三
母の話はこういうのでございます。 会津屋の姉お定は、きょうのお午ごろに妹と一緒にお稽古から帰って、お午の御飯をたべてしまって、それから近所の糸屋へ糸を買いに行くといって出たままで帰って来ない。家でも不審に思って、糸屋へ聞合せにやると、お定はけさから一度も買い物に来ないという。いよいよ不思議に思って、妹のお由のお友達のところを二、三軒たずねて歩いたのですが、お定はやはりどこへも姿を見せないというのです。 叔父は例の通りに、朝から家を出たぎりですから、叔母ひとりが頻りに心配しているうちに、夕立が降ってくる、雷が鳴るというわけで、母も妹も不安がますます大きくなるばかり。そのうちに夕立もやんだので、夕の御飯を食べてから、叔母はその相談ながらわたくしの家へ来るつもりであったそうでございます。そこへこちらから尋ねて行ったので、まあ丁度よいところへといったようなわけで、叔母は母にむかって早速にその話を始めたのです。こちらから話そうと思って出かけたところを、あべこべに向うから話しかけられて、母も少し面喰らったそうでございます。 お定の家出にも驚かされましたが、こちらも話すだけのことは話さなければなりませんので、母もかの女のことを話し出しますと、叔母も不思議そうな顔をして聴いていました。そんな女については一向に心あたりがないと言ったそうで……。なにしろこの頃の叔父のことですから、どこにどういう知人が出来ているのか、叔母にも見当が付かないらしいのでございます。 一方には会津屋のむすめが家出をする、一方には叔父に係り合いのあるらしい女が雷に撃たれている。この二つの事件がまるで別々であるのか、それともその間に何かの縁をひいているのか、それも一切わからないので、叔母も母もなんだか夢のような心持で、ただ溜息をついているばかりでしたが、一方の女のことはともかくも、娘の家出――多分そうだろうと思われるのですが、この方はそのままにして置くことは出来ませんから、店の者にも言い付けて、それぞれに手分けをして心あたりを探させることにしたというのでございます。 半日ぐらい帰らないからといって、こんなに騒ぐのもおかしいと思召すかも知れませんが、その頃の堅気の家のむすめは誰にも断りなしに遠いところへ行くことはありません。たとい近所へ行くにしても必ず断って出る筈ですから、小半日もその行くえが知れないとなれば、ひと騒ぎでございます。ましてことし十八という年頃の娘ですから尚更のことで、誰かと駈落ちでもしたか、誰かにかどわかされたか、なにしろ唯事ではあるまいと思うのが普通の人情でございます。叔母が心配するのも無理はありません。 いつまで叔母と向い合って、溜息をついていても果てしがないので、母はまた来るからといって一旦帰って来たのでございます。その話をしてしまって、母はわたくしに訊きました。 「さあちゃんは何処かの若い人と仲よくしていたかしら。おまえ、知らないかえ。」 「そんなことは……。あたし知りませんわ。」 「ほんとうに知らないかえ。」 幾たび念を押されても、わたくしは全く知らないのでございます。お定がよその若い男と心安くしているなどというのは、今まで一度も見たこともなし、そんな噂を聞いたこともありません。さっきの夕立の最中に、お定はどこにどうしていたのでしょう。それを思うと、わたくしはまたむやみに悲しくなりました。 母はまたこんなことをささやきました。 「今、帰る途中で聞いたらば、さっきの死骸は自身番へ運んで行ったが、まだ御検視が済まないそうだよ。」 「どこの人でしょうねえ。」 「それは判らないけれども……。おまえ、決してうっかりした事を言っちゃあいけないよ。誰に訊かれても黙っているんだよ。叔父さんと一緒に歩いていたなんぞと言っちゃあいけないよ。」と、母は繰返して口留めをしました。 うっかりしたことを言って、それが飛んでもない係り合いになって、町奉行所の白洲へたびたび呼出されるようなことがあっては大変ですから、母は堅く口留めをするのでございます。幾度もおなじことを申すようですが、まったくその時のわたくしは怖いような、悲しいような、なんともいえない心持でございました。 五つ(午後八時)過ぎになって、母は再び会津屋へ出て行きましたが、お定の行くえはやはり知れません。叔父も帰って来ないのでございます。といって、わたくし共がどうすることも出来ないのですから、母もわたくしも心配しながらその晩は遅く寝床にはいりました。