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中国怪奇小説集(ちゅうごくかいきしょうせつしゅう)03

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-27 17:40:38 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 中国怪奇小説集
出版社: 光文社文庫、光文社
初版発行日: 1994(平成6)年4月20日
入力に使用: 1994(平成6)年4月20日初版1刷

 

中国怪奇小説集

捜神記(六朝)

岡本綺堂




 主人の「開会の辞」が終った後、第一の男は語る。
「唯今御主人から御説明がありました通り、今晩のお話は六朝りくちょう時代から始める筈で、わたくしがその前講ぜんこうを受持つことになりました。なんといっても、この時代の作で最も有名なものは『捜神記』で、ほとんど後世こうせいの小説の祖をなしたと言ってもよろしいのです。
 この原本の世に伝わるものは二十巻で、しん干宝かんぽうせんということになって居ります。干宝は東晋の元帝げんていに仕えて著作郎ちょさくろうとなり、博覧強記をもって聞えた人で、ほかに『晋紀』という歴史も書いて居ります。、但し今日になりますと、干宝が『捜神記』をかいたのは事実であるが、その原本は世に伝わらず、普通に流布するものは偽作ぎさくである。たとい全部が偽作でなくても、他人の筆がまじっているという説が唱えられて居ります。これは清朝しんちょう初期の学者たちが言い出したものらしく、また一方には、たといそれが干宝の原本でないとしても、六朝時代に作られたものに相違ないのであるから、後世の人間がいい加減にこしらえた偽作とは、その価値が大いに違うという説もあります。
 こういうむずかしい穿索せんさくになりますと、浅学のわれわれにはとても判りませんから、ともかくも昔から言い伝えの通りに、晋の干宝の撰ということに致して置いて、すぐに本文ほんもんの紹介に取りかかりましょう」

   首の飛ぶ女

 しんの時代に、南方に落頭民らくとうみんという人種があった。そのかしらがよく飛ぶのである。その人種の集落に祭りがあって、それを虫落ちゅうらくという。その虫落にちなんで、落頭民と呼ばれるようになったのである。
 の将、朱桓しゅかんという将軍がひとりの下婢かひを置いたが、その女は夜中にねむると首がぬけ出して、あるいは狗竇いぬくぐりから、あるいは窓から出てゆく。その飛ぶときは耳をもってつばさとするらしい。そばに寝ている者が怪しんで、夜中にその寝床を照らしてると、ただその胴体があるばかりで首が無い。からだも常よりは少しく冷たい。そこで、その胴体によぎをきせて置くと、夜あけに首が舞い戻って来ても、衾にささえられて胴に戻ることが出来ないので、首は幾たびか地にちて、その息づかいも苦しくせわしく、今にも死んでしまいそうに見えるので、あわてて衾を取りのけてやると、首はとどこおりなく元に戻った。
 こういうことがほとんど毎夜くり返されるのであるが、昼のあいだは普通の人とちっとも変ることはなかった。それでも甚だ気味が悪いので、主人の将軍も捨て置かれず、ついにひまを出すことになったが、だんだん聞いてみると、それは一種の天性で別に怪しい者ではないのであった。
 このほかにも、南方へ出征の大将たちは、往々おうおうこういう不思議の女に出逢った経験があるそうで、ある人は試みに銅盤をその胴体にかぶせて置いたところ、首はいつまでも戻ることが出来ないで、その女は遂に死んだという。

   ※[#「けものへん+矍」、23-4]

 しょくの西南の山中には一種の妖物ようぶつが棲んでいて、その形は猿に似ている。身のたけは七尺ぐらいで、人の如くに歩み、つ善く走る。土地の者はそれを※(「けものへん+暇のつくり」、第4水準2-80-45)かこくといい、又は馬化ばかといい、あるいは※猿かくえん[#「けものへん+矍」、23-7]とも呼んでいる。
 かれらは山林の茂みにひそんでいて、往来の婦女を奪うのである。美女は殊に目指される。それを防ぐために、ここらの人たちが山中を行く時には、長い一条の縄をたずさえて、互いにその縄をつかんで行くのであるが、それでもいつの間にか、その一人または二人をさらって行かれることがしばしばある。
 かれらは男と女のにおいをよく知っていて、決して男を取らない。女を取れば連れ帰って自分の妻とするのであるが、子を生まない者はいつまでも帰ることを許されないので、十年の後には形も心も自然にかれらと同化して、ふたたび里へ帰ろうとはしない。
 もし子を生んだ者は、母に子を抱かせて帰すのである。しかもその子を育てないと、その母もかならず死ぬので、みな恐れて養育することにしているが、成長の後は別に普通の人と変らない。それらの人間はみなようという姓を名乗っている。今日、蜀の西南地方で楊姓を呼ばれている者は、大抵その妖物の子孫であると伝えられている。

   琵琶鬼

 赤烏せきう三年、句章こうしょうの農夫楊度ようたくという者が余姚よちょうというところまで出てゆくと、途中で日が暮れた。
 ひとりの少年が琵琶びわをかかえて来て、楊の車に一緒に載せてくれというので、承知して同乗させると、少年は車中で琵琶数十曲をひいて聞かせた。楊はいい心持で聴いていると、曲終るや、かの少年はたちまち鬼のような顔色に変じて、眼をいからせ、舌を吐いて、楊をおどして立ち去った。
 それから更に二十里(六ちょう一里。日本は三十六丁で一里)ほど行くと、今度はひとりの老人があらわれて、楊の車に載せてくれと言った。前に少しくりてはいるが、その老いたるをあわれんで、楊は再び載せてやると、老人は王戒おうかいという者であるとみずから名乗った。楊は途中で話した。
「さっき飛んだ目に逢いました」
「どうしました」
「鬼がわたしの車に乗り込んで琵琶を弾きました。鬼の琵琶というものを初めて聴きましたが、ひどくかなしいものですよ」
「わたしも琵琶をよく弾きます」
 言うかと思うと、かの老人は前の少年とおなじような顔をして見せたので、楊はあっと叫んで気をうしなった。



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