打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口

世界怪談名作集(せかいかいだんめいさくしゅう)九

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-27 10:20:41 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


       四

 九月十五日。きょうはフロラの誕生日なり。愛する乙女おとめの君よ。君のいわゆるボーイなる私が、頭の狂った船長のもとに、わずか数週間の食物しかなくて、氷のうちにとじこめられているのが、君にはむしろ見えないほうがいいのである。うたがいもなく、彼女はシェットランドからわれわれの消息が報道されているかどうかと、毎朝スコッツマン紙上の船舶欄を、眼を皿にして見ていることであろう。わたしは船員たちに手本を示すために、元気よく、平静をよそおっていなければならない。しかも神ぞ知ろしめす。――わたしの心は、しばしばはなはだ重苦しい状態にあることを――。
 きょうの温度は華氏十九度、微風あり。しかも不利なる方向より吹く。船長は非常に機嫌がいい。彼はまた何かほかの前兆か幻影を見たと想像しているらしい。ゆうべは夜通し苦しんだらしく、けさは早くわたしのへやへ来て、わたしの寝棚によりかかりながら、「あれは妄想であったよ。君、なんでもないのだよ」と、ささやいた。
 朝食後、彼は食物がまだどれほどあるかを調べて来るように、わたしに命じたので、早速二等運転士とともに行ったところ、食物は予期したよりも遙かに少なかった。船の前部に、ビスケットの半分ばかりはいったタンクが一つと、塩漬けの肉が三樽、それから極めてわずかのコーヒーの実と、砂糖とがある。また、後船鎗と戸棚の中とに、鮭の鑵詰、スープ、羊肉の旨煮うまに、その他のご馳走がある。しかし、それとても五十人の船員が食ったらば、またたくひまに無くなってしまうことであろう。なお貯蔵室にこな二樽と、それから数の知れないほどに煙草がたくさんある。それら全体を引っくるめたところで、各自の食量を半減して、約十八日乃至ないし二十日間ぐらいを支え得るだけのものがある――おそらく、それ以上はとうてい困難であろう。
 われわれ両人がこの事情を報告すると、船長は全員をあつめて、後甲板の上から一場の訓示を試みた。私はこの時ほどの立派な彼というものを今まで見たことがない。丈高く引きしまった体躯、色やや浅黒く溌剌たる顔、彼はまさに支配者として生まれて来たもののようであった。彼は冷静な海員らしい態度で、じゅんじゅんとして現状を説いた。その態度は、一方に危険を洞察しながら、他方にありとあらゆる脱出の機会を狙っていることを示すものであった。
「諸君」と、彼は言った。「諸君はうたがいもなく、この苦境に諸君をおとしいれたものは、このわしであると思っていられるであろう。そうして、おそらく諸君のうちにはそれをにがにがしく思っている者もあるであろう。しかし多年の間、このシーズンにここへ来る船のうちで、どの船であろうとも、わが北極星号のごとく多くの鯨油の金をもたらしたものはなく、諸君も皆その多額の分配にあずかってきたことを、心にきざんでおいてもらわなければならない。意気地いくじなしの水夫どもは娘っ子たちに会いたがって村へ帰ってゆくのに、諸君らは安んじてその妻をあとに残しておいて来たのである。そこで、もし諸君が金儲けが出来たためにわしに感謝しなければならぬというのならば、この冒険に加わって来たことに対しても、当然、わしに感謝していいはずで、つまりこれはお互いさまというものである。大胆な冒険を試みて成功したのであるから、今また一つの冒険を企てて失敗しているからといって、それをとやかく言うにはあたらない。たとい最も悪い場合を想像してみても、われわれは氷を横切って陸に近づくことも出来る。海豹あざらしの貯蔵のなかにていれば、春まではじゅうぶん生きてゆかれる。しかし、そんな悪いことはめったに起こるものでない。三週間と経たないうちに、諸君は再びスコットランドの海岸を見るであろう。それにしても現在においては、いやとも各自の食量を半減してもらわなければならない。同じように分配して、誰も余計にとるようなことがあってはならない。諸君は心を強く持ってもらいたい。そうして、以前に多くの危険をしのいできたように、この後なおいっそうの努力をもってそれを防がなければならない」
 彼のこの言葉は、船員らに対して驚くべき効果をあたえた。今までの彼の不人気は、これによってすっかり忘れられてしまった。迷信家の魚銛発射手の老人がまず万歳を三唱すると、船員一同は心からこれに合唱したのであった。

