狸老爺 晋の時、
呉興の農夫が二人の息子を持っていた。その息子兄弟が田を
耕していると、突然に父があらわれて来て、
子細も無しに兄弟を
叱り散らすばかりか、果ては追い撃とうとするので、兄弟は逃げ帰って母に訴えると、母は
怪訝な顔をした。
「お
父さんは
家にいるが……。まあ、ともかくも訊いてみよう」
訊かれて父はおどろいた。自分はさっきから家にいたのであるから、田や畑へ出て行って息子たちを叱ったり殴ったりする筈がない。それは何かの妖怪がおれの姿に化けて行ったに相違ないから、今度来たらば斬り殺せと言い付けたので、兄弟もそのつもりで刃物を用意して行った。
こうして息子らを出してやったものの、父もなんだか不安であるので、やがて後から様子を見とどけに出てゆくと、兄弟はその姿を見て刃物を
把り直した。
「化け物め、また来たか」
父は言い訳をする間もなしに斬り殺されてしまった。兄弟はその正体を見極めもせずに、そこらの土のなかに埋めて帰ると、家には父がかれらの帰るのを待っていた。
「化け物めを退治して、まずまずめでたい」と、父も息子らもみな喜んだ。化け物が父に変じていることを兄弟は
覚らなかった。
幾年か過ぎた後、ひとりの法師がその家に来て兄弟に注意した。
「おまえ達のお
父さんには怖ろしい邪気が見えますぞ」
それを聞いて、父は大いに怒って、そんな奴は早速
逐い出してしまえと息子らに言い付けた。それを聞いて、法師も怒った。かれは声を
しゅうして家内へ跳り込むと、父は忽ち大きい古狸に変じて床下へ逃げ隠れたので、兄弟はおどろきながらも追いつめて、遂に生け捕って
撲ち殺した。
不幸な兄弟はこの古狸にたぶらかされて、真の父を殺したのである。一人は憤恨のあまりに自殺した。一人も
懊悩のために病いを発して死んだ。
虎の難産
廬陵の
蘇易という婦人は産婦の
収生をもって世に知られていたが、ある夜外出すると、忽ち虎に
啣えて行かれた。
彼女はすでに死を覚悟していると、行くこと六、七里にして大きい
塚穴のような所へ行き着いた。虎はここで彼女を下ろしたので、どうするのかと思ってよく視ると、そこには一頭の
牝の虎が難産に苦しんでいるのである。
さてはと覚って手当てをしてやると、虎はつつがなく三頭の子を生み落した。それが済むと、虎は再び彼女を啣えて元の所まで送り還した。
その後、幾たびか蘇易の門内へ野獣の肉を送り込む者があった。
寿光侯
寿光侯は漢の
章帝の時の人である。彼はあらゆる鬼を祈り伏せて、よくその正体を見あらわした。その郷里のある女が
妖魅に取りつかれた時に、寿は何かの法をおこなうと、長さ幾丈の
大蛇が門前に死んで横たわって、女の病いはすぐに平癒した。
また、大樹があって、人がその下に止まると忽ちに死ぬ、鳥が飛び過ぎると忽ちに
墜ちるというので、その樹には
精があると伝えられていたが、寿がそれにも法を施すと、
盛夏にその葉はことごとく枯れ落ちて、やはり幾丈の大蛇が樹のあいだに
懸って死んでいた。
章帝がそれを聞き伝えて、彼を召し寄せて事実の有無をたずねると、寿はいかにも覚えがあると答えた。
「実は宮中に妖怪があらわれる」と、帝は言った。「五、六人の者が紅い着物をきて、長い髪を振りかぶって、火を持って
徘徊する。お前はそれを鎮めることが出来るか」
「それは
易いことでございます」
寿は受けあった。そこで、帝は侍臣三人に言いつけて、その通りの扮装をさせて、夜ふけに宮殿の下を往来させると、寿は
式の如くに法をおこなって、たちまちに三人を地に仆した。かれらは気を失ったのである。
「まあ、待ってくれ」と、帝も驚いて言った。「かれらはまことの妖怪ではない。実はおまえを試してみたのだ。殺してくれるな」
寿が法を解くと、三人は再び正気に
復った。
天使
糜竺は東海の
というところの人で、先祖以来、
貨殖の道に
長けているので、家には巨万の財をたくわえていた。
あるとき彼が
洛陽から帰る途中、わが家に至らざる数十里のところで、ひとりの美しい花嫁ふうの女に出逢った。女はその車へ一緒に載せてくれと頼むので、彼は承知して載せてゆくと、二十里ばかりの後に女は礼をいって別れた。そのときに彼女は又こんなことをささやいた。
「実はわたしは天の使いで、これから東海の糜竺の家を焼きに行くのです。ここまで載せて来て下すったお礼に、それだけのことを洩らして置きます」
糜はおどろいて、なんとか勘弁してくれるわけには行くまいかとしきりに嘆願すると、女は考えながら言った。
