電送写真
(変なことをいう少年だ) 太刀川は、ふしぎに思った。 「お前は、何をいうんだ。今出ていったのは、お婆さんじゃないか。お前は目が見えないわけじゃなかろう」 「そうなんだよ、小父さん」 「何だって」 「おれは目がわるくて、目の前ほんの一、二米ぐらいしかはっきり見えないんだよ」 「ほほう。そうか。そんなに悪い目をしていて、出入口を通る人をあてるなんて、おかしいじゃないか。はははは」 ところが、少年は至極まじめだった。 「ちがうよ。そんなことは、目でみなくたって、おれには、ちゃんと分かるんだよ」 「なに、目でみないでも分かるって、馬鹿なことをいうものでない。いいからもうだまっておいで」 太刀川は、石少年が透視術みたいなことをいうので、ちょっと気味が悪かった。だが、ケント老夫人のことを男だなんて、そんな当りの悪い透視術は、もうたくさんだとおもった。 だが、はたして彼の考えた如く、石少年の言葉はまちがっていたであろうか? 無電室では、四人の係員たちが、器械の前にすわりこんで、耳にかけた受話器の中に相手無電局の電波を、しきりに探しもとめている。 天候状態は、つづいて悪かった。 そこへダン艇長が、顔をこわばらして入ってきた。 「どうだ。まだ入らないか」 「マニラはやっと入りました。しかしニューヨークの本社が、さっき入りかけて、また聞えなくなってしまいました」 通信長が答えた。 「マニラの気象通報は、どうだった」 「あっちも、悪いそうです。北々西の風、風速二十メートルだといってました」 「そうか」 艇長は、それだけいって唇をかんだ。 その時、一番奥の器械の前についていた通信士が、両耳受話器に手をかけながら、こっちをふりむいた。 「通信長。ニューヨーク本社が出ました」 「なに、本社が出た。それはお手柄だ」 通信長は、竹竿をつないだような細い体を曲げて、奥へとんでいった。そして別の受話器を耳にかけた。 「はあ、はあ、ダン艇長がいま出ます」 「おお、本社が出たか」 ダン艇長の頬に血の色が出た。 「ああ本社ですか」 艇長の声は、上ずっていた。 「なに、専務ですか。いや、しばらくでした。ところで、例の二人組の共産党員ですがね、こっちじゃ分からなくって困っています。これにのりこんだことは、たしかなのでしょうね」 しばらく艇長の声がとぎれた。 「ははあ、そうですか。すると、たしかに乗っているわけですね。では、そっちにその二人の人相書かなんかありませんか。ええ、何ですって。写真、それは素敵です。では、すぐその写真を電送して下さい。こっちの用意をさせますから」 艇長は、まっ赤に興奮している。 「おい、写真電送で、二人の顔を送ってくる。すぐ受ける用意をしたまえ」 「はい」 通信士は、スイッチをひねって、写真電送のドラムを起動した。このドラムの中に、薬品をぬった紙が入っていて、向こうから送る電波によって、一枚の写真が焼きつけられるのだ。 「は、用意ができました」 「もしもし、本社ですか。用意ができました。写真をすぐに送ってください」 まもなくジイジイジイと、写真を焼きつけるための信号が入ってきた。もうあと十分たてば、写真は出来あがるのである。ケレンコの顔もリーロフの顔も、すっかり分かってしまうのだ。 なんというすばらしい文明の利器であろうか! 艇長はじめ通信係の一同は、ジイジイジイと廻るドラムの上を、またたきもせず、見つめている。やがてドラムの中に焼きあがる写真は、そもどんな顔をしているであろう。 一分、二分、三分――誰一人、声をだす者もない。 その時だった。 この無電室の入口の扉が、音もなくすーっと細目にあいた。室内の者は、誰も気がつかない。 その扉の間から、ぬーっと現われたものがある。 あ、ピストルの銃口だ! ピストルの銃口は、しずかに室内の誰かを狙うものの如くぴたりととまった。ピストルを握るのは、膏薬をはりつけた汚い手だった。指が引金にかかった。 とたんに、ドン! 轟然たる銃声!