夕立のあとは余ほど涼しくなったのでございますが、二人ながらおちおち眠られませんでした。 寝苦しい一夜を明かすと、あしたは晴れていて朝から暑くなりました。雷に撃たれた銀杏の木は、大きい枝を半分折られたのですが、その幹には蝉が飛んで来て、ゆうべの事なんぞはなんにも知らないように朝からそうぞうしく鳴いていました。裏の井戸へ水を汲みに出ると、近所の娘やおかみさんが二、三人あつまって、ゆうべの女の噂で賑わっていました。そのなかで仕事師のおかみさんが、その後の成行きを一番よく知っていて、みんなに話して聞かせました。 「あの女はよい辰という遊び人の娘で、去年まで新宿の芸妓をしていたんですとさ。それが近江屋という質屋の旦那の世話になって、今では商売をやめて家にぶらぶらしていたんだそうです。お父さんは遊び人で、土地でも相当に顔が売れていた男なんですが、五、六年前からよいよいになってしまって、この頃では草履をはいて、杖をついて、ようよう近所を歩くくらいのことしか出来なくなったので、世間ではよい辰といっているんです。それでも娘がいい旦那をつかまえているので、まあ楽隠居のような訳だったのですが、その金箱が不意にこんなことになってしまっては、お父さんもさぞ力を落しているでしょうよ。若い時からずいぶん人を泣かせているから、年を取ってこうなるのは当り前だなんぞと言う人もありますけれど、なにしろ自分はよいよいになって、稼ぎ人のむすめに死なれたのですから、まったく気の毒ですよ。むすめの名ですか。娘はお春といって、芸妓に出ているときは小春といっていたそうです。小春が治兵衛と心中しないで、青大将を冥途の道連れじゃあ、あんまり可哀そうじゃありませんか。」 おかみさんは他人事だと思って、笑いながら話していましたが、わたくしはその一言一句を聞きはずすまいと、一生懸命に耳を引っ立てていました。 「人の噂ですから、確かなことは判りませんがね。」と、おかみさんはまた言いました。「なんでもそのお春という女には内所の色男があって、きのうもそこへ逢いに行く途中で、あんなことになったらしいというんですよ。」 「それじゃあ、その男というのがこの辺にいるんでしょうか。」と、となりの左官屋のむすめが訊きました。 「大方そうでしょうよ。うっかり出て来ると面倒だと思って、知らん顔をして引っ込んでいるんでしょうが、そんな不人情なことをすると、女の恨みがおそろしいじゃありませんか。女の思いが蛇と一緒になって執りつかれた日にゃあ、大抵の男も参ってしまいまさあね。」と、おかみさんはまた笑いました。 家へはいって、わたくしは母にそっと話しますと、母は考えていました。 「それにしても、まさかに叔父さんがその相手じゃあるまい。」 「そうでしょうねえ。」 「そりゃ男のことだから何ともいえないけれど、叔父さんは四十一で、親子ほども年が違うんだからねえ。」と、母はあくまでもそれを信じないような口ぶりでした。 叔父がその女の相手であるかないかは別として、ともかくも叔父がその女を識っているのは事実ですから、叔父が帰って来れば恐らく詳しいことも判るだろうと思われました。母はけさも会津屋へ出かけて行きましたが、叔父もお定もやはり音沙汰なしだというのでございます。 母と入れかわって、わたくしも見舞ながら会津屋へ行きますと、叔母はいろいろの苦労でゆうべはまんじりともしなかったということで、気ぬけがしたように唯ぼんやりしていました。気の毒とも何とも言いようがありません。妹のお由はお稽古を休んで、きょうは家にいました。どなたも大抵お気付きになっていることと存じますが、きのうお定がわたくしと別れるときに、およっちゃんと仲よくしてくれと言いました。それから家へ帰って、間もなくどこへか行ってしまったのですから、覚悟の上の家出ではないかと思われます。 わたくしがなぜそれを母に洩らさないかといいますと、お定が家出をしたあとで迂濶にそんなことを言い出すと、そんなことがあったらば、なぜ早くわたしに言わないのかと母に叱られるのが怖ろしいので、ゆうべは勿論、けさになっても黙っていたのではございますが、こうして会津屋の店へ来て、叔母や店の人たちの苦労ありそうな顔をみていますと、わたくしももう黙ってはいられないような気になりました。 それでも、叔母に向っては言い出しにくいので、帰るときにお由を表へ呼出して、小声でそのことを話しますと、お由は案外平気な顔をしていました。 「あたし知っているわ。