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「矢張り、クレーンのスウィッチも、開いています」 三人の男にさんざん世話をやかせ、漸くわしのあとから、クレーンの上まで担ぎあげられた政は、モートルの横の、配電盤をひと目見ると、恐ろしそうに、そう云った。 「そうか。確に、それと間違いが無けりゃ、降りることにしよう」 わし達は、また困難な鉄梯子を、永い時間かかって、一段一段と、下りて行った。 下まで降りきらない裡から、残っていた連中は、クレーンの上のスウィッチが開いていたか、どうかについて、尋ねるのであった。 「政に見て貰ったがな」わしは一同の顔を、ずッと見廻した。 「クレーンのスウィッチも開いていたよ」 「それじゃ、いよいよあのクレーンは……」そこまで云った職工の一人は、自ら恐ろしくなって、言葉を切ってしまった。 「……電気の力で動いたのでは無い、ということになる」とわしは、代りに、云った。 「誰が、動かしたんだッ」 「上って、四方に気をつけて見たが、隠れてる人間も居なかった。なァ、源太、友三、雲的」 「そうだ、そうだ」 「もっとも、人間一人で動くようなクレーンじゃない」 「ああ、すると誰が動かしたんだ」 「組長さん。もう我慢が出来なくなった。どうか、ここから出して下せえ」 「俺も、出るッ」 「いや、出ることならぬ」わしは呶鳴った。「クレーンを動かした者が、判らぬ限り」 「組長さん、そりゃ無理だよ」源太が泣き声を出した。「ありゃ、生きてる人間のせいじゃないんだ」 「なんだとォ――」 「あのクレーンには、何か怨霊が憑いていて、そいつがクレーンの上で、泣いたり、クレーンを動かしたりするんだ」 「ああッ――」 それを聞くと、誰もが、痛いところへ触られたように、跳び上って駭いた。 「おお、組長」雲的が云った。「誰かが、外で喚いているようですぜ」 「なに、外で喚いているッ」わしは、予期しないことに吃驚して云った。なるほど、多勢の声で、何やら喚いているのが、遥かに聞こえるのであった。「じゃ、みんな、外へ出よう」 一同は、ワッといって、入口の扉の方へ、先を争って駆けだした。ガラガラと、重い鉄扉が、遠慮会釈なく、引き開けられる物音がした。 「おう、組長、大変だア」疳高い声で叫ぶものがある。 わしは、ギクリとした。 「組長」わしの胸倉に縋りついたのは、電纜工場の伍長をしている男だった。「おせいさんが、大変だッ」 「なに、おせいが、一体どうしたというんだ」 「おせいさんが――」伍長は、苦しそうに言い澱んだ。「おせいさんが、熔融炉へ、真逆に、飛びこんでしまった」 「熔融炉へ、飛びこんだ、というのかッ」 わしは、それを聞くなり、おせいの働いていた電纜工場めがけて、矢のように駆け出した。 わしのあとには、組下のものや、惨事を報せに来た連中が、バタバタと追いついて来るのであった。 電纜工場の入口を一歩入ると、凄惨極まりなき事件の、息詰まるような雰囲気が、感ぜられるのだった。皎々たる水銀灯の光の下で仕事をする人々は、技師といわず、職工といわず、場内の一隅に据えられた、高さ五十尺の太い熔融炉の周囲を取巻いて、一斉に上を見上げていた。熔融炉の側には、松の樹を仆したような大電纜が、長々と横わっていたが、これは忘れられたように誰一人ついているものは無かった。 「駄目だァ、何にも見えねえ」 「着物の端も、残っていねえよ」 そんなことを叫びながら、熔融炉の頂上に昇っていたらしい男工達が、悲痛な面持をして降りて来た。白い手術着を着て駈けつけた医務部の連中も、形のない怪我人に対して、策の施しようも無く、皆と一緒に、まごまごしているだけだった。 「どうも、お気の毒でしたが」工場長が、わしの傍へ近づくと、興奮した語調で云った。