おそわれた無電室
パーン! ピストルの音が、びりっと無電室の壁をゆすぶった。 「あ!」 ダン艇長は、身をかわしつつ、うしろの扉をふりかえった。 扉がすこしばかり開いている。その間から、ぬっとピストルの銃口がでている。 ――と、たてつづけに、パーン、パーン。 カーンと金属的な音がした。 と思ったら、いままでジイジイと鳴っていた写真電送の器械が、ぷつんと、とまってしまった。 (あ、やられた) 艇長が叫んだとき、 「うーむ!」 と、くるしそうな、うめきごえをあげて、今まで器械の前に、両肘をついていた通信士の体が、横にすーっとすべりだした。 「おお、撃たれたか!」 艇長が、おもわずその方へ走りよろうとしたとき、通信士の体はぐにゃりとなって、椅子もろとも、はげしい音をたてて、床にころがった。 つづいてパン、パン―― ぴゅーんと、艇長の頬をかすめて、弾は窓をつらぬき、外へとびだした。 「うー」 艇長は、うめいて、ぴたりと床にはらばった。何やつだと思った時、 「動くな。動けば、命がないぞ!」 聞きなれない太いこえが、ダン艇長の頭のうえからひびいた。 艇長は、勇気をふるって、首をうしろにねじむけた。と、その時、 「ああ、――」 艇長の目はレンズのように丸くなった。 彼は一たいそこに何を見たか。 一挺のピストルを握った膏薬ばりの手! その手は、まぎれもなくあの老夫人、乗客ケント老夫人の手だった。 いや、姿は老夫人であったけれど、その鼻の下には、赤ぐろい髭がはえていた。大きな膏薬がはがれて、その下からあらわれたのである。 変装だった。 「一たい、き、貴様は何者だ!」 ダン艇長は、さすがに勇気があった。 「なんだ。おれの名前を聞きたいというのか。ふふん頭のわるいやつだ」 と老夫人にばけていた男は、にくいほど落ちつきはらって、無電室にはいり後の扉をしめた。そしてピストルを、ぐっとダン艇長の鼻さきにつきつけ、 「写真電送をうけるのが、も少し早かったら、君は、おれのりっぱな肖像を、手に入れたことだろう。いや、そうなっては、こっちが都合が悪かったんだ。いや、きわどいところだったよ。あっはっはっ」 「なに! じゃ貴様は、例の二人組の共産党員の片われ?」 「ほほう、いまになって、やっと気がついたのか。名のりばえもしないが、君がしきりに探していた共産党太平洋委員長のケレンコというのは、おれのことだ。忘れないように、よく顔をおぼえておくがいい」 彼は、頭からすぽりと、かぶっていた頭巾をかなぐりすてた。 「あ、ケレンコ! うーん、貴様がそうだったのか!」 ダン艇長は、ぶるぶると身ぶるいしながらも、ケレンコ委員長のむきだしの面構を見た。 大きな高い鼻、太い口髭、とびだした眉、その下にぎろりと光る狼のような目! 勝ちほこるケレンコ委員長のにくにくしいうす笑!
仮面をぬいだ悪魔
「おい、立て!」 ケレンコはどなった。 「聞えないのか。立てというのに」 ケレンコは、ピストルを握りなおして艇長につきつけた。 艇長は、いわれるままに、するほかはなかった。 「こんどは、両手をあげるんだ」 ケレンコがつづけざまにいうので、 「貴様は、この艇長の自由をしばって、どうしようというのか」 「どうしようと、おれの勝手だ。文句をいわずに手をあげろ、四の五のいうと命がないぞ」 「なに、命がない? 馬鹿をいうな。艇長を殺すことは、貴様も一しょに死ぬことだぞ。艇長がいなくなって、このサウス・クリパー号が安全に飛行できると思うか。それに――」 「それにどうした」 「わが艇員は、貴様のような無法者をそのままにしておかないだろう。無電監視所が変事をききつけて、いまに救援隊がかけつけて来る」 「うふふふ。何をほざく。貴様のうしろを見ろ、無電装置が、ピストルの弾で、こわされているのに気がつかないのか。そんなことに、手ぬかりのあるケレンコ様か」 「え――」 艇長がふりかえってみた。はたして無電装置の真空管が、むざんにも撃ちぬかれて、こわれていた。 (ああ、艇員たちは、一たい何をしているのだ。艇内が、エンジンの音でやかましいといっても、あのピストルの音が聞えないはずがない) そのとき、とつぜん扉の向こうにはげしい銃声がきこえた。 「あ、あれは――」 艇長がおもわずさけんだ。 「ほう、やっているぞ。艇長さん。あれが耳にはいったかね」 ケレンコ委員長は、にやりと笑って、艇長の方を見た。 「なんです。あの銃声?」 「うふ、そんなに知りたいのかね、まあお待ち。いいものを見せてあげよう」 委員長ケレンコは落ちついたもので、ピストルをゆだんなく艇長の胸につきつけながら、左手で扉をどんどんとたたいておしあけた。 