てもおとなしくとぐろを巻いたままで逃げようともしません。さてはこの蛇だなと気がついて、それを持って岸へあがりますと、ようように毛という男の居どころが判りました。
 毛はその蛇を受取って引き伸ばそうとすると、蛇はたちまちに彼の指を強く噛みましたので、毛はあっと叫んで倒れましたが、それぎりで遂に死んでしまいました。そうして、その死骸は間もなく腐ってくずれました。
 蛇はどこへ行ったか、そのゆくえは知れなかったそうです。

   地下の亀

 李宗りそうが楚州の刺史しし(州の長官)となっている時、その郡ちゅうにひとりの尼がありまして、ある日、町なかをあるいていると、たちまち大地に坐ったままで動かなくなりました。おまけに幾日も飲まず食わずにいるのです。
 その訴えを聞いて、李は武士らに言い付けて無理にその尼のからだを引き起して、試みにその坐っていた地の下をほり返してみると、長さ五、六尺の大きい亀があらわれました。亀は生きているので、川へ放してやりました。
 尼はその後、別条もありませんでした。

   剣

 けん州の梨山廟りざんびょうというのは、もとの宰相李廻りかいまつったのだと伝えられています。李は左遷されて建州の刺史となって、臨川りんせんに終りましたが、その死んだ夜に、建安けんあんの人たちは彼が白馬に乗って梨山に入ったという夢をみたので、そこに廟を建てることになったのだそうです。
 という大将が兵を率いて晋安しんあんに攻め向うことになりました。呉は新しくらせた剣を持っていまして、それが甚だよく切れるのです。彼は出陣の節に、その剣をたずさえて梨山の廟に参詣しました。
「どうぞこの剣で、手ずから十人の敵を斬り殺させていただきとうございます」と、彼は神前に祈りました。
 その夜の夢に、神のお告げがありました。
「人は悪い願いをかけるものではない。しかし私はおまえをたすけて、お前が人手にかからないように救ってやるぞ」
 いよいよ合戦になると、呉の軍は大いに敗れて、左右にいる者もみな散りぢりになりました。敵は隙間なく追いつめて来ます。
 とても逃げおおせることは出来ないと覚悟して、呉はかの剣をもってみずから首をねて死にました。



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