3
外へ出ると、ロッセ氏は、大昂奮の面持で、私を捕えて、放そうとはしなかった。 「ねえ、綿貫君。われわれは、もっと語ろうではないか。素敵なブランデーをのませる家を知っているから、これからそこへ案内しよう」 私は、初めから覚悟をしていたので、ロッセ氏のいうがままに、ついていった。 ホテル・クナンの、しずかな酒場の片隅に、ロッセ氏は、私を連れていった。 「この卓子は、僕の特約の席なんだ。では、お互いの健康を祝して……」 と、ロッセ氏は、琥珀色の液体の入ったグラスを高くさしあげて、唇へ持っていった。 「ふう、これでやっと落着いた。金博士も、ひどいところを素破ぬいて、悦んでいるんだねえ。宿敵艦隊の一件が、あそこで曝露するとは、思っていなかった」 「まあいいよ。私も、すこし独断だったけれど、あなたを早く、博士に紹介しておいた方がいいと思ったもんだから、黙って連れていったんだ」 「ああ、金博士は、驚異に値する人物だ。一体あの人は、中国人かね、それとも日本人かね」 「そのことだよ」 と、私は、グラスの酒を、きゅうとのみ乾して、 「一体、金という名前は、中国にもあるし、日本人にもある。それから朝鮮にもあるんだ。もちろん満洲にもあることは、君も知っているだろう。ところで博士は、その中の、どこの人間だか知らないといっている。博士は捨児だったんだ。たしかに東洋人にはちがいないが、両親がわからないから、日本人だか中国人だか分らないといっている」 「赤ちゃんのときは、何語を話していたのかね」 「それは広東語だ。もっとも、博士がまだ片言もいえないときに、広東人の金氏が拾い上げて、博士を育てたんだからねえ、赤ちゃんのときに広東語を喋ったのは、あたり前だ」 「ふしぎな人物だ。そして、あの穴倉の中でなにをしているのかね」 「博士は、科学者だ。いや、もっと説明語を入れると、国籍のない科学者だ。国籍のない人といっても、ユダヤ系というわけではない。博士は曰く、わしは国籍こそ無けれ、あくまで東洋人だといっている」 「で、博士は一体、毎日どんなことをやっているのか」 「博士は、なんでも、気に入った科学をとりあげて、どんどん研究を進めている。今は、宇宙線と重力との関係を研究しているが、今までにも、たくさんの発明がある。その中で、かなり古臭くなった発明を、方々の国に売って、莫大な金を得ている。博士の資産は、何百億円だか見当がつかない。が、それよりも驚異に値するのは、博士の自主的研究は独得なる発展を遂げ、今世界中で一等科学の進んだアメリカや、次位のドイツなどに較べると、少くとも四五十年先に進んでいると、或る学者が高く評価している。だから、博士は、科学に関しては、世界の人間宝庫であるともいわれている」 私が最大級の讃辞を博士に捧げていると、ロッセ氏は、そうかそうかと、ペルシャ猫のように澄んだ瞳をくるくるうごかして、しきりに感服の面持だった。 「だから、博士がうんといえば、あなたの設計した電気砲も、博士の秘密工場の手で実際に作ってくれるだろう。そうすれば、あなたの念願している英艦隊の撃滅のことも――」 「いや、博士は、初速の速い電気砲が気に入らないらしい。むしろ、速度の遅い、そして射程の長い砲弾を考え出せといわれたが、僕には、何のことだか分らないのだ。なぜなら、速度を遅くすることと、射程を長く伸ばすこととは、互いに相傷つける条件なんだからねえ」 「うむ、まるで謎々だね」 「そうだ、謎々だ。それも解答のない謎々を出題されたような気がする。博士は、ひょっとしたら、僕をからかったのかもしれない」 「そんなことはないよ。博士は、からかうなんて、そんな人のわるいことはしない。ああまで真剣で、大真面目なんだ。謎々をかけたにしても、博士は必ずその解答のあることを確めてあるのだと思う」 「そうかなあ。速度の遅くて、射程の長い、そして命中率百パーセントの砲弾! そんなおそろしいものが、この世の中にあるとは、どうしても思われないが……いや、僕たちは、既成科学に対し、すっかり囚人になっているのがいけないのかもしれない」 ロッセ氏は、そういって、ぶるぶると身顫いをすると、急いでグラスを唇のところへ持っていった。
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] 下一页 尾页
|