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爬虫館事件(はちゅうかんじけん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-26 6:18:21 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 海野十三全集 第2巻 俘囚
出版社: 三一書房
初版発行日: 1991(平成3)年2月28日
入力に使用: 1991(平成3)年2月28日第1版第1刷

 

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 前夜の調べ物の疲れで、もう少し寝ていたいところを起された私立探偵局の帆村荘六ほむらそうろくだった。
「お越し下すったのは、どんな方かね」
「ご婦人です」助手の須永すながほがらかさをいて隠すような調子で答えた。「しかも年齢としの頃は二十歳はたちぐらいの方です」
(なにが、しかもだ)と帆村はパジャマのボタンを一つ一つはずしながら思った。この手でも確かに目はさめる。……
「十分間お待ちねがうように申上げてれ」
「はッ。かしこまりました」
 須永はチョコレートの兵隊のように、わざと四角ばって、帆村の寝室しんしつを出ていった。
 隣りの浴室のドアをあけ、クルクルと身体につけたものを一枚残らず脱ぎすてると、冷水を張った浴槽よくそうへドブンと飛び込み、しぶきをあげて水中をくぐりぬけたり、手足をウンとのばしたり、なんのことはない膃肭獣おっとせいのような真似をすること三分、ブルブルと飛び上ってこわひげをすっかりおとすのに四分、一分で口と顔とを洗い、あとの二分で身体をぬぐい失礼ならざる程度の洋服を着て、さて応接室の内扉うちドアをノックした。
 応接室のはこのなかには、なるほど若い婦人が入っていた。
「お待たせしました。さあどうぞ」と椅子を進めてから、「早速さっそくご用件をうけたまわりましょう」
「はァ有難とう存じます」婦人は帆村の切り出し方の余りに早いのにちょっと狼狽ろうばいの色を見せたが、思いきったというふうで、黒眼がちの大きい瞳を帆村の方に向け直した。その瞳の底には言いしれぬうれいの色が沈んでいるようであった。「ではお話を申しあげますが、実は父が、突然行方不明になってしまったんでございます――。昨日の夕刊にも出たのでございますが、あたくしの父というのは、動物園の園長をして居ります河内武太夫かわちたけだゆうでございます」
「ああ、貴女が河内園長のお嬢さんのトシ子さんでいらっしゃいますか」帆村は夕刊で、憂いに沈む園長の家族として令嬢トシ子(二〇)の写真を見た記憶があった。その記事は社会面に三段抜きで「河内園長の奇怪な失踪しっそう・動物園内に遺留いりゅうされた帽子と上衣」といったような標題ひょうだいがついていたように思う。
「はァ、トシ子でございます」と美しい眼をしばたたき、「ご存知でもございましょうが、私共の家は動物園のぐ隣りのもりの中にございまして、その失踪しました十月三十日の朝八時半に父はいつものように出て行ったのです。午前中は父の姿を見たという園の方も多いのでございますが、午後からは見たという方が殆んどありません。お午餐ひるのお弁当を、あたくしが持って行きましたが、それはとうとう父の口に入らなかったのでした。正午にも事務所へ帰ってこないことを皆様不思議に思っていらっしゃいましたが、父は大分変り者の方でございまして、気が変るとよく一人でブラリと園を出まして、広小路ひろこうじの方まで行って寿司屋すしやだのおでん屋などに飛び込み、一時半か二時にもなってヒョックリ帰園きえんいたしますこともございますので、その日も多分いつものでんだろうと、皆さん考えておいでになったのです。しかし閉園時間の午後五時になっても帰って参りません。たまにはずっと街へ出掛けて夜分まで帰らないこともありますが、その日は事務室に帽子もあり上衣も残って居ますので、いつもとは少し違うというので、西郷さいごうさん――この方は副園長をしていらっしゃる若い理学士です――その西郷さんがお帰りにうちへお寄り下すって、『園長の例の病気が始まったようですよ』と注意をしていって下さいました。