と同時に、扉のかなたで「あっ」というおどろきのこえがした。大勢の艇員を向こうにまわして、にらみあっている一人の大男! その男が顔をくるっとダン艇長の方へまわしたのを見ると、おお、酔っぱらいの暴漢リキーであったではないか。 「あ、リキー」 「そうだ。リキーだよ。艇長さんは、よくおぼえていたね」 「あの酔っぱらいを忘れるやつがあるか」 「そうだ。誰も知っているよ。しかしリキーというのは、およそ彼に似あわしからぬ名だ。おい、ダン艇長さんとやら。あの手におえない男の本名を教えてやろうかね」 「え、なんだって」 「そうおどろかないでもよい。おれの片腕として有名な男。潜水将校リーロフという名を、きいたことがありはしないかね」 「うーむ、リーロフがあの男か!」 さすがのダン艇長も、そのばけかたのうまさに、どぎもをぬかれたようだった。 おそろしいおたずね者二人が、いよいよ仮面をぬいで、おもいがけないところからとびだしたのだ。潜水将校リーロフは、ソビエト連邦にその人ありと、外国にまで名のきこえた大技術者だ。ケレンコの方は、いまは太平洋委員長という役にはなっているが、彼は、現代の世界を根こそぎひっくりかえして共産主義の世界にし、あわよくばソ連の独裁官スターリンの地位をうばって、全世界を自分の手ににぎろうとしている、とさえいわれている人物だった。
悪魔の虜
「さあ、お客さんたちも、艇員どもも、これで様子は万事のみこめたろう。うわっはっはっ」 酔っぱらいのリキー――ではない潜水将校リーロフは、ピストル両手に、すっかり勝ちほこって、仁王さまのような顔をほころばせてあざ笑った。 「いいかね。これから、ケレンコとおれとが、ダン艇長にかわってこのサウス・クリパー号の指揮権を握ったんだぞ。不服のある奴は、遠慮なくおれの前へ出てこい」 大男のリーロフは、両手のピストルを、これ見よがしにふりまわしながら、人々をにらみつけた。 この恐しいけんまくの前に、誰一人あらわれる者もなかった。 それにしても、気がかりなのは、日東の熱血児太刀川時夫のことではないか。どうしたのか、彼は先ほどからちっとも姿を見せないのだ。一たい何をしているのだ。彼もまた、ケレンコとリーロフの勢いにのまれてしまったのであろうか。 いまや大飛行艇サウス・クリパー号は、おそるべき共産党員のため、すっかり占領されてしまったようである。 「おい、ダン先生」 ケレンコはいった。 「これで写真電送の器械も役にたたなくなったし、無電装置もこわれて、外との無電連絡は一さいだめになった。そこでこんどは、この艇の操縦室へ行く番となった。さあ案内しろ」 「私がか」 「そうだ。君は人質なんだ」 ダン艇長はいわれる通りにするほかはなかった。 艇内にある武器は、潜水将校リーロフがすっかりおさえてしまった。艇員たちが、ひそかにポケットにかくしもったピストルも、みなリーロフにまきあげられてしまったうえ、頤がはずれそうなほどつよく頬をぶんなぐられた。乗客たちも、一応しらべられたが、この方は、ほとんど武器を持っていなかった。 「おや、四十九番と五十番との席があいているじゃないか。ここの二人の客はどこへいった」 とつぜん大男のリーロフが、眼をむいた。 「さあ。存じませんねえ」 リーロフのお伴をしている艇員が、首をふった。 「じゃ、乗客名簿を出せ。四十九番と五十番とは誰と誰か」 リーロフは艇員の手から名簿をひったくり、太い指さきで番号をたどった。 「うむ、四十九番は石福海。五十番は太刀川時夫。ははあ、そうか。あいつは日本人だったのか。ふふん、うまく逃げたつもりらしいが、なあに今にみろ。素裸にひきむいて、あらしの大海原へおっぽりだしてやるから」 リーロフは、ゴリラのように歯をむいてつぶやいた。 一方、ケレンコ委員長は、ダン艇長をひったてて、操縦室へのりこんだ。 操縦室は、一面に計器がならんでいた。そしていろいろな操縦桿やハンドルがとりつけてあった。そこには五人の艇員が座席について、熱心に計器のうえを見ながら、操縦をしたりエンジンの運転状態を見たり、航路を記録したり、いそがしそうにたち働いていた。 だが、ケレンコがはいっていったとき、五人の操縦員の顔は、いずれも紙のように白かった。彼等はすでに、艇内におこった大事件を知っていたのである。 「おい、皆。わがはいが、ただ今からダン艇長にかわって、この飛行艇の指揮をとることになった。わがはいの、いうことをきかない者は、たちどころに射殺する。いいかね、命のおしい奴は、命令にしたがえ」 それを聞くと、五人の操縦員は、いいあわせたように、ぶるぶると体をふるわせた。
