四
この場合ですから、会津屋でもむやみに騒ぐのでしょうが、お由はまだほんとうに家出したかどうだか判ったものではないと、利吉の帰ったあとでわたくしは考え直しました。そう思っても何だか不安心で、母の帰るのをいよいよ待っていますと、五つ(午後八時)をよほど過ぎた頃に、母は汗をふきながら帰って来ました。それでもほっとしたような顔をして、笑いながら話しました。 「およっちゃんは人騒がせに何を言ったんだろう。ふうちゃんは京橋のお店にちゃんと勤めているんだよ。」 わたくしもまずほっとしました。 「それからいろいろ訊いてみたけれど、あの子はまったくなんにも知らないんだよ。およっちゃんももう十六だから、何かやきもちを焼いて、そんな詰まらないことを言ったんだろうが……。」と、母は嘲るようにまた笑いました。「人騒がせでも何でも構わない。それが嘘でまあまあよかったよ。もし本当だった日には、それこそ実に大変だからねえ。」 母は安心したとみえて、暑いのも疲れたのも忘れたように、馬鹿に機嫌がいいのでございます。 それをまたおどろかすのも気の毒でしたけれども、しょせん黙ってはいられないことですから、叔母がたずねて来たことと、お由が家出をしたらしいことを、逐一に話してきかせますと、母は「まあ」と言ったばかりで、折角の笑い顔がまた俄かにくもってしまいました。 「困ったねえ。まあ、なにしろ行ってみよう。」 くたびれ足を引摺って、母はすぐに会津屋へ出かけて行きました。きのうから今日にかけて、新宿の女が雷に撃たれる。会津屋の姉妹のむすめが家出をする。叔父はどうしているのか判らない。よくもいろいろの事がそれからそれへと続くものだと思うと、もしや夢でも見ているのではないか。夢ならば早く醒めてくれればいいと祈っていました。暫くして母が帰って来まして、お由はまだ帰って来ない、どうも家出をしたらしいというのでございます。 「叔母さんはどうして……。」 「叔母さんは市ヶ谷から帰って来たけれど……。いよいよぼんやりしてしまって、本当に気の毒でならない。今度は叔母さんが気でも違やあしないかと思うと、心配だよ。」 この上に叔母が気違いにでもなったらば、会津屋は闇です。母も幾らか捨て鉢になったとみえて、溜息をつきながらこんな事を言い出しました。 「ああ、いくら気を揉んだって仕方がない。こんなことになるのも何かの因縁だろうよ。」 まったく何かの因縁とでも諦めるのほかはありません。しかしそう諦めなければならないというのがいかにも悲しいことでございます。お由が帰ればすぐに知らせて来る筈になっているので、表を通る足音ももしやそれかと待ち暮らしていましたが、会津屋から何の知らせもありませんでした。母もわたくしも心配しながら寝床にはいりましたが、ゆうべもよく眠られませんでしたので、年のゆかないわたくしは枕に就くと正体もなしに寝入ってしまいました。あくる朝になって聞きますと、母はゆうべもよく寝付かれなかったそうでございます。 あさの御飯をたべてしまうと、わたくしは会津屋へ行きました。きょうも朝から照り付くような暑さで、わたくしは日傘を持って出ました。伝馬町の大通りへ出て、ふと見ますと、会津屋の前には大勢の人立ちがしているので、何とはなしにはっとして、急いで店先へ駈けて行きますと、そこには一挺の駕籠がおろしてありまして、一人の男が杖をそばに置いて、店先に腰かけています。その人相や、様子が、きのう聞いた新宿のよい辰ではないかと思いながら、人込みの間からそっと覗いていますと、その男はもう五十以上でございましょう。なんだか舌のまわらないような口調で呶鳴っているのでございます。 「さあ、おれをどうしてくれるのだ。この年になって、こんなからだになって、大事の稼ぎ人を殺されてしまって、あしたから生きて行くことが出来ねえ。」 まったくよいよいに相違ありません。呂律のまわらない口でこんなことを頻りに繰返して呶鳴っているので、店の者はみんな困っているようでした。そのうちに誰かが呼んで来たのでしょう。町内の鳶頭が来まして、なにかいろいろになだめて、駕籠屋にも幾らかの祝儀をやって、管をまいているその男を無理に押込むように駕籠にのせて、ようようのことで追返してしまいました。鳶頭はまだそこに腰をかけて、店の者と何か話しているようでしたが、わたくしは奥へ通って叔母に逢いますと、叔母の顔はきのうに比べると、また俄かに窶れたようにみえました。 「まあちゃん、お前さんにまで心配をかけて済みませんね。叔父さんは帰って来ないし、さあちゃんも行くえが知れないし、おまけにあんな奴が呶鳴り込んで来るし、わたしももうどうしていいか判らないんだよ。」 「あの人はどこの人です。」 「あれは新宿のよい辰というんだとさ。よいよいの言う事だからよく判らないけれど、内の叔父さんがその娘のお春というのを引っ張り出して、それがためにお春が石切横町で雷に撃たれて死んだというので、ここの家へ文句を言いに来たんだが、わたしはなんにも知らない事だし、相手がかみなり様じゃあどうにもならないじゃあないか。」 「そうですねえ。」 「たとい叔父さんが引っ張り出したにしても、雷に撃たれたのは災難じゃあないか。自分たちの身状が悪いから、罰があたったのさ。」と、叔母は罵るように言いました。「叔父さんが娘を引っ張り出したのか、あいつらが叔父さんを引っ張り出したのか判るものかね。」 その権幕があまり激しいので、わたくしは怖くなりました。なるほど母のいう通り、叔母は気違いにでもなるのでないかと思うと、なんだか気味が悪くなって、逃げるように早々帰って来ました。 それから三日ばかり過ぎました。そのあいだに母は毎日二、三度ずつ会津屋を訪ねていましたが、叔父もお定姉妹もやはり姿をみせないのでございます。今日で申せばヒステリーとでもいうのでしょう、叔母は半気違いのようになって家じゅうの者に当り散らしていました。 「ああしていたら会津屋はつぶれる。」と、母も涙をこぼしていました。 七月三日の午過ぎになって、叔父の姿が見いだされました。叔父は千駄ヶ谷につづいている草原のなかに倒れて死んでいたのでございます。大きい切石で脳天をぶち割られて。……それを考えると今でもぞっとします。その知らせが来たので、会津屋の店の者や、出入りの仕事師や、町内の月番の者や、十人ほど連れ立って、叔父の死骸を引取りに行きました。それを聞いたときには、母は声を立てて泣き出しました。わたくしも泣きました。
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