 九月十六日。風は夜の間に北に吹き変わって、氷はけそうな徴候を示した。食糧を大いに制限されたにもかかわらず、船員らはみな機嫌をよくしている。もし危険区域脱出の機会が見えたらば、少しの猶予ゆうよもないようにと、機関室には蒸気が保たれて、出発の用意が整っている。
 船長はまだ例の「死」のそうから離れないが、元気は旺溢おういつしている。こう突然に愉快そうになったので、私はさきに彼が陰気であった時よりも更に面喰らった。わたしには到底とうていこれを諒解することが出来ない。私はこの日誌の初めの方にそれを挙げたと思うが、船長の奇癖のうちに、彼はけっして他人を自分の部屋へ入れないことがある。現に今もなおそれを実行しているのであるが、彼は自身で寝床を始末し、ほかの船員らにもこれを実行させている。ところが、驚いたことには、きょうその部屋の鍵をわたしに渡して、その船室へ降りて行って、彼が正午の太陽の高度を測っている間、船長の時計で時間タイムを取るようにと私に命令したのであった。
 部屋は洗面台と数冊の書籍とをそなえた飾り気のない小さいへやである。壁にかけられた若干じゃっかんの絵のほかには、ほとんど何の装飾もない。それらの多くは油絵まがいの安っぽい石版画であるが、ただ一つわたしの注意をひいたのは、若い婦人の顔の水彩画であった。
 それは明らかに肖像画であって、舟乗りなどが特に心をかれるような、想像的タイプの美人ではなかった。どんな画家でも、こんな性格と弱さとが妙に混淆こんこうしたところのものを、その内面的から描き出すことは、なかなかむずかしいことであったろう。睫毛まつげの垂れた不活発そうな物憂い眼と、そうして思案にも心配にも容易に動かされないような、広い平らな顔とは、綺麗に切れて浮き出したあごや、きっと引き締まった下唇と、強い対照をなしていた。肖像画の一方の下隅に、「エム・ビー、年十九」と書かれていた。わずか十九年の短い生涯に、彼女の顔に刻まれたような強い意志の力をあらわし得るとは、その時わたしにはほとんど信じられなかった。彼女は定めて非凡な婦人であったに相違なく、その容貌はわたしに非常な魅力をあたえた。私は単にちらりと見ただけであったが、もしわたしが製図家であるならば、この日記に彼女の容貌のあらゆる点を描き出すことがきっと出来るであろう。
 彼女はわが船長の生涯において、いかなる役割りを演じたのであろうか。船長はこの絵をその寝床のはしにかけておくので、彼の眼は絶えずこの画の上にそそがれているはずである。もし船長がもっと無遠慮であったらば、何かこのことに関して観察することも出来たのであろうが、彼は無口で控え目の性質であったので、奥深く観察が出来なかったのである。
 彼の室内のほかのものについては、なんら記録にあたいするようなものはなかった。――すなわち船長服、携帯用の床几、小形の望遠鏡、煙草のかん、いくつかのパイプ及び水煙管みずぎせる――ちなみに、この水煙管は船長が戦争に参加したというミルン氏の物語に少しく色をつけるが、その連想はむしろ当たらないらしい。
 午後十一時二十分。船長は長いあいだ雑談に花を咲かせた後、たった今寝床についた。彼が気の向いているときは、実に惚れぼれするようないい相手である。非常に博識で、しかも独断的に見ゆることなしに、強く自己の意見を表示する力を持っている。それを思うと、わたしは自分の頭のよく働かないのがいやになる。
 彼は霊魂の性質について話した。そうして、アリストテレスやプラトンの説をよく消化して、問題のうちに点出した。彼は輪廻りんねを学び、ピタゴラス(紀元前のギリシャの哲学者)の説を信ずるもののようである。それらを論じているうちに、われわれは降神術の問題に触れた。私はスレードの詐欺に対して、ふざけた引喩いんゆをしたところ、彼は有罪と無罪とを混同しないようにと、はなはだ熱心にわたしに向かって警告した。そうして、キリスト教と邪教とをひとしく心に刻するのは正しい議論である、なぜなれば、キリスト教をいつわりよそおったユダは悪漢わるものであったと彼は論じた。それから間もなく、彼はおやすみと言って、自分の部屋へ退いて行った。
 風は新たになり、確かに北から吹いている。夜は英国の夜のごとくに暗い。あすは、この氷の桎梏かせからのがれ得ることを祈る。

 九月十七日。再びお化け騒ぎ。ありがたいことに、わたしは至極大胆である。意気地のない水夫らの迷信と、熱心なる自信をもってかれらが語る詳細の報告とは、かれらの平生に慣れていない者を戦慄させるであろう。
 妖怪事件については、多くの説がある。しかしそれらを要約すれば、何か怪しいものが船の周囲を終夜飛びあるくというのである。ピーターヘッドのサイディ・ムドナルドもそれを見たと言い、シェットランドの背高せいたかのっぽうのピーター・ウィリアムソンもそれを見たと言い、ミルン氏もまたブリッジで確かに見たという。これで都合三人の証人があるので、二等運転士が見た時よりは、船員の主張がいっそう有力になってきた。
 朝食の後、私はミルン氏に話して、こういうばかばかしいことには超然としていなければならず、また、ほかの船員らによい手本を示さなければならないと言ってやった。ところが、彼は例によって何かを予言するように、風雨にさらされたその頭をふって、特殊の注意を払いながら答えたのは、こうであった――。
「おそらくそうであるかもしれず、そうでないかもしれないよ、ドクトル」と、彼は言った。「僕はそれを幽霊と呼びはしなかった。これについてはいろいろの言い分もあるが、僕は海お化けや、この種のものについて、自分の信条を本当らしく言いこしらえるようなことはしないつもりだ。僕はむやみに怖がるのではない。しかし明かるい日中にとやかく言わず、もし君がゆうべ僕と一緒にいて、あの怖ろしい形をした、白い無気味ぶきみなものが、あっちへ行ったり、こっちへ来たりして、ちょうど母親を失った仔羊こひつじのように、闇のなかを泣き叫ぶのを見たら、おそらく君だってぞっとしたろうと思う。そうすれば、君も、ばかばかしい話だなどと、そう簡単には片付けてしまわないだろうよ」
 わたしは彼を説きつける望みはないと思って、この次にもしまた幽霊があらわれたらば、私を呼び上げてくれるように特に頼んでおくのほかはなかった。――この頼みを、彼は「そのような機会はけっして来ないように」との願いをあらわす祈りのことばをもって、ともかくも承知だけはすることになった。



打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口