ところが其の夜は、とうとう帰って参りません。夜遅くなることはありましても、たとい一時になっても二時になっても帰ってくる父です。それが帰って来ないのですから、どうしたことだろうと母も私共も非常に心配しています。園内も調べていただきましたが判りません。警察の方へも捜索方そうさくかたをお願いいたしましたが、『別に死ぬ動機も無いようだから今夜あたり帰って来られますよ』と云って下さいました。しかし私共は、なんだかままでは、じっと待っていられないほど不安なのでございます。万一父が危害きがいを加えられてでもいるようですと、一刻いっこくも早く見付けて助け出したいのでございます。それで母と相談をして、お力を拝借はいしゃくあがったわけなのでございます。どう思召おぼしめしましょうか、父の生死せいしのほどは」
 トシ子嬢は語り終ると、ほんのり紅潮こうちょうした顔をあげて、帆村の判定を待った。
「さあ――」と帆村は癖で右手で長くもないあごの先をつまんだ。「どうもそれだけでは、河内園長の生死しょうしについて判断はいたしかねますが、お望みとあらば、もう少し貴女あなた様からもうかがい、その上で他の方面も調べて見たいと思います」
「お引受け下すって、どうも有難とう存じます」トシ子嬢はホッと溜息ためいきをついた。「何なりとおたずねくださいまし」
「動物園では大いに騒いで探したようですか」
「それはもう丁寧ていねいに探して下すったそうでございます。今朝、園にゆきまして、副園長の西郷さんにお目にかかりましたときのお話でも、念のためと云うので行方不明になった三十日の閉門へいもん後、手分けして園内を一通り調べて下すったそうです。今朝も、またさら繰返くりかえして探して下さるそうです」
「なるほど」帆村はうなずいた。「西郷さんは驚いていましたか」
「はァ、今朝なんかは、非常に心配して居て下さいました」
「西郷さんのお家とご家族は?」
浅草あさくさ今戸いまどです。まだお独身ひとりで、下宿していらっしゃいます。しかし西郷さんは、立派な方でございますよ。りにも疑うようなことを云っていただきますと、あたくしおうらみ申上げますわ」
「いえ、そんなことを唯今考えているわけではありません」
 帆村は今時いまどき珍らしい、日本趣味の女性に敬意と当惑とうわくとをささげた。
「それから、園長はときどき夜中の一時や二時にお帰宅かえりのことがあるそうですが、それまでどこで過していらっしゃるのですか」
「さァそれは私もよく存じませんが、母の話によりますと、古いお友達を訪ねて一緒にお酒を呑んで廻るのだそうです。それが父の唯一の道楽でもあり楽しみなんですが、それというのもそのお友達は、日露戦役にちろせんえきに生き残った戦友で、逢えばその当時のことが思い出されて、ちょっとやそっとでは別れられなくなるんだということです」
「すると園長は日露戦役に出征しゅっせいされたのですね」
「は、沙河さか大会戦だいかいせんで身に数弾すうだんをうけ、それから内地へ送還そうかんされましたが、それまでは勇敢に闘いましたそうです」
「では金鵄勲章組きんしくんしょうぐみですね」
「ええ、こう六級の曹長そうちょうでございます」こたえながらも、こんなことが父の失踪に何の関係があるのかと、トシ子は探偵の頭脳あたまやや失望を感じないわけにゆかなかった。
 しかし最後へ来て、この些細ささいらしくみえるのが、事件解決の一つの鍵となろうとは二人もこの時は夢想むそうだもしなかった。
「園長はそんなとき、帽子も上衣も着ないでお自宅うちにも云わず、ブラリと出掛けるのですか」
「そんなことは先ずございません。自宅に云わなくとも、帽子や上衣うわぎは暖いときならばかく、もう十一月の声を聞き、どっちかと云えば、オーヴァーが欲しい時節です。帽子や洋服は着てゆくだろうと思いますの」
「その上衣はどこにありましょうか。鳥渡ちょっと拝見したいのですが……」
「上衣はうちにございますから、どうかいらしって下さい」
「ではこれから直ぐに伺いましょう。みちみち古い戦友のことも、もっと話していただこうと思います」
「ああ、半崎甲平はんざきこうへいさんのことですか?」トシ子嬢は、父の戦友の名前を初めて口にしたのだった。

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