「何分にもわたしの役目ですから、焼かないというわけには行きません。しかし折角のお頼みですから、わたしは
徐かに行くことにします。あなたは早くお帰りなさい。日中には必ず火が起ります」
彼はあわてて家へ帰って、急に家財を運び出させると、果たして日中に大火が起って、一家たちまち全焼した。
蛇蠱 陽郡に
廖という一家があって、代々一種の
蠱術をおこなって財産を作りあげた。ある時その家に嫁を貰ったが、蠱術のことをいえば怖れ嫌うであろうと思って、その秘密を洩らさなかった。
そのうちに、家内の者はみな外出して、嫁ひとりが留守番をしている日があった。
家の隅に一つの大きい
瓶が据えてあるのを、嫁はふと見つけて、こころみにその
蓋をあけて覗くと、内には大蛇がわだかまっていたので、なんにも知らない嫁はおどろいて、あわてて熱湯をそそぎ込んで殺してしまった。家内の者が帰ってから、嫁はそれを報告すると、いずれも顔の色を変えて驚き憂いた。
それから暫くのうちに、この一家は疫病にかかって殆んど死に絶えた。
螻蛄
廬陵の太守
企の家では
螻蛄を祭ることになっている。
何ゆえにそんな虫を祭るかというに、幾代か前の先祖が何かの
連坐で獄屋につながれた。身におぼえの無い罪ではあるが、拷問の責め苦に堪えかねて、遂に服罪することになったのである。彼は無罪の死を嘆いている時、一匹の螻蛄が自分の前を這い歩いているのを見た。彼は憂苦のあまりに、この小さい虫にむかって愚痴を言った。
「おまえに霊があるならば、なんとかして私を救ってくれないかなあ」
食いかけの飯を投げてやると、螻蛄は残らず食って行ったが、その後ふたたび這い出して来たのを見ると、その形が前よりも余ほど大きくなったようである。不思議に思って、毎日かならず飯を投げてやると、螻蛄も必ず食って行った。そうして、数十日を経るあいだに虫はだんだんに生長して犬よりも大きくなった。
刑の執行がいよいよ明日に迫った前夜である。
大きい虫は獄屋の壁のすそを掘って、人間が這い出るほどの穴をこしらえてくれた。彼はそこから抜け出して、一旦の命を生きのびて、しばらく潜伏しているうちに、測らずも
大赦に逢って
青天白日の身となった。
その以来、その家では代々その虫の祭祀を続けているのである。
父母の霊
劉根は
字を
君安といい、
長安の人である。漢の
成帝のときに
嵩山に入って異人に仙術を伝えられ、遂にその秘訣を得て、心のままに鬼を使うことが出来るようになった。
頴川の太守、
史祈という人がそれを聞いて、彼は妖法をおこなう者であると認め、役所へよび寄せて成敗しようと思った。召されて劉が出頭すると、太守はおごそかに言い渡した。
「貴公はよく人に鬼を見せるというが、今わたしの眼の前へその姿をはっきりと見せてくれ。それが出来なければ
刑戮を加えるから覚悟しなさい」
「それは訳もないことです」
劉は太守の前にある筆や
硯を借りて、なにかの
御符をかいた。そうして、机を一つ叩くと、忽ちそこへ五、六人の鬼があらわれた。鬼は二人の囚人を縛って来たので、太守は眼を据えてよく視ると、その囚人は自分の父と母であった。父母はまず劉にむかって謝まった。
「
小忰めが飛んだ無礼を働きまして、なんとも申し訳がございません」
かれらは更に我が子を叱った。
「貴様はなんという奴だ。先祖に光栄をあたえる事が出来ないばかりか、かえって神仙に対して無礼の罪をかさね、生みの親にまでこんな難儀をかけるのか」
太守は実におどろいた。彼は
俄かに劉の前に
頭をすり付けて、無礼の罪を泣いて
詫びると、劉は黙って
何処へか立ち去った。
無鬼論
阮瞻は
字を
千里といい、平素から無鬼論を主張して、鬼などという物があるべき筈がないと言っていたが、誰も正面から議論をこころみて、彼に勝ち得る者はなかった。阮もみずからそれを誇って、この理をもって
推すときは、世に幽と明と二つの
界があるように伝えるのは誤りであると唱えていた。
ある日、ひとりの見識らぬ客が阮をたずねて来て、
式のごとく時候の挨拶が終った後に、話は鬼の問題に移ると、その客も大いに才弁のある人物で、この世に鬼ありと言う。阮は例の無鬼論を主張し、たがいに激論を闘わしたが、客の方が遂に言い負かされてしまった。と思うと、彼は怒りの色をあらわした。
「鬼神のことは古今の聖人
賢者もみな言い伝えているのに、貴公ひとりが無いと言い張ることが出来るものか。論より証拠、わたしが即ち鬼である」
彼はたちまち
異形の者に変じて消え失せたので、阮はなんとも言うことが出来なくなった。彼はそれから心持が悪くなって、一年あまりの後に病死した。