三
「その狐は顔だけが雪のように白うて、胴体や四足の毛は黄金(こがね)のように輝いて、しかもその尾は九つに裂けていたそうな」 四十前後の旅びとは額(ひたい)を皺めて怖ろしそうに語った。それを黙って聴いている若い旅びとは千枝太郎であった。それを語っている旅びとは陸奥(みちのく)から戻って来た金売(かねう)りの商人(あきうど)であった。大きい利根川の水もこの頃は冬に痩せて、限りもない河原の石が青い空の下に白く光っていた。ふたりの旅人はその石に腰をかけて、白昼(まひる)の暖かい日影を背に負いながら並び合っていた。 「それほどの狐であったら、容易に狩り出されそうもないものじゃに……」と、千枝太郎は独り言のように言った。 「なんでも七日あまりはその隠れ場所も知れなんだが、朝から折りおりに陰って大きい霰が降って来た日の午(ひる)過ぎじゃ」と、金売りの商人は語りつづけた。「どこからとも知れずに一本の白い幣束(へいそく)が宙を飛んで来て、薄(すすき)むらの深いところに落ちたかと思うと、人も馬も吹き倒すような怖ろしい風がどっと吹き出して、その薄むらの奥からかの狐があらわれた。それを三浦と上総の両介どのが追いすがって、犬追(いぬお)う物(もの)のようにして射倒されたということじゃが、その執念は怖ろしい。その弓に射られて倒れたかと思うと、その狐の形はたちまちに大きい石になったそうな」 「石になった」と、千枝太郎は眼をみはった。 「おお、不思議な形の石になった」と、旅商人はうなずいた。「いや、そればかりでない。その石のほとりに近寄るものは忽ちに眼が眩(ま)うて倒れる。獣もすぐに斃(たお)れる。空飛ぶ鳥ですらも、その上を通れば死んで落つる」 「それは定(じょう)か。まことの事か」 「なんでいつわりを言おうぞ。わしはあの地を通り過ぎて、土地の人から詳しゅう聞いて来たのじゃ。石は殺生石(せっしょうせき)と恐れられて、誰も近寄ろうとはせぬほどに、そのあたりには人の死屍(しかばね)や、獣(けもの)の骨や鳥の翅(つばさ)や、それがうず高く積み重なって、まるで怖ろしい墓場の有様じゃという。お身も陸奥へ旅するならば、心して那須野ケ原を通られい。忘れてもその殺生石のほとりへ近寄ってはならぬぞ」 「そのような怖ろしい話はわしも初めて聞いた」と、千枝太郎は深い考えに沈みながら言った。「では、その石に魂が残っているのかのう」 「おそろしい執念が宿っているのじゃ。どの人も皆そう言うている。旅に馴れたわしですらもその話を聞くと身の毛がよだって、わき眼も振らずに駈けぬけて通って来た。お身たちは年が若いで、物珍しさにその殺生石のそばへなど迂闊に近寄ろうも知れぬが、それは命が二つある人のすることじゃ。わしの意見を忘れまいぞ」 その親切な意見も耳に沁みないように、千枝太郎は大きい眼をかがやかして川むこうの空を眺めていた。師匠の泰親が見透した通り、彼は都の屋敷をぬけ出して、この東国まで遥々とさまよい下ったのであった。なんのためにここまでたずねて来たか。彼は玉藻が魔女であることをよく知っていた。彼はもうそれを疑う余地はなかった。異国から飛び渡った金毛九尾の悪獣が藻という乙女のからだを仮りて、世に禍いをなそうとしたのを、師匠の泰親に祈り伏せられて、三浦と上総とに射留められたのである。それをいっさい承知していながらも、彼はやはり昔の藻が恋しかった。今の玉藻が慕わしかった。 魔女でもよい。悪獣でもよい。せめて死に場所を一度たずねてみたい。――こうした思いに堪え切れないで、彼は師匠の家をとうとう迷い出た。寂しいひとり旅の日数も積もって、茅萱(ちかや)の繁った武蔵の里をゆき尽くして、利根の河原にたどり着いたときに、彼は陸奥から帰る金売りの商人(あきうど)に遇って那須野の怪しい物語を聞かされたのであった。