「気がついたときは、おせいさんが、もう熔融炉の、殆んど頂上まで、昇っていたんです。でも、それと気がついて、(停めろ、下りろ)と、下から叫びましたが、何も聞えない風で、アレヨ、アレヨと云っているうちに、火焔の中へ飛びこまれたようなわけで……」 わしは、云うべき言葉もなかった。 「おせいさんは、覚悟の自殺を、やったらしいですよ。どうした訳か判りませんが」この工場の組長が、続いて口を挟んだ。 そこへ、ドヤドヤと皆を掻きわけて、前へ、飛び出した者があった。 「ああ、死んじまった。おせいさん、俺を残して、何故死んでしまったのだ」 気が変になったように喚いているのは、クレーン係の政だった。 「オイ、政。どこへ行くんだ」政に追い縋っているのは、雲的や源太だった。 「おお、おせいちゃん。おれも、直ぐ行くよォ――」 「おい、待てと云ったら」 政は、恐ろしい力を出して、源太を投げとばすと、呀ッという間に、熔融炉の梯子の上へ、ヒラリと飛び上った。 工場の人々は、まだ生々しい惨事のあとに続いて、どんなことが起ろうとしているかを、早くも悟って、戦慄の悲鳴をあげた。 「早く、あの男を捉えろ!」 「引ずり下ろせ、あいつは死ぬつもりだぞ!」 「誰か、助けてえ――」 わしは、身体を動かした。邪魔になる人を押しのけて、熔融炉の梯子の下まで来たときに、一足早く、雲的の奴が、梯子に手をかけていた。 「うぬッ」 わしは、雲的を、つきとばした。 「わしが助ける」 鉄梯子に掴って、上を見ると、政は、気息奄々たる形であるが、早くも半分ばかりの高さまで登っていた。わしは、ウンと、腰骨に力を入れると、トントンと、手拍子と足拍子と合わせて、梯子をスルスルと攀っていった。見る見る政とわしとの距離は、短縮されて行った。もう一息で、政の身体に手が届くというところで、わしはツルリと、左足を滑らせた。ワッという溜息が、下の方から、聞えてきた。もう余すところは、五六尺しかない。ワンワン、ガヤガヤと、焦燥そうな群衆の声が聞える。わしは、速力をグッと速めた。 気が気じゃなく、上を見ると、政はすでに熔融炉の縁から上へ、上半身を出している。機会は、今を措いて、絶対に無い。しかしわしの手は、まだ三尺下にしか届かない。 ワンワン、ガヤガヤの声も、耳に入らなくなった。 政は身体を、くの字なりに、ぐっと曲げていよいよ飛びこむ用意をした。 「やッ!」 懸声諸共、わしは、身体を宙に浮かせて、左手をウンと、さしのべると、ここぞと思う空間を、グッと掴んだ。―― 手応えはあった。 工場の屋根が、吹きとぶほど大きな歓声が、ドッと下の方から湧きあがった。 だが、こっちは、右手一本で、熔融炉の鉄梯子を握りしめ、全身を宙に跳ねあげたもんだから、左手に政の足首を握った儘、どどッと、下へ墜ちていった。右手を放しては、こっちが、たまらない。ガンと、横腹を、鉄梯子に打ちつけたがそのとき、幸運にも右脚が、ヒョイと梯子に引懸った。 (しめたッ) と思った瞬間、頭の上からバッサリ、熱くて重いものが、わしを、突き墜すように、落ちてきた。そして、呀ッという間に、ヌラヌラと、顔や腕を撫でて、下へ墜落していった。それは、政の身体だった。辛うじてわしが掴んだ政の身体だった。(これを離しては……)と私は懸命に怺えたが、その恐ろしい重力に勝つことが出来ず、遂にツルリと、わしの指の間から脱けて、あいつの身体は、ヒラヒラと風呂敷のように、コンクリートの床を目懸けて、落ちていった。いや、全く、政の身体は風呂敷のように、舞いながら、墜ちて行ったのだった。わしは、どうしたものか、急に笑いたくなって、クッ、クッ、ウフウフと、鉄梯子に、しがみついた儘、暫くは、動くことが出来ない程だった。
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