姉さんはふうちゃんと一緒に、どっかに隠れているのよ。」 わたくしはまたびっくりしました。兄の房太郎は奉公中の身の上でございます。それが叔父のむすめを誘い出してどこにか隠れている。そんなことのあろう筈がありません。お由がなぜそんなことを言うのかと、わたくしは呆れてその顔をながめていますと、お由の眼はいつかうるんで来ました。 「ねえさん、あんまりだわ。」 前にも申す通り、お定は総領ですから婿を取らなければなりません。そこで、妹娘のお由を兄の房太郎に娶わせるという内約束になっていることは、わたくしも薄うす知っています。その妹の男を姉が横取りして、一緒にどこへか姿をかくしたとすれば、妹のお由が恨むのも無理はありません。しかしお定はそんな人間でしょうか。兄はそんな人間でしょうか。わたくしにはどうしても本当の事とは思われませんので、いろいろにその子細を詮議してみましたが、お由も確かな証拠を握っているのではないらしいのです。それでもきっとそれに相違ないと、涙をこぼして口惜しがっているのです。 嘘か、本当か、なにしろこうなってはうかうかしていられないので、わたくしは急いで家へ帰って、母にそれを訴えますと、母も顔の色を変えました。万一それが本当ならば、お定ばかりのことではなく、兄もお店をしくじるのは知れていますから、母はすぐに支度をして、京橋の店へその実否をただしに行くことになりまして、慌てて着物を着かえているうちに、俄かに持病が起りました。 母の持病は癪でございます。この頃の暑さで幾らか弱っていたところへ、きのうからいろいろの心配がつづきまして、ゆうべも碌ろく眠らない上に、今は又、飛んでもないことを聞かされたので、持病の癪が急に取りつめて来たのでございます。持病ですから、わたくしも馴れてはいますが、それでも打っちゃっては置かれませんので、近所の鍼医さんを呼んで来て、いつものように針を打って貰いますと、まずいい塩梅におちつきましたが、母の癖で、癪を起しますと小半日は起きられないのでございます。 「あいにくだねえ。」 母は焦れて無理にも起きようとしますが、日盛りに出て行って、また途中で倒れでもしては大変ですから、いろいろになだめて片陰の出来るまで寝かして置きまして、やがて七つ半を過ぎた頃から出してやりました。まだ不安心ですから、駕籠を頼もうかと言いましたが、母はもう大丈夫だと、歩いて出て行きました。 わたくしが独りで留守番をするのは、今に始まった事ではありませんが、きょうはなんだか心さびしくてなりませんでした。日が暮れ切ってから会津屋の叔母が蒼い顔をして尋ねて来まして、叔父もお定もまだ行くえが知れない。お岩稲荷のお神籤を取ってみたらば、凶と出たということでした。 「おっかさんはどこへ……。」 その返事にはわたくしも少し困りました。兄のことで京橋へ出て行ったと正直に話すわけにもゆかないので、芝の方によい占い者があるので、そこへ見てもらいに行ったと、いい加減の嘘をついて置きました。それもわたくしの知恵ではございません。もし会津屋から誰かが来たらば、まずそう言って置けと母から教えられていたのでございます。それでも知らぬが仏というのでございましょう。叔母は気の毒そうに溜息をついていました。 「みんなに心配をかけて済まないねえ。」 叔母もこれから市ヶ谷の方の占い者のところへ行くといって帰りました。今夜も暑い晩で、近所の家では表へ縁台を出して涼んでいるらしく、方々で賑やかな笑い声もきこえますが、わたくしは泣き出したいくらいに気が沈んで、門端へ出ようともしませんでした。女の足で京橋まで行ったのですから、暇どれるのは判っていますが、母の帰って来るのがむやみに待たれます。そこへ会津屋の利吉という小僧がたずねて来ました。 「おかみさんはこちらへ来ていませんか。」 「さっき見えたんですけれど、これから市ヶ谷の占い者のところへ行く、といって帰りましたよ。」と、わたくしは正直に答えました。「そうして、おかみさんに何か用があるの。」 「ええ。」と、利吉は少し考えながら言いました。「実はおよっちゃんが……。」 「およっちゃんがどうして……。」と、わたくしはどきりとしました。 「おかみさんが出ると、すぐ後から出て行って、いまだに帰って来ないんです。」 お由も家出をしたのでしょうか。わたくしは驚くのを通り越して、呆れてしまいました。
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