しかし彼の心はその奇怪に驚かされるよりも、むしろ一種の心強い感じに支配されていた。玉藻はむなしくほろび失せても、その魂は石に宿って生けるように残っている。それが事実である以上、彼は果てしも知れない那須野ケ原にさまよって、そことも分からない玉藻の死に場所をあさり歩くには及ばない。彼女の魂のありかは確かにそこと見きわめられたのである。千枝太郎はわざわざたずねて来た甲斐があったように嬉しく感じた。 「いろいろのお心添え、かたじけのうござった」 彼はここで都へ帰る商人にわかれた。そうして再び北へむかって急いで行った。それから幾日の後に野州の土を踏んで、土地の人にきいてみると、殺生石のうわさは嘘でなかった。彼はわざと真夜中を選んで、那須野の奥へ忍んで行った。 十一月なかばの夜も更けて、見果てもない那須の篠原には雪のように深い霜がおりていた。物凄いほど高く冴え渡った冬の月が、その霜に埋められた枯れすすきを無数の折れた剣(つるぎ)のようにきらめかせているばかりで、そこには鳥の啼く声も聞こえなかった。獣の迷う影も見えなかった。野州から陸奥(みちのく)につづく大きい平原は、大きい夜の底に墓場のように静かに眠っていた。 事実に於いて、そこは怖ろしい墓場であった。金売りの商人が話した通りに、原の奥には大きい奇怪な石が横たわって、そのあたりには無数の骨や羽が累々(るいるい)と積みかさなっていた。千枝太郎は笠の檐(のき)も隠されるほど高い枯れすすきを泳ぐように掻きわけて、そこらにうず高い骸骨の山を踏み越えながら、ようようのことで石と向かい合って立った。風のない夜で、彼を取り巻いているすすきも茅萱もそよりとも動かなかった。石も動かなかった。 千枝太郎は玉藻のたましいを宿したその石を月明かりでしばらく眺めていた。彼は玉藻のために後世(ごせ)を祈ろうとも思っていなかった。畜生にむかって菩提心をおこせと勧めようとも思っていなかった。彼はただ、藻(みくず)と玉藻(たまも)とを一つにあつめたその魔女が恋しいのである。石をじっと見つめている彼の眼からは、とどめ難い涙がはらはらとこぼれ、彼は堪まらなくなって、石にむかって呼んだ。 「藻よ、玉藻よ、千枝太郎じゃ」 石は彼の思いなしか、それに応(こた)えるように、ゆらゆらと揺るぎ始めた。彼はつづけて呼んでみた。 「藻よ。玉藻よ……。千枝太郎がたずねて来たぞ」 石は又ゆらめいた。そうして、ひとりの艶(あで)やかな上臈(じょうろう)の立ち姿がまぼろしのように浮き出て来た。柳の五つ衣(ぎぬ)にくれないの袴をはいて、唐衣(からごろも)をかさねた彼女の姿は、見おぼえのある玉藻であった。 「千枝太郎どの、ようぞ訪ねて来てくだされた。そのこころざしの嬉しさに、再び昔の形を見せまする」 寒月に照らされた彼女は、むかしのように光り輝いていた。千枝太郎は夢心地で走り寄ろうとするのを、彼女は檜扇で払い退(の)けるようにさえぎった。 「それほどのこころざしがあるならば、なぜ今までにわたしの親切を仇(あだ)にして、お師匠さまの味方をせられた。又いっときなりとも三浦の娘に心を移された。それが憎い、怨めしい。今更なんぼう恋しゅう思われても、お前とわたしとの間には大きい関が据(す)えられた。寄ろうとしても寄られませぬぞ」 「それはわしの過失(あやまち)じゃ。免(ゆる)してたもれ」と、千枝太郎は枯草の霜に身をなげ伏して泣いた。「今までお身を疑うたはわしの過失じゃ。お身を恐れたは猶更のあやまちじゃ。魔女でも鬼女でも畜生でも、なつかしいと思うたら疑わぬ筈、恋しいと思うたら恐れぬ筈。それを疑い、それを恐れて、仇に月日を過ごしたばかりか、お師匠さまに味方してお身をかたきと呪うたは、千枝太郎が一生のあやまちじゃ。