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「いや、それはまたこの次のことにしましょう。わしは今度は急用でこの○○港にやってきたのでな。商談は、またこの次の機会ということに願います」 そういって、博士は、重力打消器が入っているトランクを軽々と肩にのせて、歩きだした。すると、何思い出したか、事務長がまた追いかけて来て、 「もし、お客さんへ。もう一つ、伺いたいことがあるのです。ちょっとお待ちを……」 「ええい、よく停める男だね。もういい加減に放してください」 「私のもう一つ伺いたいことは、この汽船が、機関部とは無関係なすばらしい快速を出して○○市に乗り上げてしまいましたが、あの快速ぶりは、お客さんがそこにお持ちのトランクの内容品と、何か関連があるのですかな」 「ああ、そのことか」 博士は、そこに立ち停って、 「それは大いに関係ありじゃ。わしが乗らなきゃ、ああは快速が出るものか。あれはつまり、わしが船室内で、このトランクの中に入っている部分品を組合わせて、一つの強力動力装置を作ったんじゃ。そしてそれを動かしたもんだから、それであのように、二日半もかかるところを一日で来たんじゃ」 「へえ、やっぱり、さいでしたか」 「実は、わしのあの器械を使えば、汽船もいらないし、飛行機もなくて、ちゃんと快速旅行が出来るのだ。しかしそれをやると、世間の眼についていかんのじゃ。じゃによって、わしは何か尤もらしくした乗物に乗ることにしている。それに乗った上で、わしはわしの都合により、あの強力動力装置を組立ててそれを動かし、ちょっと一ひねりやっても、あのような汽船としては快速の部に入る速力を出せるのじゃ。どうじゃ、もうその辺でよろしかろう」 金博士は、庶民階級がすきだと見えて、いつになく短気を出さず、淳々として丘へあがった船上で、通俗講演を一くさりぶったのであった。 「ああそうそう。某国大使館というのは、どこですかねえ」 こんどは金博士の方が声をかけた。 「某国大使館なら、ほら、向うの山の麓に、塔の上にきれいな旗がひらひらしている城のような建物がありましょう。あれが某国大使館です。しかしお客さん? あなた、あそこへお出でになるのでしたら、おやめになるようおすすめします」 「そりゃ何故かね」 「何故って、あの大使館は当時評判がよろしくないんで……。過去一年間に、あの大使館をくぐった者は、総計七千七百七十七人です。ところがあの門を出て来たものがたった四千四百四十四人なんです。不思議じゃありませんか」 「別に不思議とは思われんがのう。算術をすると、すぐ答が出るじゃないか。七千七百七十七人マイナス四千四百四十四人イコール三千三百三十三人と御明算が出る。すなわちこの人数たるや、某国大使館内に現に寝泊りしている館員の数である。どうじゃ、簡単な算術ではないか」 「いえ、そうじゃないんで……。あの大使館員は、実数わずかに三百三十二名なんですぞ」 「たった三百三十二名」 「そうです。すなわち、もう一度引き算をいたしまして、三千三百三十三名から引くの三百三十二名は三千一名と答が出来まして、この三千一名なる人間が、奇怪にもあの某国大使館に入ったきり、出ても参らず、館内に生活もして居らずという無理数的存在なんです。ですからお客さんも、その無理数の中にお加わりになりませんようにと御注意申上げますような次第で、へい」 「いや、よく分りましたわい。しかしわが金博士に限って、心配は無用でござる。では、さらばさらば」 と、金博士は事務長に挨拶すると、舷をまたいで、傾斜した船側の上を滑り台のように滑って、どさりと百花咲き乱れる花壇の真中に、トランク諸共尻餅をついたのであった。
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