無茶な命令
「そこでわがはいは、本艇の航路をしめす。地図を出せ」 ケレンコはいった。 「地図は、ここにある」 ダン艇長が、壁を指さした。航空用の世界地図が、はりつけてあった。そのうえには、赤や青やの鉛筆で、これまで通ってきた航路やなにかがしるされていた。 「ふん、これか。なるほど本艇はいま、ここにいるのだな。しめた。マニラからよほど北にそれているのだな」 「外はひどい暴風雨です。だから北へ避けているのです」 操縦長スミスが、ひきつったような声でこたえた。 「本艇の針路を、もうすこし北へまげろ。もう二十度北へ」 「え、もう二十度も北へですって」 操縦長スミスはおどろきの声をはなち、 「それじゃあんまりです。マニラへはいよいよ遠ざかり、太平洋のまん中へとびこんでゆくことになります」 「わかっている。いいから、わがはいの、いうようにするんだ。君は命令にそむく気じゃあるまいな」 「でも、そっちへ行けば、マニラへひきかえすだけの燃料がありません。海の中におちてしまっていいのですか」 「だまって、わがはいの、いうとおりにしろ。それから、スピードをあげるんだ。いまは毎時二百キロしかでていないようだが、それを三百五十キロにあげろ」 ケレンコは、どうするつもりか、途方もないことをいい出した。 「え、三百五十キロ? この暴風雨の中に、三百五十キロ出せとおっしゃるのですか。そ、そんなことはできません。そんなことをすると、飛行艇のスピードと暴風の力とがかみあって、艇がこわれてしまいます」 スミス操縦長は、きっぱりとケレンコの命令をことわった。 「なに、できないって」 ケレンコの眼が、ぎらぎら光った。 「よし、できないというのなら、貴様に用はない。覚悟しろ」 パーン! 「あ!」 スミス操縦長の頬をかすめて、銃弾はとんだ。その銃弾は銀色をした壁をうちぬき、艇外にとび出した。とたんに、その穴から、しゅうしゅうと、はげしい風がながれこんできた。 スミス操縦長の頬からは、鮮血がぽたぽたとながれおちる。かれは決心したもののごとく、また計器をにらみながら一心に操縦桿をひく。彼もアメリカ魂をもつ勇士の一人だったのである。 「もう一度いう。針路を北へもう二十度。そしてスピードを三百五十に!」 ケレンコは、スミス操縦長に噛みつきそうな形相でさけんだ。 「わ、わかりました。そのとおりやります!」 スミスは、唇をぶるぶるとふるわせながら、きっぱりこたえた。 「ああ!」 ダン艇長は、その横で、絶望のため息をついた。 (これでは陸地へは、だんだん遠ざかる。そしてもしこの飛行艇がこわれたら) 艇員の身の上を、そしてまたあずかっている乗客たちのことを心配して、艇長の胸のうちは煮えくりかえるようであった。 助けをもとめたいにも、無電はこわれてしまった。それに他の飛行機か汽船でも通っていればいいが、こんな暴風雨地帯を誰がこのんで通っているものか。たとえ通りかかっていたにしろ、暴風雨警報をきいて、すばやく安全地帯へにげてしまったろう。 (神よ、われ等に救いをたれたまえ!) ダン艇長は、心の中に、神の名をよんだ。 艇内は、にわかにエンジンの音が高くなった。それはまるで金鎚で空缶をたたくようなやかましい音だった。今にも艇が、どかんと爆破するのではないか、とおもわれるようなものすごい音であった。――スミス操縦長は、ついにケレンコの命令どおりに、暴風雨中に三百五十キロの高スピードを出したのだった。 「ああ、これでいい。こりゃ、愉快だ!」 どういうつもりか、計器の針をながめて、ひとりよろこんでいるのは、おそるべき委員長ケレンコであった。 他の者は、誰の顔も血の気がなかった。 しゅうしゅうと風が穴から、はげしくふきこむ。ごうごう、がんがんとエンジンはなりつづける。これでは、まるで地獄ゆきの釜のなかのようなものだ。艇員たちは、それぞれ神の名をよびつづけていた。 そのときだった。入口から、おもいがけなく、一人の青年の姿があらわれた。 「やあ皆さん、ちょっと失礼しますよ」 「おお、あなたは――」 ダン艇長は目をみはった。 その青年は、ほかならぬ太刀川時夫であった。今まで彼はどこにいたのであろうか。右手にはあの太いステッキが握られている。だが、ふしぎなことには、彼の顔は、どうながめても、このさわぎを少しも感ぜざるものの如く落ちつきはらっていた。 「やあ皆さん。乗客の一人として、ちょっと御注意いたしますが、この飛行艇はついに運転不能となりましたよ」
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