この通りに詫びる。こらえてたもれ」 彼は早く悪魔の味方にならなかったことを今更に悔やんだ。悪魔と恋して、悪魔の味方になって、悪魔と倶(とも)にほろびるのがむしろ自分の本望であったものをと、彼は膝に折り敷いた枯草を掻きむしって遣る瀬もない悔恨の涙にむせんだ。その熱い涙の玉の光るのを、玉藻はじっと眺めていたが、やがて優しい声で言った。 「お前はそれほどにわたしが恋しいか。人間を捨ててもわたしと一緒に棲みたいか」 「おお、一緒に棲むところあれば、魔道へでも地獄へでもきっとゆく」と、彼は堪えられない情熱に燃える眼を輝かして言った。 玉藻は美しく笑った。彼女はしずかに扇をあげて、自分の前にひざまずいている男を招いた。
ひとりの若い旅びとが殺生石を枕にして倒れているのを、幾日かの後に発見した者があった。その旅びとは微笑を含みながら平和の永い眠りに就いているらしかった。しかし怖ろしい墓場へ踏み込んで、その亡骸(なきがら)を取り片付ける者もなかったので、彼はそのままにいつまでも捨てて置かれた。そのうちに寒い冬が奥州の北から押し寄せて来て、那須野ケ原も一面の雪の底に埋められた。 あくる年の春が来て、殺生石は雪の底から再びその奇怪な形をだんだんに現わしたが、旅びとの姿はもう見えなかった。彼は融(と)ける雪と共に消えてしまったのかもしれない。 それから十年も経たないうちに、都には二度の大きい禍いが起こって、みやこは焚かれた。大勢の人は草を薙ぐように斬り殺された。保元(ほうげん)と平治(へいじ)の乱である。しかも古来の歴史家は、この両度の大乱の暗いかげに魔女の呪詛(のろい)の付きまつわっていることを見逃しているらしい。玉藻をほろぼした頼長は保元の乱の張本人となって、ぬしの知れない流れ矢に射られた。 信西入道はあくまでも狡獪(こうかい)なる態度を取って、前度の乱にはつつがなく逃れたが、後の平治の乱には彼が正面の敵と目指された。彼は逃れない運命を観じて、みずから土の中に生き埋めとなったのを、再び敵に掘り出されて、その老いたる法師首を獄門にかけられた。 玉藻のかたきは、こうしてみなむごたらしく亡ぼされてしまった。忠通は法性寺にかくれて剃髪した。泰親だけは無事に子孫繁昌した。 那須野の殺生石が玄翁(げんのう)和尚の一喝(かつ)によって砕かれたのは、それから百年の後であったと伝えられている。
底本:「修禅寺物語」光文社文庫、光文社 1992(平成4)年3月20日初版1刷発行 入力:tatsuki 校正:小林繁雄 ファイル作成:野口英司 2000年3月30日公開 2002年1月18日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表記について
本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。
小半※(こはんとき) 一※(とき)ほども猟りつくして やがてふた※(とき)にもなろうに 一※(いっとき)の後に いま一※ほどしたら 一※(いっとき)ほどの後に ふた※(とき)ほどもそこに立ち迷って ふた※(とき)ほども待ち暮らしたが 半※(はんとき)ほども前に 小半※の後 |
第3水準1-85-25 |
妖※(ようげつ) |
第4水準2-5-90 |
※(おいかけ)をつけて胡※(やなぐい)を負う |
第3水準1-90-11、第3水準1-89-79 |
牛車の※(はこ)にはいって |
第4水準2-89-66 | << 上一页 [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] 尾页
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